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審決分類 審判 査定不服 商4条1項7号 公序、良俗 登録しない X24
管理番号 1259787 
審判番号 不服2010-15659 
総通号数 152 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2012-08-31 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2010-07-13 
確定日 2012-06-22 
事件の表示 商願2007- 77411拒絶査定不服審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。
理由 第1 本願商標
本願商標は、別掲1のとおり、「葛飾北斎」の漢字を筆文字風に縦書きし、その左下に朱色の印と思しき図形を配し、さらに、その下に「KATSUSHIKA HOKUSAI」の欧文字を横書きした構成よりなり、第24類に属する願書記載のとおりの商品を指定商品として、平成19年7月10日に登録出願、その後、指定商品については、原審における同年12月29日受付け及び同20年3月10日受付けの手続補正書により、第24類「布製身の回り品,かや,敷布,布団,布団カバー,布団側,まくらカバー,毛布,のぼり及び旗(紙製のものを除く。)」と補正されたものである。

第2 原査定の拒絶の理由
原査定は、「本願商標は、『葛飾北斎』の漢字を縦書きし、その下部に前記文字の英語式氏名を表したものと認められる『KATSUSHIKA HOKUSAI』の欧文字を横書きして、かつ、朱色の印が押された構成よりなるところ、『葛飾北斎』は、江戸後期の浮世絵師(代表作「富嶽三十六景」)として、我が国はもとよりヨーロッパの人々にも広く知れている歴史上著名な人物名である。ところで、葛飾北斎に縁のある『信州・小布施』、『島根県津和野町』等、多くの地方自治体では、『北斎館』、『葛飾北斎美術館』を設立又は『葛飾北斎展』を開催し、『葛飾北斎』の名称を案内書、旗、絵はがき等に使用して同人の偉業を広く伝えているところである。そうとすれば、上記の如く多くの自治体等が案内書、旗、絵はがき等に使用している『葛飾北斎』の名称を、一私人である出願人が自己の商標として独占使用することは、公の秩序及び一般的道徳観念に反し、穏当ではない。したがって、この商標登録出願に係る商標は、商標法第4条第1項第7号に該当する。」旨認定、判断し、本願を拒絶したものである。

第3 当審における証拠調べ通知
平成23年7月7日付けで、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当するものとして請求人に通知した証拠調べ通知の内容は、別掲2及び3のとおりである。

第4 当審の判断
1 商標法第4条第1項第7号について
商標法第4条第1項第7号にいう「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」には、(ア)その構成自体が非道徳的、卑わい、差別的、矯激若しくは他人に不快な印象を与えるような文字又は図形である場合、(イ)当該商標の構成自体がそのようなものでなくとも、指定商品又は指定役務について使用することが社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反する場合、(ウ)他の法律によって、当該商標の使用等が禁止されている場合、(エ)特定の国若しくはその国民を侮辱し、又は一般に国際信義に反する場合、(オ)当該商標の登録出願の経緯に社会的相当性を欠くものがあり、登録を認めることが商標法の予定する秩序に反するものとして到底容認し得ないような場合、などが含まれるというべきである(知的財産高等裁判所 平成17年(行ケ)第10349号 平成18年9月20日判決言渡)。
ところで、周知、著名な歴史上の人物名は、その人物の名声により強い顧客吸引力を有する。その人物の郷土やゆかりの地においては、住民に郷土の偉人として敬愛の情をもって親しまれ、例えば、地方公共団体や商工会議所等の公益的な機関が、その業績を称え記念館を運営していたり、地元のシンボルとして地域興しや観光振興のために人物名を商標として使用したりするような実情も多くみられるところであり、当該人物が商品又は役務と密接な関係にある場合はもちろん、商品又は役務との関係が希薄な場合であっても、当該地域においては強い顧客吸引力を発揮すると考えられる。このため、周知、著名な歴史上の人物名を商標として使用したいとする者も、少なくないものと考えられる。一方、敬愛の情をもって親しまれているからこそ、その商標登録に対しては、国民又は地域住民全体の反発も否定できない。
(参考 商標審査便覧42.107.04「歴史上の人物名(周知・著名な故人の人物名)からなる商標登録出願の取扱いについて」http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/kijun/kijun2/syouhyoubin.htm)
そうとすれば、周知、著名な歴史上の人物名からなる商標は、これを特定の者の商標として、その登録を認めることは当該人物名を使用した公益的な事業を阻害するおそれがあるとみるのが相当であるから、当該商標は、社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反するものといわなければならない。

2 当審における証拠調べ通知で認定した事実から、次のことを認めることができる。
「葛飾北斎」は、歴史上の人物として、辞典、辞書、テレビや映画などにおいて数多く取り上げられていること、また、芸術の分野において世界的に多大な影響を及ぼしたことなどから、全国的に周知、著名な歴史上の人物といえる。
そして、その郷土やゆかりの地においては、「葛飾北斎」は、その作品等を通して、人々の尊敬を集め、郷土の偉人として敬愛の念をもって親しまれている実情にある。
また、東京都墨田区に限らず、「葛飾北斎」のゆかりの地にある史跡や作品等が、観光の名所などとなっており、それらが地方自治体の観光振興及び地域興しのための施策の基盤となっており、また、公共団体や文化団体などがこれらを保存、公開し、同人に関連して観光振興や地域興しに役立てようとする取組がなされていることが認められる。
さらに、一般に歴史上の人物の出身地やゆかりの地においては、その地の特産品や土産物に、その者の名称等を表示して、観光客などを対象に販売されている事情にあるが、「葛飾北斎」についても、お土産用の「絵はがき」「手拭い」「Tシャツ」「ボールペン」「巾着」などに「葛飾北斎」の名称等が用いられている事実がある。
そして、本願商標の指定商品は、観光地の特産品や土産物となり得る「タオル,手拭い,ハンカチ,ふろしき」などの商品を含むものである。
以上によれば、「葛飾北斎」は、我が国において周知、著名な歴史上の人物と認められるものであり、広く国民に敬愛され、各地に存在するゆかりの地においては、「葛飾北斎」及び「北斎」の名称が、観光振興や地域興しに活用され、土産物なども製造、販売されているものであるから、本願商標の指定商品を取り扱う者によって使用され、あるいは今後使用される可能性が極めて高いものといわなければならない。
そうとすれば、周知、著名な歴史上の人物名である「葛飾北斎」の文字からなる本願商標を、特定の者の商標として登録を認めることは、当該人物名を使用した日本各地で行われる観光振興や地域興しなど公益的な事業を阻害するだけでなく、商標権を巡る争いなど無用の混乱を招くおそれがあり、公正な競業秩序を害するおそれがあるから、当該商標は、社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反するものというのが相当である。

3 請求人の主張について
(1)請求人は、請求の理由において、歴史上の人物名に関する過去の登録例及び審決例を挙げて、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当しない旨主張する。
しかしながら、歴史上の人物名については、平成21年10月21日に、商標審査便覧に「42.107.04 歴史上の人物名(周知・著名な故人の人物名)からなる商標登録出願の取扱いについて」を追加する改訂が行われたものであって、本願商標が、同号の規定に該当するか否かは、当該商標の査定時又は審決時において、個別具体的に判断されるべきものであるから、同号の取扱いが改められる以前の登録例及び審決例が存在することによって、前記認定が左右されるものではない。
(2)請求人は、請求の理由において、「本件商標が公正な競業秩序を害し、社会公共の利益に反するかものであるか否かについて」として、以下のとおり主張する。
ア 「本願商標は、『葛飾北斎』の漢字を特定の書体で縦書きし、その下部に『KATSUSHIKA HOKUSAI』の欧文字を表すとともに、朱色の印が押された構成よりなるところ、これら縦書き文字と欧文字と印の三者で構成されるものであって、単純に『葛飾北斎』の名前を独占しようというような類のものでは全く無く、登録となった場合に本願商標の権利効力が及ぶのは、縦書き文字と欧文字と印の三者で構成された標章が、第三者に使用されたときにはじめて侵害云々の問題が生じる。したがって、単に『葛飾北斎』のロゴが付された暖簾、或いは手ぬぐい等が販売されても、本願商標の権利効力が及ばないこと言うまでも無いから、本願商標を登録しても、各種イベントや美術館等に与える影響は皆無であり、公正な競業秩序を害するおそれは無く、また、社会公共の利益に反するおそれも全く無い。」
しかしながら、本願商標は、別掲1のとおり、「葛飾北斎」の漢字、「朱色の印」、「KATSUSHIKA HOKUSAI」の欧文字よりなるところ、その構成文字は歴史上の人物「葛飾北斎」を理解させるものである。一方、朱印部分は、「葛飾北斎」が用いた落款印の一つである「富士」といわれるものである(参考:ホームページ「信州・小布施 北斎館」の「収蔵品紹介」の「肉筆画帖」の項目(http://www.book-navi.com/hokusai/art/sake.html))。
そうとすれば、本願商標を構成するそれぞれの部分が独立して自他商品の識別標識としての機能を果たし得るものであること、そして、商標権は、専用権であるとともに、第三者に対する禁止権でもあることから、請求人のみに当該人物名について商標登録を認めることは、第三者の公益的施策に伴う各種商品等への商標の使用を制限することとなり、その公益的な事業活動に支障をきたすおそれがあるものといわなければならない。
イ 「本願商標を構成する『葛飾北斎』は浮世絵師であり、『坂本龍馬』や『桂小五郎』:といった幕末の偉人とは事情が全く異なる。・・・土佐や長州といった地域から出てきて、その地域の出身者でなければ成し遂げられなかった偉業を達成した幕末の偉人達と、芸術家である葛飾北斎とでは、地域との関係は全く異なり、葛飾北斎の生誕地や晩年を過ごした地を取り上げて、これらを『坂本龍馬』にとっての土佐(高知)や、『桂小五郎』にとっての長州(山口県)と同等に取り扱うことは全くできない。」
しかしながら、前記したように「葛飾北斎」は、幕末の偉人達の名前と同様に、著名な歴史上の人物名として多くの人々に知られるところであり、その人物名は、多種多様な事物において、様々な人々によって使用されているものであり、そして、東京都墨田区などの公共団体や文化団体等が「葛飾北斎」の名前のもとに行う地域興し事業、観光事業などにおいて、土産物やイベント等の商品が販売されており、今後も販売され得るものである。
そうとすれば、商標権は、専用権であるとともに、第三者に対する禁止権でもあることから、請求人のみに当該人物名について商標登録を認めることは、第三者の公益的施策に伴う各種商品等への商標の使用を制限することとなり、その公益的な事業活動に支障をきたすおそれがあるものといわなければならない。
(3)請求人は、平成23年8月22日受付けの意見書において、「本願商標が登録されると、観光振興や地域興しなどの公益的な施策の遂行を阻害することになり、また、社会公共の利益に反するとの認定には、首肯できない。」として、以下のとおり主張する。
ア 「本願商標の出願日後に出願された『北斎』を含む商標の登録例として、登録第5228241号の『道場北斎』、登録第5249915号の『Narita Hokusai Plaza\ナリタ北斎プラザ』、登録第5281554号の『東京\せんべい\喜八堂∞冨嶽三十六景∞神奈川沖\浪裏∞北斎改為一筆』、登録第5396745号の『すみだ北斎美術館』、および登録第5401646号の『北斎の富士 北斎蔵』が存在する。」
しかしながら、請求人の挙げる登録例は、その構成、態様が本願商標の事案と異なるものであって同列に論じられるものでもなく、また、該登録例は、「葛飾北斎」の文字よりなるものではない。
そうすると、それらの登録例の存在をもってしても、前記認定が左右されるものではない。
イ 「本願商標は『葛飾北斎』の漢字を特定の書体で縦書きし、その下部に『KATSUSHIKA HOKUSAI』の欧文字を表すとともに、朱色の印が押された構成よりなる結合商標であって、それ以上でもそれ以外でもない。従って、本願商標が登録査定を受けた場合でも、その効力が、単に『葛飾北斎』の文字が付された、タオル、手拭い、ハンカチ、ふろしきなどに及ぶことは絶対に無い。また、本願商標が登録査定を受けた場合でも、その効力が、本願商標の書体と異なる書体からなる『葛飾北斎』の文字が付された貯金箱等に及ぶことは絶対に無い。さらに本願商標の書体と同じ書体からなる『葛飾北斎』の文字が付されたタオル等であっても、そこに『KATSUSHIKA HOKUSAI』の欧文字、或いは朱色の印のいずれか一方が無い場合には、本願の商標の効力が、貯金箱等に及ぶことは絶対に無い。」
しかしながら、本願商標の構成中の「葛飾北斎」「KATSUSHIKA HOKUSAI」の文字部分及び朱印部分は、前記したように、それぞれ自他商品の識別標識としての機能を十分に果たすものであって、とりわけ著名な歴史上の人物名である該文字部分は、非常に強い顕著性を有する部分といえるものである。
そうとすれば、請求人が主張するように、本願の商標権の効力が、全体として一体不可分の構成のみに限定されるものであって、単に「葛飾北斎」の文字を使用する第三者に及ぶことは無いということはできないから、出願人のみに当該人物名について商標登録を認めることは、第三者の公益的施策に伴う各種商品等への商標の使用を制限することとなり、その公益的な事業活動に支障をきたすおそれがあるものといわなければならない。
ウ 「請求人の主張は、実質的に、本願商標の効力範囲が、漢字文字の『葛飾北斎』のみからなる商標、或いは欧文字の『KATSUSHIKA HOKUSAI』のみからなる商標等には及ばないことを自覚し、これを宣言するものである。」
しかしながら、請求人が、たとえ上記した旨を宣言したとしても、先に述べたとおり、本願商標は、それぞれの部分が独立して自他商品の識別標識としての機能を果たし得るというのが相当であり、また、著名な歴史上の人物名である該文字部分は、非常に強い顕著性を有する部分といえるものである。
そうとすると、商標権は、専用権であるとともに、第三者に対する禁止権でもあり、出願人のみに当該人物名について商標登録を認めることは、第三者の公益的施策に伴う各種商品等への商標の使用を制限することとなり、その公益的な事業活動に支障をきたすおそれがあるだけでなく、商標権を巡る争いなど無用の混乱を招くおそれがあるものといわなければならない。
したがって、請求人の上記主張は、いずれも採用することができない。
(4)むすび
以上のとおり、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当するとして本願を拒絶した原査定は、妥当なものであって、取り消すべき限りではない。
よって、結論のとおり審決する。

別掲 別掲1(本願商標)



(色彩については原本参照)


別掲2(証拠調べ通知)
この審判事件に関し、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当するか否かについて、職権に基づく証拠調べをした結果、その指定商品について本願商標の商標登録を認めることは、「葛飾北斎」の名称を使用した観光振興や地域おこしなどの公益的な施策の遂行を阻害することになり、また、社会公共の利益に反することとなるものである事実を下記のとおり発見したので通知する。

本願商標は、別掲1のとおりの構成よりなるところ、その構成中の「葛飾北斎」の文字について、以下の事実が認められる。
(1)「葛飾北斎」の周知・著名性
「広辞苑第六版」(株式会社岩波書店)においては、「北斎」の項目があり、語義解説については、「葛飾北斎」の見出しを参照するようになっている。そして、該項目には、「江戸後期の浮世絵師。もと川村氏、のち一時中島氏。江戸本所に生まれる。葛飾派の祖。初め勝川春章の門に入り、春朗と号し、のち宗理・画狂人・戴斗・為一・卍など、画風と共にしばしばその号を変えた。洋画を含むさまざまな画法を学び、すぐれた描写力と大胆な構成を特色とする独特の様式を確立。版画では風景画や花鳥画、肉筆画では美人画や武者絵に傑作が多く、『北斎漫画』などの絵手本や小説本の挿絵にも意欲を示した。代表作『富嶽三十六景』。(1760?1849)」の記載がある。
また、「大辞林」(株式会社三省堂)においても、「北斎」の項目があり、語義解説については、「葛飾北斎」の見出しを参照するようになっている。そして、該項目には、「(1760-1849)江戸後期の浮世絵師。江戸生まれ。春朗・宗理・画狂人などたびたび号を変えた。勝川春章の門で浮世絵を学ぶ。また、狩野派・土佐派・西洋画などからも画技を学び、風景版画に新生面を開いた。その画風はヨーロッパ印象派の発生に大きな影響を与えた。代表作『富嶽三十六景』『北斎漫画』など。」の記載がある。
そして、「葛飾北斎」については、その人物にまつわる書籍や同人の浮世絵などの作品に関する書籍が数多く出版されているところである。
また、テレビ番組でも、NHKにおいて、平成16年4月25日に「美にかけた浮世絵師たち」という番組内で「日本の美『北斎?富嶽三十六景』」のタイトルで放送され、最近でも平成22年4月25日に「日曜美術館」という番組で「夢の北斎 傑作10選」のタイトルが放送されており、さらに、映画でも、1981年に「北斎漫画」(制作:松竹株式会社)という映画が公開されている(http://www.nhk.or.jp/archives/nhk%2Darchives/past/2004/h040425.html、http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0425/index.html、http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD16251/)。
加えて、インターネット情報や新聞記事情報においても、多数の記事が掲載されている事実がある(別掲3)。
そうとすれば、「葛飾北斎」は、歴史上の著名な人物であり、同人の作品や人生などに関する数多くの書籍が刊行されていること、また、テレビ番組などにおいても取り上げられていることからしても、一般にその名前(呼び名)が広く知られている人物であることが認められるものである。
(2)「葛飾北斎」に対する国民又は地域住民の認識
「葛飾北斎」の代表作である錦絵「富嶽三十六景」全46枚や、絵手本「伝神開手 北斎漫画」十五編など多くの作品は、遠く海を越え、その画風は19世紀のヨーロッパ印象派画家(ゴッホ、セザンヌ、ゴーガンなど)などにも影響を与えたことでも知られている。また、1999年には米国の雑誌「ライフ」という雑誌による「この1000年間で最も重要な業績を残した世界の人物 100人」という企画では、日本人として唯一ランクイン(86位)している(別掲3 1(1))。
このように、我が国が誇る世界的にも有名な浮世絵師である「葛飾北斎」は、日本史の教科書にも取り上げられるなど、誰もがその名前を知っている歴史上の有名な人物である。
そして、「葛飾北斎」は、本所割下水(現在の東京都墨田区亀沢付近)に生まれたとされるが、ゆかりの地である、東京都墨田区亀沢地区では、「北斎通りまちづくりの会公式サイト:亀沢・北斎ネット」を国土交通省の住まい・まちづくり担い手支援事業の補助を受けて開設し、その生誕地である亀沢地区の地域振興の中心に「葛飾北斎」をキーワードとして据えて活動している(別掲3 1(2))。さらに、その略称である「北斎」を冠した「北斎祭り」を2006年から開催して、「『北斎祭り』を通して、地域住人が葛飾北斎に親しみ、理解を深め、連携する。それらのことを通じて、誇りと愛着を持てるようなまちづくりを行い、亀沢地区全域を『北斎館』を支える地域コミュニティを育成します。また、地元住人が葛飾北斎の生き方をより深く理解し、地域の持つ文化遺産を再認識します。そして、葛飾北斎ゆかりの地として、葛飾北斎の作品の情報や素晴らしさを、全国はもとより世界へ発信します。」(別掲3 1(3))として、地域振興を図っている事実からすれば、地元住民が「葛飾北斎」に親しみ、誇りと愛着をもっていることが確認できるものである。
一方、信州小布施(現在の長野県上高井郡小布施町)は、「葛飾北斎」が晩年の4年間逗留して活動した地で、郷土の豪商・高井鴻山の庇護のもと、東町・上町の二基の祭屋台および岩松院の天井絵などの作品が遺されている。そして、その祭屋台と北斎肉筆画を収蔵する「北斎館」が1976年に開館されており、その他にも、原画等を所蔵する「高井鴻山記念館」が1983年に開館されていることからも、地域の住民に親しまれ、かつ、同地を訪れる観光客にも広く知られているものである(別掲3 2(1)及び3)。
これらによれば、その郷土やゆかりの地においては、「葛飾北斎」は、その作品等を通して、人々の尊敬を集め、郷土の偉人として敬愛の念をもって親しまれている実情にあることが認められる。
(3)「葛飾北斎」の名称の利用状況
東京都墨田区は、「すみだ北斎美術館」を平成25年度開設予定としており、同区では、郷土の偉大な芸術家を区民の誇りとして永く顕彰し、観光や産業などの地域活性化の拠点となる施設として位置づけて、開設準備を進め、葛飾北斎の作品の展示を行うだけではなく、収集保存、情報提供、教育普及など、葛飾北斎生誕の地の美術館にふさわしい事業を幅広く展開していくとしている(別掲3 4)。
また、同区亀沢地区では、その略称である「北斎」の名を冠した「北斎祭り」が、2006年から開催されている(別掲3 1(3))。
そして、同区には、「北斎通り」の名称がつけられた道路があり、西は江戸東京博物館前の清澄通りから横十間川までまっすぐに伸びる道路で、京葉道路と蔵前橋通りの中間に位置する(別掲3 1(4))。
一方、長野県上高井郡小布施町には、「北斎館」が存在し、また、小布施文化観光協会のホームページにおいて、「栗と花と北斎のまち」のように、町のキャッチフレーズのごとく使用している事実がある(別掲3 5)。
以上のとおり、生誕の地である東京都墨田区や、ゆかりの地である長野県上高井郡小布施町においては、「葛飾北斎」に関連する史跡や資料等が遺されており、地方公共団体がこれらを保存・公開し、同人に関連して観光振興や地域おこしに役立てようとする取組がなされていることが認められる。
(4)前記(1)ないし(3)において認定した事実は、本願商標の出願前から現在においても継続している。
(5)「葛飾北斎」の名称の利用状況と本願商標の指定商品との関係
一般に歴史上の人物の出身地やゆかりの地においては、その地の特産品や土産物に、その者の名称等を表示して、観光客などを対象に販売されている事情があるが、「葛飾北斎」についても、お土産用の「絵はがき」「手拭い」「Tシャツ」「ボールペン」「巾着」などに「葛飾北斎」の名称等が用いられている事実がある(別掲3 2(2))。
他方、本願商標の指定商品は、観光地の特産品や土産物となり得る「タオル,手拭い,ハンカチ,ふろしき」などの商品を含むものであり、これらと同様に土産物となる上記商品を東京都及び長野県内の市町村等が観光振興の土産物用の商品としている事実がある。
なお、その指定商品中、現時点において特産品や土産物としての商品でないものについても、歴史上の人物の生誕地やゆかりの地においては、その地の特産品や土産物となり得るものである。
そうとすると、「葛飾北斎」の名称は、本願商標の指定商品を取り扱う者によって使用される可能性が極めて高いものであることが認められる。
(6)出願の経緯・目的・理由
本願商標に関する出願の経緯・目的・理由についての具体的事情は、確認できない。
(7)「葛飾北斎」と請求人との関係
審判請求書において、請求人は「葛飾北斎」と特段の関係を有するものではないことを述べているところ、当審においても、請求人と「葛飾北斎」との関係は、確認できない。

別掲3(別掲2の証拠調べ通知における各種情報)
<インターネット情報>
1 「北斎通りまちづくりの会公式サイト:亀沢・北斎ネット」のホームページにおいて
(1)「葛飾北斎関連情報」の「葛飾北斎について」の項目のもと、「葛飾北斎のプロフィール/日本を代表する浮世絵師の葛飾北斎は、1760年(宝暦10)9月23日に、本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれました。・・・北斎の代表作である錦絵『富嶽三十六景』全46枚(72歳頃に描く)や、絵手本『伝神開手 北斎漫画』十五編(55歳?60歳頃に描く)など多くの作品は、遠く海を越えて、19世紀ヨーロッパの印象派画家ゴッホ(1853-90)、セザンヌ(1839-1906)、ゴーガン(1848-1903)などにも大きな影響を与えたことでも知られています。また、1999年米国の『ライフ』と言う雑誌による『この1000年間で最も重要な業績を残した世界の人物 100人』のアンケートで、日本人では唯一1人、86位にランクインされています。墨田で生まれ、20歳で浮世絵師として出発し、没するまでの70年間にわたって築きあげた北斎の芸術世界は、浮世絵と言うジャンルを超えて、今も世界の人々の注目を集めています。」の記載がある。
(http://www.hokusai-dori.com/hokusaijoho/index.html)
(2)「北斎まちづくりの会」の「ご挨拶」の項目のもと、「昨年度は、より一層葛飾北斎を地元の皆様にご理解いただくため、『北斎祭り2006』を開催いたしました。それに加え、墨田区の文化遺産であります葛飾北斎の作品を展示すべく以前より懸案となっておりました、北斎館建設も区の基本構想で決定され、建設場所決定および基本設計も開始される時期に至っております。・・・また、葛飾北斎をキーワードとして、生誕地としての地元亀沢、そしてまちづくりの会としての諸活動と、墨田区の情報を広く発信することを通じ、亀沢以外の葛飾北斎ゆかりの地域との連帯を深め、ネットワークを構築することが可能になります。」の記載がある。
(http://www.hokusai-dori.com/about/index.html)
(3)「北斎祭りについて」の項目のもと、「『北斎祭り』を通して、地域住人が葛飾北斎に親しみ、理解を深め、連携する。それらのことを通じて、誇りと愛着を持てるようなまちづくりを行い、亀沢地区全域を『北斎館』を支える地域コミュニティを育成します。また、地元住人が葛飾北斎の生き方をより深く理解し、地域の持つ文化遺産を再認識します。そして、葛飾北斎ゆかりの地として、葛飾北斎の作品の情報や素晴らしさを、全国はもとより世界へ発信します。」の記載がある。
(http://www.hokusai-dori.com/matsuri/outline/index.html)
(4)「北斎通りの情報」の「場所」の項目のもと、「北斎通りは、西は江戸東京博物館前の清澄通りから横十間川までまっすぐに伸びる道路です。ちょうど京葉道路と蔵前橋通りの中間に位置します。」の記載がある。
(http://www.hokusai-dori.com/hokusaidori/index.html)
2 「信州小布施 北斎館」のホームページにおいて
(1)「収蔵品案内」の項目のもと、「信州小布施 北斎館/小布施は、画狂北斎が晩年に長く逗留し、画業70年の集大成をはかった特別な町です。80代半ば、郷土の豪商・高井鴻山の庇護のもと、東町・上町の二基の祭屋台および岩松院に、天井絵を描き遺しました。・・・北斎館は、これらの天井絵をおく祭屋台と、長く大切に受け継がれた北斎肉筆画をもって、昭和五十一(1976)年11月に開館しました。」の記載がある。
(http://www.hokusai-kan.com/treasure01.htm)
(2)「グッズ案内」の項目のもと、「館蔵肉筆画の複製画をベースとする、絵や掛軸、額装品またポストカードをはじめ、人気シリーズのTシャツ、タオルマフラーも絵柄を増やしてご提供いたします。おもしろ北斎シリーズ商品も、北斎肉筆画切手シート、皇孫勝の携帯電話ストラップを加えて充実しました。」の記載がある。
(http://www.hokusai-kan.com/goods.htm)
3 「北信州ネット」のホームページには、「北信州の美術館・博物館」の「高井鴻山記念館」の項目のもと、「高井鴻山は、文化3年(1803)小布施町に父熊太郎、母ことの4男として生まれ、京都や江戸に出て国学、蘭学、漢学などを広く学び、詩文や書、絵画など芸術にも優れた才能を発揮した。小布施に戻った後の鴻山の元には、葛飾北斎をはじめ、数多くの文人たちが訪れている。・・・この記念館は、鴻山の生涯と作品を顕彰するために、屋敷の一部を同町が譲り受け昭和58年に開館、年間約10万人の来館がある。・・・第2展示室の屋台庫は、北斎の下絵を手本にして描いた鴻山の作品や、岩松院の鳳凰図など、北斎の描いた原画を展示している。」の記載がある。
(http://www.shinshu.co.jp/museum/takaikouzan.html)
4 「墨田区」のホームページには、「すみだ北斎美術館関連情報」の項目のもと、「世界的な画家として評価の高い『葛飾北斎』は、本所割下水(現在の墨田区亀沢付近)で生まれたと言われており、90年の生涯のほとんどを区内で過ごしながら、多くの作品を残しました。区では、この郷土の偉大な芸術家を区民の誇りとして永く顕彰するとともに、観光や産業などの地域活性化の拠点ともなる施設『すみだ北斎美術館』の開設準備を進めています。『すみだ北斎美術館』では、作品の展示はもとより、収集保存、情報提供、教育普及など、北斎生誕の地の美術館にふさわしい事業を幅広く展開していきます。」の記載がある。
(http://www.city.sumida.lg.jp/hokusaibijutukan_infomation/index.html)
5 「小布施文化観光協会 小布施日和」のホームページには、トップページに、「栗と花と北斎のまち/小布施町について/千曲川東岸に広がる豊かな大地に、他に類を見ない重厚でしっとりとした文化が花開きました。信州小布施、『今』が旬の『生きた町』です。北信濃の小さな町の、四季折々の息遣いをどうぞ体感してください。」の記載がある。
(http://www.obusekanko.jp/)
6 「江戸東京博物館」のホームページには、「特別展のご案内」の「特別展『北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-』」の項目のもと、「本展では、オランダとフランスに残る北斎の風俗画から、これまで”知らなかった”北斎像を探るとともに、北斎とシーボルトの交流にも着目します。そして江戸で人気を博した『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』に代表される、版画や版本、肉筆画、摺物など、初公開を含む北斎の名品を幅広く紹介します。”知らなかった北斎”と”知っている北斎”?、ふたつの視点から迫る本展覧会で、ヨーロッパをも魅了した江戸の絵師・北斎の芸術をあらためてお楽しみください。」の記載がある。
(http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/1204/200712.html)
7 「津和野町観光協会」のホームページには、「旅のガイド>観光>美術館・資料館>■葛飾北斎美術館」の項目のもと、「■北斎の肉筆画・版画・版本や門人の資料など多数の作品を展示/冨嶽三十六景や北斎漫画で知られる葛飾北斎の作品がここ津和野で展示されています。北斎は西洋の印象派画家やひいてはピカソにも影響を与えたといわれ近年ますます注目されています。その北斎の美術館が津和野にあるのは、この地で初刷りの『北斎漫画』が発見されたことによるものだそうです。館内には肉筆画・版画・版本や門人の資料など多数の作品が展示されている他、版画の刷り上るまでの過程も示されています。また2000年5月には、幻の絵とされていた『柱絵 富士見西行』がこの美術館で発見されました。」の記載がある。
(http://www.tsuwano.ne.jp/kanko/modules/gmap/index.php?lid=257&cid=46)
8 「茨城県潮来市 水郷潮来観光ガイド」のホームページには、「観光スポット」の「水郷北斎公園」の項目のもと、「■解説/北利根川沿いに約1キロメートル続く水郷北斎公園はせせらぎが聞こえる水辺の公園で見晴らしの良いくつろぎポイントです。葛飾北斎が描いた『常州牛堀』にちなんで名づけられました。」の記載がある。
(http://www.city.itako.lg.jp/cgi-bin/kanrisystem/kaview.cgi?no=128)

<新聞記事情報>
9 「[ひとりのチカラ]チャレンジャーたち(10)北斎掘り起こし町おこし(連載)」(2005年7月16日 東京朝刊」)の見出しのもと、「アメリカ生まれのセーラさんは1993年、大学卒業直後に長野五輪のボランティアスタッフとして来日した。・・・セーラさんが目をつけたのは、小布施で晩年を過ごした葛飾北斎だった。調べてみると、海外では北斎の作品と共に『小布施』の名も知られていた。ところが、地元にそんな認識はなかった。『世界の研究者が集う催しを町で開けば小布施を世界にPRできる』--そう確信し、イタリアのベネチアで90年と94年に開催されていた『国際北斎会議』を同町で開くことを社長に提案。・・・長野五輪が閉会してまもない98年4月、『国際北斎会議』は実現した。世界17か国から約300人の学者らが集まり、関連イベントには10万人が訪れた。」の記載がある。
10 「信州・見たい:小布施・北斎館 貴重な肉筆や版画100点 /長野」(2008年11月8日 毎日新聞 地方版/長野)の見出しのもと、「自らを『画狂人』と称した江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎。晩年を過ごした小布施町にある美術館『北斎館』は、貴重な肉筆や版画など約100点を収蔵する。」の記載がある。
11 「九州・山口テーマパーク:わが街自慢の美術館 /九州」(2009年6月21日 毎日新聞 地方版/福岡)の見出しのもと、「古い町並みが多い萩市の城下町の一角に、県立萩美術館・浦上記念館(上田秀夫館長)がある。・・・所蔵品は、葛飾北斎『富嶽三十六景 山下白雨』など浮世絵5500点、『青花山水人物文瓶』(李朝)など東洋陶磁550点と、こちらも公立では全国一だ。」の記載がある。
12 「弥生に会おう 和泉弥生ロマン・ツーデーウオーク 10月17・18日 【大阪】」(2009年9月6日 朝日新聞 大阪朝刊)の見出しのもと、「●北斎に会える美術館/日本や中国の書画のほか、モネ、ルノワールの西洋美術など、計約1万点を収蔵する和泉市久保惣記念美術館〈5〉。国宝や重要文化財の30点に加え、葛飾北斎の浮世絵版画『冨嶽(ふがく)三十六景 山下白雨(さんかはくう)』など貴重な美術品を定期展示している。」の記載がある。
13 「イベントガイド /高知県」(2010年3月27日 朝日新聞 大阪地方版/高知)の見出しのもと、「◎映画『北斎漫画』上映会 28日午前10時、午後0時15分、2時半、4時45分、7時からの5回、高知市上町2の龍馬の生まれたまち記念館。浮世絵師葛飾北斎と戯作者滝沢馬琴の交流などを描いた作品。」の記載がある。
14 「『富士と桜』点:『本質描いた北斎』 冨嶽三十六景テーマに講演--小布施 /長野」(2010年10月17日 毎日新聞 地方版/長野)の見出しのもと、「江戸時代中後期に活躍し、晩年に多くの時間を小布施町で過ごした浮世絵師の葛飾北斎(1760?1849)の生誕250周年を記念し、同町の北斎館など3会場で開催している特別展『富士と桜』展(同館主催・毎日新聞社など共催)に合わせて、北斎をテーマとした記念講演が16日、同町の北斎ホールであった。」の記載がある。
15 「すみだブランド76点並ぶ 認証商品や試作品 からくり屏風など=東京」(2011年1月16日 読売新聞 東京朝刊)の見出しのもと、「2012年春の東京スカイツリー(墨田区)の開業に向け、区内の産業を売り出そうと区などが取り組んでいる『すみだ地域ブランド戦略』から生まれた商品や食品の展示・試食会が15日、すみだリバーサイドホール(吾妻橋1)で行われた。・・・会場には、葛飾北斎の浮世絵の絵柄が入った『からくり屏風(びょうぶ)』、昔ながらの『釜焚(た)き製法』で手作りされたせっけん、伝統の革製品で作られたリストウォレットなどユニークな商品がずらり」の記載がある。



審理終結日 2012-04-18 
結審通知日 2012-04-25 
審決日 2012-05-09 
出願番号 商願2007-77411(T2007-77411) 
審決分類 T 1 8・ 22- Z (X24)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 寺光 幸子久我 敬史 
特許庁審判長 渡邉 健司
特許庁審判官 井出 英一郎
高橋 謙司
商標の称呼 カツシカホクサイ 
代理人 森本 聡 

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