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審決分類 審判 全部無効 その他 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) 041
管理番号 1116403 
審判番号 審判1996-9554 
総通号数 66 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2005-06-24 
種別 無効の審決 
審判請求日 1996-06-11 
確定日 2005-04-11 
事件の表示 上記当事者間の登録第3057901号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第3057901号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 本審決中においては、請求人の主宰する「全日本硬式空手道連盟」と被請求人の主宰する「全日本硬式空手道連盟」との名称は同一であり、いずれも本件登録第3057901号商標(全日本硬式空手道連盟)とその構成文字を同じくするから、前者を「請求人の連盟」、後者を「被請求人の連盟」ともいう。また、本件商標に係る商標権は、被請求人「高沢正直」と被請求人「尾崎斐」との共有に係るものであるが、両者をそれぞれ言及して述べる場合は、前者を「被請求人『高沢』」、後者を「被請求人『尾崎』」という。
1 本件商標
本件登録第3057901号商標(以下「本件商標」という。)は、「全日本硬式空手道連盟」の文字を横書きしてなり、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第5条第1項による使用に基づく特例の適用を主張して平成4年8月19日に登録出願、指定役務を商標法施行令別表の区分による第41類「硬式空手道の教授,護身道の教授」として同7年7月31日に設定登録されたものである。

2 請求人の主張
請求人は、結論同旨の審決を求め、その理由及び被請求人の答弁に対する弁駁を要旨以下のように述べ、証拠方法として、No.1ないしNo.33(以下、甲の1ないし甲の33とする。)及び甲第1号証ないし甲第100号証(枝番号を含む。)を提出した(平成13年4月16日付けの証拠補充提出書に添付の甲第3号証は甲第3号証の1とする。)。
(1)請求人の主宰する「全日本硬式空手道連盟」の周知性
(ア)硬式空手道は、空手の各会派・流派が請求人の開発したスーパーセーフ安全防具を使用し、硬式空手の合理的な審判方法、競技試合運営方法及び練習方法とを合わせることにより、安全で明快な空手競技試合をすること及び空手を世界共通の近代スポーツに昇華することを可能にするものである。 請求人の連盟は、長年の組織発展の過程で、その名称・信用はもとより高いレベルの硬式空手道を維持していかなければならないという世界的命題を抱えている。
(イ)日本の空手・武道の世界では、請求人の連盟は、その創立の1980年(昭和55年)代初頭以来、国内外の専門雑誌や全国空手道場交流試合等を通じて周知され、本件商標の特例商標登録出願(以下「特例出願」という。)当時、既に我が国の空手界において広く知られるところとなっていた。 請求人の連盟は、全日本硬式空手道選手権大会を、東京をはじめ全国各地で開催しており、また、その世界に向けた組織である世界硬式空手道連盟も世界大会を東京をはじめベネズエラ、オーストラリア、アメリカ、カナダ、オランダ等で開催し、硬式空手道の普及に努めてきたことは、空手界において、よく知られている。
(ウ)空手競技がオリンピックの競技種目として採用されるには、財団法人日本体育協会(以下「日本体育協会」という。)に加盟し、公式競技として承認されることが必要であった。
しかしながら、日本体育協会に加盟が認められる競技団体は、1競技1団体に限定される大原則があるところ、空手競技においては、既に寸止め空手を主流とする財団法人全日本空手道連盟が昭和47年に加盟していたことから、請求人の空手をもって日本体育協会へ加盟するためには、「空手」以外の名称で加盟する必要が生じた。請求人は、日本体育協会に加盟し、その承認を得て、将来、オリンピックの競技種目として採用されるべく、野球、テニス等が硬式/軟式で共存していることに注目し、これを空手に置き換えると、寸止め空手の軟式に対し、請求人のハードコンタクト(完全に当てる)システムの空手は、硬式ということができると想到し、ハードコンタクトルールの空手競技法の総称として、この競技法を「硬式空手」、「硬式空手道」と命名し公表した。
硬式空手、硬式空手道という名称は、請求人が、従来の寸止め空手とは別に日本体育協会に加盟する必要があったことから考案したものであって、1978年に開発したスーパーセーフ安全防具とこれに基づく硬式審判法、硬式ルールに則った空手にのみ用いられる語である。
硬式空手道は、より安全にスーパーセーフ安全防具を使用し、実際に当て極めて勝負の判定を明確にし、さらに、加点方式を採用して競技力の向上を図り、誰もが公平に楽しく空手競技ができるという、いわば安全防具とルール及び審判による判定方法とが一体化した空手競技システムであった。
(2)本件商標の特例出願
(ア)被請求人は、請求人と同じ空手界にあって、本件商標の出願前から請求人の連盟の組織の存在及びその長年に亘る普及活動状況並びに請求人の連盟主催による全日本硬式空手道選手権大会の開催状況、とりわけ、空手界における硬式空手道の先端的な位置状況、周知実態・信用等を熟知する立場にあった。したがって、被請求人は、請求人の事業、業績及び請求人の連盟の名称「全日本硬式空手道連盟」を知らなかったとは考えられない。
また、硬式空手は、空手界において、従来の防具付空手とは明確に区別されており、その違いを、かつて、剣道防具改良型の防具を使用した防具付空手界において指導者として活動していた被請求人が知らなかったとは考え難い。その証拠に、被請求人は、請求人の連盟が全日本硬式空手道選手権大会を各地で開催していることを知らないではない旨述べている。
(イ)被請求人と請求人とは、1988年(昭和63年)10月9日に東京で開催された「第8回全日本硬式空手道選手権大会」(請求人の連盟主催の甲の14の大会)に参加するために来日した米国空手の父「ロバート・トリアス」(元全米空手協会会長)からお互いを紹介された関係にあった。
(ウ)本件商標に係る特例出願の不正による手続
被請求人「尾崎」が、件外財団法人東興協会(以下「東興協会」という。)の塩谷巌現理事(以下「塩谷氏」という。)に対して、「本件商標の登録出願の願書に被請求人『高沢』が自分の印と名前を勝手に使った。許諾していない。」と発言していることは、被請求人による本件商標の出願手続そのものに不正があったことを意味している。
全日本硬式空手道連盟の名称が被請求人により不正に登録された背景を知らない各地の空手道関係者、数多くの空手選手(修業者達)及び硬式空手大会の主催者等は、請求人の連盟が硬式空手道のセミナーや大会の開催を世界的連携の下で適正に行おうとしても、請求人に無断で全日本硬式空手道連盟の名称を使用するケースが相次いでおり、請求人の連盟は、多くの侵害者に対し、注意喚起せざるを得ず、空手界に役務の出所について誤認混同が生じている。
(エ)被請求人が本件商標の特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料は、登録要件を満たさないにもかかわらず登録されたから、不適切である。
「添付資料:会員募集ポスター」(以下「ポスター」という。)中には本件商標の文字が右サイドに他の団体名と併記されているが、他の団体と同様、その表示は被請求人が主催している団体とは見えないから、当該ポスターは、被請求人が「硬式空手道の教授」について本件商標を使用した事実を示す証明になっていない。「添付資料:チラシ」(以下「チラシ」という。)には、第7回長野県硬式空手道選手権というタイトルが表示されており、その主催者は、長野県硬式空手道連盟と思われる。本件商標は円形マーク中の白抜の文字として表されている。これよりは、長野県硬式空手道連盟が加盟しているか又は協賛を受けた他の上位団体のマークとは見られても、主催者の長野県硬式空手道連盟が使用しているものには見えない。しかも、第7回長野県硬式空手道選手権とは、大会の開催でありその役務の性格は「硬式空手道選手権大会の興行」であるから、本件商標の指定役務「硬式空手道の教授」について、本件商標を実際に使用した証明ではない。「添付資料:営業証明書」(以下「営業証明書」という。)は、被請求人が「硬式空手道の教授」という役務を提供していたことの証明にはなり得ても、本件商標を営業上使用していたことの証明ということはできない。
(3)被請求人による20年前の使用の主張に対する弁駁
(ア)被請求人は、請求人より20年前の1964年(昭和39年)から本件商標(全日本硬式空手道連盟)を継続使用しているとの主張をしているが、20年前の使用の主張をするのであれば、本件商標及び硬式空手の競技法・審判ルール等を、いつ、誰が、どのようにして発案したのかについて、その規定や制定過程等を含めて明らかにすべきである。
また、現在、被請求人の各選手権大会で実際に使用されているスーパーセーフ安全防具(硬式空手用の安全防具)を、被請求人側の誰が、いつ、どこで、どのようにして開発し、防具付空手からスーパーセーフ安全防具を使用した硬式空手の運営・指導に変更したのかを明らかにすべきである。
さらに、1964年(昭和39年)当時の大会パンフレットの印刷所、大手スポンサー等の法的証明書の提出及び被請求人の連盟が実在し、全日本と称する程、全国的な規模で指導を行っていたことの裏付けとなる当時の役員名簿、連盟事務所所在地、連盟規約、連盟への加盟道場等を示した書面を提出すべきである。20年前の使用の主張をする以上、名称のみならず実態、すなわち、団体としての存在があった筈であり、しかも、全日本と称する程、全国的規模で活動してきたのであれば、その活動は全国に及んでおり、記録も多数ある筈である。
(イ)被請求人が20年前の使用の主張等をして提出した証拠が不真正な文書と推認されることについて
(a)乙第1号証は、1963年(昭和38年)の「第1回全国空手選手権大会」(主催:全日本空手道連盟)のパンフレットであるが、これには、「硬式」という名称の使用が一切なく、試合用の防具は、剣道防具の応用であり、名称、防具、試合方法が請求人の「硬式空手」と全く相違している。乙第1号証の最終頁の写真のように、従来の空手の打ち合いでは、剣道防具改良型の防具が使用されていたが、その空手は、防具付空手という名で親しまれてはいたものの、硬式空手という名で通用していたものではない。
1981年(昭和56年)以前に、「硬式空手」という名称が日本の空手道及び武道界に存在していなかったことは周知の事実であり、防具付空手と硬式空手とは全く異なっている。
(b)乙第2号証は、1964年(昭和39年)の「第1回日米空手選手権大会」(主催:全日本硬式空手道連盟)のパンフレットであるが、この表紙の各活字の印刷精度が相違しており、印刷年代が疑わしい。乙第2号証は、防具付空手大会のものであり、同号証中には、乙第1号証と同じ「全日本空手道連盟」という名称が見られるにもかかわらず、表紙と入会申込書には全日本硬式空手道連盟と記載されており、奇異である。乙第2号証は、表紙と入会申込書を変造又は差し替え操作したとしか考えられない。
(c)乙第3号証は、1965年(昭和40年)の「第2回全国空手選手権大会」のパンフレットであるが、当該表紙の各活字の印刷精度が相違し、印刷年代が疑わしいだけでなく、日付が誤っている。
(d)乙第12号証は、被請求人の連盟規約であるが、この規約の施行年月日(1992年[平成4年]1月1日)は、20年前の使用の主張と矛盾する。被請求人は、何故、この規約の施行年月日がサービスマーク登録制度の発足直前なのかを釈明すべきである。
(e)甲第93号証及び甲第95号証は、被請求人が1984年(昭和59年)及び1985年(昭和60年)に開催した全国大会のパンフレットである。これらには、本件商標が一切使用されていない。
また、甲第95号証の被請求人の「ごあいさつ」欄には、1985年(昭和60年)から安全の確立のために、安全防具の試合を取り入れた旨記載されているが、これは被請求人の20年前の使用の主張と矛盾する。
(f)請求人の連盟の名称は、遅くとも1984年(昭和59年)7月1日(甲第4号証)には使用されており、被請求人も認めている。
他方、被請求人の提出する証拠中には、被請求人が1984年(昭和59年)7月1日以前より本件商標を使用していたことを実質的に裏付ける証左は見当たらない。全日本硬式空手道連盟の名称が登場する最も古い日付の乙第4号証(1984年[昭和59年]9月2日の大会パンフレット)にしても、件外鈴木正文(以下「鈴木氏」ともいう。)が「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」(以下「東興協会の連盟」ともいう。)の名称の下に開催した大会であり、これとて1984年(昭和59年)7月1日より後である。
(ウ)乙第16号証の1は、現時点における10年勤続の表彰であって、10年前の1985年(昭和60年)に被請求人の連盟が岡谷商工会議所に登録されたことが証明されているわけではない。乙第16号証の2(会員証明)は、被請求人が1986年(昭和61年)に同会議所に入会した事実が証明されているとしても、被請求人の連盟が入会した証明ではない。
(エ)乙第25号証ないし乙第31号証は、いずれも表紙のみでパンフレットの体裁をなしておらず、各活字の印刷精度も相違しており、印刷年代が疑わしく、字体の相違もみられる。
(4)被請求人は、鈴木氏に本件商標を貸与したとの主張をしていながら、自己の肩書を「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟 副会長」としている。
一方、東興協会は、単独の名称「全日本硬式空手道連盟」を使用しておらず、乙第4号証の大会の主催者名からもわかるとおり、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」という複合名称を使用しており、どうして、被請求人が本件商標を鈴木氏に貸与したことになるのか理解に苦しむ。被請求人と東興協会とが硬式空手道大会を共催したとの主張は、こじつけである。
1991年(平成3年)9月に鈴木氏が逝去した後、その遺志により被請求人は、東興協会の連盟の会長職を引き継いだ故に、会長兼代表者としてその名称に関する使用権限を取得し、1992年(平成4年)に本件商標(サービスマーク)の登録出願をした旨主張し、その根拠として鈴木氏の甥中村常夫氏(以下「中村氏」という。)の陳述書(乙第32号証)を提出している。
しかし、請求人は、1984年(昭和59年)に、一時的に鈴木氏に限り、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」での使用のみを許諾したのであり、台湾に同行した指導者仲間であって、東興協会の現理事である塩谷氏は、当時、鈴木氏が「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」しか請求人から使用許諾されていなかったことを知っていたから、鈴木氏が自分でも自由に使用することが許されていなかった全日本硬式空手道連盟の名称を塩谷氏に何の相談もなく勝手に被請求人に委譲することはあり得ない。全日本硬式空手道連盟という名称の使用には、東興協会が関与しており、その法的機関意思のない委譲話は荒唐無稽である。また、被請求人「尾崎」は、全日本硬式空手道連盟という名称が請求人に帰属することをよく知っており、「出願当時の認識として、この団体名称(全日本硬式空手道連盟)は、既に久高氏が持っていた権利である。」と塩谷氏に述べていた。
東興協会は、鈴木氏の逝去後、それを正式に請求人へ返上した。そして、東興協会は、その所管団体の名称を全日本セフティ空手道連盟に改称し、その活動を継続するとともに、空手道の普及を行っている(甲第19号証)。(5)被請求人は、「鈴木氏は、もともと、その主催する硬式空手大会に関して、請求人と何ら交渉がなかった。それは鈴木氏が会長であった空手大会に請求人の名前が全く見られないことからも明らかである。」と主張する一方、被請求人と鈴木氏の関係が1984年(昭和59年)9月2日の「第一回選手権大会」(乙第4号証)以降、本格的に始まった旨述べている。
しかしながら、請求人と鈴木氏の関係は、それより4年以上遡る1979年(昭和54年)、遅くとも1980年(昭和55年)には始まっている。 請求人が財団法人全日本空手道連盟の技術研究委員会に所属していた頃、鈴木氏は、同連盟会長(笹川良一)の秘書役であった。
また、1977年(昭和52年)に開催された世界空手道選手権大会の期間中に、併せて開催された国際会議において安全防具の開発及び新競技方式の研究が日本に委嘱されたことを踏まえ、請求人を中心に安全防具を使用した新競技法を思案していた頃、鈴木氏は、請求人に多大な理解を示した。
1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)までに、請求人と鈴木氏とは、以下の硬式空手道大会を協力して開催している。
1981年(昭和56年)5月17日の「第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会」(甲第2号証)、1981年(昭和56年)11月22日の「硬式競技法発表記念/第1回京都国際親善空手道大会」(甲第25号証)、1981年(昭和56年)11月29日の「第2回東京国際親善硬式空手道選手権大会」(甲第3号証)、1982年(昭和57年)11月2日及び3日の「’82国際硬式空手道選手権大会」(甲第3号証の1)、1983年(昭和58年)年7月24日の「’83全日本硬式空手道選手権大会」(甲第26号証)。
(6)1984年(昭和59年)9月に請求人は、鈴木氏から鈴木氏を中心とする全日本硬式空手道連盟による全日本硬式空手道選手権大会を開催したいとの申し出を受けたとき、3年前に、日本硬式空手道協会を設立、その後、それを全日本硬式空手道連盟に改組し、1984年(昭和59年)7月1日に「’84全日本硬式空手道選手権大会」(甲第4号証)を開催したばかりであったため、請求人の連盟の名称の使用を単独ではなく、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」という複合名称で許諾した。それ以外の使用方法は禁じた。
鈴木氏は、その趣旨を了解し、以降、1984年(昭和59年)から逝去の年(1991年[平成3年])まで、必ず「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の複合名称を使用した。
被請求人は、「鈴木氏は、(財)『全日本硬式空手道連盟』の会長で、自分は副会長であり、協力してきた。」と主張するが、鈴木氏の「(財)全日本硬式空手道連盟」などという団体は存在せず、鈴木氏は、その連盟の名称による大会を一度も開催していない。
たとえ、被請求人が鈴木氏とともに、「財団法人全日本硬式空手道連盟」という名称で大会を主催した旨主張しても、それは「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」と記載すべきところを故意に省略したにすぎない。
鈴木氏と被請求人は、以下の大会を開催しているが、その主催者は、東興協会の連盟であって、「財団法人全日本硬式空手道連盟」などという連盟は存在しない。
1984年(昭和59年)の第1回選手権大会(乙第4号証)、1986年(昭和61年)の第2回選手権大会(乙第5号証)、1987年(昭和62年)の山梨県硬式空手道大会(乙第6号証)、1989年(平成1年)の第5回全日本硬式空手道選手権大会(甲第18号証)、1990年(平成2年)の第6回選手権大会(乙第7号証)、1991年(平成3年)の長野県硬式空手道選手権大会(乙第8号証)、1991年(平成3年)4月13日及び14日の第1回世界硬式空手道選手権大会。
(7)被請求人は、空手界とりわけ防具付空手界の指導者でありながら、請求人が創始し発案した硬式空手、硬式空手道及び全日本硬式空手道連盟の各名称及び同連盟の存在並びに空手界におけるその周知実態・信用等を熟知していたにもかかわらず、その信用に只乗りする不正競争の目的で使用した実績に基づいて請求人の隙をついて、本件商標の特例出願をしているから、その登録は、商標法附則第7条第2項により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とされるべきである。

3 被請求人の答弁
被請求人は、本件審判請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、との審決を求めると答弁し、その理由及び請求人の弁駁に対する再答弁を要旨以下のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第32号証を提出した。
(1)被請求人が本件商標を使用して出願し、商標権を取得するに至った経緯
(ア)被請求人の連盟の現会長である被請求人「高沢」は、昭和6年に長野県に生れ、昭和19年2月(13才の時)に父から空手の手ほどきを受け、17才で空手界の元老(全日本空手道連盟総本部の修道館館長)遠山寛賢氏の指導を受けて本格的に空手道に精進し、昭和26年岡谷市に空手同好会を設立、昭和38年には東京都板橋区に啓心会本部道場を設立した。
それ以来、被請求人は、我が国及び世界の各地に啓心会支部を設立するとともに、東京・沖縄・長野・京都・山梨等の啓心会支部及び地元空手関係組織と協力して、全日本空手道連盟ないしは全日本硬式空手道連盟(被請求人の連盟)の主催により、各地で開催される全国空手選手権大会の主催又はそれへの協力を行ってきた。
(イ)被請求人の流派による空手は、頭部や身体に防具を装着し、型のみではなく現実に打ち合う空手であり、したがって、硬式と呼ばれる空手であるが、被請求人による硬式空手選手権大会は、啓心会本部道場が東京都板橋区に設立された1963年(昭和38年)に足立区体育館で全日本空手道連盟主催という名目で開催された(乙第1号証)。被請求人は、全日本空手道連盟の副理事長として同大会の主催メンバーに加わった。主催者の名称は、全日本空手道連盟であったが、もともと武装した空手で他の流派と異なる硬式空手であるので、主催者の名称として硬式である旨を表示すべきとの意見があり、そこで、1964年(昭和39年)に「第1回日米空手選手権大会」が沖縄少林寺流空手協会の協賛により、東京千駄ケ谷の東京都体育館で開催された際、本件商標である全日本硬式空手道連盟の名称を使用した(乙第2号証)。
したがって、被請求人が現在代表を務める被請求人の連盟は、既に1964年(昭和39年)から、その名称を使用している。それ以来、被請求人が協力ないしは主導する硬式空手選手権大会には、単に全日本空手道連盟主催と表示したこともあるが、全日本硬式空手道連盟主催(乙第3号証)というように本件商標を使用することが多かった。
請求人提出の甲各号証によれば、請求人が硬式空手選手権大会に全日本硬式空手道連盟の名称を初めて使用したのは、1984年(昭和59年)からのようであるが、被請求人が関係している硬式空手界においては、それより20年前の1964年(昭和39年)12月に東京で開催された日米空手選手権大会の際に、被請求人の前任者が全日本硬式空手道連盟の名称を既に使用していた。証拠については、一部火災のために消失した。
請求人は、意見書で、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」を解散した際、被請求人『高沢』は、東興協会から除外されたので(甲第19号証:塩谷氏の陳述)、東興協会の役員ではなく、東興協会と一切関係がない。被請求人『高沢』に本件商標の出願資格はなく、被請求人『高沢』は、親団体である「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の名称を無断で権利化しようと図ったものである。」旨述べ、被請求人の連盟の存在及び被請求人が本件商標を先使用した事実を否認している。
しかしながら、本件商標は、被請求人及びその前任者が1964年(昭和39年)以来継続使用している。鈴木氏主催の活動以外の場合にも、被請求人は、独自に行う硬式空手道の指導活動に際し、封筒、便箋、名刺等に使用していた。
請求人の主張によれば、請求人の硬式空手道は、1979年(昭和54年)年に請求人により創出されたとのことであるが、請求人が提出した資料によれば、請求人が最初に硬式空手選手権大会の名称を使用したのは、1982年(昭和57年)の「第2回全日本硬式空手選手権大会」からである。すなわち、請求人提出の1981年(昭和56年)の資料には「全日本コンタクト空手道選手権大会」と表示されており、硬式の旨は、タイトルの左肩上に表示されているだけである。
(ウ)被請求人は、鈴木氏とともに硬式空手の普及を目的とすることで親しくなり、鈴木氏が硬式空手道の大会を開催するに際して、全日本硬式空手道連盟という名称で開催したいとの意向であったので、これを了承し、1991年(平成3年)に鈴木氏が逝去するまで、鈴木氏が会長として全日本硬式空手道連盟の名の下に硬式空手道の大会を主催する場合には原則として副会長として鈴木氏に協力してきた。
(エ)1984年(昭和59年)以降、被請求人は、東興協会の連盟の副会長として、啓心会及び同支部を中核として各県で開催される硬式空手道選手権大会の主催ないしは後援をする東興協会の連盟の実務を中心的に行ってきた。
1984年(昭和59年)から1991年(平成3年)4月まで、硬式空手道選手権大会が東興協会の連盟により開催されたのは、東興協会の事業として被請求人と鈴木氏とが共催していたのであるから、当然のことである。 しかしながら、鈴木氏が逝去し、硬式空手道選手権大会が東興協会の事業としてでなく被請求人が主催する事業となってからは、全日本硬式空手道連盟は、被請求人が主催する人格なき社団の名称を指しており、「硬式空手(道)の教授」を指定役務として被請求人は選手権大会を開催した。
(オ)1991年(平成3年)4月に京都で開催された世界大会の終了後、同年9月に鈴木氏が台北の病院で逝去した後、被請求人は、会長職を引き継ぎ、平成4年のサービスマーク登録制度の採用の際、人格なき社団である被請求人の連盟の代表である被請求人「高沢」と会員である被請求人「尾崎」との共同名義で本件商標の特例出願をした。
鈴木氏が逝去した際、同氏の甥、中村氏(被請求人の連盟の事務局長)を通じ、後事は、被請求人が引き継ぐようにとの遺志が託されたことで(乙第32号証)、被請求人としては、それ以後、人格なき社団である被請求人の連盟の代表者となり、今日に至っている。
被請求人が東興協会と何ら関係がない旨の請求人の主張は、そのとおりである。ただ、被請求人は、鈴木氏と親交があった関係上、鈴木氏が硬式空手道大会を開催する限りにおいて、その副会長等として協力してきた。したがって、鈴木氏の逝去後は、その運営を鈴木氏の遺志で被請求人が引き継いでいる。
請求人は、鈴木氏の逝去に伴い東興協会の連盟が解散となり、東興協会から請求人に東興協会の連盟の名称が返却されたことを主張するとともに、東興協会の連盟の名称が別の名称に移行したから、被請求人の団体は存在しない旨述べている。
しかし、実態は全く違っている。鈴木氏は、もともと、その主催する硬式空手道大会に関して、請求人と何ら交渉がなかった筈であり、そのことは、鈴木氏が会長であった東興協会の連盟の大会に請求人の名前が全く見当らないことからも明らかである。
塩谷氏が東興協会の理事に就任したのは、乙第13号証から明らかなように、鈴木氏逝去前の1991年(平成3年)4月30日であり、その時点において、鈴木氏は既に東興協会の理事でも会長でもなかったので、塩谷氏が1984年(昭和59年)から1991年(平成3年)までの鈴木氏と被請求人との関係を知る筈はない。
「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の名称は、東興協会が行う付帯事業の名称である。しかも、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の名称は、被請求人の了承を得て、鈴木氏個人が採択したのであり、東興協会の硬式空手道大会という事業とは関係がない。鈴木氏が去った後の東興協会が硬式空手道の事業に別の名称を使用するのは、鈴木氏の遺志からして当然であろう。ただし、被請求人は、東興協会とは直接的に何ら関係がないことは塩谷氏の述べるとおりである。
中村氏の陳述(乙第32号証)は、1984年(昭和59年)の京都大会の開催に際し、鈴木氏と被請求人との合意の経緯からすれば、極めて自然であり、その真実性には疑う余地がない。
被請求人は、名称貸与者であるという関係から、副会長として継続的に毎年の硬式空手大会に関してのみ協力した。それゆえ、鈴木氏としては、空手大会の後事は、東興協会と関係のない被請求人に託すのが順序であると考えたものと推察される。(鈴木氏は、)たまたま台湾旅行に随行した親族の中村氏に対し、陳述書(乙第32号証)の内容の意向を洩らしていた。
(カ)被請求人は、本件商標を先使用しており、請求人こそ、被請求人の前任者が使用していた名称に便乗して、本件商標を使用している。いずれにせよ、被請求人は、1964年(昭和39年)に本件商標の使用を開始し、京都の日本正武館において開催された1984年(昭和59年)の大会(乙第4号証)以降、その参画ないしは主催する硬式空手道の教授ないしは護身術の成果発表の場としての選手権大会で本件商標を継続使用してきたので、他の同業者に対する不正競争の目的で本件商標を使用してきたのではない。
請求人は、「被請求人『高沢』は、全日本硬式空手道連盟の名称及びその存在並びに空手界におけるその周知実態及び信用等を熟知していたにもかかわらず、その信用に只乗りする不正競争の目的で、本件商標を出願し、登録を受け、使用に及んでいる。」等の旨述べている。
被請求人が、請求人の主催する1988年(昭和63年)国立競技場の大会の際、元全米空手協会会長ロバート・トリアスから請求人を紹介されたのは事実である。
しかしながら、被請求人により20年も前から使用されている本件商標を請求人が無断で使用していることに対して、被請求人は、本件商標の使用権侵害であるなどというクレームを敢えて付けなかった。もしも、只乗りという不正競争行為があるとすれば、むしろ、請求人のほうである。
請求人は、意見書で、「全日本硬式空手道連盟の名称は、請求人の『硬式空手道の教授』という役務を表示するものとして周知であるから、被請求人『高沢』による本件商標の使用は、不正競争の目的によるものである。」旨主張している。
しかし、仮に、1984年(昭和59年)以後、全日本硬式空手道連盟が請求人の硬式空手道の教授という役務に使用され、広く認識されるようになったとしても、被請求人の前任者が全日本硬式空手道連盟を使用したのは、それより20年近く前の1964年(昭和39年)であり、それ以後、被請求人は、これを継承し、継続使用していることから、請求人との不正競争を意図して使用したものではない。
(キ)請求人は、日本の空手・武道の世界では、請求人の連盟の名称は、その創設年である1980年代初頭以来、国内外で広く知られていると主張している。
被請求人は、請求人が硬式空手道の選手権大会を興行的に各地で開催していることを知らないではない。しかしながら、請求人が請求人の連盟の名称で選手権大会を開催したのは、1984年(昭和59年)以降であり、請求人提出の証拠によれば、1980年(昭和55年)から1983年(昭和58年)までは、別の団体名称で大会を開催している。
(ク)請求人は、「本件指定役務には『硬式空手(道)大会の興行』が含まれていないから、本件商標は、その指定役務に使用されていない。一方、四国地域では、請求人が長年に亘り大会を開催してきた実績があるから、継続的使用権を有する。」旨主張している。
しかしながら、本件商標は、人格なき社団の名称であるから、被請求人の連盟が選手権大会の主催者として本件商標を使用するのは、硬式空手道の教授という役務に人格なき社団の名称を使用しているのであり、本件商標を硬式空手大会の興行に使用しているわけではない。
仮に、被請求人の使用に係る役務が空手選手権大会の興行であって、それが本件商標の指定役務に含まれず、非類似の役務であるから、本件商標の商標権の効力が及ばないとされても、被請求人は、請求人よりも遙かに前から本件商標について継続的使用権を有するので、他人の権利を侵害しているのではなく、これを違法行為というのは見当違いである。
たとえ、四国において、請求人が実績を有するとしても、請求人と空手に対する方針及び考え方の異なる被請求人が選手権大会を開催することは、請求人と異なる理念の下に行う空手選手権大会を世人に認識させる結果となり、却って、斯界の向上に資するところが大である。
本件商標の出願は、1992年(平成4年)であるが、請求人の主張によれば、全日本硬式空手道連盟の名称が使用されたのは、1979年(昭和54年)であり、被請求人は、これを黙認していたから、それにより、本件商標の出願時頃までには、請求人にも請求人の連盟の名称について継続的使用権が生じていたといえよう。しかし、被請求人が(本件商標の)使用を開始したのは、1964年(昭和39年)であり、請求人より15年も前から継続的使用をしている。
請求人は、被請求人が提出した乙各号証中の全日本硬式空手道連盟の名称の文字部分の字体が他の文字部分と異なることから、それが後で記入されたものであるかの如く主張しているが、全日本硬式空手道連盟の文字部分は、後から記入されたものではない。また、全日本硬式空手道連盟の文字部分のみの字体は、異なっているものでないことは、観察すれば明らかである。
請求人の主張によれば、請求人も1979年(昭和54年)から興行的、営利的に盛大に開催した選手権大会において、請求人の連盟の名称を継続使用していることは被請求人と同様のようである。
被請求人は、1984年(昭和59年)から1991年(平成3年)まで、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の名称を表示した期間はあるが、継続して本件商標を使用してきた事実に間違いはない。
(ケ)請求人は、「(本件商標の特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料では、)改正商標法の施行前に被請求人『高沢』が本件商標をその指定役務に使用した事実を証明したものとは認められない。」旨主張している。
しかしながら、特例出願の審査は、特例措置期間内(平成4年4月1日から6ケ月の間)に、同法施行前のサービスマークの使用実績を有する者が行った多数の出願について行う必要があり、ある程度画一的にならざるを得ないところ、被請求人による、この出願は、使用事実を示す資料として、手続上要請される種類の資料を全て提出し、それに基づいて、いずれも適正に継続的使用の事実を証明したと判断されて、登録を受けたのであり、その判断に誤りはない。
(コ)請求人は、意見書で、「被請求人『尾崎』が塩谷氏との電話で『出願当時の認識として、この団体名称は、既に久高氏が持っていた権利である。』と指摘している。」旨述べている。
しかし、被請求人「尾崎」は、被請求人「高沢」とともに、自らが硬式空手道の教授という役務について本件商標を使用しているとし、本件商標に係る出願をした者であり、その出願に際し、知人である大阪の弁理士を被請求人「高沢」に紹介した者である。
もともと、本件商標のような名称は、独占排他権として特定人に登録されない限り、そのような実体を備えるに至ったと自認する者は、誰でも使用し得る類いのものである。
被請求人が異議を唱えなかったことを奇貨とし、請求人は、盛大に全日本硬式空手道連盟という名称を継続使用したようであるから、被請求人「尾崎」は、請求人と同一の名称を自分が関わる被請求人「高沢」が使用していた事実を認識していたことであろう。そのような認識の下で、塩谷氏からの電話に対し、被請求人「尾崎」が上述の趣旨の返事をしたことはあり得ないではない。しかし、そのことは、被請求人「高沢」及びそれに協力した被請求人「尾崎」自身にも使用の事実及び使用の権利があり、かつ、特例出願によって、本件商標の登録を受ける権利があることまで否定されるというものではない。
鈴木氏は、請求人の依頼により、請求人が開催した硬式空手道選手権大会のパンフレットに大会監査役等として掲載されることを黙認したことがあったことからすると、1984年(昭和59年)に(東興協会の連盟による)京都大会(乙第4号証)を開催するにあたって、請求人に対し、鈴木氏から全日本硬式空手道連盟の名称を使用することについて連絡したことも考えられる。しかし、鈴木氏と被請求人との関係からすれば、高沢に何らの連絡もせずに、請求人と鈴木氏が全日本硬式空手道連盟という名称の使用について契約をすることなどはない筈である。
請求人が1984年(昭和59年)の4年前頃から硬式空手の選手権大会を開催するに際し、鈴木氏と何回か交渉を持ったことは、請求人主張のとおりであろう。
もともと、硬式空手大会は、東興協会自体の事業ではなく、東興協会の名称を全日本硬式空手道連盟の前に冠することは、請求人の主張によれば、請求人の要請で入れたようであるから、鈴木氏としては、東興協会の理事に相談したり、話す必要もないと考えたのであろう。
(サ)1995年(平成7年)の商工会議所被表彰者名簿(乙第16号証の1)には、10年勤続の被表彰者として被請求人の連盟の職員等14名が表彰されている。これによれば、被請求人は、人格なき団体である被請求人の連盟の名称について、10年前の1985年(昭和60年)に商工会議所の登録を受けていたことが明らかである。同会議所は、被請求人の連盟が1986年(昭和61年)4月に同会議所に入会したことも証明している(乙第16号証の2)。
(シ)請求人は、平成3年の商標法改正によるサービスマーク登録制度採用の際に、長年使用していれば、継続的使用権があるから、登録しなくてもよいかの如く誤解した。もし、そのような権利があるとすれば、請求人は、継続的使用権を有するから、被請求人と重複して登録を受けることができたであろうが、商標権の取得を怠り、その失策を棚上げして、被請求人の登録を何らの根拠もなく不正競争呼ばわりしている。
請求人主張の(誤認混同による)甚大な被害とはどのような被害かを具体的に明らかにすべきである。名称が同一である以上、混同が生ずるであろう。被請求人の硬式空手は、興行的かつ金銭的な利益を得るために行われるものではないから、それと異なる請求人の活動は、空手道を汚すものであり、使用の差し止めも考慮しないではなかった。しかし、他面、硬式空手道の普及の効果も認められないではなく、敢えて、放置しているのが現状である。(2)請求人の弁駁に対する被請求人の答弁
本件審判請求において請求人が申し立てている無効理由は、請求書には定かでなく、その後、請求人が提出した意見書で初めて明らかにされた。すなわち、本件商標は、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第7条第2項の規定に該当し、同法第46条第1項により、無効にすべきであるというものである。
よって、本件審判請求においては、上記附則第7条第2項に本件商標が該当するか否かのみが争点であり、その他の請求人の主張立証は、本件とは関係のない事柄である。附則第7条第2項によれば、(a)商標権者が出願前から使用していなかった(b)使用していたが不正競争の目的でなされていた(c)商標登録出願により生じた権利を業務とともに承継していない者だったという場合に登録が無効とされる旨を定めている。このうち理由(c)について、請求人は、明らかにそのような趣旨を主張していない。
(ア)被請求人による出願前の使用
被請求人が本件商標の出願(平成4年8月19日)前の昭和59年から平成4年までに、本件商標を指定役務「硬式空手道の教授,護身道の教授」に使用してきたことは、同期間における使用を証した乙第4号証ないし乙第9号証により明らかであり、請求人もこれを認めている(甲第84号証)。本件審判請求に関する限り、昭和59年以前の使用を証した乙第1号証ないし乙第3号証等について真偽等を論じても意味はないので、両者に争いのない乙第4号証ないし乙第9号証をもって、本件商標がその出願前に使用されていたことを証することとする。
(イ)不正競争の目的
特許庁編「工業所有権逐条解説〔第16版〕」1143頁1行には、以下のように解説されている。すなわち、「〈不正競争の目的で〉他人の信用を利用して不当な利益を得る目的でという意味である。」というものである。 さらに、同解説1207頁3行以下には、商標法第47条について、以下のような解説がされている。すなわち、「因みに、商標法第4条第1項第15号は、同第10号の場合(同一・類似の商品(役務)間、即ち競争関係が存在する場合での問題として扱うことで足りる。)とは異なり、非類似の商品(役務)の間、すなわち競争関係が存在しない同業者以外の者の間にも適用があるものであるから、単に『不正競争の目的』では狭いので、これをも含めた『不正の目的』の文言を使用した。」というものである。以上の記述よりすれば、附則第7条第2項にいう「不正競争の目的」とは、「不正の目的」よりも狭く、商品(役務)が同一・類似の関係にある場合に限定される。
本件商標の指定役務が「硬式空手道の教授,護身道の教授」であることは明らかである。
これに対し、請求人の提出した甲各号証による請求人の役務は、「スポーツの興行の企画・運営又は開催」であることが明らかであり、その他の役務に使用したとの請求人の主張は見当らない。
そこで、両者の役務を比較すると、特許庁における実務のうえでは、一貫して非類似の役務として取り扱われており、この判断は、商標審査基準に照らしても首肯できる。
そして、仮に、請求人が本件商標の指定役務又はこれに類似する役務について、本件商標又はこれに類似する商標を使用していたとしても、単に使用していただけでは足りず、遅くとも、本件商標の出願時において、既に保護すべき法益が認められる程度に周知になっていなければならない。
しかしながら、請求人は、周知性どころか、本件商標の指定役務又はこれに類似する役務についての使用の主張すら行っていない。
よって、被請求人が本件商標の出願前に請求人の周知商標と出所の混同を生じさせる行為をしようとしても、それ自体不能であるから、客観的に被請求人に不正競争の目的があったと認めることはできない。
(ウ)付言すれば、立証責任の一般原則に従い、「不正競争の目的」の立証責任が請求人にあることは明らかである。
(3)以上のように、本件商標の登録は、商標法附則第7条第2項の規定により読み替えて適用する同法第46条第1項により無効とされるべきものではない。

4 当審の判断
本件商標は、「全日本硬式空手道連盟」の文字を書してなるところ、請求人は、被請求人による特例出願に係る本件商標の使用が不正競争の目的でなされたものであるから、本件商標の登録は、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第7条第2項の規定に該当するものであり、同規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とすべきである旨主張しているので、この点について判断する。
(1)被請求人による本件商標の使用について
(ア)特例出願に係る本件商標の使用
本件商標は、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第5条第1項の規定による使用に基づく特例の適用を主張し、被請求人「高沢」と被請求人「尾崎」により共同出願され、共有の商標権として登録を受けたものである。
しかして、当審において、特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料、すなわち、平成4年2月1日作成の「ポスター」、平成3年11月17日に開催の第7回長野県硬式空手道選手権の「チラシ」(コピー)及び平成4年1月1日から施行としている被請求人の連盟(全日本硬式空手道連盟)の「連盟規約」並びに平成4年7月3日発行の岡谷商工会議所の「営業証明書」を参照のうえ総合勘案するに、被請求人は、平成3年11月17日以降、本件商標をその指定役務(硬式空手道の教授,護身道の教授)について使用していたことを認めることができる。
(イ)本件商標の使用の開始とその経緯
被請求人は、請求人が「全日本硬式空手道連盟」(請求人の連盟)の名称の使用を開始した遅くとも1984年[昭和59年]7月1日より20年前の1964年(昭和39年)12月27日の「第1回日米空手選手権大会」より本件商標を使用してきたから、被請求人による本件商標の使用は不正競争の目的によるものではない旨主張し、本件商標の出願日前の証拠として、1963年(昭和38年)12月15日から1984年(昭和59年)8月26日までの空手大会に関するパンフレットのコピー(乙第1号証ないし乙第3号証及び乙第25号証ないし乙第31号証)及び岡谷商工会議所の証明書2通(乙第16号証の1及び2)を提出している。
(a)被請求人が、本件商標を採択した理由について
(i)被請求人は、本件商標を被請求人の連盟の名称として使用するに至った経緯について、被請求人が、主催者である全日本空手道連盟の副理事長として加わって開催された1963年(昭和38年)12月15日の「第1回全日本空手道連盟全国空手選手権大会」(乙第1号証)の翌年、1964年(昭和39年)12月27日に開催された「第1回日米空手選手権大会」(乙第2号証)の際に、本件商標(全日本硬式空手道連盟)が主催者の名称として使用された、と述べている。
そして、被請求人は、その理由として、「被請求人の流派の空手は、頭部や身体に防具を装着し、型のみではなく現実に打ち合う空手である。従って、硬式と呼ばれる空手であるが、このような硬式の空手の選手権大会は、・・・・昭和38年に、足立区の体育館で『全日本空手道連盟』主催という名目の下に開催された。ところで・・・もともと武装した空手で他の流派と異なる硬式空手であるので、主催者の名称としても『硬式』である旨を表示すべきであるとの意見があった。・・・」(平成8年9月5日付答弁書)ことから、本件商標の使用を開始したと述べている。
ところで、被請求人の提出した乙第1号証によれば、同人の行っていた空手は、同書面中(10枚目の)、写真に示された人物が装着している防具の形や、「服装は空手着の上に防具を着用し・・・」等との記載からみて、剣道の防具を改良した剣道防具改良型の防具を用いた、いわゆる防具付空手とみられるところ(他に、この認定を覆すに足りる証拠はない。)、例えば、甲第71号証(1986年[昭和61年]9月1日株式会社福昌堂発行「月刊『空手道』」)の記載中には「第6回全日本硬式空手道選手権大会」と「第25回全日本防具付空手道選手権大会」の両大会が併記されていること、あるいは、甲第13号証(1980年[昭和55年]12月号株式会社福昌堂発行「月刊『空手道』」)によれば「第1回東京国際親善空手道大会に参加して」と題する寄稿文の中で「・・・防具付空手を学んできた関係上、防具付空手をもって最上の試合形式と考えるものであるが、防具付空手にも欠点がない訳ではなかった。籠手、グローブをつけるので試合が殴りあいの観を呈し、・・・それと従来の防具は面の部分が金属で出来ていて、・・・足技では怪我をするおそれがあり・・・。それがこの大会では見事に解決されていたのである。面の部分に透明の硬質プラスチックを使った“スーパーセーフ”という新しく開発された防具を用い、籠手を省いてしまったのである。・・・」との記載があること等からみて、いわゆる防具付空手と硬式空手とは空手競技において区別して併存し行われていたものと認められ、少なくとも、1980年(昭和55年)(甲第13号証)の時点においては、被請求人が主張する「被請求人の流派は、頭部や身体に防具を装着し、型のみではなく現実に打ち合う空手である。従って、硬式と呼ばれる空手であるが」とか「もともと武装した空手で他の流派と異なる硬式空手であるので」との如く、防具を用いて行う空手競技において、防具付空手のことを硬式空手ともいうかのように、硬式空手の語が用いられているものではなかったといわなければならない。
しかも、岩波書店発行の「広辞苑」によると、「硬式」とは、「硬い材料を用いる方式。特に、野球・テニス・卓球などで硬球を使う方式。(反対語として)軟式。」をいうとされ、「空手」とは、「武器を持たず、手足による突き・蹴り・受けの三方法を基本とする拳法」をいうものとされていることからみて、硬式の文字は、野球・テニス・卓球等の球技においては普通に用いられている語といい得るとしても、これらとは異なり、拳法の一種である格闘技の一つ空手競技においては、該文字が、そのルールや試合方法等を表示する語として普通に用いられている語に属するものとは俄かに認められないところであり、そして、昭和39年当時においては、硬式の語が空手競技において普通に用いられていたというような事情にあったと認め得る証拠もない。
してみると、昭和39年当時、被請求人の行う防具付空手が硬式空手と称されていたかの如き、被請求人の主張はこれを直ちに認めることはできず、被請求人は、その主張の中で「・・・被請求人の前任者は上述のように、請求人より20年も前から選手権大会主催者として、本件商標を使用している・・・」の如く、何れの者であるか特定できない「前任者」なる者を引用し本件商標の使用の経緯について、やや不明瞭な理由を述べているところはあるが、少なくとも、昭和39年当時から、請求人が「硬式」の文字の使用を開始した、昭和56年5月17日の「第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会」(甲第2号証)までの間に硬式空手といわれる空手競技が一般に行われていたこと、あるいは、空手競技との関連で硬式の語を使用することが何ら不自然ではなかったことについての客観的な証拠を見出すことができない以上、被請求人が、昭和39年から同人の団体の名称として本件商標(全日本硬式空手道連盟)の使用を開始したとの前記一連の主張を直ちに信用することはできない。
(ii)しかして、被請求人は、昭和39年より本件商標(全日本硬式空手道連盟)の使用を開始したことを証する書面として乙第2号証及び乙第3号証を提出している。
なお、乙第1号証は、表紙を含む総頁10枚の大会パンフレットのコピーであるが、これよりは本件商標を見出すことができない。
そして、乙第2号証は、昭和39年12月27日に開催された「第1回日米空手選手権大会」の表紙を含む総頁15枚の大会パンフレットのコピーであり、乙第3号証は、昭和40年11月1日に開催の「第2回全国空手選手権大会」の表紙を含む総頁13枚の大会パンフレットのコピーであるが、乙第2号証及び乙第3号証中には、その表紙の主催者の欄に「全日本硬式空手道連盟」と表示され、乙第2号証の11枚目には「全日本硬式空手道連盟入会申込書」及び「全日本硬式空手道連盟殿」の如く、本件商標が「入会申込書」「殿」の語と結合し表示されていることは認められるが、被請求人が昭和39年の大会から本件商標をその名称として使用を開始したとしているにもかかわらず、同大会のパンフレット(コピー)である乙第2号証よりはそれに関連する記述、あるいは被請求人の行う空手が硬式空手であったこと等の説明は一切見出すことができない。
乙第3号証の表紙には、「日時 昭和40年11月1日(日)午前9時より」との記載があるが、請求人提出のカレンダー(甲第86号証)によれば、当日は月曜日であり、この種の大会のパンフレットの作成において曜日の記載を誤ることはあり得るとしても、大会の開催日を誤ることは容易には考えられず(仮に、誤りがあれば必ず修正をするのが普通)、そうすると、この大会は、昭和40年11月1日の月曜日午前9時より開催されたことになり、小学生、中学生等が参加するこの種の大会が、通常、月曜日の午前9時より開催されることはまずないことからすると、乙第3号証の大会自体が開催されたとする可能性は非常に薄いといわなければならない。
(iii)請求人は、乙第1号証ないし乙第3号証の信憑性についての疑問を当初から指摘していた。例えば、乙第2号証は、「大会名称が、資料の各葉で相違している。表紙:日米空手選手権大会、役員挨拶欄:日米空手道選手権大会、広告掲載欄:日米選手権大会」、表紙の活字「日米空手」と本文中の「日米空手」の活字が相違している。第3号証についても、表紙の活字「全国空手選手権大会」と本文の活字「全国」、「大会」の書体が相違していること等であるが、そのうち、字体及び印刷精度の相違については、請求人より「印刷業者の証明」が提出されているところである。(甲第87号証ないし甲第92号証)。
乙第2号証ないし乙第3号証の不合理な点について述べる請求人の指摘〔上記(ii)の事項を含む〕については、当審も少なからず同様と考える。 しかるに、被請求人は、請求人よりのかかる再三の指摘と原本の提出の求めに対し明確に応えるところがなく、当審よりの乙第2号証及び乙第3号証の原本の提出を求めた平成15年3月27日付け「審尋」に対し、これらの原本は、昭和50年4月20日に発生した火災で焼失したため、たまたま道場に保管していたコピーを再コピーして提出した旨を明らかにしたものである。
そうすると、信憑性に欠ける乙第2号証及び乙第3号証によっては、同証拠で示すところの各大会が事実としてその時点において開催されたものであることを証明し得たものとはいえないばかりでなく、前記(i)で指摘したところの、昭和39年当時、被請求人の行う空手が硬式空手であったこと、そして、被請求人が同人の連盟の名称中に「硬式」の文字を採用したことの経緯についても明らかにされたものとはいえない。
したがって、被請求人が、昭和39年から被請求人の連盟の名称として本件商標の使用を開始したとの主張は、乙第1号証ないし乙第3号証によって立証されたということはできないから、他に、当時、被請求人が被請求人の連盟の名称として本件商標を使用していたことを示す客観的証拠(例えば、新聞、雑誌等)を見出すことができない以上、これら証拠をもってしては、被請求人の前記主張を直ちに認めることはできない。
(b)乙第25号証ないし乙第30号証、乙第31号証及び甲第93号証について
乙第25号証は、昭和45年10月18日の「日本空手道啓心会 諏訪南信地区 空手道選手権大会」、乙第26号証は、何年かが定かでない(答弁書の記載によると、昭和51年)5月3日の「全日本硬式空手道連盟 日本空手道啓心会 第19回空手道大会」、乙第27号証は、昭和52年10月30日の「日本空手道啓心会 長野県大会」、乙第28号証は、昭和53年10月1日の「全日本硬式空手道連盟 日本空手道啓心会 第20回全国空手道大会」、乙第29号証は、昭和54年8月26日の「全日本硬式空手道連盟 第21回全国空手道大会」、乙第30号証は、昭和56年11月1日の「日本空手道啓心会 第23回長野県空手道大会 第3回南箕輪空手道大会」、乙第31号証は、昭和59年8月26日の「全日本硬式空手道連盟 長野県中信地区 第4回 空手道選手権大会」のパンフレットの表紙のコピー(いずれも1枚)と認められる。
そのうち、乙第31号証については、平成11年12月10日付け第二答弁書理由補充書で原本が追加提出されている。(以下、乙第31号証をいう場合、この原本をいう。)
他方、請求人より提出された甲第93号証は、「日本空手道 啓心会全国大会 第26回 主催 日本空手道啓心会 日本空手道啓心会長野県支部 日時 昭和59年8月26日(日)午前8:00 会場 豊丘村村民体育館」において開催された日本空手道啓心会及び日本空手道啓心会長野県支部の主催による空手大会のパンフレットの原本のコピーと認められる。
しかして、乙第31号証の大会と甲第93号証の大会とを比較するに、両大会はいずれも昭和59年8月26日(日)の同日に開催された空手大会であり、乙第31号証の大会が「開会午前9時、場所松本市島内体育館、主催全日本硬式空手道連盟」であるのに対し、甲第93号証の大会は、「開会午前8時、場所豊丘村村民体育館、主催日本空手道啓心会、日本空手道啓心会長野県支部」であって、両大会の主催者は、いずれも被請求人「高沢」が会長若しくは最高顧問を務める団体である。
そして、両大会は、同日、同様の時間帯であって、異なる場所(松本市と豊丘村)において開催されたものであるが、乙第31号証の大会における名誉大会長(下条進一郎)、大会副会長(高沢正直)が甲第93号証の大会と同一であることはともかく、乙第31号証の大会の大会審判員全17名中14名、例えば、丸山亀美男(大会審判長兼務)、高沢宏彰、宮坂義政、赤羽昇、藤森正樹、織田大原康寛他が甲第93号証の大会の審判員としても参加しているばかりでなく、乙第31号証の大会ドクターである高沢宏彰は甲第93号証の審判員、乙第31号証の大会の審判員である赤羽昇、藤森正樹、織田大原康寛、宮沢隆、向山和好は甲第93号証の大会の大会実行委員として、それぞれ参加している。
このように、大会を管理、運営するに当たり大会場所に常駐していなければならない性質の審判員、大会ドクター、大会実行委員等が、同日、同時間帯に、しかも松本市と豊丘村という離れた場所において開催された同様の大会に同時に参加し得るものとは考え難く、しかも、甲第93号証の大会のパンフレットは、表紙、祝辞、挨拶、大会次第、大会役員、出場者名簿、各種の広告から構成されており、その2頁の豊丘村長の挨拶中には「空手道啓心会の第26回全国大会が当豊丘村において開催されますことは、・・・」との記載があること、また、22頁の五味考重の広告中にも「祝第26回啓心会全国大会」の記載があること等からすれば、甲第93号証の信憑性は極めて高く、したがって、甲第93号証の大会が事実開催されたことは疑いないとしても、そうであるとすれば、乙第31号証の大会が上記内容をもって実際に開催されたとは到底信じることができない。しかも、甲第93号証の大会の審判員であり、乙第31号証の大会の大会委員長でもある丸山亀美男は、甲第94号証(証明書)において、乙第31号証の松本市島内体育館で開催された「全日本硬式空手道連盟 長野県中信地区第4回空手道選手権大会」には参加していないことを証言しているものである。
そうすると、乙第31号証によっては、同証拠でその事実を立証すべき大会が、その日に、その場所で開催されたことを裏付ける証拠としての信憑性に欠けるものといわざるを得ない。
このように、原本の提出された乙第31号証の信憑性が疑わしいものであり、しかも、そもそもその表紙の下部に表示してなる本件商標が1964年(昭和39年)より使用されたとする被請求人の主張が容易に信用することができないこと上記のとおりであってみれば、乙第31号証はもちろんのこと、大会パンフレットの表紙部分1枚のコピーと認められる他の乙第25号証ないし乙第30号証において示された空手大会がその内容をもって事実として開催されたとは、容易に信じることはできない。
しかも、被請求人は、同人の提出した証拠に関し、前記(a)にも記したとおり、昭和50年4月20日に発生した火災でその日前の資料が焼失したとしているが、そうすると、同日以降の資料は原本が存在していてもいい筈であり、乙第31号証(内容の如何は問わず)の原本の提出が可能であるならば、他の乙第26号証ないし乙第30号証の原本の提出も可能といい得るところ、被請求人より提出された資料は、パンフレットの表紙部分1枚のコピーのみに止まるものである。
(c)乙第16号証の1及び2について
乙第16号証の1は、表紙(1枚目)を含む総頁9枚の平成7年4月25日付けの岡谷商工会議所による優良永年勤続被表彰者名簿のコピーである。その5枚目(4頁)及び6枚目(5頁)の10年勤続被表彰者中に中村氏及び被請求人「尾崎」らの氏名とともに全日本硬式空手道連盟の表示がある。 しかしながら、当該乙第16号証の1は、1995年(平成7年)の時点で被請求人の連盟が同会議所の会員になっていたことの証明であるとしても、これのみをもって、1995年(平成7年)より10年前の1985年(昭和60年)の時点において、被請求人の連盟が実在し、同会議所に、その名称の登録がされていたことを裏付ける証拠ということはできない。
また、乙第16号証の2は、被請求人が、平成10年5月28日に同会議所に対して申請した「会員証明願い」と、それに対し同会議所の会頭が証明した「会員証明書」の一体となった総頁1枚からなるコピーである。これは、平成10年5月28日の時点で被請求人の連盟が同会議所の会員となっていたことを証明するものであるが、同「会員証明書」中に「記 入会 昭61年4月」の記載がされているとしても、その事実を客観的に裏付ける証拠が他にない以上、その一事のみをもってしては、被請求人の連盟の同会議所への入会が、昭和61年4月であったことを証明し得たものということはできない。
以上のとおり、被請求人提出の乙第1号証ないし乙第3号証、乙第25号証ないし乙第31号証、乙第16号証の1及び2は、いずれも証拠力に乏しく、あるいは、認められないものばかりであるから、これらを総合勘案するも、被請求人が本件商標(全日本硬式空手道連盟)を昭和39年以来継続して使用してきたとの主張及び被請求人の連盟により前記乙各号証の大会が開催されたとの被請求人の主張は立証されたとみることはできない。
そして、被請求人よりは、他に、当該事実を客観的に示す新聞、雑誌等の資料の提出は一切ないものである。
(ウ)次に、被請求人は、乙第4号証ないし乙第9号証において本件商標を使用している旨主張しているので、以下、これについて判断する。
なお、乙第8号証で提出された資料は、特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料中の、平成4年2月1日作成の「ポスター」のコピー及び平成3年11月17日に開催の第7回長野県硬式空手道選手権の「チラシ」(コピー)であるが、これらについての判断は、前記(ア)に述べたとおりである。
(a)乙第4号証は、1984年(昭和59年)9月2日の東興協会の連盟の「第1回選手権大会」、乙第5号証は、1986年(昭和61年)6月8日の東興協会の連盟の「第2回全国選抜選手権大会」、乙第6号証は、1987年(昭和62年)4月12日の(財)全日本硬式空手道連盟の「硬式空手道大会」、乙第7号証は、1990年(平成2年)9月30日の東興協会の連盟の「第6回選手権大会」、乙第9号証は、1991年(平成3年)4月13日及び14日の東興協会の連盟の「第1回世界硬式空手道選手権大会(京都)」に関する、いずれも表紙、ごあいさつ、あるいは役員名簿等からなる空手大会のパンフレットのコピーである。
そして、乙第4号証によれば、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」(東興協会の連盟)は、昭和59年9月2日にスーパーセーフ安全防具を用いたハードコンタクトシステムによる試合を行う空手団体として、京都市に本拠を置く綜合武道場「日本正武館」の創立者であり初代館長であった鈴木氏により創立されたものであって、鈴木氏は、その初代会長であり、被請求人は、同連盟の最高顧問、副会長の立場でこれに参画していたことが認められる。
しかして、被請求人の主張するところは、上記の各乙号証中に表示されている「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の表示中の「全日本硬式空手道連盟」の文字部分をもって、本件商標をその出願前から使用していたから本件商標の使用は不正競争に当たらないというにある。
被請求人が、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の構成中「全日本硬式空手道連盟」の文字に如何なる権原を有するかはさておくとして、被請求人の述べる上記の主張についてみるに、まず、乙第4号証には、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が「-第六回選手権大会-」の文字とともに表紙の上段に三段で表され、また「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が、表紙下段の主催者の欄と村井正宏のごあいさつ文中及び村井正宏の記名欄の上部及び趣意書の文中の記名欄に二段若しくは一連に横書きしてなり、鈴木正文のごあいさつ文中には「財団法人東興協会・全日本硬式空手道連盟」の文字が縦書きに、その記名欄には「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が二列縦書きに表示してなるものである。なお、乙第4号証中、鈴木正文のごあいさつ文中には「長年の念願でありました全日本硬式空手道連盟が発足することに相成りました」との記載があり、単独で全日本硬式空手道連盟の文字が用いられているが、これは該ごあいさつ文中の他の東興協会の連盟の表記からみて、単に「財団法人東興協会」の表示を略したにすぎないものというのが相当である。
乙第5号証には、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が「第二回全国選抜選手権大会」の文字とともに表紙の上段に三段で、また「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が表紙下段の主催者の欄に表示してなるものである。
乙第7号証には、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が「-第六回選手権大会-」の文字とともに表紙の上段に三段で、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が表紙下段の主催者の欄及び役員の欄に二段若しくは一連に横書きし表示してなるものである。
乙第9号証には、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の文字が表紙下段の主催者の欄と鈴木正文のごあいさつ文中の記名欄の下部及び趣意書の記名欄の上段に二段で表示してなり、高沢正直のごあいさつ文中には「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟副会長」の文字が記名欄の上部に二段に表示してなるものである。
そして、乙第6号証には、「(財)全日本硬式空手道連盟」の文字が表紙及び2枚目の後援の欄に横書きで、鈴木正文のごあいさつ文中には「全日本硬式空手道連盟会長」の文字が横書きに表示されているものである。
しかして、乙第4号証、乙第5号証、乙第7号証及び乙第9号証に表された「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の表示は、当該文字を一連に横書きしてなるもの、「財団法人東興協会」と「全日本硬式空手道連盟」の文字とを二段に横書きしてなるもの、両文字を縦に二列に表示してなるもの、さらに両文字を中黒で結合してなるものがあるが、いずれの表示によるものであるとしても、これら表示は常に一体として表されているから、該文字の示す出所は「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」との全体を一体としたものか、若しくは「財団法人東興協会」が所管する組織としての「全日本硬式空手道連盟」にあると認識、理解されるというのが相当であり、そして、後者の場合、「全日本硬式空手道連盟」の出所標識としての識別機能は「財団法人東興協会」に帰属する関連組織としてのものと認められるから、かかる構成にあって「全日本硬式空手道連盟」の文字部分のみが分離、独立して出所標識としての機能を果たしているものということはできない。 そうすると、たとえ、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の構成中に「全日本硬式空手道連盟」の文字を有するとしても、「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」と「全日本硬式空手道連盟」の文字を単独で使用した場合とでは、その出所標識としての機能を異にするから、結局、使用に係る「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の構成中の「全日本硬式空手道連盟」の文字部分を捕まえて、該文字の使用をもって本件商標を使用したということはできない。
してみると、乙第4号証、乙第5号証、乙第7号証及び乙第9号証に表された「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の表示をもって、本件商標を、被請求人が本件商標の出願前から同人の業務について使用していたということはできない。
また、乙第6号証の表紙には、「(財)全日本硬式空手道連盟」と表示され、鈴木正文のごあいさつ文には「全日本硬式空手道連盟会長」との表示があるが、被請求人は、答弁書(平成10年6月4日提出)において「これによっても全日本硬式空手道連盟なる人格なき団体の名称は平成7年の10年前1985年(昭和60年)には岡谷商工会議所に登録され・・・。」と記載していること、そして、平成8年9月5日の答弁書において、出願時点においても人格なき社団であったことを自ら述べていることを参酌すれば、被請求人は人格なき社団であったといい得るから、上記「(財)全日本硬式空手道連盟」の表示を用いることはこれと相容れないばかりでなく、鈴木正文の肩書きも、乙第4号証ほかの大会パンフレットにおいては「財団法人東興協会」の文字が略されることなく記されていることからみれば、本パンフレットのかかる表記については、理由の如何はともかく、単に「東興協会」(又は、財団法人東興協会)の文字が省略され記されたにすぎないものというのが相当である。
したがって、乙第6号証によっても、本件商標がその出願前から使用されていたものとみることはできない。
上記のとおりであるから、被請求人は、乙第4号証ないし乙第7号証及び乙第9号証(乙第8号証については前記のとおり。)をもって本件商標の使用を主張するも、これを採用することはできない。
(エ)被請求人による本件商標の使用の開始時期
以上によれば、被請求人が、本件商標の使用を開始したと主張している1964年(昭和39年)12月27日の「第1回日米空手選手権大会」(乙第2号証)での使用はこれを認めることができず、請求人が「全日本硬式空手道連盟」の名称の使用を開始した1984年(昭和59年)7月1日の時点においても未だ本件商標を使用しておらず、また、1984年(昭和59年)9月2日の「第1回選手権大会」(乙第4号証)から1991年(平成3年)4月13日及び14日の「第1回世界硬式空手道選手権大会」(乙第9号証)までの間に開催された各空手大会における「財団法人東興協会 全日本硬式空手道連盟」の主催者名中の「全日本硬式空手道連盟」の文字によっても、本件商標を使用していたものと認めることはできない。
そして、上記の1964年(昭和39年)12月27日以降、本件商標の特例出願の願書に添付した商標の使用事実を示す資料において明らかにされた本件商標の使用の日(平成3年11月17日)に至るまでの間に、被請求人により本件商標が同人の業務の出所を表す識別標識として使用されたとする確かな証拠は見出せないから、結局、被請求人が、本件商標の使用を開始したのは、上記特例出願と同時に提出された資料で明らかな平成3年11月17日であったといわなければならない。
他に、この認定を覆すに足りる証拠は見出せない。
(2)請求人の連盟の名称の採択経緯及びその周知性
請求人主張の全趣旨及びその提出に係る甲の1ないし甲の33及び甲第1号証ないし甲第100号証(枝番号を含む。)によれば、以下の事実を認めることができる。
(ア)請求人は、1940年(昭和15年)に中国少林寺拳法と琉球少林寺流を修めた少林寺流拳行館空手道の開祖久高幸利氏の長男として生まれ、その後継者として実父の40年以上に亘る安全防具付空手の研究実績を引き継ぎ、1958年(昭和33年)に空手道の指導のために米国・カナダに渡り、15年間各地で空手の演武・紹介と選手及び指導者を育成した後、1974年(昭和49年)に帰国した(甲の21及び25並びに28、甲第10号証、甲第81号証)。
同年、請求人は、財団法人全日本空手道連盟(昭和47年に日本体育協会に加盟)の技術研究委員会に所属する安全防具開発委員に招請された。
空手の試合には、ノーコンタクト(当てる寸前で止める、いわゆる寸止め方式)、ライトコンタクト(道衣や皮膚に軽く当てる、いわゆるセミコンタクト方式)、フルコンタクト(完全に当てる、いわゆるハードコンタクト方式)の3形式があり、財団法人全日本空手道連盟の空手に代表される我が国の空手の主流は、ノーコンタクト、すなわち寸止め空手であった(甲第2号証及び甲第3号証、甲第3号証の1、甲第9号証、甲第23号証、甲第25号証及び甲第26号証、甲第55号証、甲第73号証)。
寸止め空手は、当てる寸前で技を止めることから、判定が困難で、誤審や見ている者に勝敗がわかりにくい欠陥があり、寸止めといっても、どうしても競技中に急所に当たる場合があって、安全性の確保が困難であった(甲第2号証、甲第9号証、甲第23号証、甲第25号証)。
一方、海外では、我が国のこのような状況とは異なり、欧米を中心に、止める空手から当てる空手へと移行しつつあり、フルコンタクトやライトコンタクトという用語の使用及び競技会において当てることは、既に常識化していた(甲第2号証、甲第3号証の1、甲第25号証及び甲第26号証)。
そうした状況下で、1977年(昭和52年)12月3日及び4日に東京で開催された「第4回世界空手道選手権大会」(主催:世界空手道連合:甲第52号証)の期間中に、併せて開催された空手の国際会議において、新しい安全防具の開発が必要との結論をみて、安全防具の開発と新競技方式の研究が日本に委嘱された(甲第25号証及び甲第26号証)。
我が国の防具付空手の防具、とりわけ剣道防具改良型の防具は、面部が重厚な鉄でできており、顔面を素手素足で打つと怪我をするおそれがあり、グローブないし剣道小手の着用が欠かせず、世界的なスポーツ、とりわけ、オリンピックの競技種目として認められるための空手用の安全防具としては不向きであったことから、実際に当てながら、怪我の懸念がなく、思いきって伸び伸びと技を繰り出せる安全防具の開発及びそれに合致したルールの創出が不可欠な情勢にあった(甲第25号証及び甲第26号証)。
(イ)請求人は、空手が将来、オリンピックの競技種目として認められる条件に叶った安全防具の開発及びより安全な競技法の創出のために(甲第2号証、甲第7号証ないし甲第9号証、甲第15号証及び甲第16号証、甲第23号証)、財団法人全日本空手道連盟の技術研究委員会や日本体育協会のスポーツ安全委員会等の協力を得て、1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて、実際に当てる(コンタクト方式の)空手の研究等を中心的に行う中で、従来の剣道防具系の安全防具とは異なる着想により、ボクシングのヘッドギアとホッケーのフェースガード及び透明防弾プラスチック素材等を総合的に組み合せたスーパーセーフ安全防具を開発した(甲第9号証)。
スーパーセーフ安全防具は、多数の空手雑誌の記事中において、大々的に紹介された(甲第7号証及び甲第8号証、甲第11号証ないし甲第17号証、甲第23号証及び甲第24号証、甲第67号証ないし甲第69号証、甲第73号証、甲第77号証)。
(ウ)新ルールの創出
スーパーセーフ安全防具により安全性が確保されるようになったことで、同防具に相応しい空手の新ルール、新審判法の創出が必要となり、1980年(昭和55年)に、請求人は、ハードコンタクトシステムによる空手競技法に相応しい新ルール、新審判法を創出した(乙第4号証、乙第9号証、甲第7号証ないし甲第9号証、甲第11号証ないし甲第13号証、甲第17号証、甲第73号証、甲第77号証)。
新ルールでは、従来、一撃必殺の空手観から一本勝ちルールのみが支配的であった点を改善し、一本勝ちに加えて、有効技の加点方式であるポイント制を採用した。
これをもとに、請求人は、財団法人全日本空手道連盟の技術研究委員会のメンバーとして、同連盟内で、スーパーセーフ安全防具を着用した直接打撃によるポイント制の空手競技への移行を主唱したが、防具を付けない寸止め空手を主流とする同連盟では、当てない空手を原則とし、将来ともに、その姿勢を崩さないとの方向性が出され、請求人の空手は採用されなかった(甲第3号証の1、甲第25号証及び甲第26号証)。
(エ)スーパーセーフ安全防具及び新ルールの公表時期
1980年(昭和55年)11月18日及び19日に開催された第1回東京国際親善空手道大会(主催:東京国際親善空手道大会実行委員会:甲第23号証)において、請求人は、初めてスーパーセーフ安全防具及びハードコンタクトシステムによる空手競技法を使用した大会を開催した(甲第7号証、甲第9号証)。この大会の模様は、東京12チャンネルの「ザ・サンデースポーツ」(ザ・スポーツ’80)で全国放映され、それ以来、スーパーセーフ安全防具を着用して行う請求人の空手の新競技方式・新ルールの普及活動は、日本国内のみならず世界へ向けて行われた(甲第3号証、甲第7号証ないし甲第9号証、甲第11号証ないし甲第13号証、甲第17号証、甲第73号証、甲第77号証)。
(オ)空手がオリンピックの競技種目として採用されるためには、その大前提として、先ず日本体育協会に加盟し、公式競技として承認されることが必要であった(甲第3号証の1、甲第79号証)。
しかしながら、日本体育協会に加盟が認められても、オリンピックの競技種目として採用されるためには、1競技1団体原則に依拠せざるを得ないところ、空手競技においては、既に寸止め空手を主流とする財団法人全日本空手道連盟が昭和47年に日本体育協会へ加盟していたので、同協会に加盟し公式競技としての承認を得るには、「空手」以外の名称で加盟するしかなかった。
そこで、請求人は、財団法人全日本空手道連盟と共存を図り、なおかつ、日本体育協会に加盟し、公式競技としての承認を得て、将来、オリンピックの競技種目に採用されるべく、1競技1団体原則の例外として、野球、テニス等が硬式/軟式で共存していることに注目し、これを空手に置き換えると、寸止め空手の軟式に対し、請求人のハードコンタクト(完全に当てる)システムの空手は「硬式」ということができると想到し、ハードコンタクトシステムの空手競技法の総称として、「硬式空手」ないし「硬式空手道」の名称を採択し命名した(甲第3号証の1、甲第17号証、甲第26号証)。
硬式空手、硬式空手道は、スーパーセーフ安全防具と新ルール及び新審判法とを一体化した空手競技システムの総称であった(甲第2号証及び甲第3号証、甲第5号証、甲第10号証)。
(カ)「日本硬式空手道協会」の設立及び同協会から「全日本硬式空手道連盟」への改称
請求人は、1981年(昭和56年)5月17日に大会名中に初めて「硬式」という名称を使用した国内最初の硬式空手道大会「第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会」(甲第2号証)を開催した。
この大会の模様は、空手雑誌に掲載され、東京12チャンネルの「ザ・スポーツ’81」で同’80に続いて2年連続放映された(甲第9号証、甲第24号証)。
上記大会の開催後に、請求人は、「日本硬式空手道協会」を設立し、同協会名をもって、それ以降の1982年(昭和57年)6月27日の「’82全日本硬式空手道選手権大会」(甲第3号証の1)、1982年(昭和57年)11月2日及び3日の「’82国際硬式空手道選手権大会」(甲第53号証)、並びに1983年(昭和58年)7月24日の「’83全日本硬式空手道選手権大会」(甲第26号証)を開催した。
そして、請求人は、「日本硬式空手道協会」を「全日本硬式空手道連盟」と改称し、少なくとも1984年(昭和59年)7月1日には「全日本硬式空手道連盟」の名称を使用し、被請求人による本件商標の出願までの間、「全日本硬式空手道連盟」の名の下に、下記の大会等を開催等した。
1984年(昭和59年)7月1日の「’84全日本硬式空手道選手権大会」(甲第4号証)、1985年(昭和60年)6月16日の「’85全日本硬式空手道選手権大会」(甲第54号証)、1986年(昭和61年)6月29日の「’86全日本硬式空手道選手権大会」(甲第55号証)、1986年(昭和61年)8月10日の「日中友好武術大会」(甲第56号証)、1987年(昭和62年)6月24日〜28日までの「KARATE WORLD CUP’87全米オープン世界硬式空手」(甲第65号証)、1987年(昭和62年)8月9日の「’87ジャパンカップ/わんぱくカラテトーナメント」(甲第62号証)、「1987年(昭和62年)10月3日及び4日の「日本一決定戦・JAPAN CUP’87全日本硬式空手道選手権大会」(甲第59号証)、1988年(昭和63年)10月9日の「’88全日本硬式空手道選手権大会」(甲の14:「月刊『空手道』」1989年[平成1年]1月号)、1989年(平成1年)10月1日の「’89全日本硬式空手道選手権大会」(甲の15:「財団法人全国勤労青少年福祉協会」パンフレット)、1990年(平成2年)11月11日の「’90全日本硬式空手道選手権大会・国際親善試合」(甲第57号証)、1991年(平成3年)年8月18日の「’91全日本硬式空手道選手権大会」(甲の15:「財団法人全国勤労青少年福祉協会」パンフレット)、1992年(平成4年)年11月3日の「’92全日本硬式空手道選手権大会・国際親善大会」(甲第80号証)等。
請求人の連盟の名称は、上記大会の模様等とともに下記の雑誌等に掲載され、紹介された。
(a)1985年(昭和60年)年4月1日及び同年5月1日株式会社ベースボール・マガジン社発行の「空手と武術」(甲第67号証及び甲第68号証)には、「全日本硬式空手道連盟所属」との記載がされている。
(b)1986年(昭和61年)9月1日株式会社ベースボール・マガジン社発行の「近代空手」[「空手と武術」改題第2号](甲第69号証)には、「第6回全日本硬式空手道選手権大会 主催全日本硬式空手道連盟」との見出し下に「当てることを許された空手競技として話題をまく、この“硬式ルール”。今大会も多くの流派・団体から参加した選手達で熱戦が繰り広げられた。」との観戦記や同大会の模様の写真等が掲載されている。
(c)1986年(昭和61年)9月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第71号証)には、「第6回全日本硬式空手道選手権大会」との小見出し下に「主催全日本硬式空手道連盟」との記載がされている。
(d)1987年(昭和62年)1月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第16号証)には、「空手ハウス西東」との見出し下に「・・・この硬式空手(全日本硬式空手道連盟)の総本山、・・・」との記載がされている。
(e)1987年(昭和62年)7月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第72号証)には、「カラテ・ワールドカップ’87」との小見出し下に「お問合せ先 全日本硬式空手道連盟事務局」との記載がされている。
(f)1987年(昭和62年)年10月1日株式会社ベースボール・マガジン社発行の「格闘技通信」(甲第42号証)には、「オリンピック委員も認めた硬式空手道の安全性」との小見出し下に「世界硬式空手道連盟議長であり、全日本硬式空手道連盟理事長の久高正之空観氏は、今大会の総評を次のように述べる。・・・」との記載がされている。
(g)1987年(昭和62年)年10月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第73号証)には、「日本一決定戦ジャパンカップ’87」との小見出し下に「お問い合わせ先 全日本硬式空手道連盟」「全日本硬式空手道連盟理事長・久高正之氏に話しを聞く・・・」との記載がされている。
(h)1988年(昭和63年)年1月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第74号証)には、「第7回全日本硬式空手道選手権大会 主催全日本硬式空手道連盟」との見出し下に「硬式空手王者に、4年ぶりの返り咲き」「見応え充分!白熱の硬式空手」との観戦記や同大会の模様の写真等が掲載されている。
(i)1988年(昭和63年)4月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第17号証)には、「ATTENTION.1 硬式のルール、特色を知ろう!!」との見出し下に「『硬式空手』という言葉が生まれたのは今から9年前。野球やテニスの“硬式”がヒントになっている。・・・昭和47年に全空連は日本体育協会に加盟している。その頃、全空連内部にいた久高正之氏(現・全日本硬式空手道連盟理事長)は、・・・唱えていたのだ。しかし、あくまでも“寸止め”を身上とする全空連では“防具”の導入は難しい。・・・将来的に体協の加盟も目指したい。だが、ひとつの競技について体協に加盟できるのは1団体のみ。そんなことから、“全空連”が“空手”で加盟をすませたのなら、野球、テニスを参考に“硬式”を頭につけようという新感覚が登場した・・・」「・・・この硬式空手の統一組織は、全日本硬式空手道連盟。・・・“硬式”の創始者・久高氏が理事長を務めるこの全日本硬式空手道連盟が、本家といっていいだろう。・・・」との記載がされている。
(j)1988年(昭和63年)年8月1日株式会社福昌堂発行の「月刊『空手道』」(甲第75号証)には、「久高正之氏、インドに 硬式空手を指導の旅」との小見出し下に「・・・大人気中の硬式空手。その創案者である全日本硬式空手道連盟理事長・久高正之氏が、インドの主要都市を普及と指導で回った。・・・」との記載がされている。
(k)1990年(平成2年)12月1日株式会社福昌堂発行の「フルコンタクトKARATE」(甲第41号証)には、「ザ・ステップワーク」との表題下に「・・・硬式空手の流麗なる受けと怒濤の直接攻撃を生むステップ・・・」「久高正之プロフィール、世界硬式空手道連盟・全日本硬式空手道連盟を設立し・・・」との記載がされている。
(キ)上記によれば、請求人は、少なくとも1984年(昭和59年)7月1日の「’84全日本硬式空手道選手権大会」(甲第4号証)以降、「全日本硬式空手道連盟」の名称を使用し、硬式空手道の選手権大会等を東京をはじめ、長野、千葉などで少なくとも10回以上開催し、硬式空手道の普及等に努めてきたことが認められ、同連盟が主催等する硬式空手大会は、従来にはないスーパーセーフ安全防具を着用して行う空手であったことで評判となり、多数の会派・流派の空手選手がスーパーセーフ安全防具を着用し、硬式空手の新ルールや新審判法の下で競技試合を行ったことで、大いに衆目を集めた。
そして、請求人が開発したスーパーセーフ安全防具、請求人が想到し採択した硬式空手、硬式空手道の各名称及び「全日本硬式空手道連盟」の文字よりなる請求人の連盟の名称、並びに同連盟が開催した大会の模様や出場者等は、雑誌「月刊『空手道』」をはじめとして多数の空手・格闘技の専門雑誌に多数回掲載されたほか、テレビ等のマスメディアにもとり上げられ(甲第9号証)、全国的に報道されたことから、硬式空手、硬式空手道の各名称及び請求人の連盟の名称(全日本硬式空手道連盟)は、少なくとも、特例出願に係る本件商標が使用された日である、遅くとも平成3年11月17日までには、請求人が行う空手に関する業務について使用する標章として、我が国の空手に携わる者及び空手又は格闘技に興味を持つ者の間において、既に広く認識されるところとなっていたことを認めることができる。
(3)上記(1)(2)の認定した事実を踏まえ、特例出願に係る本件商標の指定役務についての使用が、不正競争を目的としたものであるか否かについて、以下、判断する。
(ア)先ず、本件商標と請求人の連盟の名称は、ともに「全日本硬式空手道連盟」の文字よりなるものである。
しかして、特例出願に係る本件商標の出願前における指定役務(硬式空手道の教授等)についての使用の日は、前記(1)(ア)のとおり平成3年11月17日以降と認められるところ、請求人の使用に係る「全日本硬式空手道連盟」の文字は、該平成3年11月17日までには、空手に携わる者及び空手又は格闘技に興味を持つ者の間においては、既に請求人の連盟である「全日本硬式空手道連盟」を表す標章として広く知られるに至っていたものであること前記のとおりである。
そして、請求人は、少林寺流拳行館(総師範)を運営する一方、少なくとも、昭和59年7月1日以降、請求人の連盟の理事長として自らが創案、開発したスーパーセーフ安全防具を使用した硬式空手の空手大会を今日に至るまでの間、継続して開催したほか、例えば、甲の21における「Super Safe KARATE」の見出しの下、「懇切丁寧・個人指導」「入会手続 いつでもどなたでも入会できます。」「スーパーセーフ・カラテとは!!」との記載、また、甲第7号証あるいは甲第78号証に掲載された硬式空手の稽古の写真等からみて、請求人は、硬式空手の大会を開催する一方、請求人の運営する少林寺流拳行館等において硬式空手道の教授についても行っていたことを認めることができる。
被請求人は、請求人の行っている役務は「スポーツの興行の企画・運営又は開催」であるとしているが、請求人の提出に係る証拠によれば、請求人は、「硬式空手道の教授」をも行っていたと認められること上記のとおりであるから、被請求人のかかる主張は認められない。
そうすると、請求人の行っている硬式空手の大会の開催と、本件商標の指定役務(硬式空手道の教授等)とは、ともに硬式空手道の教授とその成果を競う大会の開催という密接な関係にあるばかりでなく、請求人は上記のとおり「硬式空手道の教授」も行っていたのであるから、請求人と被請求人とは共に「硬式空手道の教授」において同一の役務を行っている者であり、したがって、両者は、互いに競業関係にある者(同業者)ということができる。 してみると、被請求人が本件商標をその指定役務(硬式空手道の教授等)について使用した場合、請求人の業務との間に役務の出所について混同を生ずるおそれがあったものであることは明らかといわなければならない。
(イ)被請求人「高沢」による請求人の連盟の名称等の熟知
被請求人は、請求人が、「全日本硬式空手道連盟」を創設し、同名称で硬式空手の空手大会を最初に開催した1984年(昭和59年)7月1日の「第4回 ’84全日本硬式空手道選手権大会」以降、各地で硬式空手の空手大会を開催していたことについて、無効審判請求書(平成8年6月11日提出)で「日本の空手・武道の世界では、『全日本硬式空手道連盟』の名称は、当連盟創立の1980年(昭和55年)初頭以来、国内外の専門雑誌や全国空手道場交流試合等を通じて広く周知されている。」と主張しているのに対し、答弁書(平成8年9月5日提出)で「被請求人は、請求人が硬式空手の選手権大会を興行的に各地で開催していることは、知らないではない。」と答弁し、また、平成12年7月17日提出の答弁書において、「本件商標の出願は1992年(平成4年)であるが、請求人が使用を開始したのは請求人によれば1979年(昭和54年)であり、被請求人はこれを黙認していたのであるから・・・」と述べているとおり、被請求人は、請求人が「全日本硬式空手道連盟」の名称の下、硬式空手による空手大会を各地で開催していたことを十分に知っていたことは明らかといわなければならない。
また、被請求人は、昭和59年9月2日に東興協会の連盟が開催した、スーパーセーフ安全防具を用いて行う硬式空手による「第1回選手権大会」(乙第4号証)に最高顧問として参画しており、以後、東興協会の連盟が主催し開催した平成3年4月13日及び14日の「第1回硬式空手道選手権大会」までの一連の空手大会に副会長の立場で参画していたのであるから、スーパーセーフ安全防具を用いて行う硬式空手とその競技方法、競技規則等についても十分知り得る立場にあった。
しかも、被請求人が、本件商標の出願又は登録後に開催した空手大会、例えば、平成4年11月29日の「第22回高知県硬式空手道選手権大会」(乙第10号証)、平成8年6月16日の「第12回長野県硬式空手道選手権大会」(乙第17号証)、平成9年5月25日の「第13回長野県硬式空手道選手権大会」(乙第19号証)、平成9年8月10日の「第39回空手道啓心会全国大会」(乙第20号証)、平成10年8月30日の「’98オープントーナメント龍馬杯 四国硬式空手道選手権大会」(乙第21号証)、平成11年8月29日の「’99オープントーナメント龍馬杯 四国硬式空手道選手権大会」(乙第24号証)等の大会パンフレットによれば、同大会で行われた空手は、請求人の創案し、開発したスーパーセーフ安全防具を用いた硬式空手であったことが認められる。
(ウ)以上を総合すれば、被請求人は、請求人と同じ空手界にあって、請求人の開発したスーパーセーフ安全防具を着用して行う硬式空手が、安全で、かつ、全ての技を駆使することのできる空手道であることを熟知しており(乙第17号証及び乙第19号証ないし乙第24号証)、それだけでなく、請求人の開催する空手大会の活動状況、請求人の連盟の名称及び硬式空手、硬式空手道の各名称が、我が国の空手界において、広く認識されていたことを充分に知っていながら、サービスマーク登録制度導入時の使用に基づく特例の適用を主張して、本件商標を出願し、その登録を受けた後には、請求人の創案し、開発したスーパーセーフ安全防具を着用して行う硬式空手道の教授のみならず、硬式空手による大会を開催しているものである。
そうすると、被請求人による特例出願に係る本件商標は、自己に有利に図るべく請求人の信用を利用して、不当な利益を得る目的でした使用の事実をもって、その登録を受けたものと推認せざるを得ない。
(4)以上、被請求人の各主張は、これを採用することができず、被請求人の特例出願に係る本件商標の使用は、不正競争の目的をもってなされたものといわざるを得ないから、結局、本件商標の登録は、商標法附則第7条第2項の規定により読み替えて適用する同法第46条第1項の規定に基づき無効とすべきものである。
なお、請求人は、証人尋問を申し出ているが、本件は書面により審理することは可能と判断され、また、本件の結論に照らせば、証人尋問を行う必要はないものと判断されるから、証人尋問の申し出は採用しない。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2005-01-27 
結審通知日 2005-01-28 
審決日 2005-03-07 
出願番号 商願平4-160052 
審決分類 T 1 11・ 9- Z (041)
最終処分 成立  
前審関与審査官 小宮山 貞夫前川 浩二 
特許庁審判長 柴田 昭夫
特許庁審判官 蛭川 一治
鈴木 新五
登録日 1995-07-31 
登録番号 商標登録第3057901号(T3057901) 
商標の称呼 ゼンニッポンコーシキカラテドーレンメー、ゼンニッポンコーシキカラテドー、ゼンニッポン、コーシキカラテドーレンメー 
代理人 初瀬 俊哉 
代理人 網野 友康 
代理人 網野 友康 
代理人 菊池 桂子 
代理人 初瀬 俊哉 
復代理人 金 展克 
代理人 菊池 桂子 
代理人 網野 誠 
代理人 網野 誠 
代理人 吉田 芳春 

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