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審決分類 審判 全部無効 商4条1項19号 不正目的の出願 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) 018
管理番号 1094920 
審判番号 無効2001-35468 
総通号数 53 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2004-05-28 
種別 無効の審決 
審判請求日 2001-10-23 
確定日 2004-04-08 
事件の表示 上記当事者間の登録第4100203号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第4100203号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 1 本件商標
本件登録第4100203号商標(以下「本件商標」という。)は、別掲(1)に示すとおりの構成よりなり、平成6年3月3日に登録出願、第18類「原革,原皮,なめし皮,革ひも,かばん類,袋物,携帯用化粧道具入れ,傘」を指定商品として、平成10年1月9日に設定登録されたものである。

2 引用標章
本件審判の請求人(以下「請求人」という。)が本件商標について商標法第4条第1項第19号に該当することを主張して引用した標章(以下「引用標章」という。)は、別掲(2)に示すとおりの構成よりなるものである。

3 請求人の主張
請求人は、結論同旨の審決を求め、その理由を概略次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第16号証(枝番を含む。)を提出した。
(1)請求人及び引用標章について
請求人は、1980年(昭和55年)2月に米国ニューヨーク市に「ウルバリン マウンテン プロダクツ インコーポレーテッド」を設立し、「スクール・ダッフルバッグ、フライトバッグ及びメッセンジャーバッグ」の製造・販売を開始し、1983年(昭和58年)4月には「マンハッタン ポーテージ リミテッド」(以下「マンハッタン ポーテージ社」という。)と社名変更した。
そして、請求人は、1983年(昭和58年)に、その取り扱いに係る商品「メッセンジャーバッグ、柔らかい手提げかばん、バックパック、ショルダーバッグ及び全てのスポーツバッグ」(以下「請求人商品」という。)に使用するために、赤地の横長長方形図形内の上部に線描したニューヨークの摩天楼のビル群の図形を白抜きし、その下部に「ManhattanPortage」の文字を白抜きした商標(「引用標章」)を採択し、使用開始した(甲第2号証及び甲第5号証)。
このことは、別掲(3)に示す請求人所有の米国登録第2075388号商標(以下「請求人の米国登録商標」という。)の登録証に当該商標の使用開始日が1983年(昭和58年)4月25日と記載されていることから明らかである(甲第3号証)。
また、請求人は、アウトドア用品をアーバン(都会風)用品にすることを目標として、引用標章を使用した「かばん」をナイロン製にし、ジッパー付きの仕切りやビンディング(締め金具)を付けて機能的にし、色合いもラベンダー、黄水仙、緑がかった青等とすることでアーバンとマッチさせた結果、それが旅行者、学生及び多くの人々の間で人気を博し、米国内の1400店舗で販売され、売上を伸ばすことに成功し、「マンハッタン ポーテージ社」の「かばん」として著名となった(甲第6号証ないし甲第12号証)。
さらに、請求人は、本件商標の登録出願前から、請求人商品を米国内での販売のみならず諸外国へも輸出しており、我が国へも輸出していた(甲第10号証及び甲第11号証)。
(2)本件商標と引用標章の類似について
本件商標と引用標章は、いずれも上部にニューヨークの摩天楼のビル群の図形を線描し、下部に欧文字を配置した構成よりなるものである。
そして、両商標の図形部分は、いずれもニューヨークの摩天楼のビル群をシルエット風に線描してなるばかりでなく、当該ビル群全体が浮き上がっているように表示されている点において顕著であり、線の太さの多少の差や白抜きか否かの差があるとしても、類否に影響せず、互いに構成の軌を一にすると看取される。
また、両商標の欧文字部分は、「摩天楼が林立するニューヨークの繁華街」を意味する「Manhattan」を共通にし、「Passage」と「Portage」がともに「輸送、運搬、運賃」等の意味合いを有することから(甲第16号証)、いずれも「マンハッタン輸送」又は「マンハッタン運賃」といった観念を同じくするものである。
さらに、本件商標より生ずる称呼の「マンハッタンパッセージ」と引用標章より生ずる称呼の「マンハッタンポーテージ」とは、中間に位置する「パッセ」と「ポーテ」を異にするとしても、両称呼の全体がいずれも11音と冗長な音構成からなり、該差異音も前半の「マンハッタン」及び末尾の「ージ」に比べて印象が薄く、かつ、「パ」と「ポ」も同行に属する半濁音のために音質が近似し、両者の称呼全体をそれぞれ一連に称呼するときには彼比相紛らわしく酷似して聴取される。
したがって、本件商標と引用標章は、その外観、観念及び称呼において互いに紛らわしい類似の商標である。
(3)本件商標が不正の目的で登録されたことについて
引用標章は、請求人が本件商標の登録出願前の1983年(昭和58年)から請求人商品「バッグ」等に使用され、米国内において周知・著名となっていた(甲第6号証ないし甲第12号証)。
しかしながら、本件審判の被請求人である「網野越朗」(以下「網野」又は「被請求人」という。)が請求人商品の人気を知り、1988年(昭和63年)10月にその販売のためのライセンス契約の交渉で来社したが、請求人自身が日本で販売したかったことと、ライセンス契約の複雑さもあり、請求人は、被請求人と書面及び口頭で契約しなかった(甲第13号証)。
(注:本件商標及び「MANHATTAN」「PASSAGE」の文字を二段に横書きしてなる登録第4442188号商標(以下「別件商標3」という。)の現在の商標権者は、「株式会社レジャープロダクツ」(以下「レジャープロダクツ」という。)であるが、本件無効審判請求当時(平成13年10月23日)の商標権者であって、被請求人であったのは「網野」であり、「別件商標3」の前権利者も「網野」であった。本件商標及び「別件商標3」の商標権は、「網野」から「レジャープロダクツ」へいずれも平成14年4月4日付けで移転登録されたが、わずかに前の同年2月7日に本件審判請求事件の被請求人である「網野」が提出した答弁書(以下「答弁書」という。)の3頁(1)には、「網野」が「レジャープロダクツ」の代表取締役を退任後も会長職にあること、また、「網野」は、本件商標と酷似した図形を含む登録第2325691号商標(以下「別件商標1」という。)及び同登録第2527329号商標(以下「別件商標2」という。)の商標権者であり、現在においてもそれが継続していることから、本件について「被請求人」というときは、特段の言及がない限り、「網野」のことをいう。)
また、その数週間後に「レジャープロダクツ」から、請求人商品の注文を受けたが、多くの変更要求と注文数が少ないこともあって、商談は成立しなかった(甲第13号証)。
なお、請求人は、これらの事実を明らかにするため、請求人の社長である「ジョン ビー ピータース」(以下「ピータース」という。)を証人とする証人尋問の申請をする。
(4)したがって、本件商標は、引用標章と外観及び称呼において類似し、かつ、被請求人により不正の目的をもって登録されたので、商標法第4条第1項第19号に該当し、同法第46条の第1項の規定により、その登録を無効とすべきである。

4 被請求人の答弁
被請求人は、本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、との審決を求める、と答弁し、その理由を概略次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第36号証(枝番を含む。)を提出した。
(1)本件商標を出願するに至った経緯
(ア)本件商標の商標権者である「網野」は、平成13年4月末まで、東京都小平市小川東町五丁目13番17号所在の「レジャープロダクツ」(乙第1号証)の代表取締役であったが、現在は会長の地位にある。
「レジャープロダクツ」は、被請求人が昭和51年5月20日に設立した会社であり、「デイパック,ビジネス用バッグ、旅行用バッグ、かばん類」の製造販売を行っている(乙第2号証)。被請求人は、「レジャープロダクツ」設立前の約14年間、かばん類の製造販売一筋の業務を行っていたので、同業界に精通している者である。
(イ)被請求人は、1988年(昭和63年)9月末に、米国ニューヨークの「Convention Center」で開催された「National Merchandise Show」の視察及び買付を目的に訪米した。そして、偶然見かけたシンプルなデザインの「デイパック」と「ショルダーバッグ」が気に入り、その商品の下げ札に印刷された電話番号をもとに、請求人代表者のピータースの事務所を訪ね、ピータースに面会して商談をした。
ピータースの事務所は、工場も兼ねていて数台のミシンと1台の裁断テーブルがあり、ピータース自身は電動ナイフで裁断も行っているということだった。
このように、被請求人は、ピータースに会うまでは、「マンハッタン ポーテージ社」及び引用標章について全く知らなかった。
(ウ)ピータースと被請求人は、夕食を共にして商談をしたところ、ピータースは日本の市場に大変興味を持っており、本格的な取引先もないということで、被請求人の要求を基本的に受け入れた。その時、被請求人は、ピータースより日本の業者の名刺2、3枚を見せられたので、請求人商品は、日本にも少しは入っていると理解した。
ピータースに対して、被請求人は、日本で本格的にマーケティングをするには膨大な広告宣伝などの諸費用が見込まれるので、被請求人が請求人の日本進出の先兵として日本市場を開拓し、その見返りとして、日本における独占販売権を入手し、FOB価格を引き下げ、最短契約期間を複数年とすることを申し入れた。
その時、ピータースからは、表紙に「JOHN PETERS」の名前が表示された商品カタログ(乙第3号証)とバイヤー用の価格表(乙第4号証)をもらった。価格表にはピータース自ら「15%DISC/100 pcs use/YKK#5 ZIPPER/DFL SLIDE」と書き込み(乙第4号証)、被請求人は、それに「Manhattan Portage Red Label」及びピータースが要求した「M/M$2000」(最低出荷ロット2000ドル)を書き込んだ(乙第4号証)。
当初、両者は15%ディスカウントで合意したが、帰国後、被請求人が国際電話をして20%ディスカウントで合意した。被請求人は、確認のため「20%disc」とそれに記入した。
(エ)商談の際、被請求人は、ピータースに日本で引用標章を登録することを提案し、日本の商標登録のシステムでは先に登録しておかないと効力がないと説明したが、ピータースは、自分は先に使っているので登録する必要はないし、他の国で登録しても無駄であるといって関心を示さず、日本で登録したいのであれば、全て被請求人の費用でやって欲しいといった。そのために、被請求人は、帰国後、自らの名義で出願をして登録を受けることになった。
このようにして、被請求人が自らの名義で商標登録出願をすることについて、ピータースの許諾若しくはピータースと被請求人の間に合意があったのであって、被請求人がピータースに無断で、かつ、不正の目的をもって商標登録出願を行ったわけではない。
被請求人は、自ら商標登録出願をした経験があり、長年の業務との関わりで商標登録の重要性を充分認識していたので、ピータースに対して、その場で、日本の商標登録について話したのであるが、ピータースは、上記のとおり、被請求人が単独で出願することを認めた。
被請求人は、帰国後、ピータースの商品の輸入販売及び商標登録出願の準備に取りかかり、昭和63年11月8日に「別件商標1」(登録第2325691号商標)を商標登録出願した(乙第5号証)。その後、図形部分のみについても出願し、登録を得た(「別件商標2」)(登録第2527329号商標:乙第6号証)。
(オ)ニューヨークでピータースと取り交わした合意内容は、帰国後、国際電話(昭和63年10月24日)で確認をとり、その確認内容を1988年(昭和63年)10月27日付けの書簡で送付した(乙第7号証)。この時、初回注文書(乙第8号証)、商品に付けるラベル位置の指示書(乙第9号証)、代理店表示の依頼書(乙第10号証)及びL/C開設の依頼書写しを同封した(乙第11号証)。
初回注文書では、4点の商品(乙第4号証の価格表に〇印を付けた商品)を各100個注文し、ラベル位置の指示書に当該4点の商品に付ける「ManhattanPortage/ビル群の図形」のラベル(織りネーム)の位置を指示した。その際、「赤ラベル」を付けてほしいと注文した。被請求人がニューヨークで最初に見た請求人の「ManhattanPortage」の商品ラベルは、「緑地」に商標が表示されたものであったが(乙第3号証)、日本向けの商品には「赤ラベル」で行こうと思ったからである。ピータースとニューヨークで商談した際、直接「赤ラベル」を注文したので、被請求人は、価格表(乙第4号証)にそのことを記入し、初回注文書(乙第8号証)及びラベル位置の指示書(乙第9号証)にも間違いのないよう「Red Label」と記入し、依頼した。
(カ)乙第3号証及び乙第4号証並びに乙第7号証ないし乙第11号証は、ピータースと被請求人との間において、請求人商品を日本で販売するとの確約があってはじめて存在し得るものであり、両者間において合意があった証拠である。
そして、被請求人は、1988年(昭和63年)10月31日に三菱銀行にてL/C(銀行が取引先の依頼によってその信用を保証するために発行する証書:信用状)のCableを開設した(乙第12号証)。
被請求人の1988年10月27日付けの書簡及び注文書に対し、ピータースは、1988年11月3日付けで返信してきた(航空郵便のため受領したのは1週間位後である。乙第13号証)が、その内容は、請求人商品を1989年1月20日までには発送できないこと、したがって、L/Cの条件変更が必要であること、品番1439のデザイン変更(ボタン)により単価が0.60ドルアップすること、下げ札への代理店表示の名称及び住所は400個では不可能であること、ただし、将来大きな注文のときには印刷できること、それゆえ、今回は貴社で粘着ラベルにより対応してもらいたいというものであったこと、以上の点よりすれば、両者の間に請求人商品を日本で販売することの合意があった証拠といえる。
(キ)被請求人は、ピータースの上記返信に対し、1988年11月15日付けで折り返し問合せの書簡を送付した(乙第14号証)。その内容は、ピータースの一方的な納期遅延理由の釈明要求及び今後も納期遅延があり得るのであれば、製造ライセンス契約を行い、被請求人が請求人商品を製造するようにしてはどうかと提案した。
被請求人は、ニューヨークでピータースと合意し、帰国後、日本の顧客に請求人商品を販売することを同年11月初旬に仮約束し、直ちに商品の輸入のための準備を進めていたので、上記ピータースの書簡には非常に驚愕し、困惑した。ところが、ピータースからは被請求人の11月15日付け書簡に対する返事はなかった。
そこで、被請求人は、ピータースからの一方的な納期遅延が早期に解決できない不安があって、ピータースから商品が届かなければ顧客に約束した商品の販売ができないため、苦慮した結果、本件商標「Manhattan/Passage」を新たに考案し、当面、これで対応することにした。そこで急遽「レジャープロダクツ」において商品を独自にデザイン製作し、1989年(平成元年)春頃より販売を開始した。商品のコンセプトは、旅とビジネスをテーマにしており、従来の重厚感を一新し、軽量化した各種バッグを開発製造し、商標には赤地のラベルを使用した。また、当初の商品は、韓国へ製造を依頼したが(乙第15号証)、それらは、その後に作成した「レジャープロダクツ」のカタログ中の品番(#2650、#2550、#2750)によって確認することができる(乙第16号証)。
被請求人は、引用標章を使用した商品の輸入後、通信販売することにしていた。通販では納期が非常に大事であり、納期の遵守が信用第一に繋がるので、絶対遅らせるわけにはいかず、急遽対応を迫られた。
その後、「レジャープロダクツ」は、新規自社開発のこの「Manhattan/Passage」商標で売上を伸ばし、伊勢丹、小田急などの有名百貨店、東急ハンズ、ロフト等で販売し、代表的なブランドとなり(乙第17証ないし乙第19号証)、それは今日まで継続しており、平成13年春の「新ビジネスマン向けバッグ」ではランキング・ベストワンに選ばれた(乙第20号証)。
(ク)被請求人は、別掲(1)に示す本件商標「Manhattan/Passage」を自己名義で商標登録出願した。一度は、他社の「パサージュ」という商標に類似するとして拒絶されたが、再出願後登録された。
被請求人は、別掲(6)に示すとおり、「MANHATTAN/PASSAGE」の文字のみからなる商標(別件商標3)についても登録(登録第4442188号商標)を得ており(乙第22号証)、これを商品に直接付ける織りネームに使用している。
したがって、本件商標は、出願時及び登録時のいずれにおいても請求人の引用標章と関わりがなく、かつ、引用標章と全く別異の商標として登録されたので、請求人に対する不正な行為が生ずる余地はない。
(2)本件商標の登録後の経緯
(ア)被請求人は、平成3年7月31日に商標登録された別件商標1を、「レジャープロダクツ」がデザインして直接又は間接的に製造した商品「バックパック、トートバッグ」等に使用開始し(乙第23号証)、主として通信販売した。
本件商標は、平成元年(1989)春から使用開始したが、商品の売上が伸び、斬新なデザインと機能性を重視した「ビジネスバッグ、トラベラーズバッグ、デイパック」などが取引者・需要者から高い評価を得た結果、年々評価が高まり、それは今日まで継続しており、本件商標の出願時には取引者・需要者の間に広く認識される商標となった。
(イ)ピータースからは、同人の1988年11月3日付けの書簡以降、通信はなかったが、被請求人及び「レジャープロダクツ」(以下両者をまとめていうときは「被請求人ら」という。)の取引先である東急ハンズに対し、1993年4月8日付けで、訴訟をする用意があるなどとした内容の通知書が届いた(乙第24号証)。
しかしながら、ピータースに対して、「ManhattanPortage」(「MANHATTAN/PASSAGE」の誤記)が日本の特許庁で正式に商標登録されている旨の返書を出したところ、ピータースからは何の返事もなかった。
(ウ)請求人は、平成11年(1999年)2月8日付けで、別件商標1及び2について、不使用による商標登録の取消審判を請求した(平成11年審判第30180号及び平成11年審判第30181号)が、その請求は成り立たない旨の審決がされた。
(エ)請求人の関連会社である「Portage World Wide Inc.」から、東急ハンズに対し、1999年(平成11年)11月3日付けで、東急ハンズが「Manhattan/Passage」商標を使用しているバッグの販売について忠告がされ、それとともに、日本で請求人のバッグの類似品が出回っていることへの強い抗議内容の書面が届いた(乙第25号証)。東急ハンズでは、被請求人の商標及びレジャープロダクツの商品が法律上何の問題もないことから、「Manhattan/Passage」商標を使用した商品の販売を継続し、今日に至っている。
(オ)平成11年(1999年)12月22日付けで、米国大使館の「クレイグ・アレン(Craig Allen)」から、東急ハンズとロフト宛に、「『ManhattanPortage』のブランドが日本においてよく知られているとの証拠を日本の特許庁が認めて商標登録を与えた」などという事実に反する主張と、これによれば、被請求人らの行為は不正であると決めつけた内容の書簡が届いた(乙第26号証)。
被請求人は、2000年(平成12年)1月7日付けで、「クレイグ・アレン」に対し、事実に反する点を指摘して回答した(乙第27号証)。その後、米国大使館からは何も言って来ていない。
このように、請求人は、被請求人又は「レジャープロダクツ」に直接コンタクトしてくることは一切なく、被請求人の事業活動を妨害する目的で、以上のことを行ってきたものといわざるを得ない。
(カ)請求人は、2000年(平成12年)に「Manhattan Portage」という商標を無断で使用していた「株式会社ダイナテック」という第三者に対して被請求人が行った通知に対し、直接、回答を「レジャープロダクツ」に送付してきた(乙第28号証)。
(キ)平成13年(2001年)2月20日に、請求人の副社長「Ms.Su Hwei Lin」と「伊藤忠インターナショナル(ニューヨーク)」の「山路」氏が「Manhattan Portage」商標に関する話し合いのために「レジャープロダクツ」を訪れた際、請求人は、被請求人が商標権者であることを認めたうえで、商標権の売買に興味はなく、日本での商標の使用権を中心とする和解案を見出したいと主張した。当初は商標権の譲渡でなく、日本における使用権の許諾の話であった(乙第29号証)が、請求人の副社長が4月に再来日してからの話し合いでは、一方的に権利の譲渡の話しに変わり、当初の了解事項を無視し、高圧的な態度に変貌し、話し合いは決裂した(乙第30号証)。
(ク)以上、被請求人がピータースとニューヨークで初めて会い、商談してから後の請求人との関わりについて詳述した(乙第31号証)。
(3)請求の理由に対する反論
(ア)請求人は、引用標章の文字及び図形が1983年から赤地の横長長方形図形内に表示されていると主張しているが、被請求人が初めてピータースに会った1988年(昭和63年)9月の時点では、請求人商品には直接、緑地の横長長方形図形内に引用標章の文字及び図形を表示したものが使用されていた(乙第3号証)。
それに対して、被請求人は、日本で販売する商品に「赤ラベル」を使用することを強く要求した。被請求人は、乙第4号証の価格表にも念のために、「Manhattan Portage Red Label」と書き込んでおいた。
請求人が当初から「赤ラベル」のみで統一して使用していたのであれば、被請求人がわざわざ「赤ラベル」を注文することはなく、かつ、各書類に「Red Label」と書き込む必要もなかった。
請求人が緑地の横長長方形図形内に引用標章の文字及び図形を表示して使用していたことに言及していないのは、被請求人が商品に使用している赤地が非常に消費者に好まれていることに気が付き、請求人も当初から赤地の横長長方形図形内に商標を使用しているかのように装い、被請求人がラベルの色彩まで模倣しているかの如き印象を与えようとしているとしか考えられない。しかしながら、商品に直接付する商標部分に赤の色彩を最初に使用したのは被請求人である。したがって、上記請求人の主張は虚偽である。
(イ)請求人は、引用標章が周知・著名となっていると主張し、甲第6号証ないし甲第12号証の7を提出しているが、以下のとおり、これらは、周知・著名性の立証としては不十分な書証であり、本件商標の登録出願時である平成6年(1994年)3月3日当時、米国内及び日本において周知・著名であったとは到底考えられない。
(a)甲第6号証について:1999年(平成11年)2月23日付けの記事であり、記事中の「マンハッタン ポーテージは今シーズンの流行り物かもしれないが」との文言からして、1999年当時のことをいっていることは明らかであり、かつ、「ビレッジ ボイス」とはどのような雑誌であるのか、また、その発行部数、購買層なども全く不明である。
(b)甲第7号証について:1992年9月号の広告記事である。これもどのような雑誌か不明である。
(c)甲第8号証の48ないし93について:各種雑誌の広告掲載頁の抜粋であるが、1994年(平成6年)以降のものがほとんどであり、本件商標の出願日前の1991年(平成3年)及び1993年(平成5年)の掲載のものは、それぞれ1件のみである。また、甲第8号証の各種雑誌がどのような雑誌か、発行部数、発行地、購買層など何ら立証されておらず、不明である。
(d)甲第9号証について:1988年(昭和63年)版となっているが、これは単なるかばん業者のアルファベット順からなる名簿の一部と思われる。被請求人がピータースと面談した当時の記事は、これ1件のみである。
(e)甲第10号証について:同号証の1及び2はインボイスであって、前者は1987年(昭和62年)1月12日付けのもので、内容は、わずか3アイテム、計156個、US$3,114.00である。後者は1988年(昭和63)1月13日付けのもので、これもわずか4アイテム、計210個、US$2,240.00である。
日本への輸入は、この2件のインボイスのみであり、数量もごくわずかであり、日本でどのように販売されたかが不明である。これをもって、「日本における当社製品の人気」(甲第13号証)といえる筈がない。
(f)甲第11号証について:単なる航空貨物の到着通知である。
(g)甲第12号証について:同号証の1ないし6は、全く同じ文面からなる宣誓供述書であり、同号証の7は、やや文面が異なるものの、ほぼ同趣旨からなるものである。特に「1988年11月8日までほとんど全てのメッセンジャー、学生及び旅行者は、マンハッタン ポーテージのバッグを使用している。」との箇所については、それを裏付ける資料もなく何の根拠もない。これは別件商標1の出願日に合せて作成した、いわゆる「頼まれ証明」といわざるを得ない。
また、「現在、消費者の80%が米国市場で大変人気のあるマンハッタン ポーテージのバッグを愛用している。」との文面に至っては、虚偽といわざるを得ない。すなわち、「現在」とは、宣誓供述書が作成された2000年5月1日当時であろうが、これを裏付ける証拠はなく、請求人の事業規模からいって(乙第32号証)、米国の消費者の80%に対応できる筈がない。
米国の業界誌「Outdoor Retailer」(乙第33号証)は、米国におけるアウトドア用のグッズ及びバッグ類のシェア分析資料が掲載された雑誌であり、米国全土をカバーし、有名メーカーは、ほとんど掲載されており、現在の売れ筋商品、将来の売れ筋商品に関する資料として業界では広く知られているが、1993年(平成5年)6月号、同年12月号及び1994年(平成6年)2月号のデイパックなどの供給元リストをみても、請求人の名称は一切見当たらない。もしも、米国の消費者の80%が請求人の商品を購入していれば、このような業界誌のトップに名称が掲載されている筈である。
米国最大のデイパックメーカー「ジャンスポーツ」は、上記雑誌などで常に上位にランクされている有名メーカーであるが、それは今日でも同様であり、最新の情報も紹介されているところ、請求人の名称は、このような業界誌で紹介されているメーカーのリストにも掲載されていないから、消費者の80%が請求人商品を愛用しているという主張は明らかに虚偽である。
(ウ)請求人は、本件商標と引用標章が外観、観念及び称呼において相紛らわしい類似の商標である旨主張している。
しかしながら、本件商標と請求人の引用標章との外観を比較すると、本件商標の図形部分を「ニューヨークの摩天楼のビル群」と特定する理由は全くなく、単なる「ビル群を単線で表した」にすぎないものである。
これに対して、請求人は、引用標章を「摩天楼のビル群をシルエット風に線描してなる」と特定している。
そのうえ、両商標のビル群の図形は構成を全く異にしており、かつ、本件商標のビル群は、単線をもって表わし底部は二重線で繋がっているのに対して、引用標章のビル群は、太い線をもって白抜きに、かつ、底部が繋がっていないため浮かび上がっているように表されている。
よって、本件商標の図形部分と引用標章の図形部分には構成上の差異があり、外観において類似するものではない。
また、本件商標と引用標章の文字部分について比較すると、本件商標の「Manhattan/Passage」からは「マンハッタンパッセージ」の称呼が生じ、引用標章の「ManhattanPortage」からは「マンハッタンポーテージ」の称呼を生ずる。
両者は「マンハッタン」の称呼を共通にするものの、「パッセージ」と「ポーテージ」の称呼において明らかに相違するので全体として決して紛れるおそれのない非類似の商標である。
さらに、請求人は甲第16号証を提出して、「Passage」と「Portage」がともに「輸送、運輸、運賃」等の意味合いを有し、観念を同じくすると主張している。
しかしながら、それらは我が国の一般世人が日常的に観念することのできる意味合いではないため、上記観念をもって取引に資されることはなく、より明確な差異である称呼をもって取引されるから、称呼上の差異が観念上の共通性を凌駕している。
よって、請求人の主張には理由がない。
(エ)請求人は、本件商標が不正の目的で登録されたと主張し、甲第13号証ないし甲第15号証を提出しているので、以下、反論する。
(a)甲第13号証について:請求人は、被請求人がピータースに会ったきっかけについて、「日本における当社製品の人気に気づき」と供述しているが、全くの虚偽である。
請求人は、甲第10号証をその根拠としているようであるが、日本への僅かな数量の輸入で、どのような商品であるのかが不明であり、商標の使用態様及び販売の状況も不明であるので、このような状態をもって、「日本における当社製品の人気」といえる筈がない。
また、ピータースは、「網野氏とは書面あるいは口頭による契約は一切しませんでした。」と供述しているが、ピータースからもらった商品カタログ(乙第3号証)の存在、ピータースが合意内容を自ら書き込んでいる価格表(乙第4号証)、その他1988年11月3日付けピータース自身の書簡(乙第11号証)、被請求人の商品輸入の準備などについて、請求人は、どう説明するのか。
船積みが約束の1989年1月20日までに間に合わないことなど、被請求人との合意事項がピータースによって守られなかったのは事実であるが、被請求人が「品番1439のデザイン(ボタン)変更による単価のアップ」及び下げ札への総代理店表示を依頼したことに対して、請求人は、「将来大きな注文があったときは印刷できる」と回答していることなどから、当初、口頭による契約があって、被請求人が初回注文書を送付したからこそ、このような回答がされているのである。
被請求人との間の当初の契約を守らず、長年経過した後、被請求人の商品が消費者に好評を得てから、次々と争ってくるピータースの態度こそ不誠実なものとして責められるべきである。
また、ピータースは、「1997年500万ドルに達した日本における売上高は、「レジャープロダクツ」が当社の顧客に対し、法的な脅威を与え続けたため、1998年には5万ドルにまで落ち込みました。」と供述している。
ところが、甲第13号証の2の原文には、「SALES IN JAPAN REACHED 2 MILLION IN I997」とあり訳文との間に齟齬がある。
日本では、本件商標の出願日である平成6年(1994)3月3日時点までには、本件商標が「レジャープロダクツ」によりバッグ類に使用される商標として取引者・需要者の間に広く認識される商標となっていたことから、その後、請求人の商品が日本で販売されても、ほとんどの需要者に知られることのないわずかな数量と推測される。
そのうえ、請求人の「ビジネスレポート」(乙第32号証)によれば、売上高は250万ドル、従業員総数は27名とあることからも、ピータースの述べる数字は虚偽といわざるを得ない。
ピータースは、甲第13号証の2の末尾に、正義を期待していること、これは、もはやビジネスの問題ではなく道義の問題であると思われますと結んでいるが、このような状態は、ピータースが被請求人との当初の合意事項を守らず、その後、放置したことに端を発し、被請求人らの商品の販売が順調に伸び、日本で本件商標が周知されたことから、被請求人らの得意先に通告書を送付したり、米国大使館を動かしたり、不使用取消審判を請求したりと何一つ誠実に対応していないからにほかならず、道義上の問題は、ピータース自身にある。
平成13年2月から4月にかけての被請求人らと請求人の副社長との話し合いが当事者間の唯一直接の話し合いであったが、副社長の高圧的な態度には目に余るものがあり、信頼関係を持つことができなかったことからしても、請求人に非があることは明らかである。
(b)甲第14号証の赤地のラベルについては、請求人がいつから使用しているのか不知である。
(c)甲第15号証の1は、「レジャープロダクツ」が以前使用していたものであり、現在、商品の下げ札として使用しているのは、乙第34号証のものである。商標登録を得ている「MANHATTAN/PASSAGE」の文字のみ(別件商標3)も商品に直接付ける「織りネーム」として使用している。
なお、請求人は、甲第14号証の2及び甲第15号証の2として、やや模様が近似している模様の生地からなるバッグの写真を提出して、被請求人が請求人のバッグを模倣しているかのような印象を与えようとしていると考えられるが、具体的な主張は何もない。
被請求人は、甲第15号証の2の商品を1997年(平成9年)にスポット的に数回のロットで製造販売したのみであるが、この生地の模様は、決して特殊なものではなく、いわゆる「デザート・カモフラージュ柄」あるいは「デザート・迷彩柄」と呼ばれ、1991年の湾岸戦争の際、多国籍軍が砂漠用として採用したことから、それ以降、この柄がファッションに取り入れられ、バッグ、靴、衣服、帽子などに現在も幅広く使用されている(乙第35号証)。
よって、このように一般に普及し、好まれている柄をバッグに使用することが不正な行為に該当することはない。
(d)請求人は、自身のインターネット上のホームページに、「レジャープロダクツ」の「Manhattan/Passage」商標を掲載して、「COPIES,COUNTERFEITS AND IMITATIONS」(複製、偽造及び模倣)と中傷し、さらに「Take the Manhattan Portage LTD Challenge!」(マンハッタン ポーテージ社の挑戦を受けよ!)などと掲載している(乙第36号証)。
そして、文面中に、バッグ類がニューヨーク市のルーズベルト アヴェニューの店舗で販売されていること、また、ニューヨーク市の西36番ストリート及び8番アヴェニューにも店舗を有していると掲載し、路上で販売しているような不鮮明な写真も掲載しているが、全くの虚偽である。
被請求人らは、商品を米国に輸出していないし、ニューヨークに店舗を有していることもない。
また、「レジャープロダクツ」の商品は、「Made in Korea」(韓国製)でもない。これも請求人が勝手に掲載している。
このように請求人は、何人も見ることが可能なホームページに被請求人に関する根拠のない誹謗中傷を掲載し、平然としているのであり、請求人こそ不正な行為を行っているといわざるを得ない。
(オ)ピータースに対する「証人尋問申出書」について
(a)ピータースと被請求人がニューヨークで会ったのは事実である。ピータースは、被請求人と会ったことを認めたうえで、商取引について契約若しくは合意がなかったと証言すると考えられるが、被請求人がこれまで述べた事実及び乙各号証により、商談が成立し、日本に商品を輸入することの合意があったことは明らかである。
特に、乙第3号証(「乙第4号証」の誤記と認める。)の価格表には、ピータース自ら「15%DISC」と書き込み、被請求人は、「Manhattan Portage Red Label」と書き、また、ピータースから要求された最低出荷ロットとして「M/M$2000」を記入した。
そして、被請求人は、帰国後、商品の輸入のための準備をした事実も証明し得た。
よって、ピータースと被請求人が商取引のために会ったことを改めて証言することは不必要であり、当事者本人から客観的な事実が証言されることは考えられない。
(b)被請求人は、請求人が引用標章を、現在、米国で使用していることを否定するものではない。ただし、赤地の横長長方形図形内に引用標章の文字及び図形を表示したものを商品にいつから使用しているかについては不知であるし、1988年(昭和63年)当時、請求人が日本へ輸出した商品は、ごくわずかであって(甲第10号証)、請求人の商標は、ほとんど誰にも知られていなかったといっても過言ではない。
被請求人自身が長年かばんの業界に身を置いているのに、ニューヨークでピータースに会うまでは、請求人及び引用標章について全く知らなかった程である。
よって、請求人の引用標章について改めて証言することは不必要である。
(c)以上のとおり、請求人は、甲各号証で請求の理由を裏付けることが到底できないと考え、ピータース本人の証言を得ようとしていると思われるが、ピータースは、当事者本人であるから、第三者的な証人とはなり得ず、甲各号証以上の証言は得られる見込みもなく、かえって事実をねじ曲げて証言されるおそれが懸念される。
しかしながら、万が一、ピータースの証人尋問申請が認められるのであれば、被請求人本人の尋問も申請する。
(4)以上、述べたとおり、本件商標は、被請求人により正当な理由のもとに商標登録出願をしたものであり、商標登録出願及び商標登録査定若しくは商標登録のいずれの時においても不正の目的なしに登録されたものである。

5 当審の判断
(1)本件商標と引用標章及びそれらの使用に係る商品の類否について
(ア)本件商標と引用標章は、それぞれ別掲(1)、(2)に示すとおりであるところ、本件商標が高層ビル群の図形を細線で描き、該図形の下に「Manhattan」「passage」の各文字を二段に横書きした構成よりなるのに対し、引用標章は、黒塗り横長長方形図形内に高層ビル群の図形を、そして、該図形の下に「ManhattanPortage」の文字をいずれも白抜きした構成よりなるものである。
しかして、本件商標と引用標章は、その構成中の高層ビル群の図形部分において、これらを構成する線の太さ、白抜きか否か等に関し、若干の差異を有するとしても、それらの差異は、両者の外観上の類否判断に大きな影響を及ぼすものとはいえず、それぞれを時と所を異にして、離隔的に観察した場合には、外観上互いに紛れるおそれがあるものというのが相当である。
したがって、本件商標と引用標章とは、両者の文字部分が「Manhattan」の文字を顕著に表してなることとも相俟って、外観において類似するものといわざるを得ない。
(イ)本件商標は、前記1で述べたとおり、第18類「原革,原皮,なめし皮,革ひも,かばん類,袋物,携帯用化粧道具入れ,傘」をその指定商品とするものである。
これに対し、引用標章の使用に係る商品は、「スクール・ダッフルバッグ、フライトバッグ、メッセンジャーバッグ」等の「バッグ類」である。
してみると、本件商標及び引用標章は、いずれも「バッグ類」に使用するものということができる。
(2)引用標章の米国における周知・著名性について
(ア)請求人提出の甲第3号証ないし甲第6号証、甲第9号証ないし甲第11号証及び被請求人提出の乙第3号証によれば、以下の事実が認められる。
(a)請求人は、1983年(昭和58年)4月に「ウルバリン マウンテン プロダクツ インコーポレーテッド」(1980年(昭和55年)2月に米国ニューヨーク州に設立)から「マンハッタン ポーテージ リミテッド」と社名変更し、「スクール・ダッフルバッグ、フライトバッグ、メッセンジャーバッグ」等「バッグ」の製造、販売を業とする米国の法人である(請求書7頁)。
(b)請求人は、別掲(3)に示すとおりの構成よりなる商標(請求人の米国登録商標)を1983年(昭和58年)4月25日に請求人商品に使用開始し、国際分類第18類「ソフトラゲッジ、ショルダーバッグ、バックパック、すべての用途のスポーツバッグ、自転車ウエストポーチ」及び第22類「キャンバスメッセンジャーバッグ」を指定商品として米国特許商標庁へ登録出願し、登録第2075388号商標として1997年(平成9年)7月1日に登録を受けた(甲第3号証)。
(c)上記商標の要部である高層ビル群の図形及び該図形の下に横書きした「ManhattanPortage」の文字からなるロゴは、1983年(昭和58年)2月9日頃、米国コネチカット州スタンフォード所在の「Louise J.Adamcio」が請求人の依頼を受けて製作した(甲第4号証)。
(d)本件商標の登録出願日(1994年(平成6年)3月3日)前であって、1988年(昭和63年)10月より前に発行し頒布された請求人の商品カタログの表紙及び裏表紙には、地色を赤色とする横長長方形図形内の中央部に白抜きした高層ビル群の図形及び該図形の下に、同じく白抜きした「ManhattanPortage」の文字を要部とした標章が表示されている(被請求人提出の請求人の商品カタログ:乙第3号証)。
(e)また、同カタログ中に掲載された商品には、地色を緑色とする横長長方形図形内の中央部に、白抜きした高層ビル群の図形及び該図形の下に同じく白抜きした「ManhattanPortage」の文字を要部とした標章が付されているのが認められる。
(f)そして、上記地色を赤色又は緑色とする2種類の標章を表示したラベルは、米国ニューヨーク州ニューヨーク市に所在の「Artistic Identification Systems Co. Inc.」(1996年12月に「U.S.Label Artistic」に買収された。)が1983年4月に請求人の依頼を受けて製造した(甲第5号証)。
(g)請求人商品は、1987年(昭和62年)1月12日、1988年(昭和63年)1月13日及び1988(昭和63年)6月23日(いずれも米国の日付)に「東京都文京区湯島3-16-10」に所在の「CHENG & SONS CO.LTD.」を通じて日本に輸入された。
その際の各総数量は、順に156個、210個及び100個であった(甲第10号証の1ないし甲第11号証)。
(イ)上記(ア)の認定事実によれば、引用標章と社会通念上同一の範囲の商標と認められる請求人の米国登録商標は、請求人が1983年(昭和58年)4月25日から「バッグ類」に使用開始したものであること、また、本件商標の登録出願(1994年(平成6年)3月3日)前より引用標章若しくはこれと社会通念上同一と認められる地色を赤色又は緑色とする2種類の標章が請求人の商品カタログに掲載され、使用されていたことが認められること、さらに、請求人商品は、本件商標の登録出願前までには、既に我が国に所在する法人によって輸入されていたことが認められる。
しかして、上記引用標章等を付した請求人商品は、ファッション関連商品である「バッグ類」であって、そうしたファッション関連商品のデザインやロゴマークは、商品の売上に直接響く重要な要素を占めることから、その選定に当たっては、業界の実情や動向、需要者の嗜好傾向の把握、当該分野に関する詳細な情報の獲得などを肝要とすること、また、米国のシンボル的な役割を果たし、著名な繁華街を多数擁し、ファッションやビジネス、ショッピングの中心地あるいは著名な観光名所地としても世界的によく知られているニューヨークのマンハッタン周辺地区のビル群をデフォルメして表示し、斬新、かつ、洗練された都会的な雰囲気を感じさせる請求人の引用標章等の図柄に接する観光客、学生等をはじめとする需要者、取引者は、被請求人がそうであったように、そうした構図の特徴に惹かれ、請求人商品を少なからず買い求めたと想像するに難くないことなどよりすれば、「バッグ類」に使用される請求人の引用標章等は、本件商標の登録出願前には、少なくとも米国内のバッグ類を取り扱う業界及び当該商品の需要者の間で広く認識されていたものというのが相当である(甲第6号証ないし甲第12号証)。
(3)不正の目的について
(ア)請求の理由及び答弁の理由並びに乙第1号証ないし乙第16号証によれば、以下の事実が認められる。
(a)被請求人は、かばん類の製造販売を業とする東京都小平市所在の「レジャープロダクツ」の代表取締役であった1988年(昭和63年)9月末に訪米した際に、偶然、請求人商品を見かけ、同年10月に請求人会社を訪れ、請求人の代表者であるピータースと会い、請求人商品を日本に輸入し、販売することについての商談を持ち掛けた。
その際、ピータースは、請求人商品を日本市場で販売することについて乗り気であったこと、被請求人は、ピータースから請求人商品が掲載された商品カタログと請求人商品の価格表をもらったこと(乙第3号証及び乙第4号証)、被請求人は、ピータースから日本の業者の名刺を2、3枚見せられたので、請求人商品が日本にも入っていると知ったこと、被請求人は、ピータースに日本における独占販売権を授与するよう申し入れたこと(答弁書第4頁(3))、しかしながら、書面による契約はなかったこと、被請求人は、引用標章を日本に商標登録出願し、登録するよう提案したが、ピータースは関心を示さなかったことが認められる。
(b)被請求人は、帰国後に、1988年(昭和63年)10月24日の請求人との電話の内容を確認するための10月27日付けの書簡(乙第7号証)と請求人商品を注文する注文書(乙第8号証)を請求人に送付した。書簡の主な内容は、「貴殿は我々(レジャープロダクツ)が独占的に貴社製品の日本全国における販売を(宣伝をしながら)促進することを許可しました。我々は日本における貴社製品の独占販売会社です。・・・そして、ニューヨーク港本船渡しの値段については、貴殿の価格表より20%割り引くことに双方同意しました。私は上述した事が、今回の両者間の電話会談で同意した重要事項だと思います。折り返し便にて貴殿の方からもご確認ください。この契約の有効期間は・・・5年間を提案します。」とするものであり(乙第7号証)、また、注文書の主な内容は、「デイパック、ショルダーバッグ合計400個」の注文とともに、商品のデザインの変更、商品に使用するラベルの色の特定及び同ラベルに「レジャープロダクツ」の名称、住所等を入れることなどの条件を付したものである(乙第8号証)。
そして、レジャープロダクツは、上記取引のため、「信用状有効期限」を「1988年11月30日」とする信用状を開設した。
(c)上記(b)の注文に対し、ピータースは、1988年(昭和63年)11月3日付けの書簡で、注文品を1989年(平成1年)1月20日までには発送できないこと、商品のデザインの変更には割増金が必要であること、商品に付されるラベルの住所等を変更するには、注文数が少なく対応できないことなどを指摘した。
(d)被請求人は、1988年(昭和63年)11月8日に別件商標1を登録出願した。
(e)上記(c)のピータースの書簡に対して、被請求人は、顧客に請求人商品を売り継いだので、同年12月25日までに請求人商品を受け取らなければならないこと、被請求人が請求人商品の生産を日本で行うライセンス契約締結の提案などを内容とする1988年11月15日付けの書簡を請求人に送付した(乙第14号証)。
(f)上記(e)の被請求人の書簡に対し、請求人、ないしピータースからは何らの返事もなかった。
(g)「レジャープロダクツ」は、1989年(平成1年)4月15日前までに出荷することを条件として1989年(平成1年)3月27日に韓国ソウル市所在の会社に「MANHATTANシリーズのバッグおよびパック」の製造を依頼した(乙第15号証)。
そして、「レジャープロダクツ」は、赤地のラベルに「ビル群の図形」及び「ManhattanPassage」の文字を白抜きしたものを要部とする商標を「ショルダーバッグ、ダッフルバッグ、スクールデイバッグ、ビジネスバッグ」等に付して、1989年(平成1年)4月頃から販売開始した。
(イ)上記(ア)の認定事実によれば、「レジャープロダクツ」の代表取締役であった被請求人は、本件商標の登録出願前の1988年(昭和63年)10月時点において、引用標章の存在を知る立場にあったと認められる。
そして、正規の契約がないため、1988年(昭和63年)10月当時、請求人と被請求人との間に、請求人商品の取引に関し、どのような取り極めがあったのか定かではないが、仮に、被請求人が主張するように、請求人商品を被請求人が日本で販売することについて、請求人から独占販売権が授与されていたとすれば、請求人及び引用標章について何らの知識も有していなかった筈の被請求人が、突然、請求人の会社を訪れ、請求人からにわかに独占販売権の授与を得るということは、通常の商取引からすれば、極めて異例のことといわなければならない。また、書面による契約書が交わされていないことを併せ考えると、請求人と被請求人との間には、請求人商品の取引について何らかの話し合いがあったとは窺い知れても、請求人商品の日本における独占販売権が被請求人にあったと認めることは困難といわざるを得ない。
しかも、前記(ア)(b)で認定したように、1988年(昭和63年)10月27日付けの「レジャープロダクツ」の書簡中には、「この契約の有効期間は・・・5年間を提案します。」とあるところ、被請求人にとってこれまで全く面識のなかった請求人、そして、未知ともいえる引用標章の使用されている請求人商品を被請求人が日本において独占販売することについて、被請求人が長期契約ともいえる「5年の契約期間」を提案すること自体、奇異の念を抱かざるを得ず、むしろ、かばん業界に精通していると自認する被請求人の立場にあれば、請求人商品の評判について何らかの知識を得ていたものと無理なく推認し得るものである。
他方、請求人と被請求人との間に、何らかの形で商品取引についての合意があったと見られるとしても、請求人(ピータース)と被請求人らとの間における書簡には、引用標章に類似する別件商標1を被請求人が日本に商標登録出願し、その登録商標をこれまで面識のなかった筈の被請求人が権利取得してよいとの明示は一切なく、1988年(昭和63年)11月3日付けのピータースの書簡に対する1988年(昭和63年)11月15日付けの被請求人の返信においても、ライセンス契約の提案を一方的にしてはいるものの、1988年(昭和63年)11月8日に登録出願をした別件商標1については何ら触れられていない。
そして、被請求人らは、1988年(昭和63年)11月3日付けのピータースの書簡以降、請求人との交渉が進展せず、成立の見込みがないと察知するや請求人商品に類似する「かばん類」を1989年(平成1年)3月27日付けの注文書をもって、韓国の企業に依頼し、同国で製造させ、これらの商品に赤地のラベルに白抜きした「ビル群の図形」及び「Manhattan/Passage」の文字を要部とする商標を付して販売開始したことが認められる。
してみると、被請求人らは、本件商標の登録出願前に、請求人商品が我が国に輸入されていたこと及び請求人が請求人商品に使用して米国内のかばん類の取引者、需要者の間で広く認識されていた引用標章の存在を、被請求人らは、知る立場にありながら、引用標章が我が国に商標登録出願されていないことを奇貨として、請求人に無断で、しかも、被請求人の商品の販売取引を有利に運び、利潤を得る手段として、引用標章と類似する本件商標を我が国に登録出願したものと推認することができる。
そのほか、被請求人は、1990年(平成2年)9月3日に引用標章と類似する「別件商標2」を商標登録出願し、さらに、「MANHATTAN」「PASSAGE」の文字を二段に横書きしてなる「別件商標3」を2000(平成12年)1月25日に商標登録出願していることを併せ考えると、被請求人の行為には信義則に反する不正の目的があったといわざるを得ず、そして、これを覆すに足りる証拠は見出せない。
(ウ)ところで、被請求人は、請求人が引用標章を日本国内において登録出願することについて関心を示さなかったと主張しているが、請求人と被請求人との間に、いかなる取引の約束があったにせよ、そして、請求人の口頭約束の不履行にたとえ瑕疵があったとしても、さらに、被請求人が仮に請求人商品の日本における独占販売業者であったとしても、これらの事情と引用標章に類似する本件商標ほか数件の商標を被請求人が請求人に無断で我が国に商標登録出願し、自己の名義により登録を取得した行為には正当性が見出せず、たとえ、上記各種事情を考慮しても、被請求人は、他人である請求人が米国内でかばん類について使用している引用標章と類似する本件商標を日本において請求人に無断で登録出願してもよいということにはならないことは明らかである。
(4)被請求人の主張について
(ア)被請求人は、提出された証拠からは、本件商標の登録出願前における引用標章の周知、著名性は認められない旨主張している。
しかしながら、「需要者の間に広く認識されている商標」とは、米国内の国民のすべてに広く認識されていることまでを必要とするものではなく、当該商品の取引者の間に広く認識されていれば足りると解される。
また、旅行用バッグ、通勤・通学用バッグ等にあっては、デザインもさることながら、商品の使い易さ、軽量性、堅牢性、耐久・耐水性等の品質の良さ、ファッション性などが商品選択のポイントとなり、そのような特質を有する商品は、製造工場等の規模の大きさ、大量生産される商品か否かといったことに左右されず、たとえ、販売数量が少なくとも、希少価値、高級感、洗練性の度合いなどによって、取引者、需要者の間で人気を博し、認識度が高まる場合のあることは、取引の実際に照らして明らかである。
ところで、甲第6号証、甲第7号証及び甲第9号証によれば、請求人は、請求人商品に関し、「1981年までにはブルーミングデールのショーウインドにプラスチック製の留具を付けた私のバッグがみられるようになった。その頃から他の皆もプラスチック製の留具を使うようになったけれど、私が最初である。」、「1982年ニューヨーク市にある会社が非常に耐摩耗で軽量かつ耐久性のあるナイロンであるコーデュラを使用した最初のメッセンジャーバッグの製作を開始した。・・・マンハッタン ポーテージはまた、より現代的で手にやさしいネクサス留具を利用して金属製の留具に先行している。職人の技能は優れており、全てが卓越している。・・・」、「製品のでき映え、品質及び細部の機能に注意深い配慮がなされている。全ての製品がコーデュラ素材の流行色で、生涯保証により裏付けされている。」などと記載していることが認められ、請求人商品は、上記の特性を有する商品として、少なくとも米国内のバッグ類を取り扱う取引者の間において、広く認識されていたものとみるのが相当であり、また、前記認定のとおり、請求人は、遅くとも1985年(昭和60年)には、請求人商品についての宣伝、広告を雑誌を通じて行っていたことが認められる。
(イ)被請求人は、本件商標を登録出願をすることについて、本件商標は、出願時及び商標登録時のいずれにおいても請求人の引用標章と関わりがなく、かつ、引用標章とは全く別異の商標として登録されたから、請求人に対する不正な行為が生ずる余地はない旨主張している。
しかしながら、本件商標と引用標章とは、前記したとおり、時と所を異にして離隔的に観察した場合において、外観上互いに紛れるおそれがあるものというべきであり、外観において類似するものといわざるを得ないから、全く別異な商標とはいい得ない。
そして、前記したとおり、本件商標の登録出願時には、少なくとも米国内のかばん類の取引者、需要者の間で広く認識されていたと認められる請求人の引用標章と本件商標とは、外観において類似する商標であり、被請求人による本件商標の商標登録出願は、請求人の承諾を得ずにしたものと認められる。
(ウ)したがって、上記被請求人の主張は、いずれも理由がなく採用することができない。
(5)以上のとおりであるから、本件商標は、その登録出願前より、米国内のバッグ類の分野において、取引者、需要者の間に広く認識されていた引用標章と類似するものであって、不正の目的をもって使用する商標といわざるを得ない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第19号に違反して登録されたものであるから、同法第46条第1項の規定により、その登録を無効とすべきである。
なお、請求人は、ピータースの証人尋問を申請しているが、本件は上記のとおり判断するのが相当であり、証人尋問をする必要性はないものである。
よって、結論のとおり審決する。
別掲 別掲
(1)本件商標

(2)引用標章

(3)米国登録第2075388号商標(請求人の米国登録商標)

(4)「網野」所有の登録第2325691号商標(別件商標1)


(5)「網野」所有の登録第2527329号商標(別件商標2)


(6)「レジャープロダクツ」所有の登録第4442188号商標(別件商標3)

審理終結日 2002-09-27 
結審通知日 2002-10-02 
審決日 2002-10-16 
出願番号 商願平6-20176 
審決分類 T 1 11・ 222- Z (018)
最終処分 成立  
前審関与審査官 村上 照美 
特許庁審判長 上村 勉
特許庁審判官 小池 隆
鈴木 新五
登録日 1998-01-09 
登録番号 商標登録第4100203号(T4100203) 
商標の称呼 マンハッタンパッセージ、パッセージュ、パッシージ 
代理人 館石 光雄 
代理人 佐々木 功 
代理人 川村 恭子 
代理人 村越 祐輔 
代理人 萼 経夫 

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