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審決分類 審判 全部無効 商4条1項10号一般周知商標 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) Z15
管理番号 1211423 
審判番号 無効2007-890119 
総通号数 123 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2010-03-26 
種別 無効の審決 
審判請求日 2007-07-18 
確定日 2010-02-18 
事件の表示 上記当事者間の登録第4715753号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第4715753号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 第1 本件商標
本件登録第4715753号商標(以下「本件商標」という。)は、別掲(1)のとおりの構成よりなり、平成10年4月28日に登録出願、第15類「米国カリフォルニア州製のギター」を指定商品として、同15年10月10日に設定登録されたものである。

第2 引用商標
請求人が本件商標は商標法第4条第1項第10号又は同第7号若しくは同第19号に該当するとして引用する商標は、別掲(2)のとおりの構成よりなる商標(以下「引用商標1」という。)及び別掲(3)のとおりの構成よりなる商標(以下「引用商標2」という。)である。(引用商標1及び2をまとめていうときは、以下、単に「引用商標」という。)

第3 請求人の主張の要点
請求人は、結論同旨の審決を求めると申し立て、その理由及び答弁に対する弁駁を要旨次のように述べ、証拠方法として、甲第1?第66号証(枝番号を含む。但し、枝番号の全てを引用する場合は、枝番号の記載を省略する。)を提出した。
【請求の理由】
1 商標法第4条第1項第10号について
(1)本件商標と引用商標との対比
本件商標は、引用商標1と同一の構成よりなるものである。また、本件商標は、その構成中の「mosrite」の文字部分より「モズライト」の称呼が生ずるため、「モズライト」の称呼を生ずる引用商標2とは類似の商標である。
(2)本件商標の指定商品と引用商標の使用商品との対比
引用商標は、「ギター」に使用されるものであるから、本件商標と引用商標は、同一又は類似の商品に使用されるものである。
(3)引用商標の周知・著名性
ア 引用商標は、セミー・モズレー又はモズライト社等同人の設立した会社(以下、両者を合わせ「セミー・モズレーら」という場合もある。)が製造したギター(以下「モズライト・ギター」という。)を表示するものとして周知著名なものであることは、かつて請求人が有していた登録第1419427号商標(甲第3号証、以下「請求人商標」という。)に関する無効2000-35661(甲第4号証、以下「請求人商標無効審判」という。)及び平成10年審判第30446号(甲第6号証、以下「請求人商標取消審判」という。)の各審判事件並びにこれら審決に対する訴え(甲第5号証、甲第7号証)において確定された事実である。
イ 本件商標の出願時及び登録時における引用商標の周知著名性について
(ア)請求人商標無効審判における無効理由の判断基準時は、請求人商標の出願時(昭和47年6月22日)と登録時(昭和55年5月30日)であるところ、請求人商標無効審判に対する審決取消訴訟において、判決は、「(6)その後も、最近(請求人注:判決時である平成14年を意味する。)に至るまで、加山雄三や寺内タケシは、モズライト・ギターを使用して演奏活動を続けていること、(7)我が国には、現在(請求人注:判決時である平成14年を意味する。)でも、モズライト・ギターの愛好者が多数存在し、モズライト・ギターの中古品は、市場において高い価格で取引されていること、が認められ・・」とし、請求人商標の出願時、登録時のみならず、当該裁判の判決時である平成14年当時まで継続して引用商標の周知著名性を維持していたことを積極的に認めている。また、請求人商標取消審判においては、その審理終結の日(平成11年8月23日)時点における事実として引用商標の周知著名性を認めているのであり、これは、本件商標の出願日以降であって、かつ、極めて近接する時点での特許庁、裁判所の確定的な事実認定なのである。
加えて、本件商標出願時(平成10年4月28日)における引用商標の周知著名性を証明する証拠は多数存在する。1998年(平成10年)発行の雑誌「エレキ・ギター・ブック」(甲第8号証)2、3頁には、引用商標の付されたギターが大きく掲載されていると共に、「モズライトは、1950年代初期にリッケンバッカーで働いていたこともあるというアメリカのギター製作家、セミー・モズレーによって1950年代中期から本格的にギター製作が始められたギター・メーカーだ。」と記載されているとおり、引用商標がモズライト・ギターを表すものとして周知著名であることが紹介された。また、雑誌「ヤング・ギター12月増刊号」(平成4年12月15日発行、甲第9号証)24頁に、「モズライト・ギターは1950年代に3年間程リッケンバッカ一社に在籍して、ギター製作をしていた、セミ・モズレーによって創設されたブランドである。」と記載され、同70頁に、「ベンチャーズは1965年1月に来日コンサートを行ない・・世界各国にビートルズ旋風が巻き起こり・・日本に於いてはベンチャーズがそれを上回っていた。」と記載され、引用商標の付されたベンチャーズモデルのモズライト・ギターが掲載された(12?13頁)ことからも、今なお、引用商標の表示されたギター=モズライト・ギター、という事実が伝説的事象として語り継がれ、往年のギターファンのみならず音楽関係者の間において周知となっていることが理解できる。その他、本件商標の出願時近辺に限定しても多数の雑誌等が出版されている。
以上のとおり、引用商標の周知著名性は、我が国にモズライト・ギターが輸入販売された昭和40年以降、本件商標の出願時においても継続して維持されていたことは明白である。
(イ)本件商標の登録時(平成15年10月10日)を含む2000年(平成12年)6月から2005年(平成17年)9月の間に発行された雑誌「エレキ・ギター・ブック」(甲第10号証?第22号証)には、殆ど毎号のように引用商標がモズライト・ギターとの関係で紹介された。特に、「オールド・モズライト図鑑」と称する連載記事(甲第13号証?第20号証)が、2001年(平成13年)11月から2004年(平成16年)12月までの3年1ヶ月にわたって特集された事実からも、その人気の高さ、周知著名性を顕著に物語っている。また、「エレキ・ギター・ブック13」(2003年(平成15年)11月9日発行、甲第16号証)7頁に、「しかし、なんで、ビブラ・ミュートにしなかったんでしょう。現在のヴィンテージ・ギター・ブームも勿論ありませんでしたし」とあるように、この雑誌の発行年にモズライト・ギターを中心としたビンテージ・ギター・ブームが到来していたことが紹介された。このようなビンテージ・ギター・ブームの到来に合わせて、人気ミュージシャンである加山雄三が「I AM MUSIC!」(2005年4月11日発行、甲第23号証)という書籍を出版して、モズライト・ギターについて語っている。また、「エレキ・ギター・ブック/寺内タケシ」(2006年(平成17年)10月16日発行、甲第24号証)4頁に「この2つのギター、誰にでもわかる寺内タケシ氏が愛用しているギターです。」とあるように、この雑誌の発行時点でも人気ミュージシャンがモズライト・ギターを愛用している。さらに、web画面では、今なおモズライト・ギターの中古品が市場において高い価格で取引されている(甲第25号証、甲第26号証)。
そして、請求人商標無効審判及び請求人商標取消審判並びにこれらの審決取消訴訟事件の判決時から現在までわずか4年程度しか経過しておらず、かかる短期間に引用商標の周知著名性に対する評価認識が激変したという証左もない。
したがって、引用商標の周知著名性は、本件商標の登録時のみならず現在も維持されているものであり、むしろ、近年のビンテージ・ギター・ブームによって更に高っているとみるのが自然である。
(ウ)以上のとおり、引用商標は、本件商標の出願時及び登録時のいずれにおいても、モズライト・ギターを表すものとして周知著名であり、また、その高い顧客吸引力は、今なお中古市場に流通しているビンテージ品及び復刻品に付された商標に化体し続けて今なお現存しているのである。
(4)まとめ
以上のとおりであるから、本件商標は、商標法第4条第1項第10号に該当する。
2 商標法第4条第1項第7号について
(1)前記1のとおり、引用商標は、日本国内の楽器・音楽業界において、モズライト・ギターを表示するものとして周知著名であり、現在もモズライト・ギターが我が国で取引されていることを鑑みると、引用商標と同一又は類似の本件商標を被請求人が使用した場合、モズライト・ギターと同様の品質であるかのように商品の品質の誤認を生じ、又は、セミー・モズレーら若しくは同人らと何らかの関連のある者が製作したものであるかのように出所の混同を生じることは必至である。
ところが、被請求人は、セミー・モズレーらの承諾を得ることなく、無断で引用商標と同一又は類似の本件商標を出願し登録を受けたものであり、これは、明らかに引用商標の名声に便乗して不正な利益を得る目的でした悪質な剽窃的行為といわざるを得ない。このことは、以下の事実から明らかである。
ア 被請求人は、請求人商標無効審判及びその審決取消訴訟の係属中に、本件商標の出願をしていたにもかかわらず、その出願についてセミー・モズレーらの承諾を得ているとは全く主張していない。
イ 被請求人は、請求人商標に基づき、請求人が被請求人に対して行った商標権侵害差止等請求事件(平成10年(ワ)第11740号)において、本件商標の出願から約30ヶ月後(平成12年12月26日)に提出された準備書面(甲第55号証)27頁で、「セミーモズレーの前では、『MOSRITE』の標章や『Mマーク mosrite』の標章の使用については、原告(本件請求人)も被告(本件被請求人)も全く同じ立場にある。」とし、被請求人自ら本件商標の出願に法的地位がないことを主張した。
ウ 故セミー・モズレーの妻であり、かつ、モズライト社の後継会社として、セミー・モズレーが設立したユニファイド・サウンド・アソシエーション社(以下「ユニファイド社」という。)の、セミー・モズレーの死後、代表者を務めたロレッタ・モズレーに対し、引用商標に関する権利を被請求人に売ったか否かを質問したところ、ロレッタ・モズレーは、「勿論、売っていません、確信しています。」、「私は、決して彼(遊佐典之又は同人が代表を務める被請求人)にモズライトのギターを作ることを許可したことはありません。」との回答を得た(甲第27号証)。
エ 雑誌「ギター・マガジン」(平成3年8月1日発行、甲第28号証)に掲載されたセミー・モズレーに対するインタビューにおいて、同氏は「よく、モズライトの名を売ればお金がたくさんはいるし、引退できるのに、と人から言われるが、私は自分の名前を持ったまま死にたい。・・モズライトにも名前を売る話は来たが、どんなに大金を積まれても私は断った。」と答えているとおり、セミー・モズレーは、引用商標に関する権利を他人に譲渡する意思はなかった。
オ ユニファイド社は、日本におけるモズライト・ギターの販売を高谷企画やロッコーマン社に任せており(甲第29号証、甲第30号証)、少なくとも被請求人に一手に任せた事実はない。さらに、高谷企画の代表者の陳述書(甲第31号証)には、遊佐典之(以下「遊佐」という。)はユニファイド社への出入りが禁止されたとの記載があり、このような遊佐又は被請求人に対し、ユニファイド社及びセミー・モズレーが引用商標に関する権利を譲渡したり、これと同一の本件商標の出願・登録を許可するはずはない。
カ 被請求人は、他人の周知商標をその他人に無断で商標登録出願を繰り返している、いわば「商標剽窃行為の常習者」である(甲第33号証?第47号証)。上記事実が、本件商標も常習的な剽窃行為の一つとして出願をし登録を受けたものであることを推認し得るに足る重要な証拠として採用されるべきであることは、東京高裁の判決(平成14年(ネ)第1555号、甲第54号証)に照らしても明かである。
甲第4?7号証に示す審判・裁判事件で特許庁及び裁判所が認定した「引用商標がセミー・モズレー又はモズライト社の業務に係るギターを表すものとして周知著名である。」旨の事実は、遊佐又は被請求人が一貫して主張してきたものであり、被請求人は、他人の周知著名な引用商標と同一の本件商標の登録を受けることはできないものと十分に認識していたにもかかわらず、本件商標の登録を受けたことは、極めて悪質な剽窃行為といわざるを得ない。
(2)まとめ
以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当する。
3 商標法第4条第1項第19号について
上述のとおり、引用商標は、本件商標の出願時及び登録時において、モズライト・ギターを表すものとして周知著名な商標であり、本件商標は、引用商標と同一又は類似の商標である。また、被請求人が引用商標の名声に便乗して不正の利益を得る目的で本件商標の出願をしたことは、甲第1号証?第57号証から明白である。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第19号に該当する。
4 むすび
以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第10号又は同第7号若しくは同第19号に該当するものであるから、その登録を無効とすべきである。
【答弁に対する弁駁】
1 本件商標に係る商標権侵害差止等請求事件について
被請求人は、請求人に対して本件商標に係る商標権に基づく商標権侵害差止等仮処分申立事件(平成18年(ヨ)第22106号、平成19年10月31日取下書提出、甲第59号証)、及び商標権侵害差止等請求事件(平成19年(ワ)第5022号、以下「本件商標権侵害差止請求事件」という。)を提起していたが、本件商標権侵害差止請求事件について、平成19年10月25日に判決言渡があった(甲第58号証)。該判決は、「原告商標2(本件商標)及び3の商標登録は,商標法4条1項10号に該当し,無効とすべきものであるから,商標法39条,特許法104条の3第1項に基づき原告の原告商標2及び3に基づく権利行使は許されない。」(30頁)とした。
2 商標法第第4条第1項第10号について
(1)被請求人は、商標法第4条第1項第10号の適用について、同条第3項により出願時に該当する商標か否かが問題になるのであって、登録時や判決時は問題にならない旨主張するが、甲第4号証?第6号証は、請求人商標の出願時及び査定時において、引用商標がセミー・モズレーらの業務に係る商標として周知著名であったことを特許庁及び裁判所が認定している事実を明らかにしたものであり、この事実は本件審判においても当然に参酌されなければならない。したがって、上記被請求人の主張は失当である。
(2)被請求人は、甲第8号証?第24号証に示したギターについて、いずれもセミー・モズレーの全盛期に製作されたビンテージものと呼ばれる1963年?65年モデル(以下「モズライト・ギターのビンテージ品」という。)、又はオールドと呼ばれる中古品であり、これらのモズライト・ギターは、今や骨董品としてコレクターの対象商品でしかなく、広く一般の楽器店に流通しているものではない旨主張する。
しかしながら、モズライト・ギターの真正品は、商取引の対象商品として、現在も中古市場において流通していることは明らかである(甲第65号証、甲第66号証)。そして、引用商標の如き周知著名性を獲得した商標の場合、需要者が真正なるモズライト・ギターか否かを見極める重要な手掛かりとして商標に着目することは、商標から生ずる出所表示機能、品質保証機能を鑑みても当然のことである。本件商標権侵害差止請求事件においても、甲第8号証?第24号証の証拠能力及び中古品に付された引用商標の周知著名性を認めている(甲第58号証、29頁)。したがって、上記被請求人の主張は失当である。
(3)被請求人は、経過説明書(乙第2号証)を提出し、被請求人とセミー・モズレーらとの関係について述べているが、経過説明書から推測されることは、遊佐が熱心なモズライト・ギターのコレクターであり、かつ、熱狂的なファンであるということ、被請求人が過去に一顧客としてセミー・モズレーらとの間で商取引を行ったことがあるということのみである。しかし、上記事実は、本件商標が商標法第4条第1項第10号に該当するか否かを判断する際には全く無関係であるし、被請求人がセミー・モズレーらの承諾を得ることなく、本件商標を出願し登録してよいとする理由にはならない。
また、被請求人は、ユニファイド社の倒産によって、セミー・モズレーが関与し、遊佐が協力したモズライト・ギターの生産は完全に終結したから、それに対するセミー・モズレー及びその関連会社のグッドウィルも、遅くともその時点までには完全に消滅した旨主張するが、この主張が事実に反することは、前記(2)に述べたとおりであり、また、モズライト・ギターに係る事業は、モズライト社、ユニファイド社を経由して現在もロレッタ・モズレーにより継続的に行われており(甲第58号証23頁、甲第60号証?第63号証)、そのグッドウイルはその正当承継者によって受け継がれている。
以上のように、被請求人が本件商標を出願し、登録することが認められるほどの関係性は両者間には存在しない。
なお、被請求人は、「ユニファイド社の実質的なスタートは、セミー・モズレーの死後、遊佐が本格的に工場に入り、・・モズライト・ギターを製作するためのユニファイド社の工場における遊佐の技術力は最初から支配的であったのである。」と主張するが、客観的裏付け証拠が提出されていない。セミー・モズレーの死後である1992年(平成4年)11月発行の雑誌「Guitar magazine」(甲第64号証)には、当時のユニファイド社の会社構成人員の殆どを紹介しているが、遊佐について全く紹介されていない。したがって、上記主張は採用できない。
(4)被請求人は、本件商標は被請求人の周知商標である旨主張する。
しかしながら、そもそも商標法第4条第1項第10号は、出願商標が出願人の周知商標であるか否かを問わず、他人の周知商標と同一類似の商標であればその適用を免れない。したがって、仮に本件商標が被請求人の業務に係るものとして周知であるとしても、上述のとおり、引用商標がセミー・モズレー及びその関連会社の業務に係るものとして周知著名である事実は存在するのだから、本件商標が商標法第4条第1項第10号に該当することに変わりはない。
そして、被請求人の製造・販売・広告宣伝行為(乙第51号証?第90号証)は、周知著名な引用商標の名声にあやかろうと企図した不正競争行為であり、このことは、本件商標権侵害差止請求事件の判決においても認定している(甲第58号証、29頁)。したがって、本件商標の商標法第4条第1項第10号の適用は免れない。
(5)被請求人は、多くの著名ミュージシャンが被請求人の製作・販売に係る商品(以下「被請求人商品」という。)を使用している旨主張するが、この事実を証明する証拠は提出されていない。また、被請求人は、乙第4号証?第33号証により、被請求人の「製品ブランド力と技術力」を立証しようとするが、的外れであり採用することはできない。
2 商標法第4条第1項第7号について
(1)被請求人は、甲第27号証?第32号証について証拠力がない旨主張するが、これらの証拠は、被請求人が引用商標に関する権利をセミー・モズレーらから承継していないことを立証するものとして提出したのである。これに対し、被請求人は、何ら反証をしておらず、また、本件商標の出願、登録に関する承諾も得ていないことは、本件商標権侵害差止請求事件で認めている(甲第58号証、29頁)。
(2)被請求人は、商標剽窃行為の常習者であるとする請求人の主張に対し反論するが、いずれも客観的・合理的な反論とはなっていない。なお、乙第47号証?第49号証は、いずれもわずかな本数のギターを販売する際に必要な限定的商標使用許諾に関する契約書にすぎないものである。
3 商標法第4条第1項第19号について
被請求人は、長年偽物作りを続けている請求人のモズライト・ギターを、我が国の市場から撃退するのが、本件商標権侵害差止請求事件における被請求人の目的である旨主張するが、その裁判において被請求人が不正競争行為者であると断定された上、被請求人の請求が全て退けられていることは上述のとおりである。

第4 被請求人の答弁の要点
被請求人は、「本件審判の請求は成り立たない。審判費用は請求人の負担とする。」との審決を求めると答弁し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として、乙第1号証?第112号証(枝番号を含む。但し、枝番号の全てを引用する場合は、枝番号の記載を省略する。)を提出した。
【答弁の理由】
1 本件商標についての登録異議の申立て(乙第1号証)について
上記登録異議の申立てに対する決定は、商標権者(本件の被請求人)の代表者は、セミー・モズレーとは、ギターの製作に関し良好な関係にあり、モズライト・ギターの我が国における輸入販売を行っていたこと、商標権者が、我が国において、本件商標を出願・登録したことは、モズライト・ギターの品質の維持や信用を獲得し不正な取引等からの防御等に必要な手段であったこと、我が国において、モズライト・ギターを周知なものとしたのは商標権者であったことなどを理由として、本件商標の登録は、商標法第4条第1項第10号及び第15号に違反してされたものではない、としている。
2 商標法第4条第1項第10号について
(1)同条項に該当する他人の商標とは、本件商標の出願時に該当しないものについては適用されない(商標法第4条第3項)。本件商標の出願時において、引用商標は、いずれも他人(セミー・モズレー又はその関連会社)の商標としての周知著名性を喪失していたから、請求人の主張は失当である。その理由は、後述する。
(2)甲第4号証?第7号証に示す審決及び判決について
ア 請求人商標の出願時には、ベンチャーズ-モズライト・インクの有する登録第736316号商標「MOSRITE」が有効に存続中であったと共に、セミー・モズレーも存命中であったから、請求人商標は、商標法第4条第1項第10号に該当する商標であり、その登録無効は当然であったというべきである。また、請求人商標に「of California」の表示を付記したことが、故意による他人商品の品質についての誤認や他人業務の商品との混同の発生が認定され、商標法第51条により登録取消しとなったのも当然であったというべきである。
イ 請求人は、請求人商標無効審判における審決及びその審決取消訴訟における判決を引用し、無効理由の判断基準時は、請求人商標の出願時・登録時のみならず、上記審決取消訴訟において、平成14年当時まで継続して周知著名性を維持していたことを積極的に認めている旨主張するが、いずれも失当である。すなわち、
(ア)商標法第4条第1項第10号の適用は、同条第3項により出願時に該当する商標か否かが問題になるのであって、登録時や判決時は問題にならない。
(イ)請求人商標無効審判の審決取消訴訟の判決は、特許庁が行った審決の事実認定や判断に誤りがあったか否かが争われるだけのことであり、判決時に引用商標が周知著名であったか否かは問題にならない。また、請求人商標取消審判の審決において、被請求人(本件の請求人)の不正使用行為が「現在も使用されている事実が認められる。」との認定は、被請求人(同上)が当時もなお「ジャパンモズライト(有)」と記載したカタログを使用していた事実を意味するが、実際に被請求人(同上)は、セミー・モズレーの死後の1993年(平成5年)の初めころには、「of California」を付記表示し、不正使用行為を継続していたから、審決はその事実を確認しているにすぎないのである。
(3)甲号証について
ア 甲第8号証?第24号証に示すモズライト・ギターに関する記事・写真は、いずれもセミー・モズレーの全盛期に製作されたモズライト・ギターのビンテージ品、又はオールドと呼ばれる中古品であり、これらのモズライト・ギターは、今や骨董品としてコレクターの対象商品でしかなく、広く一般の楽器店に流通しているものではない。この主張の一部を裏付ける証拠は、本件商標権侵害差止請求事件において、被請求人(原告)が提出した「経過説明書」(乙第2号証)により明らかである。
イ 被請求人の代表者である遊佐は、昭和51年に、東京都三鷹市に楽器店「フィルモア」を開店したが、毎月のように米国からモズライト・ギターを専門に輸入し、販売していた。これは、ザ・ベンチャーズが1965年(昭和40年)1月と7月に来日公演して以来、彼らが演奏したモズライト・ギターの音質のすごさが、日本のエレキギターファンに影響を与え、輸入したモズライト・ギターは飛ぶように売れたからである。
遊佐とセミー・モズレーとの交流関係は、1981年(昭和56年)3月に米国テキサス州ダラスで開催された「ビンテージショー」で出会った時から続いていた。1983年(昭和58年)3月及び1985年(昭和60年)4月に、セミー・モズレーが遊佐の店を訪ねて来た際に、米国工場での協力を依頼してきたが遊佐はその申し出を断った。1991年(平成3年)には、遊佐はセミー・モズレーから電話と書簡を受け、1992年(平成4年)は「モズライト創立40周年」に当たり、工場をアーカンソ州ブーンビルに建て、町興しのためにモズライト・ギターの生産を大々的にやるから協力して欲しい旨懇願されたので、遊佐は、1992年5月にブーンビルの新しい会社工場であるユニファイド社へ行き、セミー・モズレーからモズライト40周年モデルのプロトタイプ(原型)を見せられた(乙第2号証:写真3?11、甲第51号証:53頁左欄中央の写真)。これは、モズライト・ギターのビンテージ品と同格のすばらしい品質のギターであったから、これなら日本のモズライトファンに自信をもって販売できると遊佐は確信した。その時に、遊佐とセミー・モズレーは、モズライト・ギターの40周年モデルをまず40本製作し、これを全部、遊佐が引き取る条件で契約を締結した(乙第2号証:写真12)。その後間もなく遊佐は、セミー・モズレーが右脚の骨肉腫が悪化して入院したとの知らせを受けたが、仕事のほうは進行している旨の1992年7月9日付FAXを受取った(乙第3号証)。後で聞いた話であるが、ジェリー・スタンドリッチ副社長はセミー・モズレーから、遊佐によく協力してもらうように指示されていたという。遊佐の予定は、セミー・モズレーが元気で遊佐と一緒に、素人工員を相手に手作りのモズライト・ギターの製作技術を教えることになっていたが、それはかなえられず、結局、遊佐自身が、20人位の素人工員等にモズライト・ギターの組み立て技術を一から十まで教えなければならず、最初は実質的に工場長のような立場にあった。
セミー・モズレーとしては、モズライト・ギターのビンテージ品を製作できる資力も気力も技術力も失っていたから、これを再構築できる者は遊佐しかいないと決めたからこそ、ユニファイド社に遊佐を呼んだのであり、遊佐の技術力を借りることによってモズライト・ギターの復活を図ったのであった。しかしながら、セミー・モズレーの志は死去によって中断され、その後、遊佐は、ユニファイド社に残って技術指導をしながら製作に従事したが、素人工員たちによるモズライト・ギターの製作は計画通りには進まなかった。被請求人においても、遊佐が不在中に自店に送られて来る製品は殆ど不良品であったから、修正もできず、返品するしかなかった。したがって、このような状態が続くことにより、モズライト・ギターの売り上げはがた落ちとなり、商標「モズライト」が有していたグッドウィルを喪失する大きな原因となり、やがて1994年(平成6年)4月に不渡り手形を出してユニファイド社は、倒産整理するに至ったのである。
ユニファイド社の倒産によって、セミー・モズレーが関与し、遊佐が協力したモズライト・ギターの生産は完全に終結したから、それに対するセミー・モズレー及び同人の関連会社のグッドウイルも、遅くともその時点までには完全に消滅してしまったといえるのである。
我が国のエレキギターファンが憧れるのは、かつてザ・ベンチャーズが我が国で演奏したモズライト・ギターのビンテージ品であるが、今日、モズライト・ギターのビンテージ品と同レベルの音質を出す復刻品を製作できる者は遊佐だけである。
遊佐は、米国カリフォルニア州ハリウッド在住のスガイ・ミュージカル・インストルメンタル・インク(以下「スガイ社」という。)において、モズライト・ギター(被請求人商品)の製作に関する技術指導、輸入製品の検査、修正を行うことにより、ユニファイド社で中断されたモズライト・ギターの製作を再開することによって、セミー・モズレーとの約束を果たすことができると考えたのである。このように、遊佐は、1996年(平成8年)10月から今日に至るまで継続してスガイ社に技術指導を行い、被請求人商品の製作を委託しているから、セミー・モズレーからギターの演奏とその製品を通して遊佐へ伝承されたモズライト・ギターの製作技術によって、セミー・モズレーが有していたグッドウィルの主体は遊佐が代表の被請求人に確実に移転するに至ったといえるのである。これによって、モズライト・ギターに対する我が国の顧客からのグッドウィルに応えることができると確信したからこそ、被請求人は本件商標の出願に踏み切ったのである。
したがって、甲第13号証?第20号証の発行期間から、引用商標の周知著名性を証明することはできない。けだし、これらの雑誌に紹介されているモズライト・ギターは、モズライト・ギターのビンテージ品が中心であるからである。
ウ 甲第16号証は、国産のファーストマン・モズライトについての紹介記事であって、モズライト・ギターではない。しかし、上記記事中には、被請求人の主張を裏付ける次の記載がある。即ち、1963年?65年以降のセミー・モズレーが製作したモズライト・ギターでも、次第にそのグッドウィルを落としている多くの証拠があることが指摘されている。セミー・モズレーは、1966年(昭和41年)にモズライト・ディストリビューブイング・インクを設立し、モズライト・ギター等を増産販売し、1968年(昭和43年)5月には前記ファーストマン社と業務提携したが、結局、1969年(昭和44年)2月に倒産することになる。その後、1971年(昭和46年)にはセミー・モズレーはモズライト・オブ・カリフォルニア・インクを設立したが、1973年(昭和48年)にはこれも倒産した。このように、セミー・モズレーによるモズライト・ギターの生産も、1969年の最初の倒産以来がた落ちとなるとともに彼の技術力も低下し、その後自分でモズライト・ギターのビンテージ品の製作の再興はできなかったのである。それ以後は、セミー・モズレーはモズライト・ギターの製作をアリゾナ州フェニックスの「ロバート・ペン・ギター・スクール」に委託し、これを専ら日本に輸出していたが、粗悪品ばかりで、モズライトファンの不評を買っていた(甲第16号証、6?7頁)。
エ 甲第23号証において、51頁の「モズライト社」と100頁の「モズライト社」とは、同一会社を指して使っているのか疑問であるが、いずれにせよ、これらは過去の会社である。
オ 甲第24号証において、寺内タケシがモズライト・ギターの65年(#1240)を現在でも使用していることが仮に事実であるとしても、それ自体、広く流通しているニューモデルのモズライト・ギターではないから、証拠価値はない。
カ 甲第25号証、甲第26号証は、いずれも中古品の売買に関する広告であるから、現に、広く流通しているニューモデルのモズライト・ギターやベースではなく、証拠価値はない。
請求人は、これら証拠により引用商標に化体したグッドウィルの存続性が裏付けられる旨主張するが、セミー・モズレーは、1992年(平成4年)8月7日に死去し、ユニファイド社は、1994年(平成6年)4月に倒産したから、本件商標の出願時までには、すでにセミー・モズレーに与えられていたグッドウィルは消滅していたし、また、ユニファイド社の実質的なスタートは、セミー・モズレーの死去後、遊佐が本格的に工場に入り、手作りの製作技術を一つ一つ教えていたから、モズライト・ギターを製作するためのユニファイド社の工場における遊佐の技術力は最初から支配的であったのである。
(4)以上のように、モズライト・ギターのビンテージ品やその後のオールドモデルの中には、骨董品又は中古品として流通するものもあるとしても、それはごく一部であり、広く我が国の楽器の小売市場に流通している商品ではない。現在、この小売市場に広く流通しているのは、本件商標を使用した被請求人商品であることは、多くの音楽雑誌等における広告(乙第51号証?第90号証)によっても明らかであるし、その品質の高さはモズライト・ギターのビンテージ品に勝るとも劣らないとの評価を得ている事実は、これを使用して演奏活動を行っている多くのプロ・ミュージシャン達が存在している。また、全国の多くのファンからの様々な書簡等によっても証明されている(乙第4号証?第33号証)。
したがって、本件商標は、その出願時において、既に被請求人の商標として周知かつ著名な商標となっていたといえる。
(5)まとめ
以上のように、セミー・モズレーがかつて有していた引用商標についてグッドウィルは、彼の死去と同時に失われている。請求人が主張する前記中古ビンテージものの流通は事実であるとしても、それは例外的であって、この商標の周知著名性は過去のセミー・モズレーに対するレッテルであり、現在ではすでに死滅している評価である。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号に該当しない。
3 商標法第4条第1項第7号について
(1)請求人は、引用商標と同一又は類似の本件商標を被請求人が使用すれば、モズライト・ギターと同様の品質であるかのように商品の品質の誤認を生じたり、セミー・モズレーらと何らかの関連のある者が製作したものではないかと、出所の混同を生じることは必至である旨主張するが、失当である。
本件商標は、かつてモズライト・ギターのビンテージ品が有したグッドウィルの対象となった品質の高さを100%以上発揮している商標であり、被請求人商品は、遊佐がモデルとしたモズライト・ギターのビンテージ品を超えた品質を発揮しているギターであることを、プロの演奏家が評価しているのである。
(2)請求人は、被請求人はセミー・モズレーから承諾を得ることなく、無断で本件商標を出願し登録を受けたから、引用商標の名声に便乗して不正な利益を得る目的でした悪質な瓢窃行為である旨主張する。
しかし、本件商標の出願の経緯は、前記2(3)イのとおりであり、セミー・モズレーが死去した段階では、モズライト・ギターの品質や性能に対するグッドウィルはすでに消滅してしまったといっても過言ではない。
(3)請求人は、被請求人が甲第4号証、甲第5号証で示した審判・訴訟の係属中に本件商標を出願していながら、セミー・モズレーらからその承諾を得ているとは主張してないというが、その時点ではすでにセミー・モズレーらは存在していないのだから、請求人の上記主張は失当である。
(4)ロレッタ・モズレーのFAX書面(甲第27号証)は、何人からの質問書に対する回答書なのか不明であり、原本の提出もないから証拠価値はない。ロレッタ・モズレーは、ユニファイド社の経営及びエレキギターの製作技術について全く無知無能で、セミー・モズレーの死後のお飾り社長にすぎなかった者であり、引用商標に関する権利者でもないから、同人から譲渡や使用許諾を得る必要などはない。ロレッタ・モズレーは、粗悪なエレキギターを日本に送り、それらを高谷企画やゴールデンギターやバスウッドが、米国における事情を知らない日本のユーザーに高額で売りつけた結果、彼女がユニファイド社を倒産に追い込み、引用商標を無価値にしてブーンビルの住民らを欺いたのである。
(5)セミー・モズレーヘのインタビュー記事(甲第28号証)を被請求人有利に引用する。この記事において、セミー・モズレーが言わんとしているのは、「私の作ったモズライト・ギターの技術を超える品質のギターを作る者がいれば、その名前をそっくりあげるよ。」ということだからである。平成3年8月号といえば、遊佐がセミー・モズレーに、モズライト・ギター誕生40周年を迎えるに当たり、モズライト・ギターの製作に協力する旨の返事(乙第39号証)を出した直前であるから、セミー・モズレーは、一花咲かせようと、遊佐の技術と人間性を信頼し、ブーンビルに町興しのために設立されたユニファイド社の社長になったのである。そのセミー・モズレーが、「私は自分の名前を持ったまま死にたい。」と言っているのは、自分が死んだ後は、セミー・モズレーのモズライトも死んでしまうということを意味するから、セミー・モズレーは死の直前に遊佐にギターの製作を託したのである。したがって、これから考えても、ロレッタが記述していることは全くナンセンスであり、セミー・モズレーの意思とは正反対のことである。
(6)請求人は、ユニファイド社は高谷企画やロッコーマン社にモズライト・ギターの販売を任せていたというが、どのような契約をしたのかなど明確な証拠によって証明すべきである。また、甲第29号証に「USAモズライト総輸入元」と記載されているが、これは、セミー・モズレーの死後の1993年(平成5年)11月発行のロッコーマン社のカタログにすぎない。さらに、ユニファイド社のリンダ・キーリングからロッコーマン社のモトヤ・シマダ宛のメール(甲第30号証)は、モトヤ・シマダからのメールの提出がないから意味不明のものであるが、ユニファイド社の倒産が近い1994年(平成6年)1月10日付のメールであるし、高谷の「陳述書」(甲第31号証)は、遊佐による平成19年8月27日付け陳述書(乙第40号証)と対比すれば、その内容の信憑性について疑問がある。
(7)請求人は、遊佐をして「商標剽窃行為の常習者」であると主張するが、これに対し被請求人は次のとおり反論する。
甲第33号証?第46号証の登録商標は、その出願時ではセミー・モズレーも同人の関連会社も全く使用していない商標であったことは、米国の調査会社によっても報告されている。したがって、商標「Mマーク mosrite」の使用と登録によって、過去にセミー・モズレーとの間で問題を起した請求人のような者が、出願・登録して不正な取引きを行うことを被請求人はもっとも恐れていたから、被請求人はこれらの商標の出願に踏み切ったのである。
なお、商標「RAMONES」・「JohnnyRamone」については、ジョニー・ラモーン本人との商標使用に関する契約(乙第43号証)を得ているし(乙第2号証の写真14、15)、商標「NOKIE」・「The NOKIE model」については、ノーキー・エドワーズ本人との商標使用とその使用料に関する契約(乙第44号証?第46号証)やノーキー発行の保証書等があるから、これに基づいて被請求人が商標登録をすることは問題はない(乙第47号証?第49号証)。
甲第54号証に係る裁判例は、原告・被告の関係が、本件の場合と立場が違う事案であるから、証拠価値はない。
(8)被請求人が請求人商標無効審判等(甲第4号証?第7号証)で主張した「引用商標がセミー・モズレー又はモズライト社の業務に係るギターを表すものとして周知著名である。」とは、請求人商標の出願日を基準とする事件に対する主張であるから、本件商標に対する事案と同列に論ずることはできない。さらに、請求人は、請求人商標無効審判の審決取消訴訟における請求人(本件の被請求人)の主張を引用し、これを虚言と評し、本件商標の登録を受けたことを詐欺行為に該当する悪質な剽窃行為と主張するが、当時の請求人(原告)は、請求人商標の商標権者であったところ、これが被請求人(被告)に対し権利行使をしたのであるから、そのような特段の事情の中において、被請求人としては攻撃防御の一手段としてそのような主張をしたのであり、請求人の立場が非なることを攻撃したのである。したがって、請求人の主張はすべて失当である。
(9)したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当しない。
4 商標法第4条第1項第19号について
被請求人商品は、モズライト・ギターのビンテージ品やオールドと呼ばれている過去のモズライト・ギターの品質を越えて、我が国のエレキファンのグッドウィルを獲得しているのである。だからこそ、被請求人は自信をもって「本物のモズライト・ギター」と呼んでいるのであり、多くの人々にその事実を知って、使って、演奏してもらいたいのである。そのために、長年偽物作りを続けている請求人のモズライト・ギターを我が国の市場から撃退するのが、本件商標権侵害差止請求事件の被請求人の目的である。
したがって、被請求人は、すでに喪失している引用商標をフリーライドしているものではなく、信義則に反する行為ではないから、本件商標は、商標法第4条第1項第19号に該当する商標ということはできない。
5 むすび
以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第10号、同第7号又は同第19号のいずれの規定にも該当しないものであるから、その登録を無効にすべきものではない。

第5 当審の判断
(1)請求人の主張並びに甲各号証及び各乙号証によれば、以下の事実が認められる。
ア 甲第64号証(「ギター・マガジン」、平成4年11月1日、株式会社リットーミュージック発行)223頁には、「モズレー氏は1935年6月13日、オクラホマ州デュラントで生まれました。・・52年にギター製作の道に進むことを決心。この時、宣教師のレイ・ボートライト師が、ギターを作る場所として自分の家の駐車場を貸してくれたということで、これを恩に感じたモズレー氏は、自分のギターに、ふたりの名前を合わせた“モズライト”という名を付けました。・・55年にはダブル・ネックやトリプル・ネックのギターを発表して世間の評判を集めました。・・62年はモズライトにとって歴史的な年となりました。ベンチャーズのノ-キー・エドワーズと出会ったのです。・・・82年にはノースキャロライナのジョーナスリッチに移り、この地で再び工場を開きました。ここではベンチャーズ・モデルのレプリカ、テリー・モデルなどを作り、また少し売れ行きを伸ばし始めました。88年から91年にかけては、ノーキー・エドワーズ氏との共同開発によるノーキー・モデルを発表し、これとベンチャーズ・モデルとの2本立てで、再度のモズライト・ブームを起こしました。また91年にはノーキー氏とのジョイント・コンサートを日本で実現させました。そして今年、92年は、モズライト創立から40周年、ノーキー氏との出会いから30周年にあたる年でした。モズレー氏は大いにはりきり、これらを記念したアニバーサリー・ギターを発表。また工場が手狭になったため、これをアーカンソー州ブーンビルに移しました。新工場はコンサート・ホールもある立派な建物となりました。新たな土地に移り、“エレクトリック・ギターの創始者は私ひとりになってしまった、頑張らなくては”と意気盛んだったモズレー氏でしたが、再びの病魔に襲われ、6月に入院。そして8月7日、ついに帰らぬ人となったのです。」の記載がある。
イ 甲第9号証(「ヤング・ギター12月増刊号」平成4年12月15日、株式会社シンコー・ミュージック発行)の2枚目には、「MOSRITE/The Ventures Model/1963 U.S.A.」の表示のもと、引用商標1が付されたギターの写真が大きく掲載され、また、24頁には、「我が国でベンチャーズの人気が爆発する1964年には、彼らはトレード・マークともいえるモズライトのベンチャーズ・モデルを使用することになる。当時モズライト・ベンチャーズ・モデルはフェンダー社&ギブソン社、その他のどのメーカーのモノをも凌ぐ人気ギターだった。そして、次々とそのコピー・モデルが発売され、ギター・キッズ達はそのコピー・モデルにさえ憧れを抱くような時代だったのだ。モズライト・ギターは・・セミ・モズレーによって創設されたブランドである。」の記載がある。
ウ 甲第8号証(「エレキ・ギター・ブック」1998年(平成10年)5月10日、株式会社ワイ・シー・ファクトリー発行)2、3頁には、「MOSRITE THE VENTURES MODEL」の表示のもとに、引用商標1が付されたギターの写真が大きく掲載され、また、本文中には、「モズライトは、1950年代初期にリッケンバッカーで働いていたこともあるというアメリカのギター製作家、セミー・モズレーによって1950年代中期から本格的にギター製作が始められたギター・メーカーだ。当初は小さなガレージ・メーカーとして出発し、月産3本ほどの、細々としたものだった。しかし1本1本丁寧に製作するクオリティの高い仕事ぶりは次第にプロ・ミュージシャンを中心に、口コミで評判となっていった。・・・しかし、何といってもこのギター・ブランドが一般の音楽ファン、ギター・ファンの間で一躍大きくクローズアップされ、日本でも多くのファンをつかむキッカケとなったのは、前述のとおりヴェンチャーズがこのギターを使うようになってからである。・・・1963年には最初の“ヴェンチャーズ”モデルが完成しノーキーだけでなく他のヴェンチャーズメンバーも使用するようになった。1964年、ヴェンチャーズの人気は爆発的なものとなり、翌1965年1月の来日の際にマイナーチェンジされた新しいモズライト“ヴェンチャーズ”モデルを彼らが使用したことで、日本でも一躍脚光を浴びるようになった。」の記載がある。
エ 甲第10号証?第22号証(いずれも「エレキ・ギター・ブック」、2000年(平成12年)6月9日?2005年(平成17年)9月11日の間に有限会社エス・アンド・エイチ発行されたもの。)、甲第23号証(「I AM MUSIC 音楽的人生論」2005年4月11日、株式会社講談社発行)及び甲第24号証(「エレキ・ギター・ブック」2006年(平成18年)10月16日 有限会社エス・アンド・エイチ発行)によれば、「アメリカのモズライトが栄光の時代1960年代に、その商標を最初に使うことを許した国産モズライト!ファーストマン・モズライトです。・・1968年にアメリカのモズライトと、日本のファーストマンが業務提携して出来たギターなんです。」(甲第16号証)の記載があり、「今年は、あの衝撃のベンチャーズ日本公演から40周年という節目を迎えている。・・・1965年1月3日から始まったベンチャーズ日本公演は、・・・。この年の7月、ベンチャーズの二度目の来日公演を敢行、TV番組「スターの広場」では加山雄三と共演、・・・加山はベンチャーズからプレゼントされたパール・ホワイトのモズライトを弾くシーンも見られる。・・・あれから40年・・・、現在でもベンチャーズは円熟したギター・プレーを日本のファンに毎年披露してくれる・・・。」(甲第21号証36頁ないし39頁)記載がある。また、甲第13号証?第22号証には、「オールド・モズライト図鑑」と題し、モズライト・ギターのビンテージ品についての特集が掲載された。
オ 甲第53号証(乙第83号証も同じ:「エレキ・ギター・ブック」、2005年(平成17年)3月14日、有限会社エス・アンド・エイチ発行)には、「憧れのギタリストがかつて手にしていたギター、現在手にしているギター。それこそが“憧れのギター!”だ、・・そこで、ここでは、“昔から憧れていたギターが欲しい!、現在憧れのギタリストが手にしているシグネチャー・モデルが欲しい!”という方達のために、現在、入手可能な“憧れのギター”をクローズ・アップ!!」との記載のもと、「Mosrite USA MOSRITE REISSUE 1963/1964/1965 モズライト・USAリイシュー・モデル」の項目には、「“モズライト”はエレキ・ファンにとって特別の存在である。かつて、エレキ・インストの王者、べンチャーズが愛用し、エレキの若大将、加山雄三や、エレキの神様、寺内タケシも愛用してきた“ギターのロールス・ロイス”なのである。魅力的なジャーマン・カーブと独特のサウンドの虜になっているギタリストは数限りない。状態の良いヴィンテージ・ギターなら200万円を越えるという値がつくものもあるそうだ・・」、「問合せ:株式会社フィルモア」などの記載があり、また、乙第86号証(「ミュージックトレード」、2005年(平成17年)4月号、株式会社ミュージックトレード社発行)には、「mosrit日本上陸40周年記念モデル発売」「一九六五年一月三日、『モズライト』が日本に上陸した。・・・ベンチャーズ初の日本公演である。・・・こうしたベンチャーズに代表されるエレキ・インストゥルメントのブームを象徴するギターの一つであるモズライトは、五四年、カントリーギタリスト、ジョー・メンフィスのために製作されたダブルネック・モデルによって一躍脚光を浴びた(創業は一九五二年)。最盛期の六二?六五年には、腕利きのクラフトマンを多数擁し、三百名以上のスタッフがカリフォルニア州ベーカーズフィールドの工場で、数々の優れたギターを世に送り出した。今なお当時の名器を探し求める愛好者も少なくない。」の記載がある。
カ 被請求人の取扱いに係る商品の広告を掲載した音楽雑誌等には、本件商標及び引用商標1と同一又はこれらに酷似する商標(「M」とこれを内蔵する外周上にギザギザの付いた円図形の白と黒の部分が本件商標及び引用商標1のそれと反対のもの)の表示のもと、被請求人商品の紹介と共にモズライト・ギターのビンテージ品が掲載された。
被請求人商品の紹介においては、「この度USAモズライトは、これまでのモズライト=ベンチャーズモデルというイメージを一新すべく、・・NEW MK-Hモデルを発表しました。ベースとなっているのは1965年に発表されたベンチャーズモデルMK-Hですが、・・職人が一本一本仕上げていく、というモズライトの基本姿勢はそのまま受け継がれています。」(乙第67号証)、「衝撃のモズライト 1965今再び蘇える」(乙第85号証)、「モズライトを携え初来日したベンチャーズのコンサートから40年。米国製及び国産モズライト・ギターの製造・販売を行うフィルモアでは、これを記念した『モズライト日本上陸 40th AnniversaryModel』を限定発売した。」(乙第86号証)、「モズライトを『憧れ』から『次世代』へ」(乙第87号証)、「1965年1月、モズライト・ギターはベンチャーズによって日本に初お目見えし、それが伝説の始まりとなった。モズライトでは“モズライト日本初上陸40周年”を記念して、2005年に向けて記念モデルを続々と発売する」(甲第50号証)等と記載されている。
また、モズライト・ギターのビンテージ品の紹介においては、「The Ventures’65 Re-issue」(乙第52号証)、「’65 Re Metaric Blue/中古、美品」(乙第57号証)、「’65 Re PW(Used)」(乙第59号証)、「’65 Re PW(復刻版)」(乙60)、「’65 Re C.Red(復刻版)」「’63 Re SB(中古)」(乙第61号証)、「USA REISSUE 1965 BASS」(乙第81号証)等の文字が記載されている。
キ 甲第60号証に添付された「Player」(平成8年10月5日?同10年4月5日の間に、株式会社プレイヤー・コーポレーションにより発行された4件。)、甲第65号証(「Player」平成10年7月5日、同年9月5日、同11年3月5日、同12年1月5日、同13年1月5日に発行された5件。)には、モズライト・ギターのビンテージ品を中心にした中古品が被請求人以外の業者により広告されている。
ク セミーモズレーの設立したユニファイド社を引き継ぎエレキギターの製造、販売を行っている(甲第58号証及び甲第60号証)ロレッタ・モズレーから株式会社高谷プランニングに宛てた1996年(平成8年)12月2日、1997年(平成9年)9月16日、2000年(平成12年)12月14日及び2002年(平成14年)5月2日付けの取引書類には、その「モデル」欄に、「Yuzo KC」(ユウゾウ KC)、「’63 Reissues」(63年復刻版)、「’65 Reissues」(65年復刻版)の記載がある(なお、それぞれの取引書類には、引用商標に酷似する黒塗りの円図形内いっぱいに、外周上に小さな多数の突起のある白抜き円図形を配し、該白抜き円図形内の中央に「M」の文字を表示した図形と、該図形の右に「mosrite」の文字を横書きし、さらに、該「mosrite」の文字の下に、「Established in 1952/Founder and President,SEMIE MOSELEY MADE in U.S.A.」の文字よりなる商標、あるいは上記「M」の文字のある図形と「mosrite」の文字とを組み合わせた商標や引用商標2が、ギターの図形と共に表示されている。)。
(2)前記(1)で認定した事実及び請求人の主張を総合すると、セミー・モズレーは、1952年(昭和27年)以降、米国カリフォルニア州において、エレキギターを製造、その後、モズライト社を設立したこと、セミー・モズレー及び同人の設立した会社の製造に係るエレキギター(モズライト・ギター)には、引用商標1が主として使用され、また、引用商標2も使用されていたこと、モズライト・ギターは、セミー・モズレーが当時人気ロックバンドであったベンチャーズのメンバーの一人と出会うことにより、ベンチャーズのギター演奏者に使用され、一躍有名なものとなったこと、ベンチャーズのギター演奏者に使用されたギターは、1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)に製造された「ベンチャーズ・モデル」と呼ばれるギターであること、1965年に、当時日本の音楽愛好者の間で高い人気を有していたベンチャーズが来日公演を行ったところ、その演奏に使用した「ベンチャーズ・モデル」の音質の良さが日本のミュージシャンや音楽愛好者などに強い衝撃を与えたこと、我が国においては、1968年(昭和43年)にファーストマン社がモズライト社の製造許諾を受け、モズライト・ギターの製造を開始したこと、1965年のベンチャーズの来日公演以来、我が国のミュージシャンや音楽愛好家の間に、「ベンチャーズ・モデル」は、モズライト・ギターのビンテージ品として高い人気を有しており、現在も毎年のように来日公演を行っているベンチャーズや、海外のミュージシャン、あるいは加山雄三、寺内タケシなどといった我が国のミュージシャン達に今もって愛用され続けている又はこれらミュージシャンの話題を通して、モズライト・ギターのビンテージ品も同時に話題に上ること、それに伴い我が国のギター愛好家の間にもモズライト・ギターのビンテージ品は憧れの的となっており、その人気の高さは、現在においても音楽関連分野の中古市場を賑わしていること、1992年(平成4年)にセミー・モズレーが死亡した後は、同人の妻であるロレッタ・モズレーがセミー・モズレーの設立したユニファイド社を引き継ぎ、エレキギターの製造、販売を行っており、本件商標の登録出願前の、少なくとも1996年(平成8年)12月ころから、本件商標の査定前である2002年(平成14年)ころまで、我が国にモズライト・ギターのビンテージ品(復刻版)等を輸出していたこと、などを認めることができる。
そうすると、引用商標は、本件商標の登録出願時はもとより、その査定時から現在においても継続して、モズライト・ギターを表示するためのものとして、我が国の音楽関連の専門家、愛好者の間に広く認識されているものと認めることができる。
2 本件商標と引用商標の類似性及びこれらの商標が使用される商品について
(1)本件商標と引用商標1は、同一の構成よりなるものであるから、両者は、外観、称呼及び観念上同一の商標と認められる。
次に本件商標と引用商標2についてみるに、本件商標は、その構成中に「mosrite」の文字の文字を有してなるものであるところ、該文字は、モズライト・ギターを表示するためのものとして、それ自体独立して我が国の音楽関連の専門家、愛好者の間に広く認識されているものであるから、引用商標2と外観上類似するものであるのみならず、これより生ずる「モズライト」の称呼及び「モズライト・ギター」の観念を同じくするものである。
したがって、本件商標は、引用商標とは同一又は類似の商標というべきである。
(2)本件商標の指定商品は、前記のとおり、「カリフォルニア州製のギター」であり、引用商標が使用されるエレキギターとは、同一又は類似の商品と認められる。
3 本件商標の商標法第4条第1項第10号該当性について
前記1及び2によれば、本件商標は、他人の業務に係る商品「ギター」を表示するものとして需要者の間に広く認識されている引用商標と同一又は類似する商標であって、その指定商品は、引用商標が使用される商品と同一又は類似の商品といわなければならない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第10号に該当する。
4 被請求人の主張について
(1)被請求人は、引用商標は、本件商標の登録出願時には、いずれも他人の商標としての周知性を喪失していたものであるから、本件商標は、商標法第4条第1項第10号に該当しない旨主張する。
しかしながら、前記1認定のとおり、モズライト・ギターは、1965年に、当時日本の音楽愛好者の間で高い人気を有していたベンチャーズが来日公演を行った際に使用され、その音質の良さに我が国のミュージシャンや音楽愛好者などに強い衝撃を与え、1963年から1965年に製造された「ベンチャーズ・モデル」と呼ばれるモズライト・ギターのビンテージ品は、今もって我が国のミュージシャンの間のみならず、ギター愛好家の間において高い人気を有しており、音楽関連分野の中古市場を賑わしている実情にある。また、被請求人自身もモズライト・ギターのビンテージ品を「The Ventures’65 Re-issue」、「’65 Re Metaric Blue/中古、美品」、「’65 Re PW(復刻版)」等と紹介していることを併せ考慮すれば、モズライト・ギターに使用される引用商標は、それ自体が強い顧客吸引力を有するものとして、その周知性は、本件商標の登録出願時のみならず、その査定時から現在においても継続しているものというべきである。したがって、上記被請求人の主張は採用することができない。
なお、被請求人は、商標法第4条第1項第10号の適用は、同条第3項により出願時に該当する商標か否かが問題になるのであって、登録時や判決時は問題にならない旨主張するが、商標法第3条や同法第4条に該当するか否かの判断時期は、行政処分一般の本来的性格にかんがみ、一般の行政処分の場合と同じく、特別の規定のない限り、行政処分時、すなわち、査定時又は審決時を基準として判断されるべきである。しかし、同法第4条第3項は、同法第4条第1項の登録阻却要件について、例外規定を定めており、同条項によれば、商標法第4条第1項第10号に該当するか否かの判断時期は、査定時又は審決時のみならず、出願時にも該当するものでなければならないのである。そうすると、上記被請求人の「商標法第4条第1項第10号の適用は、同条第3項により出願時に該当する商標か否かが問題になるのであって、登録時や判決時は問題にならない」旨の主張は失当である。
(2)被請求人は、モズライト・ギターのビンテージ品やその後のオールドモデルの中には、骨董品又は中古品として流通するものもあるとしても、それはごく一部であり、広く我が国の楽器の小売市場に流通している商品ではない。現在、この小売市場に広く流通しているのは、本件商標を使用した被請求人商品であり、本件商標は、その出願時において、既に被請求人の商標として周知かつ著名な商標となっていた旨主張する。
しかし、モズライト・ギターのビンテージ品やその後のオールドモデルが商取引の対象として、市場に流通していることは前記認定のとおりである。また、被請求人においても、被請求人商品の紹介に当たっては、モズライト・ギターのビンテージ品等の音質などの優れた点を引き合いに出して、「衝撃のモズライト 1965今再び蘇える」、「モズライトを携え初来日したベンチャーズのコンサートから40年。米国製及び国産モズライト・ギターの製造・販売を行うフィルモアでは、これを記念した『モズライト日本上陸 40th AnniversaryModel』を限定発売した。」、「モズライトを『憧れ』から『次世代』へ」、「モズライト日本初上陸40周年記念モデル2005年に向けて続々登場!」などのように宣伝し、引用商標に蓄積された顧客吸引力を利用しているものと認められる。したがって、本件商標がその登録出願時において被請求人商品を表示するものとして周知著名になっていたとする被請求人の主張は採用することができない。
5 むすび
以上のとおり、本件商標の登録は、商標法第4条第1項第10号に違反してされたものであるから、同法第46条第1項の規定により無効とする。
なお、被請求人は、その代表者である遊佐の証人尋問を申請していたが、本件は上記のとおり判断するのが相当であり、証人尋問の必要性は認めない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲 別掲(1) 本件商標



別掲(2)引用商標1



別掲(3)引用商標2



審理終結日 2008-09-08 
結審通知日 2008-09-11 
審決日 2008-09-30 
出願番号 商願平10-35356 
審決分類 T 1 11・ 25- Z (Z15)
最終処分 成立  
前審関与審査官 蛭川 一治 
特許庁審判長 芦葉 松美
特許庁審判官 伊藤 三男
岩崎 良子
登録日 2003-10-10 
登録番号 商標登録第4715753号(T4715753) 
商標の称呼 モスリートオブカリフォルニア、モスライトオブカリフォルニア、モスリート、モスライト 
代理人 牛木 理一 
代理人 特許業務法人センダ国際特許事務所 

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