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審判番号(事件番号) データベース 権利
異議2014900005 審決 商標
異議2014900022 審決 商標

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審決分類 審判 全部申立て  登録を取消(申立全部取消) X41
管理番号 1291779 
異議申立番号 異議2012-900213 
総通号数 178 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標決定公報 
発行日 2014-10-31 
種別 異議の決定 
異議申立日 2012-08-01 
確定日 2014-08-25 
異議申立件数
事件の表示 登録第5491994号商標の商標登録に対する登録異議の申立てについて、次のとおり決定する。 
結論 登録第5491994号商標の商標登録を取り消す。
理由 1 本件商標
本件登録第5491994号商標(以下「本件商標」という。)は、「秋田藤蔭清香會」の漢字を標準文字で表してなり、平成23年11月16日に登録出願、同24年3月23日に登録査定、第41類「日本舞踊の教授,技芸・スポーツ又は知識の教授,セミナーの企画・運営又は開催,映画・演芸・演劇又は音楽の演奏の興行の企画又は運営,演芸の上演,演劇の演出又は上演,音楽の演奏,教育・文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く。),放送番組の制作における演出,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」を指定役務として、同年5月11日に設定登録されたものである。

2 異議申立の理由
登録異議申立人(以下「申立人」という。)は、申立ての理由を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第36号証(枝番号を含む。)を提出した。
(1)申立ての理由
ア 商標法第4条第1項第15号
本件商標は、申立人の業務に係る著名な日本舞踊の流派「藤蔭流」の著名な略称「藤蔭」を含む「秋田藤蔭清香會」の文字よりなり、これが「日本舞踊の教授」に使用された場合、世人はあたかも申立人の業務に係る著名な「藤蔭流」日本舞踊の教授に係る役務であるかの如く出所について混同を生ずるおそれがあるから、商標法第4条第1項第15号に該当する。
イ 商標法第4条第1項第7号
本件商標の出願人浅利和子は、申立人の著名な日本舞踊「藤蔭流」の組織である「宗家藤蔭流藤蔭会」の会員であった者であり、平成21年5月5日に同会を退会し流名を返上した者であって、「秋田藤蔭流」を名乗れない者であるにも係わらず、同人が使用できない「秋田藤蔭流」の文字を含む商標を退会届の提出前から出願し続けており、これら一連の登録が拒否されているにも関わらず、今回申立人の著名な日本舞踊の流派の「藤蔭流」の著名な略称たる「藤蔭」の文字を含み、かつ、「流」を除いた「秋田藤蔭」を冠した「秋田藤蔭清香會」商標を出願し登録する行為は、「藤蔭流」日本舞踊と無関係の者が僣称的にその信用の化体した「藤蔭」の名称を含む商標を独占使用せんとする意図は明らかであり、当会に対する信義誠実の義務に反するのみならず、かかる名称が日本舞踊の教授に使用されると、世人をして著名な「藤蔭流」日本舞踊の一であるかのごとく錯誤混乱を生ぜしめ、公序良俗に違反するものであるから、商標法第4条第1項第7号に該当する。
ウ 混同的類似商標による商標法第4条第1項第11号
本件商標は、前記のとおり、著名な日本舞踊の流派の「藤蔭流」の観念を同じくする「藤蔭」の略称部分を要部とする商標であり、これをその指定役務中「日本舞踊の教授」について使用する場合は、「藤蔭流」日本舞踊の理解を一にする混同的類似商標であるところ、この商標は申立人の所有する商標登録第4337954号「藤蔭流」第41類(甲第3号証)と類似し、指定役務も抵触するから、商標法第4条第1項第11号に該当する。
(2)むすび
以上のとおり、本件商標の登録は、商標法第4条第1項第15号、同項第7号及び同項第11号に違反してされたものであるから、取り消されるべきである。

3 本件商標の取消理由
当審において、平成25年6月17日付けで商標権者に通知した取消理由は、要旨以下のとおりである。
(1)「藤蔭流」「藤蔭」の周知著名性について
申立人の提出に係る甲各号証によれば、以下の事実が認められる。
ア 藤蔭流藤蔭会会則の「藤蔭静樹略史並びに藤蔭流新発足について」の記述及び藤蔭静樹略歴によれば、藤蔭流の初代家元である藤蔭静樹は、明治13年に新潟に生まれ、明治41年二世藤間勘衛門の門下となり同43年に藤間静枝の名取名を許され、大正6年に藤間勘次(現松柏)藤代等と「藤蔭会」を起こし、昭和37年に至るまで63回の舞踊公演を行った。そして、昭和6年に藤間流の流名を返上し、藤蔭静枝として藤蔭流を創立し、家元となった。その後、昭和32年に静枝の芸名を弟子に譲り、静樹となり、翌年、藤蔭流宗家を樹立した。また、昭和41年に85歳で没するまでに、日本舞踊協会の顧問となり、昭和39年に文化功労者として顕彰された(甲5)。
そして、藤蔭流藤蔭会々則の第一章 総則 第1条(名称)には、「この会は藤蔭流藤蔭会(トウインリュウトウインカイ)と称する。但し、藤蔭流(フジカゲリュウ)と称しても差し支えない。」こと、第二章 目的及び事業 第6条(目的)「この会は・・・藤蔭流舞踊創始者宗家故藤蔭静樹師の意志を継ぎ、藤蔭流舞踊の伝承と発展を図り、日本舞踊並びに舞踊家の向上に寄与することを目的とする。」こと、第7条(事業)には、「この会は前条の目的を達するために次の事業を行う。(一)日本舞踊藤蔭流流名(名取・師範)の許可、授受を行う。」こと、また、第三章 会員 第十条(資格喪失)には、「会員は次の事由によってその資格を喪失する。(一)退会(二)流名返上、除籍・・・」ことなどが記載されており(甲5)、宗家藤蔭流藤蔭会作成による平成21年11月19日付け脱会並びに流名返上確認書によれば、浅利和子(商標権者)が同年5月5日に同会を退会し、流名を返上し、かつ、「秋田藤蔭流」を名乗ることができないことが記載されている(甲7)。
イ 株式会社小学館の発行に係る昭和50年(1975年)9月1日付け「日本国語大辞典 第17巻」には、その360ページに「藤蔭」及び「藤蔭静枝」の項があり、「藤蔭」については「日本舞踊の一流派の屋号の一つ。」とあり、「藤蔭静枝」については「日本舞踊家。初世。新潟県出身。大正6年(一九一七)藤蔭会を結成し,・・・」と記載がある(甲8)。
株式会社平凡社の発行に係る1981年4月20日付け「世界大百科事典 第23巻」には、その427及び428ページの「日本舞踊」の項の中で「新舞踊を主とする藤蔭(ふじかげ)流」(甲9)、同じく「第26巻」の377ページ「ふじかげせいじゅ 藤蔭静樹」の項で「31年に藤間の姓を返上して藤蔭静枝と改名,藤蔭流家元を樹立し,」(甲10)、同じく「第16巻」の248ページの「しんぶよう 新舞踊」の項で「・・・1917年(大正6)藤間静枝(初世藤蔭静枝)の藤蔭会創立である。」(甲11)と紹介されている。
社団法人日本舞踊協会の発行に係る平成22年(2010年)1月15日付け「(社)日本舞踊協会 会員名簿・要覧 2010年版」において、その35及び36ページには「藤蔭」の項があり、会員名が掲載されている(甲12)。
藤蔭会・藤蔭流宗家の発行に係る昭和40年(1965年)9月4日付け会報の題号には、その略称と認められる「藤蔭」の文字を使用している(甲13)。
日本照明家協会事務局編「日本照明家協会研修シリーズN0.8 日本の舞踊界を築いた人たち -現代舞踊の先駆者から近代バレエの継承まで-」では、その36ないし45ページに「新舞踊の流れ 藤蔭静樹」のタイトルで、藤蔭会の活動が紹介されている(甲14)。
また、昭和44年から平成23年にわたり、国立劇場などで公演を重ねてきている(甲15ないし29)。
以上の事実を総合すれば、初世藤蔭静樹が創始した藤蔭流藤蔭会は、日本舞踊の流派の一つ「藤蔭流」として、さらに、「藤蔭会」、「宗家藤蔭流藤蔭会」又は「宗家藤蔭会」の名称を使用して活動した結果、「藤蔭」の語は、本件商標の登録出願時において、日本舞踊の一流派「藤蔭流」を指称する語として、少なくとも日本舞踊界において広く知られていたものとみるのが相当である。
(2)商標法第4条第1項第15号該当性について
本件商標は、「秋田藤蔭清香會」の文字を表してなるところ、その構成中、語頭の「秋田」の文字は、「秋田県、秋田市」を表したものと看取され、役務の提供場所を表したもの、若しくは、例えば、日本舞踊においては、流派の所属地区を表したものと認識され、役務の出所識別標識としての機能は果たし得ないものである。そうとすると、これに続く「藤蔭」の文字は、前述したとおり、日本舞踊「藤蔭流」の著名な略称と認められるものであるから、本件商標をその指定役務について使用するときは、申立人又は同人と経済的・組織的に何らかの関係にある者の業務に係る役務であるかのごとく、役務の出所について混同を生ずるおそれがあるものと認められる。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第15号に該当する。

4 商標権者の意見
商標権者は、前記3の取消理由に対し、本件商標は商標法第4条第1項第15号に該当するものではない旨主張し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第11号証を提出した。
(1)取消理由は、「初世藤蔭静樹が創始した藤蔭流藤蔭会は、日本舞踊の流派のーつ『藤蔭流』として、さらに、『藤蔭会』、『宗家藤蔭流藤蔭会』又は『宗家藤蔭会』の名称を使用して活動した結果、『藤蔭』の語は、本件商標の登録出願時において、日本舞踊の一流派『藤蔭流』を指称する語として、少なくとも日本舞踊界において広く知られていたものとみるのが相当である。」と認定した。
しかしながら、「藤蔭」だけでは、芸名として用いられるだけで、申立人である株式会社藤蔭会又は同人と経済的・組織的に何らかの関係のある者を示す言葉とまで認識することができないもので、例えば、社団法人日本舞踊協会に所属する流派だけでも、「藤蔭」の文字を有する流派は、代表者が藤蔭静枝の「藤蔭流」と、代表者が藤蔭静樹の「宗家藤蔭流藤蔭会」の2派がある(乙1?3)。
なお、「藤蔭」だけでは申立人のみを特定するものでないのは、他の流派でも同じであって、例えば、「藤間流」や「藤間新流」などの流派があるなか、「藤間」だけでは、どの流派なのか分からず、単なる芸名としてしか認識できないといったところがある。
また、岩井瑠璃子の所有する登録商標「藤蔭静枝」(登録第4348413号)(乙4)と、株式会社藤蔭会の所有する登録商標「藤蔭流」(登録第4337954号)(乙5)が併存している。
また、平成22年12月1日までは、藤井須美の所有する登録商標「藤蔭本流家元/藤蔭須美」(登録第4436681号)(乙6)も存在していた。
以上のように、「藤蔭」の文字だけでは、申立人又は同人と経済的・組織的に何らかの関係のある者を示す言葉とまで認識することができないことは明らかである。
(2)また、「『藤蔭流』として、さらに、『藤蔭会』、『宗家藤蔭流藤蔭会』又は『宗家藤蔭会』の名称を使用して活動した結果、」と認定されている。
しかしながら、申立人の提出した甲第14号証ないし甲第29号証の証拠によれば、該証拠の表紙は、「藤蔭静樹」、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」、「藤蔭静枝」、「宗家藤蔭会」のいずれかであって、「藤蔭流」を単独に使用したものはなく、あるとしても、一部の資料中の一部に、前記「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」を省略して「藤蔭流」と使用しているだけで、申立人が「藤蔭流」として、積極的に使用して活動したとの証拠はなく、あくまでも、申立人は、「藤蔭静樹」、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」、「藤蔭静枝」、「宗家藤蔭会」の名称を使用しているだけである。
さらに、上述したように「藤蔭」は芸名として用いられるから、「藤蔭流」の略称とまでいえるものではなく、そして、申立人が、「藤蔭静樹」、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」、「藤蔭静枝」、「宗家藤蔭会」の名称を使用して活動したからといって、「藤蔭」の語までが、申立人の業務に係る役務を示す文字であるとして、日本舞踊界において広く知られていたということはできず、しかも、申立人の提出に係る証拠からでは、「藤蔭」についての記載のある証拠は、甲第8号証、甲第12号証、甲第13号証のみで、これら証拠も、後述するように、日本舞踊界において広く知られていることを証明する証拠とはいえない。
したがって、少なくとも「藤蔭」の語が、申立人の業務に係る役務を示すものとして、日本舞踊界において広く知られているとはいえない。
(3)甲第8号証、甲第12号証、甲第13号証について
「日本国語大辞典」の第17巻の記載は、単に「藤蔭」の説明にすぎず、少なくとも17巻以上より構成される膨大な語数の解説を有する「日本国語大辞典」(甲8)に記載されているからといって、「藤蔭」の語が広く知られていたものとみることはできない。なお、周知・著名である日本舞踊の流派としては、例えば、我が国の代表的な国語辞書である「広辞苑」に掲載されている場合などをいうものであって、大辞典に掲載されているくらいでは、周知・著名などとは決していえないと思料する。ちなみに、「花柳流」は「広辞苑」に掲載されている。
甲第12号証は、日本舞踊協会の全会員名簿であって、芸名を基準に名簿を作成したもので、流派が基準でないものである。
即ち、甲第12号証の「凡例」には、「☆芸名の姓を50音順に分類し、各会員は姓を省略して50音順に配列しました。☆芸名の姓は左上に白ヌキ文字で掲載してあります。」と記載されている。なお、日本舞踊協会のホームページ(http://www.nihonbuyou.orgp/)に掲載されている2013年度版の日本舞踊協会の会員名簿を確認したところ、「市山流」、「正派市山流」等の別流派であっても、該会員名簿には「市山」の項目に纏めて記載されており、他の流派においても同様である(乙7)。
以上のように、上記会員名簿に「藤蔭」の語があるからといって、「藤蔭」の語が広く知られていたものとみることはできない。
甲第13号証は、会員用の会報であって、日本舞踊界に配られるものではなく、しかも、創刊第1号(発行日昭和40年9月4日)のみで、発行部数も不明である。
(4)甲第5号証ないし甲第7号証、甲第9号証ないし甲第11号証について
甲第5号証の「藤蔭流藤蔭会会則」の第1条には、「この会は藤蔭流藤蔭会(トウインリュウトウインカイ)と称する。但し、藤蔭流(フジカゲリュウ)と称しても差し支えない。」とあるが、「藤蔭」と称することについての記載はない。
甲第6号証は、藤蔭流藤蔭会会則第7条に規定の流名許可細則について記載され、本件商標とは無関係の証拠で、また、甲第7号証には、本件商標権者が「秋田藤蔭流」を名乗ることができないとあるのみで、「秋田藤蔭流」或いは「藤蔭流」からなるものでない本件商標とは無関係の証拠である。
甲第9号証には、「藤蔭流」が記載されているが、上述したように、少なくとも26巻以上より構成される膨大な語数の解説を有する大辞典に記載されているからといって、これだけで「藤蔭流」が周知・著名であるということはできず、しかも、「藤蔭」の語の説明ではない。
甲第10号証、甲第11号証には、「藤蔭静樹」、「藤蔭流宗家」、「藤蔭流家元」、「藤蔭会」「藤蔭静枝」との記載があるが、上述したように、膨大な語数の解説を有する大辞典に記載されているからといって、これだけで「藤蔭流」が周知・著名であるということはできず、しかも「藤蔭」の語の説明ではない。
(5)甲第14号証ないし甲第29号証について
甲第14号証ないし甲第29号証は、藤蔭静樹の紹介、或いは、「藤蔭流藤蔭会」の舞踏公演パンフレットであり、各証拠の表紙は、「藤蔭静樹」、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」、「藤蔭静枝」、「宗家藤蔭会」のいずれかであって、「藤蔭流」を単独に使用したものはなく、あるとしても、一部の資料中の一部に、前記「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」を省略して「藤蔭流」と使用しているだけで、申立人が「藤蔭流」として、積極的に使用して活動したとの証拠はなく、あくまでも、申立人は、「藤蔭静樹」、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭流/宗家藤蔭会」、「藤蔭静枝」、「宗家藤蔭会」の名称を使用しているだけである。
また、甲第14号証は藤蔭静樹の紹介、甲第15甲証ないし甲第21号証は、数年の間隔をおいて行われる、藤蔭静樹の追善舞踊公演のパンフレットであり、甲第22号証ないし甲第24号証、甲第26号証、甲第27号証、甲第29号証は、数年の間隔をおいて行われる、藤蔭流藤蔭会の創立の記念公演のパンフレットであり、甲第25号証、甲第28号証は、藤蔭静枝の露記念公演であり、これらの各証拠は、「藤蔭流」又は「藤蔭」の周知・著名性を証明する証拠とはいえない。
(6)甲第30号証ないし甲第36号証について
いずれも「藤蔭流」を含む商標であり、「藤蔭流」からなるものでない本件商標とは無関係の証拠である。
(7)本件商標の由来について
藤蔭流は初代藤蔭静枝が大正23年(1923年)に創始し、その後、昭和32年(1957年)に初代藤蔭静枝は藤蔭静樹と改め、門弟の藤蔭美代枝に二代目藤蔭静枝を継がせた。しかしながら、藤蔭静樹と二代目藤蔭静枝との間に確執が生じ、藤蔭流は藤蔭静樹の宗家派と、二代目派とで、大きく二つの流派に分裂した(乙1?3)。
この時、藤蔭静樹の宗家は、藤蔭絃枝(藤流派分家、東京)、藤蔭満州野(清流派分家、東京)、藤蔭清枝(正派分家、秋田)、藤蔭三樹枝(静聴派分家、福島)、藤蔭春枝(紫光派分家、金沢)、藤蔭玉枝(緑風派分家、福島)、藤蔭松枝(松韻派分家、柏崎)、藤蔭桂樹(桂園派分家、島根)、藤蔭文枝(玲明派分家、金沢)、藤蔭寿枝(寿光派分家、福島)、藤蔭美紀枝(藤映派分家、金沢)の11名の名取が藤蔭流分家家元となった(乙8)。
そして、この11人の藤蔭流分家家元のうち、藤蔭清枝(昭和47年より季代恵)及び二代目藤蔭季代恵は、50年の長きに亘り秋田を拠点として活動をしてきたが(乙9)、二代目藤蔭季代恵の逝去により、親子2代で築き上げられた秋田の藤蔭流正派が消滅した。
そこで、初代藤蔭季代恵及び二代目藤蔭季代恵の弟子である、本件商標権者の浅利和子は、二代目藤蔭季代恵の死後、初代藤蔭季代恵及び二代目藤蔭季代恵の舞踊の踊りを秋田で継承すべきと、地名「秋田」と、親子2代の藤蔭季代恵の芸名「藤蔭」と、初代清枝の「清」と、浅利和子の芸名「浅利香津代」の「香」の文字をとって、「秋田藤蔭清香會」の会を起こした。
なお、初代藤蔭季代恵は、昭和27年に秋田市文化章を授賞し、秋田市において表彰されている(乙10)。
(8)結び
以上のとおり、「藤蔭」の文字は、上述したように周知・著名性はないから、同じ書体の文字を同じ大きさで等間隔に表した本件商標は、その構成全体をもってなる商標とみるのが妥当であり、本件商標から「藤蔭」の文字のみを分離抽出することは不自然である。
そして、本件商標は、「藤蔭流」、「藤蔭会」、「宗家藤蔭流藤蔭会」又は「宗家藤蔭会」とは、明瞭に区別でき、仮に、役務の提供の場所を表す「秋田」の文字を省略した「藤蔭清香會」であっても、「藤蔭流」等とは明瞭に区別できるものであり、「藤蔭」の文字を含む本件商標をその指定役務について使用したとしても、申立人又は同人と経済的・組織的に何らかの関係のある者の業務に係る役務であるかのごとく、役務の出所について混同を生ずるおそれはない。したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第15号に該当するものではない。

5 当審の判断
(1)本件商標の商標法第4条第1項第15号該当性について
本件商標の取消理由は、前記3のとおりであり、本件商標が商標法第4条第1項第15号に違反して登録されたものであるとした認定、判断は、妥当なものである。
(2)商標権者の意見について
前記3の取消理由に対して、商標権者は、前記4のとおり、意見を種々述べているが、以下の理由により採用することができない。
ア 家元とは、「芸道で、その流祖の正統を伝える地位にある家・人。宗家そうけ。「?制度」を意味し、また、宗家とは「(ソウカとも)宗主たる家。本家ほんけ。家元。「小笠原流の?」を意味する語(ともに株式会社岩波書店 広辞苑第六版)である。
そして、日本舞踊に限らず、茶道、華道などの芸道において、一流派を表す語として「○○流」と使用されている実情がある。
イ 藤蔭流の初代家元である藤蔭静樹は、明治41年二世藤間勘衛門の門下となり同43年に藤間静枝の名取名を許されたが、昭和6年に藤間流の流名を返上し、藤蔭静枝として藤蔭流を創流し、家元となった。その後、昭和32年に静枝の芸名を弟子に譲り、静樹となり、翌年、藤蔭流宗家を樹立したことが認められる(商標権者も争いがない。)。
そして、乙8ないし10によれば、静樹が藤蔭流宗家を立ち上げたとき、藤蔭清枝を含む11名の名取りが藤蔭流分家家元となったことが認められる。
そうとすれば、藤蔭静樹と芸名静枝を継いだ弟子ら11名とは、宗家と家元の関係にあり、ともに日本舞踊の一流派である藤蔭流の普及を目的とするものである。
ウ 申立人は、日本舞踊の一流派の「藤蔭流藤蔭会」と称する「藤蔭流」日本舞踊の組織の法人であり、「藤蔭流藤蔭会会則」という名称の会則とともに、「日本舞踊の教授」ほかを指定役務とする「藤蔭流藤蔭会」及び「藤蔭流」からなる登録商標を有して事業活動を行い、日本舞踊の普及に努めていた(甲2、甲5)。その結果、藤蔭流が日本舞踊の一流派として日本舞踊界において広く知られていることは、前記3のとおりである。
エ 「藤蔭流」の語のうち「藤蔭」の文字部分は、日本舞踊の一流派の屋号を表すものであり(甲8)、そうとすると、日本舞踊界において、「藤蔭」の文字が含まれた名称は、藤蔭流藤蔭会の業務に係る役務を示す文字であるいうことができる。
オ 前述の藤蔭流分家家元の藤蔭清枝(昭和47年より季代恵)は、秋田を拠点として、二代目藤蔭季代恵と50年にわたり活動していたが、二代目藤蔭季代恵の逝去により藤蔭流正派が消滅した。そこで、商標権者は、初代藤蔭季代恵と二代目藤蔭季代恵の弟子として、二代目藤蔭季代恵の死後、初代藤蔭季代恵及び二代目藤蔭季代恵の舞踊の踊りを秋田で継承すべきと、地名「秋田」と、親子二代の藤蔭季代恵の芸名「藤蔭」と、初代清枝の「清」と、浅利和子の芸名「浅利香津代」の「香」の文字をとって、「秋田藤蔭清香會」の会を起こした旨主張する。
しかし、藤蔭清枝がその芸名に使用する「藤蔭」の語は、宗家である藤蔭静樹から、藤蔭流の名取りとして、さらに藤蔭流分家家元として、その使用が許されたものである。そして、藤蔭流の分家家元となった藤蔭清枝は、昭和47年よりその芸名を季代恵とし、さらに二代目藤蔭季代恵に「藤蔭」の使用を許したものであり、商標権者が継承するという初代藤蔭季代恵及び二代目藤蔭季代恵の舞踊の踊りは、藤蔭静樹が創流した「藤蔭流」を受け継ぐものである。
してみると、少なくとも日本舞踊に係る役務において、「藤蔭」の語は、芸名だからといって自由に採択できるものではなく、藤蔭流の家元からの認許が必要であることは明らかである。
しかして、商標権者は、宗家藤蔭流藤蔭会作成による平成21年11月19日付け「脱会並びに流名返上確認書」によれば、同年5月5日に同会を退会し、流名を返上したこと、かつ、「秋田藤蔭流」を名乗ることができないことが確認されている(甲7)。
さらに、商標権者は、初代藤蔭季代恵及び二代目藤蔭季代恵に師事していたと主張するもその主張のみであって、「藤蔭」の使用若しくは継承に係る要件を裏付ける証拠を何ら提出していない。同じく、他の分家家元からの認証なども明らかにしていない。
そうとすると、商標権者は、藤蔭流藤蔭会を含む藤蔭流の家元から「藤蔭」の語の使用を許されたとみることはできない。
(3)まとめ
以上のとおり、藤蔭流藤蔭会は、日本舞踊に係る役務において、「藤蔭流藤蔭会」、「藤蔭会」及び「藤蔭流」を使用した結果、本件商標の登録出願時及び登録査定時には、日本舞踊の流派の一つである「藤蔭流」及びその屋号である「藤蔭」の語として広く知られるところである。
してみると、「藤蔭流」と何ら関係を有することがない商標権者が、「藤蔭」の語を含む本件商標をその指定役務について使用するときは、藤蔭流藤蔭会又は同会と経済的・組織的に何らかの関係にある者の業務に係る役務であるかのごとく、役務の出所について混同を生ずるおそれがあるものと認められる。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第15号に違反して登録されたものであるから、申立人のその余の申立理由について判断するまでもなく、本件商標の登録は、同法第43条の3第2項の規定により、取り消すべきものである。
よって、結論のとおり決定する。
異議決定日 2014-07-17 
出願番号 商願2011-82370(T2011-82370) 
審決分類 T 1 651・ 271- Z (X41)
最終処分 取消  
前審関与審査官 海老名 友子 
特許庁審判長 関根 文昭
特許庁審判官 田中 亨子
前山 るり子
登録日 2012-05-11 
登録番号 商標登録第5491994号(T5491994) 
権利者 浅利 和子
商標の称呼 アキタフジカゲセーコーカイ、アキタトーインセーコーカイ、フジカゲセーコーカイ、トーインセーコーカイ、アキタフジカゲ、アキタトーイン、フジカゲ、トーイン、セーコーカイ、セーコー 
代理人 澤木 誠一 
代理人 澤木 紀一 
代理人 特許業務法人みのり特許事務所 

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