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審決分類 審判 査定不服 商4条1項7号 公序、良俗 登録しない W070942
管理番号 1404919 
総通号数 24 
発行国 JP 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2023-12-28 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2022-11-17 
確定日 2023-11-24 
事件の表示 商願2022− 12747拒絶査定不服審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。
理由 1 手続の経緯
本願は、令和4年2月4日の出願であって、その手続の経緯は以下のとおりである。
令和4年 7月14日付け:拒絶理由通知書
令和4年 8月29日 :意見書の提出
令和4年 9月15日付け:拒絶査定
令和4年11月17日 :審判請求書の提出

2 本願商標
本願商標は、「写らく」の文字を標準文字で表してなり、第7類「土木機械器具,荷役機械器具」、第9類「写真機械器具,映画機械器具,光学機械器具,測定機械器具,電気通信機械器具,携帯情報端末,電子応用機械器具及びその部品」及び第42類「建築物の設計,測量,地質の調査,電子計算機のプログラムの設計・作成又は保守,機械器具に関する試験又は研究,計測器の貸与,電子計算機の貸与,電子計算機用プログラムの提供」を指定商品及び指定役務として登録出願されたものである。

3 原査定の拒絶の理由(要旨)
本願商標は、「写らく」の文字を標準文字で表してなるところ、当該文字に通ずる「写楽」の文字は、株式会社岩波書店「広辞苑第七版」によれば、「江戸後期の浮世絵師。徳島藩主蜂須賀侯のお抱え能役者、斎藤十郎兵衛と伝える説が有力。1794〜95年(寛政6〜7)の10カ月間に140種ほどの役者絵と相撲絵を残すが、大衆の人気が離反、浮世絵界から去ったと考えられる。似顔表現を利かした強烈な個性描写が特色。近代ヨーロッパで人気となり見直された。」と説明されており、日本国内だけでなく、海外でも日本の代表的な浮世絵師として一般に広く知られているものと認められる。
そして、写楽を題材とした書籍や映画等が少なからず存在し、また、同人の描いた作品が各地の博物館や美術館において展示され、同人に関する企画展も多数開かれている実情が見受けられる上、同人にちなんだ記念品や土産物等も販売されている。
こうした実情に照らすと、写楽は、各地で敬愛の念を持って親しまれているものと認められる。
上記の事情を総合考慮すると、一私人である出願人が、本願商標を自己の商標として登録し、その指定商品・指定役務について独占的に使用することは、同人に関する事業を行う者の営業活動や同人を活用した公益的な取組を阻害するおそれがあり、さらに、各地の住民の感情を害するおそれもあるというべきである。
したがって、本願商標は、公正な取引秩序を害し、社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念にも反するものであるから、商標法第4条第1項第7号に該当する。

4 当審の判断
(1)商標法第4条第1項第7号について
商標法第4条第1項第7号は、「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」は、商標登録を受けることができないと規定する。ここでいう「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」には、<1>その構成自体が非道徳的、卑わい、差別的、きょう激若しくは他人に不快な印象を与えるような文字又は図形である場合、<2>当該商標の構成自体がそのようなものでなくとも、指定商品又は指定役務について使用することが社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反する場合、<3>他の法律によって、当該商標の使用等が禁止されている場合、<4>特定の国若しくはその国民を侮辱し、又は一般に国際信義に反する場合、<5>当該商標の登録出願の経緯に社会的相当性を欠くものがあり、登録を認めることが商標法の予定する秩序に反するものとして到底容認し得ないような場合、などが含まれるというべきである(知財高裁平成17年(行ケ)第10349号)。
ところで、周知・著名な歴史上の人物名は、その人物の名声により強い顧客吸引力を有する。その人物の郷土やゆかりの地においては、住民に郷土の偉人として敬愛の情をもって親しまれ、例えば、地方公共団体、商工会議所等の公益的な機関が、その業績を称え記念館を運営していたり、地元のシンボルとして地域興しや観光振興のために人物名を商標として使用したりするような実情が多くみられるところであり、当該人物が商品又は役務と密接な関係にある場合はもちろん、商品又は役務との関係が希薄な場合であっても、強い顧客吸引力を発揮すると考えられる。このため、周知・著名な歴史上の人物名を商標として使用したいとする者も、少なくないものと考えられる。一方、敬愛の情をもって親しまれているからこそ、その商標登録に対しては、国民又は地域住民全体の反発も否定できない。
そして、前記判決では、商標法第4条第1項第7号にいう「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」に該当するものとして、<1>ないし<5>の場合を例示として挙げており、その例示の一つとして、「<2>当該商標の構成自体がそのようなものでなくとも、指定商品又は指定役務について使用することが社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反する場合」が挙げられている。
そうとすれば、周知・著名な歴史上の人物名からなる商標は、(ア)当該歴史上の人物の周知・著名性、(イ)当該歴史上の人物名に対する国民又は地域住民の認識、(ウ)当該歴史上の人物名の利用状況、(エ)当該歴史上の人物名の利用状況と指定商品・役務との関係、(オ)出願の経緯・目的・理由、(カ)当該歴史上の人物と請求人(出願人)との関係に係る事情を総合的に勘案して、当該商標を特定の者の商標としてその登録を認めることが、社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反するものと認められる場合には、商標法第4条第1項第7号に該当するというべきである。
(2)本願商標の商標法第4条第1項第7号該当性について
本願商標は、「写らく」の文字を標準文字で表してなるところ、当該文字は、歴史上の人物である「写楽」及び「東洲斎写楽」(以下、単に、「写楽」という。)に通じるものであり、「写楽」について、職権による調査によれば、別掲の事実がある。
かかる事実及び原審提示の情報から、次のことを認めることができる。
ア 「写楽」の周知・著名性
「写楽」は、歴史上の人物として、広辞苑、人名事典といった辞典や小・中学校の社会の教科書をはじめ、書籍やテレビ、映画等において数多く取り上げられており、全国的に周知・著名な歴史上の人物名といえる(拒絶理由通知書の参考情報(1)ないし(4)及び別掲(1)ないし(3))。
また、「写楽」作品は、日本が誇る重要な文化的遺産というべきものであり、国民に広く親しまれているものである(別掲(7)ないし(16))。
さらに、「写楽」作品は、明治以降海外で大ブームとなり、現在では、ボストン美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンの大英博物館等の世界的な美術館に多数所蔵されていることから、「写楽」は、世界的にも周知・著名な存在であるといえる(別掲(8))。
イ 「写楽」に対する国民又は地域住民の認識
「写楽」は、別掲(1)及び(2)にあるとおり、徳島藩主蜂須賀侯のお抱え能役者、斎藤十郎兵衛と伝える説が有力とされており、現在、斎藤十郎兵衛のゆかりの地である徳島県徳島市において、「写楽」を顕彰し、その魅力を国内外に発信する取組を行う研究グループの存在が認められる。当該地においては、徳島城内の能舞台や能役者の宿泊施設である役者屋敷跡などゆかりの地とされる場所を通る市道に写楽の名を冠した愛称を付けて観光誘客につなげる動きがあるほか、顕彰イベントの開催をはじめ、「写楽」に関する研究書の出版、研究成果の報告会といった研究活動を主軸とした地域興しや観光振興が行われている(別掲(4)ないし(6))。
そもそも、「写楽」については、浮世絵研究の第一人者として知られるドイツの美術研究家ユリウス・クルトが1910年(明治43年)に刊行した「写楽」に関する本格的な研究書を契機に、ヨーロッパでは「写楽」の浮世絵が芸術品として高い評価を受けるようになり、その名が世界的に有名になったことで、多くの「写楽」作品が海外へと流出、一連の「写楽」ブームに牽引されるように、日本国内でも「写楽」の評価が高まり、研究の本格化が巻き起こったとされる(別掲(7))。
そして、前記のクルトによってレンブラントやベラスケスと並ぶ三大肖像画家と位置付けられた「写楽」は、海外で最も有名な日本の画家の一人となり、今や日本を代表する浮世絵師として知られるようになったことは誰もが認める事実であるから、ゆかりの地における地域住民はもとより、我が国の国民に広く敬愛されているといえる(別掲(10))。
ウ 「写楽」の名称の利用状況
「写楽」は、東京国立博物館をはじめとする全国各地の美術館・記念館でその作品が所蔵されており、「写楽」作品に焦点を当てた展覧会等が多数開催されるとともに、当該美術館・記念館及び展覧会に関連した各種の商品やイベント等にその名称が使用されている(別掲(8)及び別掲(11)ないし(15))。
加えて、前記イのとおり、「写楽」であるとする説が有力な斎藤十郎兵衛のゆかりの地である徳島県徳島市において、「写楽」に関する活動を主軸とした地域興しや観光振興が行われるなど、「写楽」の名称は、極めて広く利用されている。
エ 「写楽」の名称の利用状況と指定商品・役務との関係
「写楽」の名称は、前記ア及びイのとおり、日本国内のみならず、海外においても周知・著名な歴史上の人物名であり、かつ、その作品は日本が誇る重要な文化的遺産というべきものであるから、それゆえに強い顧客吸引力を発揮するといえる。そして、前記ウのとおり、該名称は、ゆかりの地はもとより、全国各地で極めて広く利用されているものであることからすると、我が国において、「写楽」の名称は、一個人という私的な立場を超えて、公共的な財産的価値を有するに至っているというのが相当であり、本願の指定商品・役務の分野においても、これをゆかりの地のみならず、「写楽」の文字の顧客吸引力に注目してこれを商標として使用したいと考える事業者は、少なくないものと考えられる。
オ 出願の経緯・目的・理由
職権により調査するも、本願商標の出願の経緯・目的及び理由についての具体的事情は確認できない。
カ 「写楽」と請求人(出願人)との関係
職権により調査するも、「写楽」と請求人とを関連づけるような事実は発見できない。
キ 小括
上記アないしカで認定した事実によれば、本願商標を請求人の商標として登録することは、我が国のみならず、世界的に周知・著名な「写楽」の名声に便乗し、一私人にその指定商品・役務についての使用の独占をもたらすことになり、同人の名声、名誉を傷つけるおそれがあるばかりでなく、同人の名声、功績をたたえ顕彰し、「写楽」の文字(名称)及び作品を活用した公共性を有する各種施策や地域興し、観光振興等の遂行を阻害するおそれがあり、「写楽」に関連する各種商品・役務等を取り扱う多数の事業者等の円滑な商取引を阻害し、ひいては社会公共の利益の妨げになるおそれがあるものといわざるを得ない。
したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第7号に該当する。
(3)請求人の主張について
ア 請求人は、「楽」を敢えて平仮名で「らく」と表記した本願商標「写らく」を、必ずしも「写楽」と同列に論じることはできず、本願の指定商品に関連する業界において、当該語が浮世絵師の「写楽」を意味するものとして広く使用されているというような特段の事情や商慣習等を確認することもできないと述べるとともに、例えば、「写す」のが「らく」であること等をも間接的にイメージさせる造語であると主張する。
しかしながら、本願商標は、その構成文字に相応して「シャラク」の称呼を生じるというのが自然であり、また、「写楽」とは「写」の文字を共通にすること、本願商標から想起され得る既成語もないことから、「写楽」を容易に認識させるものといわざるを得ない。
イ 請求人は、「写楽」の文字が使用されているのは、書籍、映画、美術館等であり、仮に、害される可能性がある事業があるとすれば、文学、美術、芸術等の分野に限定されると述べ、本願の指定商品・役務には、これらの商品等は含まれていないため、本願商標が登録され、その指定商品・役務について独占的に使用しても、公正な取引秩序を害し、社会公共の利益に反するような事態を招くことはないと主張する。
しかしながら、上記(2)のとおり、我が国のみならず、世界的に周知・著名な「写楽」の名称は、一個人という私的な立場を超えて、公共的な財産的価値を有するに至っていることよりすれば、公正な取引秩序が害される可能性があるのは、必ずしも、文学、美術、芸術等の分野に限定されるとはいえず、よって、本願商標を一私人が自己の商標として登録し、独占的に使用することは、「写楽」の文字(名称)及び作品を活用した公共性を有する各種施策や地域興し、観光振興等の遂行を阻害するおそれがあり、「写楽」に関連する各種商品・役務等を取り扱う多数の事業者等の円滑な商取引を阻害し、ひいては社会公共の利益の妨げになるおそれがあるものというのが相当である。
ウ したがって、請求人の上記ア及びイの主張は、いずれも採用することができない。
(4)まとめ
以上のとおり、本願商標は、商標法第4条第1項第7号に該当するものであるから、登録することができない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲

別掲
(1)「広辞苑第七版」(株式会社岩波書店)
「写楽」の項があり、東洲斎写楽として「江戸後期の浮世絵師。徳島藩主蜂須賀侯のお抱え能役者、斎藤十郎兵衛と伝える説が有力。1794〜95年(寛政6〜7)の10カ月間に140種ほどの役者絵と相撲絵を残すが、大衆の人気が離反、浮世絵界から去ったと考えられる。似顔表現を利かした強烈な個性描写が特色。近代ヨーロッパで人気となり見直された。」の記載がある。

(2)「コンサイス日本人名事典第5版」(株式会社三省堂)
「写楽」の項があり、東洲斎写楽として「生没年不詳。江戸中期の浮世絵師。俗称十郎兵衛。江戸時代浮世絵師の最高峰とされる。阿波国蜂須賀家の能役者で、江戸では南八丁堀の同藩邸内に住した(「浮世絵類考」「新浮世絵類考」)。・・・」の記載がある。

(3)「JLogos」のウェブサイト
「教科書クイズ」の見出しの下、「「学校で習ったこと」どこまで覚えていますか?教科書クイズは、教科書に掲載されている内容を、クイズで楽しむアプリケーションです。小学校、中学校の教科書に掲載されている内容で作られたクイズなので、大人も子どもも、誰もが楽しめます。JLogosではその中から問題をQA形式で掲載しています。」との説明文があり(http://www.jlogos.com/d063/)、「Q:大首(おおくび)絵で有名な浮世絵(うきよえ)師は、だれでしょう。」の設問について、下記の選択肢及び正解、解説、出典の記載がある。
「【4択】東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)/歌川国貞(うたがわくにさだ)/葛飾北斎(かつしかほくさい)/渓斎英泉(けいさいえいせん)」「【問題】中2社会」「【正解】東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)」「【解説】大首絵とは、上半身を描いた浮世絵人物画です。東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)は、寛政6(1794)年5月から寛政7年3月のおよそ10カ月の短い間に、百数十点の歌舞伎役者の版画を出しています。」「【出典】東京書籍(著:教科書)「教科書クイズ」」
http://www.jlogos.com/d063/8609103.html

(4)「徳島新聞」のウェブサイト
「写楽の会県内で活動再開 没後200年に向け魅力発信」(2017/01/19)の見出しの下、「江戸時代後期の浮世絵師・東洲斎写楽の正体とされる、徳島藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛の過去帳を発見した県内の研究グループ「写楽の会」が、16年ぶりに活動を再開する。十郎兵衛没後200年の節目であり、東京五輪が開かれる2020年に向け、書籍出版や顕彰イベントの開催を目指す。写楽と徳島のつながりが強まった過去帳の発見から20年、写楽の魅力を徳島から世界に発信する好機となりそうだ。取り組みの柱は、インターネットを活用した国内外への魅力発信に加え、顕彰イベントと研究活動を両輪で進めていくこと。「研究仲間を増やして徳島の文化を盛り上げる」との目標も掲げ、新たに会員を募集する。先ごろ開いた理事会では、斎藤十郎兵衛の命日である3月7日を「写楽忌」として、広く周知していくことを確認した。相撲絵に描かれた徳島出身の力士勢見山の墓地(徳島市城南町1)など、写楽ゆかりの場所を訪ねるイベントや、研究書の出版、研究成果の報告会なども企画する。写楽は、ドイツの美術研究家ユリウス・クルトに、レンブラントやベラスケスと並ぶ三大肖像画家と位置付けられ、海外で最も有名な日本の画家の一人。…写楽の会は、1995年に発足。97年に、写楽と同一人物である可能性が高いとされてきた斎藤十郎兵衛が、1820(文政3)年に死亡したことを示す過去帳を埼玉県の法光寺で発見し、十郎兵衛が実在することを裏付けた。1998年から、写楽を顕彰する「とくしま写楽祭」を主催し、シンポジウムや研究発表、展覧会などを開いたが、2002年以降は大規模な主催イベントは休止していた。」との記載がある。
https://www.topics.or.jp/articles/-/2011

(5)「朝日新聞デジタル」のウェブサイト
「幻の浮世絵師・写楽で街おこしを 大学生らアイデア次々」(2022年5月19日10時00分)の見出しの下、「徳島ゆかりの「幻の浮世絵師」東洲斎写楽で街おこしをしよう――。写楽を顕彰している徳島市のNPO法人「写楽の会」(田村耕一会長)が、写楽の魅力を語り合うイベントを14日に開いたところ、学生や商工関係者から物販やアート企画など様々なアイデアが出た。」「会は、写楽の没後200年記念事業として、四国大学でデザインを学ぶ学生22人に写楽の絵をモチーフにした作品を描いてもらう企画展「写楽フリーダム2022展」を2月に開催。今月14日には、出品した学生や会員らが写楽の魅力を話し合うパネルディスカッションを徳島市内で開いた。」「田村会長は「写楽は世界にアピールできる素材だ」として、写楽を通じた徳島のブランド力アップに取り組む考えを示した。10月に徳島で講演会を開き、「写楽は徳島」を広くアピールする。写楽が活躍した江戸(東京)での催しも検討していくという。」との記載がある。
https://www.asahi.com/articles/ASQ5L7FFBQ5GPTLC00Q.html

(6)同ウェブサイト
「徳島城へ続く市道に「写楽通り」の愛称を 顕彰の会、徳島市長に提案」(2022年12月31日10時15分)の見出しの下、「「幻の浮世絵師」とされる東洲斎写楽を顕彰している徳島市のNPO法人「写楽の会」は23日、内藤佐和子・徳島市長に対し、写楽ゆかりの地を通る市道徳島駅城内線に「写楽通り」の愛称をつけることを提案した。会によると、写楽の正体は徳島藩お抱えの江戸在住の能役者、斎藤十郎兵衛だったことが有力になっていて、徳島城内の能舞台や現在の寺島本町東2丁目あたりにあった能役者の宿泊施設「役者屋敷」に来ていた可能性があるという。城と屋敷跡を結ぶ市道を写楽通りと呼ぶことで、観光誘客につなげるのが狙い。内藤市長は「観光、道路の担当課と前向きに検討したい」と応じた。」との記載がある。
https://www.asahi.com/articles/ASQDZ7SYWQDZPTLC014.html

(7)「刀剣ワールド/浮世絵」のウェブサイト
「浮世絵師「東洲斎写楽」の生涯」の見出しの下、「ユリウス・クルトによる東洲斎写楽の「発見」」の項目において、「1910年(明治43年)、ドイツの美術研究者ユリウス・クルトがヨーロッパで初めて、東洲斎写楽の本格的な研究書Sharakuを刊行しました。それ以来、ヨーロッパでは東洲斎写楽の浮世絵が「芸術品」として高い評価を受けるようになり、価格も高騰します。海外からの人気を逆輸入するかたちで、日本でも東洲斎写楽の評価は急激に高まりました。それまで安価で売られていた版画の価格は高騰し、多くの東洲斎写楽作品が海外へと流出します。そして一連の「東洲斎写楽ブーム」に牽引されるように、日本でも東洲斎写楽の再評価とそれに伴う研究の本格化が巻き起こったのです。」「ユリウス・クルトがSharakuを出版し、その名が世界的に有名になったことで、日本国内でも東洲斎写楽に注目が集中。作品が再評価され、東洲斎写楽研究の熱も高まります。「世界の東洲斎写楽」との呼び声により、その謎多き生涯もまた世界中の人々の興味をかきたてることになったのです。」との記載がある。
https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoe-artist/tosyusai-sharaku/

(8)同ウェブサイト
「今も海外に埋もれる「東洲斎写楽」の作品」の見出しの下、「現在、東洲斎写楽の作品は全世界に散らばっています。明治以降海外での大ブームにより作品の多くが海外に流出したためです。東京国立博物館にも約70点が保存されていますが、その他の主要な保存状況としては、ボストン美術館に約70点、シカゴ美術館とニューヨークのメトロポリタン美術館にそれぞれ40数点、フランスのギメ美術館に20数点、ロンドンの大英博物館に27点という状況です。この他にも世界の美術館に収蔵されている他、個人蔵もあります。このように作品が世界中に散っているため、研究者がその全作品を確認するのが難しい状況です。そのため今後も個人蔵で未発見だった東洲斎写楽作品が見つかるかもしれません。」
https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoe-artist/tosyusai-sharaku/

(9)「浮世絵のアダチ版画オンラインストア」のウェブサイト
「ユリウス・クルト「写楽SHARAKU」」の見出しの下、「1910(明治43)年ミュンヘンで出版された原著は、東洲斎写楽を初めて体系的に研究し、写楽探しの原点となった名著です。浮世絵研究の初期のもので、著者は日本語の読み方や歌舞伎の考証などいくつもの困難を乗り越えて完成させました。現在からは、いくつかの誤謬も見出す事ができますが、明治後期から大正にかけての研究を垣間見るには大変興味深い書物です。この浮世絵研究史上意義のある「SHARAKU」を日本語に翻訳をしたものを1994(平成6)年にアダチ版画で発行いたしました。」との記載がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/book001/

(10)「NOBETECH MAGAZINE(ノビテクマガジン)」のウェブサイト
「【第6回】世界三大肖像画家が日本にいた−知ってるつもり?日本の伝統と文化〜真の国際化は、自国の伝統と文化を知ることから始まる〜」の見出しの下、「世界三大肖像画家が日本にいた」として「レンブラント(1606〜1669)、ベラスケス(1599〜1660)と並び称され、「世界の三大肖像画家」とまで言われた画家が日本にいたのをご存知だろうか。その名を、「東洲斎写楽」という。江戸時代中期にあたる寛政6年(1794年)5月から翌年の3月にかけてのわずか10か月の間に、145点以上の作品を描き、忽然と消えた浮世絵師だ。この謎の人物が誰であるかは、専門の美術研究家は言うに及ばず、作家、学者などが多くの説を展開しては話題を呼んだことでも知られる。」「実は、「東洲斎写楽」が発見されたのは意外に新しく、1910年にドイツ人の研究者・クルトによって『Sharaku』という本が刊行されてからのことだ。明治維新以降、日本の美術品、特に陶磁器などが海外へ輸出されるようになり、それを保護するために、丈夫な和紙に刷られた浮世絵が梱包や緩衝材に使われた。多くの浮世絵がこうして海を渡り、外国人の眼によってその魅力が再評価されたのだ。」「日本の浮世絵が西洋美術に与えた例は他にもあり、歌川広重の版画がゴッホなどに大きな影響を及ぼしたエピソードは有名だ。しかし、200枚も刷る版画が、アメリカのオークションで1枚5,000万円もの高額で落札されるほどの人気を誇った写楽は、日本を代表する浮世絵師であることに間違いはない。」との記載がある。
https://www.nobetech-mag.jp/column/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8A%EF%BC%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E3%80%8D-%EF%BD%9E%E7%9C%9F%E3%81%AE-2/#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%9F-,%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%881606%EF%BD%9E1669%EF%BC%89%E3%80%81%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9%EF%BC%881599%EF%BD%9E1660,%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%83%E3%82%89%E3%81%8F%20%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

(11)「美術館collection」のウェブサイト
「東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)」の見出しの下、「東洲斎写楽の作品所蔵美術館」として以下の記載がある。
「和泉市久保惣記念美術館(大阪府)
東京国立博物館(東京都)
マスプロ美術館(愛知県)
山口県立萩美術館・浦上記念館(山口県)
奈良県立美術館(奈良県)
メナード美術館(愛知県)
平木浮世絵美術館 UKIYO−e TOKYO(東京都)
東京富士美術館(東京都)
太田記念美術館(東京都)
千葉市美術館(千葉県)」
https://art.xtone.jp/artist/archives/sharaku-toshusai.html

(12)「大洲市立肱川 風の博物館・歌麿館」のウェブサイト
「写楽展 ─復刻版─」「会期:2023年4月8日(土)〜7月2日(日)【展示会場】歌麿館 企画展示室」の見出しの下、「東洲斎写楽(生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師であり、葛飾北斎、安藤広重、喜多川歌麿と並ぶ江戸時代を代表する浮世絵師の1人です。活動期間はわずか10ヵ月あまりながらも、145点もの作品を生み出し、その後、忽然と姿を消した謎多き人物でもあります。本展では、代表作ともいえる役者の「大首絵」を中心に、約20点を展示いたします。ぜひ、この機会に写楽が表現する役者絵をお楽しみください。」との記載がある。
https://kazehaku.jp/?p=14957

(13)「和泉市久保惣記念美術館」のウェブサイト
「開館40周年記念 コレクションのあゆみ 第2部 常設展 浮世絵オールスター ―写楽・歌麿・北斎・広重― 令和4年6月26日(日)〜8月21日(日)」の見出しの下、「「二世市川門之助の伊達の与作」東洲斎写楽筆 寛政2年(1790)〜文化元年(1804)<全期展示>」「開館40周年を記念して久保惣コレクションのあゆみをご覧いただく連続企画となります。当館名誉館長久保恒彦氏、久保行央氏、久保尚平氏から平成16年度と平成20年度の2度にわたり寄贈いただいた第四次久保惣コレクション、久保恒彦氏から平成19年から継続して購入資金の寄附を受けて購入した美術品である第六次久保惣コレクションに含まれる浮世絵をあわせて展示いたします。」「東洲斎写楽、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重、の四大絵師を筆頭に鈴木春信、歌川国芳など特に知られた絵師たちの作品を一堂に展覧し、当館の浮世絵コレクションの豊かさ、質の良さをご覧いただきます。」との記載がある。
https://www.ikm-art.jp/tenrankai/2022/03/post-29b.html

(14)「山口県立美術館」のウェブサイト
「国際浮世絵学会創立50周年記念 大浮世絵展 2014年5月16日(金)〜7月13日(日)」の見出しの下、「これを見ずして浮世絵は語れない。」「誰もが一度は目にしたことのある浮世絵の名品が集結した、決定版というべき展覧会。誕生前夜から初期、そして歌麿、写楽、北斎、広重、国芳らスター絵師たちの活躍を経て近代に至るまでの、300年以上に渡る浮世絵全史を、約350点の作品で紹介します。」との記載がある。
https://www.yma-web.jp/exhibition/special/archive/daiukiyoe_webdata/

(15)「美術手帖」のウェブサイト
「東京都美術館で「The UKIYO−E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」が開幕。珠玉の国内コレクションが一堂に」の見出しの下、「江戸時代の庶民に愛され、日本のみならず世界の美術史に大きな影響を与えた浮世絵。太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団の浮世絵コレクションから選りすぐりの約450点を紹介する」「大判の作品が増えた役者絵では、わずか1年足らずの活動期間しか知られていない東洲斎写楽の印象的な役者絵も目を引く。特徴的な目や口元の表現もさることながら、黒雲母摺(くろきらずり)の背景によって、その顔が浮かび上がるようなインパクトを生んでいることにも注目したい。」「展示風景より、左から東洲斎写楽<二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉>(1794)、<三代目坂田半五郎の藤川水右衛門>(1794)」との記載がある。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/22382

(16)「東京都美術館 MUSEUMSHOP」のウェブサイト
「写楽 ポストカード 三代目大谷鬼次の江戸兵衛」の商品紹介において、「作品」「東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのえどべえ)」大判錦絵 江戸時代・寛政6年(1794)東京国立博物館」「美術に詳しくない方も、この浮世絵なら人生で一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。寛政6年(1794年)5月河原崎座で上演された演目「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の中で三代目大谷鬼次が演じた「奴江戸兵衛」を描いた作品です。「大首絵」という、上半身を大きく描いた絵が特徴です。」との記載がある。
https://hmm.tobi-museumshop.com/items/68084130


(行政事件訴訟法第46条に基づく教示) この審決に対する訴えは、この審決の謄本の送達があった日から30日(附加期間がある場合は、その日数を附加します。)以内に、特許庁長官を被告として、提起することができます。 (この書面において著作物の複製をしている場合の御注意) 本複製物は、著作権法の規定に基づき、特許庁が審査・審判等に係る手続に必要と認めた範囲で複製したものです。本複製物を他の目的で著作権者の許可なく複製等すると、著作権侵害となる可能性がありますので、取扱いには御注意ください。
審理終結日 2023-09-26 
結審通知日 2023-09-27 
審決日 2023-10-12 
出願番号 2022012747 
審決分類 T 1 8・ 22- Z (W070942)
最終処分 02   不成立
特許庁審判長 豊瀬 京太郎
特許庁審判官 田中 瑠美
板谷 玲子
商標の称呼 シャラク 
代理人 安部 聡 
代理人 眞島 竜一郎 
代理人 松沼 泰史 

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