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審決分類 審判 全部無効 その他 無効としない 041
管理番号 1170977 
審判番号 無効2006-89175 
総通号数 98 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2008-02-29 
種別 無効の審決 
審判請求日 2006-12-18 
確定日 2007-12-25 
事件の表示 上記当事者間の登録第3362323号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。
理由 第1 本件商標
本件登録第3362323号商標(以下「本件商標」という。)は、別掲(1)のとおりの構成よりなり、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第5条第1項による使用に基づく特例の適用を主張して平成4年8月17日に登録出願され、第41類「空手の教授」を指定役務として平成9年11月28日に設定登録されたものである。

第2 請求人の主張の要点
請求人は、本件商標の登録を無効とする、との審決を求め、その理由及び被請求人の答弁に対する弁駁の理由を要旨以下のように述べ、証拠方法として甲第1ないし第8号証を提出している。
1 請求の理由
(1)被請求人による本件商標の使用について
(ア)特例出願に係る本件商標の使用
被請求人は、商標登録特例出願(平成4年商願平第158340号)を行い、商標権として登録を受けたことは認める。(審決註:「請求人は、被請求人が商標登録特例出願(平成4年商願平第158340号)を行い、商標権として登録を受けたことは認める。」との意と解した。)しかし、特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料、すなわち、平成4年7月20日に京都商工会議所が発行した商標証明書は、本件商標をその指定役務(空手の教授)について使用していた資料として、硬式空手道 日本正武館を屋号とする被請求人に対して発行されたものとは認められるものの、他の使用証明書と対比しても、本件商標を出願前から同人の業務の出所を表す識別商標として使用していたとする確かな証拠とは見えない。
例えば、特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料、すなわち、空手大会のポスターの表紙「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟 第六回選手権大会(主催:財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟、主管:綜合武道場 日本正武館)」において、「全日本硬式空手道連盟」の文字部分を以って、「綜合武道場 日本正武館」が本件商標を使用していたとすることはできない。なぜなら同大会の主催者は「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる団体であって、「全日本硬式空手道連盟」の表示は、財団法人東興協会の標章ではあるものの、「綜合武道場 日本正武館」の標章とも使用になるものとも言い難い。
一方、「綜合武道場 日本正武館」という人格無き社団法人が商標の使用者であったと仮定しても、京都に本拠を置く「綜合武道場 日本正武館」は鈴木氏により創立されたものであって、初代館長で責任者は鈴木正文氏であって、被請求人ではなかった。また上記空手大会のポスターの表紙に、被請求人の名前は見つからない。
しかも、当初被請求人は、個人名にて特例出願を行い、特許庁より平成6年9月22日、「本願商標の使用説明書の添付書類、すなわち京都商工会議所の発行にかかる商標の使用説明書の名宛人が“硬式空手道 日本正武館 河野安雄殿”となっているため」拒絶された。これに対して被請求人は、平成7年5月22日付、京都商工会議所より、商標の使用主体及び営業主体が被請求人個人であるとの証明書を、遡って取り直している。これでは、上記空手大会のポスターの表紙に見られる「綜合武道場 日本正武館」とは全く無関係になっている。
すなわち「綜合武道場 日本正武館」を単なる屋号であるとするなら、パンフレットに、被請求人の名前が本人として付されないのはおかしい。しかも本件商標と特例出願の願書に添付したパンフレットの表紙に使用している図形と文字との結合商標は、明らかに別物である。
(イ)被請求人による本件商標の使用開始
まず前掲の京都商工会議所が発行した商標証明書は、被請求人が特例出願を行った平成4年8月1日(願書日付)の直前に発行されたものである。これは、被請求人が同商工会議所の会員になっていて商標を使用していたことの証明であるとしても、以前から被請求人の「全日本硬式空手道連盟」が実在していたこと、また同会議所にその団体名称が登録されていた証拠とはならない。
次に、被請求人の空手大会のポスター表紙コピーを見ると、平成2年9月30日に「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟 第六回選手権大会」の空手大会が開催されたと表示されている。しかし被請求人が関与したとされる綜合武道場 日本正武館と「全日本硬式空手道連盟」の名称との関係では、大会主管者たる「綜合武道場 日本正武館」には「全日本硬式空手道連盟」の表示が付記されていないのに対して、主催者たる「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の結合名称にはそれが見られる。
当時の事実は、「綜合武道場 日本正武館」の創立者で初代館長であったのは、鈴木氏であって、被請求人は空手指導者として1984年「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる連盟に参加協力していたことは認める。しかし被請求人がその「全日本硬式空手道連盟」の文字を含む「文字十図形」商標を特例出願したのが1992年、その商標は、その前年まで鈴木正文氏が使用していた商標「全日本硬式空手道連盟」である。
被請求人が、「全日本硬式空手道連盟」を使用していたとする事実を客観的に示す新聞、雑誌等の資料は無い上、いずれの使用を示す資料も証拠力にも乏しく、あるいは認められないものばかりであるから、その使用を証明したものと言う事は出来ない。
然るに、被請求人は、本件商標をその出願前から使用していたとして特例出願をしたのであるが、しかし少なくとも業界の常識では、鈴木正文氏が使用する「全日本硬式空手道連盟」は、「財団法人東興協会」の所管する組織として認識、理解されていた。
と言うのも、鈴木正文氏は逝去されるまで「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」との全体名称を常に一体のものとして使用することを、頑なに貫いていたという事実は、資料等で証明される。
これは、請求人と鈴木正文氏との長い盟友関係の中から、常に一体表示使用されていたことは、此処で改めて証明する必要も無いくらいである。
これは、反面「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の中の「全日本硬式空手道連盟」の文字のみが、分離独立した出所標識としてその機能を果たしていなかった。
したがって、被請求人は「全日本硬式空手道連盟」の文字のみに、いかなる権原をも持たない。
(ウ)「日本正武館」創立者鈴木正文氏の本件商標使用開始
1980年 請求人は、「第一回国際親善硬式空手道選手権大会(会長:松前重義東海大学総長-国際硬式空手道競技会主催)を開催。画期的な「スーパーセーフ安全具と硬式競技法」を公表したところ、鈴木氏が、正武館を拠点に関西方面で普及に一役買いたいと熱望した。それから鈴木氏と請求人との協力関係は動き出した。
1981年 請求人は「全日本硬式コンタクト大会(日本硬式空手道競技会)」に監査役として参画。
1981年 請求人は、鈴木氏の「第一回京都国際親善空手道大会」に、大会役員として参画、硬式競技法推進会の主催とすることを条件に協力した。硬式競技法推進会には、請求人は財団法人全空連内で同志の関係にあった渡辺勝氏を、お目付け役として送り込んだ。請求人は、硬式競技法を指導するのみならず、大会を盛り立てるため、アメリカ、カナダ、スイス等海外8ヶ国約50人の選手を召集して鈴木氏の大会を応援した。この選手団は、大会終了後、嵐山等京都見物を楽しみ、一挙に翌週上京、請求人の主催する「第二回国際親善硬式空手大会」に参加した。
1981年 請求人は東京で「第二回国際親善硬式空手大会(国際硬式空手道競技会)」を開催、鈴木氏は監査役として参画。
1983年 請求人は「全日本硬式空手道選手権大会(日本硬式空手道競技会)」を開催。鈴木氏を副会長に迎えた。
1983年 請求人と鈴木氏が、故江里口団長(元財団法人全空連理事長)の下、南米ヴェネゼラで「第四回世界硬式空手道選手権大会(世界硬式空手道連盟)」を開催した。これが予想外の大反響を呼び、帰途の米国ユタ州では「国際硬式空手道大会」を開催、それが全米テレビで放映され大人気を博した。そこで鈴木氏は帰国後、請求人に対して、新「全日本硬式空手道連盟(会長:笹川良一)」の設立を持ちかけた。しかし、既に請求人は、同名団体を組織設立済みで、功労者も沢山いる関係、また近く下記「第四回全日本硬式空手道選手権大会」を「全日本硬式空手道連盟」の下で開催することになるので断るべきところであったが、鈴木氏の「硬式空手道」普及への貢献(1981年京都大会等)大きく、請求人はそこで鈴木氏に、「全日本硬式空手道連盟」の名称使用を許容する、しかし「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の連合商標として使用すること、及び1981年の京都で結成した「硬式競技法推進会」を共催団体に迎えることを条件に、許諾した。
鈴木氏はそのため財団法人東興協会塩谷氏と協力、2億円の資金を投下、活動をスタートさせた。
1984年 請求人が「第四回全日本硬式空手道選手権大会」を「全日本硬式空手道連盟」の下で主催。
1984年 同年、鈴木氏は「第一回選手権大会」を「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」と「硬式競技法推進会」の主催で開催した。正武館創立15周年の1984年9月2日、京都で大会開催。そのプログラムにおいて、念願の「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」設立を宣言している。天下の財団法人全空連の常務理事を勤め上げた人物鈴木氏は圧倒的にワンマンであったと言える。
1984年 以後、鈴木氏は、1984年の「第一回京都国際大会」から、1991年逝去する年に開催した硬式空手道大会まで、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の連盟名称をプログラムにも使用している。1984年から1991年、鈴木氏が逝去するまで、請求人との名称使用確約は堅く守られた。
1991年の、鈴木氏逝去直前に開催された請求人の「第一回世界硬式空手道選手権大会」のプログラムの挨拶欄には、被請求人はきちんと「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟の副会長名」で記載されている。
財団法人全空連笹川会長の秘書を長年勤めた人物である。鈴木氏が、請求人との約束を守ったのは、請求人とは同じ笹川会長の門下でもあり、「寸止め空手と防具付き空手との融合」という共通の使命のもとで、開拓者同士の堅い結束があった。それは、財団法人全空連のトップである、江里口全空連元理事長、香川常任理事、笹川会長等有力者が、影に陽に「硬式空手」誕生に熱心な応援をした背景も影響している。
(エ)財団法人東興協会塩谷理事の取った措置
財団法人東興協会の塩谷理事は、1991年鈴木氏が死去される5ヶ月前に財団法人東興協会の理事に就任した。それは鈴木氏とは共に司法関係出身者で、空手界では兄弟弟子の間柄、財団法人東興協会を8年前に共に作った特殊な信頼関係の下、財団法人東興協会を共同運営してきた功績が評価された。
鈴木氏の突然の逝去に伴い、塩谷理事は、財団法人東興協会において、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる人格なき社団は解散し、選手等の人的資産は、「財団法人東興協会 全日本セーフティー空手道連盟」へ発展的に吸収、当該事業はそれに吸収する措置を取った。
被請求人は、平成8年3月22日付特許庁からの「拒絶理由通知書」にて、「既に長野県高沢氏の団体名「全日本硬式空手道連盟」が存在し同団体商標は他人のマークにあたるので、出願人の使用する商標として登録することは適当でない」と拒絶された。しかし被請求人は意見書において、高沢氏の団体名「全日本硬式空手道連盟」は法人でないこと及び平成4年商標登録願第160052号は商標登録第3057901号で認められていることを上げて、同一団体が認可され存在するから、一方を認めるなら他方の団体も認めよ、と特例制度の暫定措置を要望し、これが被請求人の本件商標として認可背景を物語るものである。このケースは、当時の商標法特例制度が経過的措置を内包していたもので、将来調整が図られることを必然の前提として登録されたと考えるべきである。然るにその後、先ず前掲高沢氏の「全日本硬式空手道連盟」なる商標の登録は、請求人との関係において、無効の審決となった。
(オ)現在の「日本正武館」の本件商標使用状況
最近、日本正武館が使用されているレターヘッドは、(日本正武館 硬式空手道剛柔流 館長河野安雄)となっておるので、本件商標「全日本硬式空手道連盟」の和英文字と図形(王冠マーク)の結合商標も、「全日本硬式空手道連盟」の名称も一切使用していない実情の模様である。
(2)請求人の「全日本空手道連盟」名称の採択経緯及びその周知性
(ア)請求人の連盟の名称の採択経緯
1977年頃から、空手・武道の世界的情勢として、実際に当てながら、怪我の懸念が無く、思い切って伸び伸びと技を繰り出せる安全防具の開発及びそれに合致したルールの創出が不可欠な情勢にあった。請求人は、1979年スーパーセーフ安全防具を開発した。その後、一撃必殺の空手観から一本勝ちルールのみが支配的であった点を改善し、一本勝ちに加えて、有効技の加点方式とする「ポイント制」を採用した。然るに1979年11月18日に開催した「第一回東京国際親善空手道大会」において、初めて安全防具スーパーセーフを使い始めた。狙いは「硬式空手」の名称の普及と、財団法人全日本空手道連盟(全空連)と共存を図り、日本体育協会に加盟し、公式競技として公認を得ることにあった。そのためには、1競技1団体原則の例外として、野球、テニスに軟式硬式があるように、寸止めを軟式、ハードコンタクト空手を硬式と呼ぶことで打開できると想到し、ハードコンタクト空手システムの総称として「硬式空手」の名称を採択、命名した。硬式空手とは、所詮、「スーパーセーフ安全防具、新ルール、新審判法」を一体化した空手競技システムの総称である。
1980年には、「国際硬式空手道競技会」を設立、1981年に「国際硬式空手道連盟」に改称、以降毎年国際大会を開催している。
その後、1981年において、大会名称として始めて、「全日本硬式コンタクト空手道大会」と称し、「硬式」名称を始めて使用した。TV12チャンネルで全国へ放映され、多くの関心をよんだ。次いで1981年「日本硬式空手道競技会」を設立、以後硬式空手道大会を重ね、1983年には、「日本硬式空手道協会」へ改称、翌1984年鈴木氏が硬式空手道大会を開催する前には、「全日本硬式空手道連盟」に改称し大会を開催していた。同大会で、「全日本硬式空手道連盟日本」の大会名称を始めて使用し、以後硬式空手道空手大会を数多く開催した。雑誌「月間空手道」を始めとして多数の空手・格闘技の専門誌に掲載され、テレビ等のマスメデアにも取り上げられ全国的に報道された。
然るに、請求人の「硬式空手道」及び「全日本硬式空手道連盟」の名称の使用実績について、請求人は、被請求人が1992年本件商標を特例出願した日までには、各地で数10回、硬式空手大会を開催。したがって、わが国の空手に携わる者及び空手又は格闘技に興味を持つ者の間においては、雑誌等を通じ、請求人の空手に関する業務に使用する標章として、既に広く認識されるところとなっていた。
(イ)請求人の「全日本硬式空手道連盟」の連盟の周知性
本件商標と請求人の連盟の名称は共に「全日本硬式空手道連盟」の文字より成るものである。
然るに、被請求人の特例出願に係る本件商標の出願前における指定役務(空手の教授)についての使用の日は、平成2年9月30日以降と見られるところ、請求人の使用に係る「全日本硬式空手道連盟」の文字は、被請求人特例出願の平成4年8月1日までには、空手に携わるもの及び空手又は格闘技に興味を持つ者の間においては、既に請求人の連盟である「全日本硬式空手道連盟」を表す標章として広く知られるに至っていたものである。
また請求人は、被請求人の師である鈴木正文氏とは、請求人が、1979年に開催した、第一回国際親善硬式空手道選手権大会(硬式空手道競技とスーパーセーフ安全防具)以来の同志であり、一方請求人と被請求人との関係は、共に「空手道の教授」において同一の役務を行っている者であると言える。また請求人は、自己の「少林寺流挙行館」において、硬式空手道の教授とその成果を競う大会を実際に開催していたのであるから、両者は互いに競合関係にある者(同業者)ということができる。故に被請求人が本件商標をその指定役務(硬式空手道の教授等)について使用した場合、請求人の業務との間に役務の出所について混同を生ずる恐れが十分あったことは明らかである。
(ウ)被請求人による請求人の連盟の名称の熟知
請求人が1984年7月1日の「空手大会」以降、「全日本硬式空手道連盟」の名称で、各地で硬式を開催していたことについて、被請求人は、請求人と昵懇であった鈴木正文氏の「正武館」の幹部であった関係上、当然十分よく知りえる立場にいた。
何よりも被請求人は、1984年9月2日に、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」が主催した「第一回選手権大会」以降、同種の連盟開催大会に参画していたので、硬式空手とその競技方法及びスーパーセーフ安全防具を用いて行う競技規則等について、十分知りうる立場にあった。
以上を総合すれば、被請求人は、請求人と同じ空手界にあって、請求人が開発したスーパーセーフ安全防具を着用して行う硬式空手が、安全でかつすべての技を駆使することのできる空手道であること熟知しており、それだけでなく、請求人の開催する空手大会の活動状況、請求人の連盟の名称及び硬式空手、硬式空手道の各名称が、わが国の空手界において広く認識されていたことを十分に知っていたことを否定するものはない。然るに、鈴木正文氏の逝去された翌年、サービスマーク登録制度導入時の使用に基づく特例の適用を重要視して、本件商標を出願し、その登録を受けたと思われる。
上記により、特例出願に係る本件商標の指定役務についての使用が、不正競争を目的としたものである。そうであれば、被請求人による特例出願に係る本件商標は、自己に有利に図るべく請求人の信用を利用して、不当な利益を得る目的でした使用の事実をもって、その登録を受けたものと推認せざるを得ない。
(3)被請求人の不正に基づく特例出願による登録の悪影響は大打撃である。
被請求人の不正に基づく特例出願により成立した本件商標より、請求人の蒙る打撃は計り知れない。「全日本硬式空手道連盟」に参加していた硬式空手道関係者が、請求人の使用する「全日本硬式空手道連盟」に疑心暗鬼となり、請求人が不正使用しているとの意図的な情報撹乱もこれあり、会員や選手ひいては空手・武道界の関係者も離脱が始まり、今や硬式空手道普及のための硬式空手道大会や研修の開催が思うに任せず、教育的指導のための練習試合の経費さえ捻出出来ないのみならず、請求人の生活源泉である硬式空手道場の維持運営自体も危機的状況に追い込まれている。
一方、空手のオリンピック種目入りが世界的に臨まれている中、「安全で世界標準」な総合的空手道競技方法「硬式空手道」が、普及するのに大きな阻害要因になっている。
請求人の蒙るその損失は経済的、精神的、名誉的にも甚大かつ壊滅的である。
以上被請求人の特例出願に係る本件商標の使用は、不正競争の目的をもってなされたものといわざるを得ないから、結局、本件商標の登録は、商標法附則第7条第2項の規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とすべきである。
2 弁駁の理由
(1)被請求人は、答弁書において、請求人が被請求人に対し送付した「依頼書(乙第1号証)」の一部に「登録された和英文字と王冠マークとの結合マーク商標につき何かを申し上げる意図はない」との表現のあるのを取り上げ、あたかも請求人がその周知性を肯定したかのように解釈しているが、それは甚だしい誤解である。偶々被請求人は、自己が一地方で使用していたとされる本件商標を、平成4年サービスマーク法制度開始により「特例」登録を成したが、登録手続きに瑕疵があり、また請求人が全国で使用している「全日本硬式空手道連盟」という団体名称が、継続的使用権さえ各地で脅かされる事態もあり、請求人が使用実績に基づいて登録申請をしようとしても国家権力で排除されるという状況が続くのは余りに不合理であると認識したことが発端で依頼したものである。今や10数年も経過したので、その歪を、双方解決しなければ大問題を残す。そこで請求人は、お互い同業者として住み分けが出来ないものかと和解・妥協を申し入れた。その時の一つの辞令であった。しかし被請求人は、代理人を立て、理解しがたい悶着を起こし交渉どころではなくなったので、法的に公平な裁可を仰ぐしかないとお伝えし、今日、此処に無効審判を請求したものである。
(2)更に被請求人は、前掲答弁書において、本件商標は昭和60年頃(1985)から「日本正武館」において使用開始したと言われる。しかしそれは事実でない。なぜなら本件商標の登録要件を成す使用の実績が無かったに等しい状況で登録されているとしか見えないからである。
(3)特例出願時に添付した本件商標の使用事実を証する資料について
(ア)本件商標の特例出願の願書に添付した使用証明資料(甲第1号証)(甲第2号証)は、いずれも、無効である。理由は、夫々の資料に掲載されている「日の丸十文字」のマーク標章は、いずれも本件商標とは別物である。本件商標の印字状況は、使用証明資料に印刷されたマークの印字と比べれば、印刷態様が明らかに違う。本件商標のマークは更に「王冠と雪の結晶模様」が加えられており、明白に違うものである。明らかに別物である。
改めて何故、出願時に使用実績資料が提出されなかったか、回答を求める。
(イ)また本件商標の出願者は被請求人個人名であるのに、本件商標の使用の事実を証するポスター資料(甲第1号証)は、空手大会の主管者は「綜合武道場 日本正武館」なる団体であって、「日の丸十文字」のマーク標章の使用者は主催者たる「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる団体であり、被請求人の個人名ではない。故にこれは被請求人の使用の証明にならない。個人名と言えば、京都商工会議所の本件商標使用説明書2通(平成4年5月と7月発行分)の宛先は被請求人の個人名になっているのも、その一致が不自然である。この使用の事実を証する資料の使用者は団体で、本件商標の出願者は個人である矛盾についても改めて説明を求める。
(ウ)また特許庁が平成6年9月22日付け被請求人に対して「拒絶理由通知書」を送付したことは明らかである。「被請求人が本願商標を使用している事実また本題の指定役務についての業務を行なっているものとは認められない」という指摘である。にもかかわらず、本件商標が特例登録されているのであるから、被請求人は完壁に根拠を証明されたい。
改めて求める。それでなければ、特例措置として緊急避難的登録であったことの意義が失われるからである。
(エ)被請求人は、本件商標は、「綜合武道場 日本正武館」が創設以来使用して来たシンボルマークと言うが、それは事実ではない。まず、「綜合武道場 日本正武館」の創設者は鈴木正文で、創設時から使用していた「正武館」創設以来のマークとは、被請求人らが開催した、1981年10月4日「ハードコンタクト空手道競技会京都大会 主催:空手防具を考える会」のパンフレットの広告欄に掲載されている日本正武館のマーク(甲第3号証)であって、本件商標そのものではない。これは被請求人が誤解している。1968年に「日本正武館」が創設され、その頃から使用していたのは、このマークである。これこそ鈴木正文氏が、講道館で柔道を修め沖縄剛柔流の先達であって創始したマークである。それは講道館のマークが母体であった。その後、「日の丸十文字」のマーク(甲第1号証)1984年頃から1991年頃まで使用され、その後は現在、被請求人が通常使用しているマークは「日本正武館」のレターヘッド(2005.5.17)で使用されているものである(甲第4号証)。
つまり、被請求人が創設以来のシンボル・マークというのは、甲第3号証及び甲第4号証を指すので、本件商標とは似て非なるものである。次いで、被請求人や中村典夫氏らが認める、鈴木正文氏が、1984年に創設した「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる団体の開催した「第一回選手権大会」のパンフレットに掲載された図案マーク(甲第1号証)が、鈴木氏が設定した正武館の商標であり、前記第一回大会から、「第六回選手権大会 主催:財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」へと継続して使用されていくマークである。それは本人が死去される1991年までそのまま使用された。文字標章としては「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」のみで、図案マークとしては(甲第1号証)であり、1991年まで変わらず使用し、本人の死去と共に「財団法人東興協会」は、同財団理事の塩谷巌氏が継承し「全日本セフティ空手連盟」へすべて吸収したので、当然「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる団体は解散した(甲第8号証)。「全日本硬式空手道連盟」なる団体名称については、請求人が引き続き唯一の使用者としてその後大会開催等で使用し続けた。したがって、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」も、またその中の「全日本硬式空手道連盟」の文字のみも、被請求人の分離独立した出所標識としてその機能を果たしていなかった。したがって、被請求人は「全日本硬式空手道連盟」の文字にいかなる権原をも持たない。
(4)被請求人の本件商標の指定役務に関する業務遂行について
(ア)特許庁は平成6年9月22日付け被請求人に対して「拒絶理由通知書」を送付した。
「被請求人が本願商標を使用している事実また本題の指定役務についての業務を行なっているものとは認められない」という指摘である。ついては京都商工会議所が発行した本件商標に関する指定役務の証明書は、被請求人個人宛に発行されたものであるのに、被請求人が本件商標出願書に添付した、空手大会のポスターの表紙(甲第1号証)に見られる「綜合武道場 日本正武館」なる団体が使用者となるものである。京都商工会議所は、被請求人が、本件商標を使用して指定役務を行なっていたと証明した際、如何なる傍証資料で確認したか、その資料の提出を求める。
(イ)特許庁はまた被請求人へ、平成8年3月22日付「拒絶理由通知書」を「本件商標は他に同一の団体名称が存在するから登録することは適当でない」と拒絶した。その同一団体の登録商標については、請求人が別途無効審判請求を提起していたものであるが、中村典夫氏(剣道式防具を装着する空手道「練武館」の館長)が鈴木正文氏の後継者と主張して弁護したけれども、請求人の勝訴となった経緯がある。
(ウ)被請求人は、中村典夫氏が請求人の団体名称「全日本硬式空手道連盟」を無断使用したとして警告した際の「警告書(平成19年5月8日)に対し、同氏からの回答文書(乙第3号証)」を持ち出されるが、まず1981年頃、関東や関西で硬式空手道の競技に関して、中村典夫氏、高沢正直氏、佐伯幸生や被請求人が鈴木氏と交友のあったことは認める。当時「安全防具を考える会」が結成され活動をして最終的に、1984年の「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」(会長鈴木正文・日本正武館館長)の発足に参集したのであって、1984年に鈴木正文氏が「全日本硬式空手道連盟」を結成し会長に就任したというのは事実に反する。何故なら、鈴木氏が「全日本硬式空手道連盟」結成を呼びかけたことは認める(乙第4号証)。しかし乙第5号証は、奇しくも、1984年「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」(会長鈴木正文・日本正武館館長)なる団体が発足したことを確に記載している。つまり最終的には、「全日本硬式空手道連盟」なる団体は結成されなかった。新聞は9月2日に「第一回全日本選手権大会」が開催予定であるとのみ伝えている。
(エ)その間の事情を正確に記述する空手大会パンフレットがある。鈴木正文氏、被請求人及び中村典夫氏らが中心になって「空手防具を考える会」主催で、1981年10月4日に、「ハードコンタクト空手道競技会京都大会 主催:空手防具を考える会」を開催しており、その趣旨書(甲第5号証)には、わざわざ、画期的な安全防具(スーパーセーフ)と硬式競技法・審判規定を使って国際大会を開催する意義を謳い、その安全具や硬式競技法はすべて請求人が、努力研鑽して考案したものであると明白に述べている。それは、同じパンフレットの「大会主旨」(甲第6号証)の欄に、この京都大会を開催する意図は、前年1980年、11月に請求人が開催した「第一回国際親善空手道選手権大会(東京国立競技場、多くの流・会派の武道団体が参画、東京12チャンネル放映)」を受け継いで開催するとはっきり証拠立てて宣言しているのである。
(オ)請求人が「全日本硬式空手道連盟」を設立した時期と被請求人と鈴木氏の「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の設立と大会開催とは、どちらが早いか見てみると、請求人は、1984年7月1日東京後楽園ホールにおいて、「全日本硬式空手道連盟」主催の下で「第四回全日本硬式空手道選手権大会」(甲第7号証)を、開催しているのに対して、鈴木氏側は1984年9月2日に「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」と「硬式競技法推進会」の主催で「第一回選手権大会」を開催している。そのプログラムの中で、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる団体の設立を明確に宣言している。この時間差は、請求人と鈴木氏との関係から必然的に生まれた。鈴木氏は決して単独の「全日本硬式空手道連盟」なる団体名称を使わなかったことと表裏を成す。以後請求人は、毎年国内国際大会を開催し、雑誌「月間空手道」を始めとして多数の空手・格闘技の専門誌に掲載され、テレビ等のマスメデアにも取り上げられ全国的に報道された。一方鈴木氏は、1984年の「第一回京都国際大会」から、1991年逝去する年に開催した硬式空手道大会まで、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の連盟名称のみをプログラム等に使用している。1984年から1991年、鈴木氏が逝去するまで、請求人との「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる名称の使用確約は堅く守られた。
(カ)改めて、1992年の本件商標特例出願当時、被請求人の「全日本硬式空手道連盟」なる団体が実在していた証明が見られないので、「全日本硬式空手道連盟」の「連盟規約」「会員名簿」「硬式審判規定・試合ルール」等の提出を求める。
請求人は、因みに、先ず1979年(団体名:日本硬式空手協会、硬式コンタクト空手法、試合・審判規定)を制定、次いで1980年、団体名を国際硬式空手道競技会に改定している。更に1981年4月25日より、現在の「全日本硬式空手道連盟」が使用している完全な硬式空手道の推進方法を整備し施行した。世界中で「硬式空手道選手権大会」を開催できるだけの、「団体連盟規約、試合競技法、審判規定」と安全防具(スーパーセーフ)とをセットで準備し、誰でもそれを使用して、硬式空手道選手権大会を開催できるように作成した。
(5)請求人の「全日本硬式空手道連盟」名称使用開始とその周知性
(ア)したがって、「全日本硬式空手道連盟」なる団体名称は、わが国の空手に携わる者及び空手又は格闘技に興味を持つ者の間においては、雑誌等を通じ、請求人の空手に関する業務に使用する標章として、既に広く認識されるところとなっていた。請求人が、1980年に開催した、「第一回国際親善硬式空手道選手権大会(硬式空手道競技とスーパーセーフ安全防具)以来請求人と被請求人との関係は、共に「空手道の教授」において同一の役務を行っている者であると言える。
(イ)また請求人は、自己の「少林寺流拳行館」において、硬式空手道の教授とその成果を競う大会を実際に開催していたのであるから、両者は互いに競合関係にある者(同業者)ということができる。故に被請求人が本件商標をその指定役務(硬式空手道の教授等)について使用した場合、請求人の業務との間に役務の出所について混同を生ずる恐れが十分あったことは明らかである。被請求人は、1984年9月2日に、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」が主催した「第一回選手権大会」以降、同種の連盟開催大会に参画していたので、被請求人は、請求人と同じ空手界にあって、請求人が開発したスーパーセーフ安全防具を着用して行う硬式空手とその競技方法及びスーパーセーフ安全防具を用いて行う試合・審判規定等について十分知りうる立場にあった。請求人の開催する空手大会の活動状況、請求人の連盟の名称及び硬式空手、硬式空手道の各名称が、わが国の空手界において広く認識されていたことを十分に知っていたことを否定するものはない。然るに、鈴木正文氏の逝去された翌年、特例の適用を重視して、本件商標を出願し、その登録を受けたと思われる。上記により、特例出願に係る使用が、不正競争を目的としたものである。そうであれば、被請求人による特例出願に係る本件商標は、自己に有利に図るべく請求人の信用を利用して、不当な利益を得る目的でした使用の事実をもって、その登録を受けたものと推認せざるを得ない。
(ウ)また本件商標の特例出願に係る使用の事実及び指定役務に関わる業務に関する証明資料が登録出願の要件を著しく欠いていた疑いがある。
請求人の蒙るその損失は経済的、精神的、名誉的にも甚大かつ壊滅的である。
以上被請求人の特例出願に係る本件商標の使用は、不正競争の目的をもってなされたものといわざるを得ないから、結局、本件商標の登録は、商標法附則第7条第2項の規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とすべきである。

第3 被請求人の答弁の要点
被請求人は、結論同旨の審決を求め、その理由を要旨以下のように述べ、証拠方法として乙第1ないし第5号証を提出している。
1 本件商標は、王冠等を表現した「図形」と、全日本硬式空手道連盟、ZENKOREN、FEDERATION HARD CONTACTの「文字」とが結合された商標であって、指定役務を「空手の教授」とするものである。
上記「図形」と「文字」とが結合されてなる本件商標は、昭和60年頃から「日本正武館」における「空手の教授」を象徴するものとして使用が開始され、現在に至っているものである。
本件商標の使用の様態としては、硬式空手の全国選抜選手権大会などの試合の際や、「日本正武館」の道場で硬式空手の練習を行う際に用いられる垂れ幕に刺繍して使用され、また上記試合や練習の際に着用する「日本正武館」の役員、コーチのトレーニングウェア背面に刺繍して使用されてきたことが挙げられる。また、「日本正武館」が主催する硬式空手の大会時に用いるパンフレットにも、本件商標が印刷されて使用されてきた。
従って、本件商標は「日本正武館」を表わすマークとして硬式空手の世界では周知のものであり、本件商標登録出願時において既に「日本正武館」の出所表示マークとしての機能を有していたものである。
このことは、請求人が被請求人に送った平成17年5月吉日付の「依頼書」(乙第1号証)に、「貴殿の『マーク十全日本硬式空手道連盟』商標の登録について知りましたが、これは、もとより貴殿は、鈴木正文氏と共に『硬式空手』の普及にご努力されてきた方ですし、私としては、最初に申し上げることは、貴殿の登録なされた『マーク十商標』については、何かを申し上げる意図はないことをご承知下さい。」と記載されていることからも明らかであり、請求人も本件商標が「日本正武館」の出所表示マークとして硬式空手の世界で認められていることを肯定しているのである。
また本件商標が「日本正武館」で役務「総合武道硬式空手道」について、平成4年7月20日現在使用されていることが、京都商工会議所によって証明されている(乙第2号証)。
2 本件商標は「日本正武館」のいわばシンボルマークとして使用されてきた事実は上述のとおりであるが、以下に「日本正武館」と被請求人との関係について述べる。
「日本正武館」は、昭和43年鈴木正文氏により設立された人格なき団体であって、空手、柔道、剣道、合気道等の教授を行う綜合武道場である。昭和55年頃からは「日本正武館」は、硬式空手の教授を行うようになり、当時の館長である鈴木正文氏は、当時の副館長である被請求人と共に、硬式空手の普及に努力した。
初代館長鈴木正文氏は、平成3年9月死去され、その後を当時の副館長である被請求人が継ぎ、二代館長となって現在に至っている。
すなわち被請求人は本件商標の出願時(平成4年8月1日)、人格なき団体の「日本正武館」の代表者(二代館長)であり、「日本正武館」を代表して本件商標の出願を行ったわけである。人格なき団体の伝統ある商標を守るべき手段としては、他に方法がなかったとも云える。
3 次に本件商標に含まれる文字部分である「全日本硬式空手道連盟」について、請求人は自己の空手に関する業務に使用する標章として、本件商標の出願時点で周知性を獲得して請求人が独占的に使用し得る状態にあった旨を主張している。しかし請求人のこの主張は以下に述べるように事実に反し、失当である。
「全日本硬式空手道連盟」という名称が用いられるようになった経緯は、関東の練武館館長(当時)である中村典夫氏が平成7年11月30日付けで請求人に宛てた書状(乙第3号証)によると下記のとおりである。
昭和56、57年頃に関東・関西の有志により、真の空手の発展・向上の為、「安全防具を考える会」を結成し、同会が財団法人全日本空手道連盟の事業の一端を肩代わりして広く同志に呼びかけ、これに関連する各種の運動を展開することになった。これを受けて、関東においては日本硬式空手道競技会(請求人が代表者)、関西においては日本硬式空手道競技推進会が結成され、互いに連携を保ちながら硬式空手競技の大会等の活動を行った。
そして昭和57年10月、関東の日本硬式空手道競技会の世話人と関西の硬式空手道競技推進会の世話人が名古屋で会合を持ち、近い将来、全国的規模で硬式空手道連盟を発足させることで意見の一致をみた。その後何回か会合を重ね、昭和59年9月(正確には昭和59年7月である。乙第5号証参照)、当時「財団法人東興協会」(実質的には「日本正武館」と同一)を主催していた鈴木正文氏が「財団法人東興協会」の活動の一環として「全日本硬式空手道連盟」を結成し、会長に就任し、関東の日本硬式空手道競技会の世話人、関西の硬式空手道競技推進会の世話人もそれぞれ役員に就任し、日本全国の有力な団体の多くがその下で活動してきた。
なお、鈴木正文氏が「全日本硬式空手道連盟」の結成を呼びかけた事実は、山の手ホームサービス社、昭和59年4月21日発行の新聞「山の手ホームサービス」(乙第4号証)に、「日本正武館鈴木正文館長(大会会長)が、今秋“全日本硬式空手道連盟の設立”を明らかにしたことで、いよいよ韓国の国技・拳道(てこんどう)に対抗して、アジア大会、ソウル五輪の主催国選抜種目への参加に“GOサイン”が出た。京都を本拠地にする鈴木正文日本正武館館長は、全空連笹川良一会長付で各界に顔が広く、その上、世界の空手道にも通じていて、硬式空手道を志向する空手の各流派をまとめて、全日本の組織づくりにはうってつけのリーダーだ。」との記事が掲載されていることからも明らかである。また鈴木正文氏を会長として「全日本硬式空手道連盟」が結成発足した事実は、昭和59年7月26日付発行の新聞「中外日報」(乙第5号証)に、「このほど4年後のソウルオリンピックへの参加を展望して財団法人東興協会・全日本硬式空手道連盟(会長=鈴木正文・日本正武館館長)が発足、9月2日午前11時半から京都市左京区下鴨泉川町60(下鴨神社正門前)の綜合武道場・日本正武館で連盟発足記念の第1回全日本選手権大会(大会長=永末英一衆議院議員)を開催する。」という記事や、「これまで全国各地で同ル一ルによる研究会や競技会が開かれ、試行錯誤を重ねており、今回、機が熟して全国硬式空手道連盟の発足と第1回全日本選手権大会に漕ぎつけたものである。」という記事が掲載されていることからも明らかである。
その後平成3年9月(乙第3号証では平成2年9月と書かれているが中村典夫氏の記憶違いである。)、鈴木正文会長の死去に伴い、平成4年3月(乙第3号証では平成3年3月と書かれているが中村典夫氏の記憶違いであると考える。)、「全日本硬式空手道連盟」の全国役員会において中村典夫氏が次の会長に選ばれた(現在の会長は宮城県の秀練会名誉会長の千葉拳二郎氏である。)。そして平成7年11月30日までには、鈴木会長、中村会長の下で「全日本硬式空手道連盟」主催・後援の大会が、大小併せて40数回開催されている(その大会の中には、本件商標の出願までに行われた第1回全日本選手権大会?第6回全日本選手権大会が含まれる。)。
上述のように鈴木正文氏の指導の下、「全日本硬式空手道連盟」という名称を冠した硬式空手の全国統一組織の構築が進められていたのであるが、平成3年9月の鈴木正文氏の死去がその一因となって、その後分裂状態となった、というのが事実である。
現在「全日本硬式空手道連盟」と称する全国的規模の団体の1つが、鈴木正文氏の伝統を継ぐ現会長が千葉拳二郎氏の「全日本硬式空手道連盟」(千葉派連盟と称されている。)であり、他の1つが請求人が代表者である「全日本硬式空手道連盟」(久高派連盟と称されている。)である。その他にも鈴木正文氏の遺志を引き継ぎ全国統一組織の確立を理想として、「全日本硬式空手道連盟」をその名称の一部に用いる団体もある。千葉派連盟と久高派連盟とは、その活動規模、周知度においてほとんど同程度のものであり、このことは本件商標出願当時においても同様であった。
上述したように、「全日本硬式空手道連盟」は本件商標出願当時に広く知られた名称であったことに相違はないが、この名称が請求人によって独占的に使用されてよいというものではなかったことは明らかである。
4 本件商標は初代館長鈴木正文氏の時代から「日本正武館」を象徴するマークとして使用され、二代館長である被請求人の時代になっても「日本正武館」を象徴するマークとして継続して使用され、平成4年8月に商標出願されたものである。本件商標中に含まれる「全日本硬式空手道連盟」は、上記経緯からも明らかなように、その名称を1団体、1個人が独占使用することを主張するものではない。本件商標は、図形を含んだ全体において、「日本正武館」ひいてはその代表者である被請求人の出所表示機能を営むものである。
このような被請求人の本件商標の使用が、不正競争の目的でなされたことは、全く理由のないことである。
よって被請求人の本件商標の商標出願前の使用は、正当になされたとするものであって、登録無効理由を有さないものである。

第4 当審の判断
本件商標は、別掲(1)のとおりの構成よりなるところ、請求人は、被請求人による特例出願に係る本件商標の使用が不正競争の目的でなされたものであるから、本件商標の登録は、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則(以下「改正附則」という。)第7条第2項の規定に該当するものであり、同規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とすべきである旨主張しているので、この点について検討する。
1 改正附則第7条第2項によれば、「特例商標登録出願に係る商標登録の無効の審判についての新法第四十6条第1項及び第四十7条〔商標登録の無効の審判〕の規定の適用については、同項中「商標登録が次の」とあるのは「商標登録を受けた者(その商標登録出願により生じた権利が指定役務に係る業務とともに承継された場合にあっては、当該商標登録出願の時の商標登録出願人。以下同じ。)がその商標登録出願前から日本国内において指定役務についてその登録商標の使用をしていなかったとき若しくは使用をしていた場合において当該使用が不正競争の目的でなされていたとき、商標登録がその商標登録出順により生じた権利を承継した者であって、指定役務に係る業務をともに承継しないものの商標登録出願に対してされたとき、又は商標登録が次の」と、同条中「商標登録が第3条」とあるのは「商標登録を受けた者がその商標登録出願前から日本国内において指定役務についてその登録商標の使用をしていなかったとき、商標登録がその商標登録出願により生じた権利を承継した者であって、指定役務に係る業務をともに承継しないものの商標登録出願に対してされたとき、又は商標登録が第3条」とする」と規定されている。
すなわち、附則5条1項に規定する特例の適用の主張をした商標登録出願については、指定役務に係る業務とともに承継した場合にのみ特例の適用の主張を件った商標登録出願についての名義変更が認められる(附則6条5項)が、これに違反して商標登録を受けた場合、すなわち、業務承継を伴わない商標登録出願により生じた権利の承継をした者の商標登録出願に対して商標登録がされたときである。二項の後段においては、その前段で設けた無効理由を理由とする無効審判の請求の除斥期間は、登録の日から五年である旨定めているが、その商標の使用が不正競争の目的であった場合には、除斥期間は設けていないものである。
本件審判請求は、不正競争の目的であったことを理由とするものであるから、改正附則第7条第2項除斥期間には該当しないというべきである。そこで、不正競争の目的でなく、本件商標を使用していたといえるか(不正競争の目的の不存在)について検討する。
2 乙第1ないし第5号証及び答弁の理由によれば、以下の事実が認められる。
(1)「日本正武館」と被請求人との関係について
「綜合武道場 日本正武館」(以下「日本正武館」という。)は、昭和43年鈴木正文氏により設立された人格なき団体であって、空手、柔道、剣道、合気道等の教授を行う総合武道場である。昭和55年頃からは「日本正武館」は、硬式空手の教授を行うようになり、当時の館長である鈴木正文氏は、副館長である被請求人と共に、硬式空手の普及に努力し、初代館長鈴木正文氏が平成3年9月に死後、副館長である被請求人が継ぎ、二代目館長となって現在に至っている。
被請求人は、本件商標の登録出願時、人格なき団体の「日本正武館」の代表者(二代目館長)であり、「日本正武館」を代表して本件商標の登録出願を行ったことが認められる。
(2)乙第1号証は、請求人が被請求人に送った平成17年5月吉日付の「依頼書」と認められるところ、該「依頼書」には、「貴殿の『マーク十全日本硬式空手道連盟』商標の登録について知りましたが、これは、もとより貴殿は、鈴木正文氏と共に『硬式空手』の普及にご努力されてきた方ですし、私としては、最初に申し上げることは、貴殿の登録なされた『マーク十商標』については、何かを申し上げる意図はないことをご承知下さい。」と記載されていることが認められ、被請求人は「本件商標が昭和60年頃から『日本正武館』における『空手の教授』を象徴するものとして使用が開始され、現在に至っているものである。」旨主張しており、本件商標は、少なくとも、本件商標の登録出願時に京都商工会議所により証明された、平成4年7月20日以前から、「日本正武館」の初代館長である鈴木正文氏及び鈴木正文氏の死後二代目館長となった被請求人により使用されてきたといえるものである。
乙第2号証は、本件商標の登録出願時に京都商工会議所が発行した特例出願に係る使用証明書であって、該証明書は、本件商標の登録出願後の平成7年5月22日に再発行され、被請求人により本件商標が役務「空手の教授」について、平成4年7月20日現在使用していたことが証明されている。
(3)「全日本硬式空手道連盟」という名称が用いられるようになった経緯について
(ア)乙第3号証は、関東の練武館館長である中村典夫氏が平成7年11月30日付けで請求人に宛てた書状と認められるところ、該書状によれば、下記の旨記載されている。
そこで関東・関西の有志により、真の空手の発展・向上の為、「安全防具を考える会」を結成し、同会が(財)全日本空手道連盟の事業の一端を肩代わりして広く同志に呼びかけ、これに関連する各種の運動を展開することになりました。これを受けて、関東においては日本硬式空手道競技会、関西においては日本硬式空手道競技推進会が結成され、お互いに連携を保ちながら硬式空手競技の大会等の活動を行ってきました。
「そして昭和57年10月、関東の日本硬式空手道競技会の世話人と関西の硬式空手道競技推進会の世話人が名古屋で会合を持ち、近い将来、全国的規模で硬式空手道連盟を発足させることで意見の一致をみたのです。その後何回か会合を重ね、昭和59年9月、当時(財)東興協会を主催し…鈴木正文氏が(財)東興協会の活動の一環として全日本硬式空手道連盟を結成し、…我々はその下で活動してきたのです。その後平成2年9月、鈴木正文会長の死去に伴い、平成3年3月、全日本硬式空手道連盟の全国役員会において私が次の会長に推薦され、今日に至っているものです。このように、私は一貫して硬式空手の普及・発展に努めてきており、当連盟の主催・後援等をした大会も、今迄大小併せて40数回以上に上っており、全国規模で活躍してきております。」
(イ)上述のように鈴木正文氏の指導の下、「全日本硬式空手道連盟」という名称を冠した硬式空手の全国統一組織の構築が進められていたのであるが、平成3年9月の鈴木正文氏の死去がその一因となって、その後分裂状態となった、というのが事実である。
(ウ)現在「全日本硬式空手道連盟」と称する全国的規模の団体の1つが、鈴木正文氏の伝統を継ぐ現会長が千葉拳二郎氏の「全日本硬式空手道連盟」(千葉派連盟と称されている。)であり、他の1つが請求人が代表者である「全日本硬式空手道連盟」(久高派連盟と称されている。)である。千葉派連盟と久高派連盟とは、その活動規模、周知度においてほとんど同程度のものであり、このことは本件商標の登録出願当時においても同様であった。
(4)乙第4及び第5号証によれば、鈴木正文氏が「全日本硬式空手道連盟」の結成を呼びかけたとして、山の手ホームサービス社、昭和59年4月21日発行の新聞「山の手ホームサービス」(乙第4号証)に、「日本正武館鈴木正文館長(大会会長)が、今秋“全日本硬式空手道連盟の設立”を明らかにしたことで、いよいよ韓国の国技・て拳道(てこんどう)(「て」が外字のため平仮名とした。)に対抗して、アジア大会、ソウル五輪の主催国選抜種目への参加に“GOサイン”が出た。京都を本拠地にする鈴木正文日本正武館館長は、全空連笹川良一会長付で各界に顔が広く、その上、世界の空手道にも通じていて、硬式空手道を志向する空手の各流派をまとめて、全日本の組織づくりにはうってつけのリーダーだ。」との記事が掲載され、また、鈴木正文氏を会長として「全日本硬式空手連盟」が結成発足した事実は、昭和59年7月26日付発行の新聞「中外日報」(乙第5号証)に、「このほど4年後のソウルオリンピックへの参加を展望して財団法人東興協会・全日本硬式空手連盟(会長=鈴木正文・日本正武館館長)が発足、9月2日午前11時半から京都市左京区下鴨泉川町60(下鴨神社正門前)の綜合武道場・日本正武館で連盟発足記念の第1回全日本選手権大会(大会長=永末英一衆議院議員)を開催する。」という記事や、「これまで全国各地で同ル一ルによる研究会や競技会が開かれ、試行錯誤を重ねており、今回、機が熟して全国硬式空手道連盟の発足と第1回全日本選手権大会に漕ぎつけたものである。」という記事がそれぞれ掲載されていることが認められる。
(5)本件商標は、初代館長鈴木正文氏の時代から「日本正武館」を象徴するマークとして使用され、二代館長である被請求人の時代になっても「日本正武館」を象徴するマークとして継続して使用され、平成4年8月に登録出願されたものである。本件商標は、図形を含んだ全体において、「日本正武館」ひいてはその代表者である被請求人の出所表示機能を有するものといえる。
3 甲第1ないし第8号証、請求人の請求の理由及び弁駁の理由によれば、以下の事実が認められる。
(1)甲第1号証は、平成2年9月30日付け「第六回選手権大会」のチラシの表紙であって、該大会の主催は「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」、主管は「綜合武道場 日本正武館」と記載されている。
そして、該チラシに表示されている標章(以下「使用標章1」という。)は、別掲(2)のとおりの構成よりなるものであって、外側部分において本件商標が「王冠と雪の結晶模様」であるのに対し、使用標章1が「GRAND NATIONALS」の文字よりなるものであるから、本件商標と使用標章1とは、中央の「日の丸」と思しき図形と文字との組合せ部分が近似するとしても、その構成態様において明らかに相違するといえるものである。
(2)甲第2号証は、甲第1号証の裏表紙であり、該裏表紙に表示されている標章(以下「使用標章2」という。)は、別掲(3)のとおりの構成よりなるものであって、本件商標と使用標章2とが、下部において「CHAMPION SHIP」の文字と図形との組合せ部分の有無の差異を有するとしても、本件商標の登録出願時において京都商工会議所により被請求人が使用していたとして証明された標章に基づき本件商標が登録されたものである。
(3)甲第3号証は、昭和56年10月4日付け「空手道競技会」のチラシであって、該チラシの裏表紙に表示されている標章(以下「使用標章3」という。)は、別掲(4)のとおりの構成よりなるものであって、本件商標と使用標章3とは、中央の「日の丸」と思しき図形部分が近似するとしても、その構成態様において明らかに相違するといえるものである。
(4)甲第4号証は、2005年5月17日付けの被請求人から請求人への通信文であって、該通信文の中央に表示されている標章(以下「使用標章4」という。)は、別掲(5)のとおりの構成よりなるものであって、本件商標と使用標章4とは、中央の「日の丸」と思しき図形部分が近似するとしても、その構成態様において明らかに相違するといえるものである。
(5)「日本正武館」の初代館長の鈴木正文氏、被請求人及び中村典夫氏らが中心になって「空手防具を考える会」主催で、1981年10月4日に、「ハードコンタクト空手道競技会京都大会」を開催しており、その趣旨書(甲第5号証)には、画期的な安全防具(スーパーセーフ)と硬式競技法・審判規定を使って国際大会を開催する意義を謳い、その安全防具や硬式競技法はすべて請求人が、努力研鑽して考案したものであると述べている。それは、同じパンフレットの「大会主旨」(甲第6号証)の欄に、この京都大会を開催する意図は、前年1980年11月に請求人が開催した「第一回国際親善空手道選手権大会」を受け継いで開催すると宣言している。
(6)甲第7号証は、「第4回全日本硬式空手道選手権大会」のチラシであって、請求人は、1984年7月1日に該大会を開催しているのに対し、被請求人は、1984年9月2日に「第一回全日本選手権大会」(乙第5号証の昭和59年7月26日付発行の新聞「中外日報」)を開催するとし、以後請求人は、毎年国内国際大会を開催し、雑誌「月間空手道」を始めとして多数の空手・格闘技の専門誌に掲載され、テレビ等のマスメデアにも取り上げられ全国的に報道された。一方鈴木氏は、1984年の「第一回京都国際大会」から、1991年逝去する年に開催した硬式空手道大会まで、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の連盟名称のみをプログラム等に使用している。1984年から1991年、鈴木氏が逝去するまで、請求人との「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」なる名称の使用確約は堅く守られた。
4 特例出願に係る本件商標の指定役務についての使用が、不正競争を目的としたものであるか否かについて検討する。
(1)本件商標は、別掲(1)のとおり図形と文字との組合せよりなるところ、該構成中の「全日本硬式空手道連盟」の文字部分は、図形及び他の文字部分とは、全体として一体不可分のものとはいい得ないから、本件商標に接する取引者、需要者は、本件商標を「全日本硬式空手道連盟」の文字部分をもって、取引に当たる場合が決して少なくないものとみるのが相当であり、該文字部分と、請求人の使用する名称とは、ともに「全日本硬式空手道連盟」の文字よりなるものと認められる。
(2)また、特例出願に係る本件商標の登録出願前における指定役務「空手の教授」についての被請求人による使用は、上記2(3)のとおり、少なくとも、平成4年7月20日以前からであると認められのに対し、請求人は、1984年7月1日に東京後楽園ホールにおいて、「全日本硬式空手道連盟」主催の下で「第四回全日本硬式空手道選手権大会」(甲第7号証)を開催し、その後については「毎年国内国際大会を開催し、雑誌『月間空手道』を始めとして多数の空手・格闘技の専門誌に掲載され、テレビ等のマスメデアにも取り上げられ全国的に報道された。」旨主張しているが、請求人は、該報道等についての事実を裏付ける何らの立証もしていない。
(3)してみると、被請求人が本件商標をその指定役務について使用しても、自己に有利に図るべく請求人の信用を利用して、不当な利益を得る目的でした使用の事実をもって、その登録を受けたものとはいい得ない。
5 請求人の主張について
(1)請求人は「本件商標の特例出願の願書に添付した使用証明資料(甲第1ないし第2号証)は、いずれも、無効である。理由は、夫々の資料に掲載されている『日の丸十文字』のマーク標章は、いずれも本件商標とは別物である。本件商標の印字状況は、使用証明資料に印刷されたマークの印字と比べれば、印刷態様が明らかに違う。本件商標のマークは更に『王冠と雪の結晶模様』が加えられており、明白に違うものである。明らかに別物である。」旨主張しているが、本件は、上記2(2)のとおり京都商工会議所により証明された標章に基づき、本件商標の登録を認めたものであるから、この点に関する請求人の主張は採用の限りでない。
(2)請求人は「本件商標の出願者は被請求人個人名であるのに、本件商標の使用の事実を証する資料(甲第1号証)は、空手大会の主管者は『綜合武道場 日本正武館』なる団体であって、『日の丸十文字』のマーク標章の使用者は主催者たる『財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟』なる団体であり、被請求人の個人名ではない。故にこれは被請求人の使用の証明にならない。個人名と言えば、京都商工会議所の本件商標使用説明書2通(平成4年5月と7月発行分)の宛先は被請求人の個人名になっているのも、その一致が不自然である。」旨主張しているが、大会の主管者であり、証明書の宛名である「日本正武館」は、被請求人の主張する如く、人格なき団体であって、初代館長の死後、被請求人が該団体の代表者となっており、被請求人は、「日本正武館」の代表として本件商標の登録出願をしているものといえるから、この点に関する請求人の主張は採用の限りでない。
6 以上、被請求人の特例出願に係る本件商標の使用は、不正競争の目的をもってなされたものとはいい得ないものであるから、本件商標は、商標法附則第7条第2項の規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき、その登録を無効にすべき限りでない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲 別掲(1)(本件商標)


別掲(2)使用標章1


別掲(3)使用標章2


別掲(4)使用標章3


別掲(5)使用標章4


審理終結日 2007-10-24 
結審通知日 2007-10-29 
審決日 2007-11-13 
出願番号 商願平4-158340 
審決分類 T 1 11・ 9- Y (041)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 門倉 武則柳原 雪身 
特許庁審判長 小林 和男
特許庁審判官 石田 清
小川 きみえ
登録日 1997-11-28 
登録番号 商標登録第3362323号(T3362323) 
商標の称呼 ゼンコーレン、ゼンニホンコーシキカラテドーレンメー、フェデレーションハードコンタクト、コーシキカラテドーレンメー、ゼンニホン 
代理人 石原 勝 

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