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審決分類 審判 全部無効 商4条1項8号 他人の肖像、氏名、著名な芸名など 無効としない 042
審判 全部無効 商4条1項15号出所の混同 無効としない 042
審判 全部無効 商4条1項10号一般周知商標 無効としない 042
管理番号 1096802 
審判番号 無効2000-35393 
総通号数 54 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2004-06-25 
種別 無効の審決 
審判請求日 2000-07-19 
確定日 2004-05-06 
事件の表示 上記当事者間の登録第4181050号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。
理由 1 本件商標
本件登録第4181050号商標(以下「本件商標」という。)は、別掲に表示したとおりの構成よりなり、平成8年10月9日に登録出願され、第42類「あん摩・マッサージ及び指圧、きゅう、柔道整復、はり」を指定役務として、同10年8月28日に設定登録されたものである。

2 請求人の主張
請求人は、「本件商標の登録は無効とする。審判費用は被請求人の負担とする。」との審決を求めると申し立て、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第11号証(枝番号を含む。)を提出している。
(1)請求の理由
請求人は家庭内の健康法である「足心道」を提唱し、50年以上の永きに亘り「足心道」標章を使用し継続して活動してきている足心道本部の三代目本部長である。
被請求人は「中国足心道」商標及び該文字を含む商標を使用した医療類似行為及び施術指導行為をし、「中国足心道」及び「足心道」の文字を使用した書籍を1998年4月5日に発行している。
被請求人の行為は、初代柴田和通、二代目柴田和徳及び三代目である請求人の著作物並びに「足心道本部」の活動において継続使用されている「足心道」標章との関係において、その内容並びに活動の混同を生ずることから、被請求人に対し、被請求人の活動及び書籍における「中国足心道」標章及び「足心道」標章の使用の中止を求めたところ、「足心道」が古来からある足ツボ療法の名称であること等を理由として、被請求人はこれらの標章の使用を中止せず現在に至っている。
従って、被請求人の行為は、「足心道本部」の活動並びに「足心道」標章の信用に只乗りする行為であり、不正な競争行為に該当する。
本件商標は「足心道」の文字を含むものであり、「足心道」の名称は足心道本部が継続して使用している家庭内健康法の標章として周知著名なものであること、また「足心道」の名称は「足心道本部」の著名な略称として認識されていることから、請求人の承諾なくしてなされる「足心道」の文字を含む本件商標の登録は商標法第4条第1項第8号に違反するものである。
また本件商標は、足心道本部が三代に亘り継続して活動を行い周知著名な標章である「足心道」(以下、「引用標章」という。)と類似する商標であり、同一又は類似する役務に使用するものであるから、商標法第4条第1項第10号に該当し、引用標章が周知、著名なことから、本件商標が使用されるとあたかも「足心道」及び「足心道本部」と関係のあるものの行う役務であるかの如く、その役務について出所の混同を生ずる商標であるから商標法第4条第1項第15号にも該当する商標である。
以下、本件商標が上記法条に該当することをそれぞれ論証する。
a 「足心道」の成り立ち及び現在に至るまでの沿革の概略は次の通りである。
「足心道」は、創始者柴田和通が伊藤自在庵師による手足末梢療法で難治の糖尿病が快癒したことから、1927年(昭和2年)にその研究を開始したものであり、足に現れた変化によって身体の異常をチェックし(観趾法)、足をもみほぐすことによって(操法)身体の自然治癒力を高め、全身の機能を活発化させる足からの健康法である。創始者柴田和通は1931年(昭和6年)「自在療法」の治療所を開設、東洋医学の考え方である「十四経絡」をふまえ、実際に多数の人々の足を観察することにより、手足と内臓の関連を体系づけるとともに施術の方法を研究し、1933年(昭和8年)に「手足根本療法」と改称した後、1935年(昭和10年)に著書「自在健法と手足根本療法」「趾考察」「趾相と疾病の研究」を発行するとともに、本格的な「自在療法」の普及活動に入ったことが現在の活動の原点となっている。その後1948年(昭和23年)に、それまで提唱、指導していた柴田観趾法、柴田操法及び柴田家庭健康術を総称して、オリジナルな手足の観察法である「観趾法」と施術法である「操法」とからなる「足心道」を確立したものである。
「足心道」の普及活動の拠点の名称も「足心道本部」と改称し、支部を設立、各地での講習会活動、刊行物の発行、新聞、雑誌等への記事を掲載するとともに、足心道本部の機関誌である「足心」を創刊し、以来50年以上に亘り、足の健康法の草分けとして誰にでもできる安全な家庭内での健康方法として「足心道」は家庭や職場で実行され、一般の健康増進に数多くの実績あげてきたのが「足心道本部」である。初代柴田和通の急逝に伴い1960年(昭和35年)に柴田和徳が二代目本部長を、1981年(昭和56年)には柴田當子が三代目本部長を承継し現在に至っている。その間複数の書籍が発刊され、1961年(昭和36年)に入るとNHK「生活の知恵」で「足心道」が紹介される等民放テレビ各局や新聞、雑誌等の取材が現在に至るまで多数なされるとともに、順次各地の支部、健康相談所が設立され、本部による指導のもと支部及び健康相談所における活発な講習会・講演会活動が展開されているものであり、「足心道」と言えば家庭内健康法を指称する標章として、また「足心道本部」の略称として広く認識されているものである(甲第2号証ないし甲第11号証)。
b 甲第2号証はテレビ出演に関する出演番組、放送局名の一覧であり、放送日の欄に記載の19610829は1961年8月29日を示すものである。1961年(昭和36年)8月29日のNHK総合テレビ「生活の知恵」の出演に始まり、同じくNHK総合テレビのテレビロータリー、日本テレビ(讀賣テレビ)系の婦人ニュース、金原二郎ショー、お昼のワイドショー、八木治郎ショー、11PM、大追跡PM7、2時のワイドショー、NETテレビのアフターヌーン ショー、TOKYO午後3時、奥さまあなたの11時、CBCテレビ(名古屋)のワイドショー&YOU及び平成9年のフジテレビ「おはようナイスデイ」まで、視聴者の多い番組に出演していることが明らかにされている。出演者は二代目柴田和徳、三代目柴田當子、各支部の支部長等であり、「足心道」の紹介と家庭内健康術としての「足心道」の啓蒙活動を行ったものである。これらのテレビ出演により、「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願以前に広く知られるものとなっていたことが証されている。
甲第3号証は「足心道」初代柴田和通、二代目柴田和徳、三代目柴田當子による著書及び「足心道」本部編集のビデオ、「足心道」の案内の一覧であり、「足心道」の名称が長期にわたり継続して使用されていることが証されている。著書では既に絶版となっているものもあるが、主要な書籍は復刻され「足心道」の入門、解説書となっている。甲第3号証の1ないし甲第3号証の3は初代柴田和通の著書であり「足心道」の基本を解説説明している「柴田家庭健康術・足心道による健体健心法」「柴田観趾法」「柴田操法詳解」を二代目柴田和徳が復刻版として発行したものであり、現在も版を重ねられているものである。甲第3号証の4及び甲第3号証の5の「簡単よく効く足心道・足つぼ健康法」「体と心を癒す特効足ツボ療法」は三代目柴田當子の最近の著書で、「簡単よく効く足心道・足つぼ健康法」は1995年の初版発行以来既に11版を重ねている。甲第3号証の6は現在配布している「足心道」の案内であり、「足心道」の活動の概略及び主な出版物等が説明されている。書籍等の発行部数も例えば「柴田家庭健康術・足心道による健体健心法」(自家出版)は47版で48,000部、「足心道(足のつぼでなおる健康法)」(山手書房刊)は10版で41,000部、「足ツボ療法足心道」(主婦と生活社刊)は32版で101,000部、「簡単よく効く足心道・足つぼ健康法」(主婦と生活社刊)は10版で41,500部が発行されており、これらが継続して発行されることにより、「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願以前より現在に至るまで広く知られていることが証されるものである。
甲第4号証は「二人自身」「主婦の友」「婦人倶楽部」「主婦と生活」「家庭画報」「婦人生活」「新鮮」「若い女性」「ハイミセス」「Balloon」「ミス家庭画報」等の幅広い女性読者を有する全国的に販売される婦人月刊誌における「足心道」に関する記事及び二代目柴田和徳、三代目柴田當子による「足心道」の指導等の記事の抜粋である。例えば甲第4号証の7は「家庭画報」の記事抜粋であり、記事の執筆者が「足心道」本部を訪問し記事にしたものであり、筆者自らの体験談等も含み、二代目柴田和徳の紹介及び「足心道」の効用等につき分かり易く紹介されている。甲第4号証の21は「ハイミセス」の記事抜粋であり、三代目柴田當子により「足心道」の「観趾法」及び「操法」が分かり易く紹介がされている。これらの紹介記事等により、健康の維持に興味を持つ女性に、「足心道」の内容及び「足心道」の名称が、本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
甲第5号証は「まづ健康」「医道の日本」「新栄養」「壮快」「わたしの健康」「正食」「健康時代」「コンパ21」「手技療法」「コンパ21」「How to 健康管理」等の健康維持に興味のある読者や手技療法に関する専門家を対象とした月刊誌等の「足心道」に関する記事の抜粋である。例えば甲第5号証の6は「正食」の記事抜粋であり、岩木幸男氏による「足心道」の紹介がグラビア及び本文においてなされており、「足心道」が日本固有の健康術であることの説明や「観趾法」及び「操法」の入門のための解説がされている。甲第5号証の16は手技療法に関する専門誌の記事抜粋であり、巻頭において三代目柴田當子に対するインタビュー記事が掲載されており、「足心道」の歴史、現状及び他の療法等の比較等が分かり易くなされている。これらの紹介記事等により、健康の維持に興味を持つ読者や手技療法の専門家等に「足心道」の内容及び名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
甲第6号証は「週刊文春」「ビッグコミック」「週刊朝日」「アサヒ芸能」「平凡パンチ」「週刊女性」「微笑」「週刊大衆」「週刊現代」「増刊週刊大衆」「週刊時代」「女性セブン」「女性自身」等の全国発売されている週刊雑誌、週刊コミック雑誌等の記事の抜粋である。例えば甲第6号証の14は「週刊大衆」の保存版増刊号の記事抜粋であるが、健康維持、自己診断の方法として「足心道」が紹介され、その起源、簡単な観趾法及び操法、全国に27支部、海外に1支部及び全国に22の健康相談所があることが紹介されている。これらの週刊雑誌は全国的に多数発行されているものであり、紹介記事等により、健康の維持に興味を持つ読者に「足心道」の内容及び名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
甲第7号証は「読売新聞」「九州スポーツ」「サンケイ新聞」「朝日新聞」「スポーツニッポン」「南日本新聞」「報知新聞」「デイリースポーツ」「健康日本」「宮崎日日新聞」「サンパウロ新聞」「サンケイスポーツ」「東京スポーツ」「日刊スポーツ」等の新聞記事の抜粋である。例えば甲第7号証の1は「読売新聞」の記事抜粋であり、二代目柴田和徳のインタビュー記事が掲載され「足心道」の操法が簡単に説明されており、甲第7号証の10は「健康日本」の記事抜粋であり、「足心道」が注目を集めていること、原理的には昭和4年頃から始められたことが二代目柴田和徳のインタビュー記事とともに掲載されており、甲第17号証の14は「東京スポーツ」の記事抜粋であり、三代目柴田當子により「足心道」の操法及び観趾法に関する説明がされている。これらの新聞は地方紙や海外紙を含むものであるが、何れも不特定の多数の読者を対象としているものであり、「足心道」の紹介記事等により、健康の維持に興味を持つ読者に「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
甲第8号証は月刊誌である「大法輪」「女性教室」「盲人に提灯」「マネー&ライフ」「会社実務」「霊の栞」「人と日本」「現代」「新評」「人と日本」「サラリーマン実益情報」「ビッグ・トゥモロウ」「オール生活」「ビッグ・トゥモロウ」「日本版ペントハウス」「マンボウ」「PHP」「アサヒグラフ」「致知」等の記事抜粋である。例えば甲第8号証の8は「会社実務」の記事抜粋であり、健康道場の紹介記事で「足心道」がとりあげられ、二代目柴田和徳が「足心道」の由来及び効用等につき簡単に説明し、本部、大阪支部、九州支部の連絡先も紹介されている。甲第8号証の13は「人と日本」の記事抜粋であり、ルポライター榎本武雄氏による「足心道」二代目柴田和徳のインタビューにより「足心道」の成り立ち等が分かり易く紹介されている。甲第8号証の22は「アサヒグラフ」の記事抜粋であり、朝日カルチャーセンターにおける「足心道」講座においての「足心道」三代目柴田當子の講習の模様及びインタビュー記事が掲載されている。これらの月刊雑誌は、一般誌以外の月刊誌を含み、不特定多数の読者が「足心道」を知りうる状態にあったことが示されるものであり、健康の維持に興味を持つ読者に「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
甲第9号証は各種の会報やPR誌である「師と友」「茶寿」「陸奥の開発」「月刊けんぽ」「自然と私」「ジャストヘルス」「全国たばこ新聞」「ウィズヘルシー」「はつらつ」「グラフ青森」「MPプレス」「誰にでもできる運動健康法」「ちえぶっく」「ビジネスプレス」「いきいき」「壽」「RIYOTENBO」「くらしのパスポート」等の記事抜粋である。これらの印刷物は地域的なものもあるが、全国的に配布されているものを含むものであり、多数の読者の間に「足心道」の内容及び「足心道」の名称が定着していることを証するものである。甲第9号証の14、15、18及び19は「グラフ青森」の記事抜粋であるが、「足心道」青森支部の清水満江氏による連載記事であり、「足心道」の内容が50回以上の長期間に亘り連載されていたことを示すものである。これらの会報やPR誌は、特定の範囲に限られるものの、多数の読者が「足心道」を知りうる状態にあったことが示されるものであり、健康の維持に興味を持つ読者に「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されている。
なお、甲第9号証の26は国民健康保険中央会の発行する厚生省保険局監修のリーフレットであり、三代目柴田當子が制作指導をしたものである。1995年に発行されたもので発行部数は不明であるが、公的機関の発行に係るものであり、「足心道」の内容及び名称が一般に広く知られるように使用されていたことを示すものである。
甲第10号証及び甲第11号証の「家庭に於ける実際的看護の秘訣」「奇跡の医術」「簡明不問診察法」「生命力を強める民間療法」「漢方・鍼灸・家庭療法」「全国名医案内」「公私混同のすすめ」「現代家庭療法百科」「人間医学便覧」「難病を治す町の名医ガイド」「毎日ライフ臨時増刊健康法全書」「若く長く生きる本」「不妊症を治す本」等は家庭内における健康法や民間療法等を紹介した単行本及びムックである。例えば甲第10号証の7の「公私混同のすすめ」においては、「足心道」を自らの生活に取り込んでいる著者が、何故「足心道」に興味を持ったか等につき、その体験者の手記の引用を含め記述しており、甲第10号証の10の「難病を治す町の名医ガイド」は針灸等の東洋医学を含む町の名医ガイドであり「足心道」がその創始とともに紹介され、三代目柴田當子が紹介されている。甲第11号証の4の「医道の日本臨時増刊1998特集併用してみたい手技療法」は鍼灸、あんま、マッサージ、指圧関係の業界誌「医道の日本」の増刊号であり、「足心道」が日本生まれの健康法として取り上げられている。これらの印刷物は、健康の維持や民間療法に興味のある人や、鍼灸、あんま、マッサージ、指圧の専門家を対象とするものであり、書籍の性格上長期間保存されるものであり、必ずしも使用者が一人に限られるものではない。従って、これらの本を入手し身近においた人々の間に「足心道」の内容及び「足心道」の名称が本件商標の出願前より現在に至るまで広く知られていることが証されているものである。
以上の甲第2号証ないし甲第11号証の各号証によれば、「足心道」標章が一般の療法を示す語ではなく、初代柴田和通により創造された語であること充分説明されている。また、「足心道」標章が少なくとも本件商標の出願時である1996年(平成8年)10月9日以前から、家庭内健康法を指称する標章として、また「足心道本部」の略称として周知、著名であったこと、及び本件の登録時である1998(平成10年)年8月28日を含み現在に至るまで、「足心道」標章が家庭内健康法を指称する標章として、また「足心道本部」の略称として継続して周知、著名であることも各号証の記載によるも明らかである。
c 商標法第4条第1項第8号について
「足心道」標章は上述の通り創造語であり、請求人が代表し活動する家庭内療法を指称する著名な名称であり、かつ「足心道本部」の著名な略称である。本件商標は「足心道」の文字を含むものであり、本件商標の登録に当たり請求人及び足心道本部の承諾受けていないことは明らかであるから、本件商標の登録は商標法第4条第1項第8号に違反するものである。
d 商標法第4条第1項第10号について
本件商標は両手の平に「十」の図形が載った構成を中央に配し、「十」図形の上部に「中」の文字を、「中」の文字を中心に中央図形を囲むように下方に向かい徐々に大きくなる木の葉風の模様が円弧状に配されてなる図形と、該図形の右横に丸ゴシック体風の漢字の大文字で「中国足心道」と左横書きしてなるものであり、態様の特定されない請求人の継続使用している引用標章とは外観上比較できるものではない。また、本件商標を構成する図形部分からは特定の観念、称呼を生ずるものではないから、この限りにおいては両者は類似するものではない。しかしながら、本件商標を構成する文字である「中国足心道」中の「中国」の文字は単に地方や国名を示すにすぎず、前述したとおり引用標章が初代柴田和通の創造にかかる語であることからしても、本件商標は「中国における足心道支部」や「中国地方の足心道」を観念させるものであり、その要部は「足心道」にあるといわざるを得ず、請求人の継続使用する引用標章と観念において類似するものである。
また、本件商標は図形部分よりは特定の称呼が発生せず、その構成中の文字より「チュウゴクソクシンドウ」及びその要部より「ソクシンドウ」の称呼が生ずるとするのが相当である。これに対し引用標章は「ソクシンドウ」と自然に称呼されるものであるから、両者は称呼を共通にしており、この点においても類似している。次に両者の役務の類否につき比較する。
引用標章が使用されているのは、足に現れた変化によって身体の異常をチェックし(観趾法)、足をもみほぐすことによって(操法)身体の自然治癒力を高め、全身の機能を活発化させる足からの健康法及びその健康法の指導である。これに対し本件商標の指定役務は「あん摩・マッサージ及び指圧、きゅう、柔道整復、はり」であり、引用標章の使用される健康法において行われるツボへの指圧やマッサージと共通する行為を含むものである。従って、両者は医療類似行為と健康法の指導という相違はあるものの、その内容には共通性があり、役務においても類似するものである。
以上の通り、本件商標と引用標章とは商標が類似し、その役務が類似するものであり、引用標章が本件商標の出願前より現在に至るまで周知、著名であることは前述の甲2号証ないし第11号証の証拠の記載よりも明らかであることから、本件商標は、甲2号証ないし第11号証の証拠の記載よりも明らかである。
したがって、本件商標は、請求人が使用する引用標章との関係において商標法第4条第1項第10号に該当する商標である。
e 商標法第4条第1項第15号について
引用標章は家庭内健康法を指称するものとして周知、著名なことは甲第2号証ないし甲第11号証の証拠の記載より明らかである。
従って本件商標がその指定役務に使用されると、本件商標が「足心道」の文字を含むことから、請求人等が新たな支部を設けた如く、その役務の出所につき混同を生ずる虞がある。また、本件商標がその指定役務に使用されると、「足心道」及び「足心道本部」と何らかの関係のあるものの行う役務であるかの如く、その役務の出所について混同を生ずる虞のある商標であるから商標法第4条第1項第15号にも該当する。
以上の通り、本件の商標は商標法第4条第1項第8号、同第10号若しくは同第15号に該当するものである。
従って本件商標は、商標法第46条第1項第1号の規定により、その登録を無効とされるべきものである。
(2)被請求人の平成12年12月18日付答弁に対する弁駁
a 答弁書.理由(1)において、「『足心道』の名称及びこれの原点となる『観趾法』の名称は中国古典に原点があって、中国における医療の歴史を否定するものである。」としている。しかしながら後述するとおり、被請求人が述べる医療の歴史とは伝聞に過ぎないものであり、台湾において健康法(若石健康法)を行うものが「足心道」の名称を使用せんがために作成したと理解される文書や、その後に発行されそれらを参考としたと容易に理解される文書中にあるのみで、我が国において「足心道」の確立された1948年(昭和23年)以前に使用されていることを示す、具体的に歴史上の経緯が認められる証拠は何ら提示されていない。
b 答弁書.理由(2)において「『観趾法』の名称は春秋戦国時代に記された『黄帝内径』の素女編にあり、『足心道』の名称は漢の時代に華陀が命名したものである」と断定しているが、これらの原典が失われているような事情はあるにしても、二千数百年に及ぶ伝承の歴史に関し、少なくとも「足心道」の確立された1948年(昭和23年)以前に使用されていることを示す一切の具体的かつ歴史的に認められる証拠の提示をすることなく、あたかも「足心道」が中国伝統の療法の名称であるとするのは、被請求人の強弁にすぎず、歴史的な前提を誤るものである。このような誤った前提のもとに被請求人は「唐の時代に『華陀秘笈』が日本に伝わって今日の鍼灸術『足心道になった」と述べているが、この主張もそもそもがどのような歴史的資料に基づく主張なのかも明らかでなく、根拠のない主張であるといわざるを得ない。さらに、答弁書.理由(3)において「文献は長い歴史の中で分散し」としているが、何故に最近の資料に「足心道」の名称が突然出てきたのかが理解できるものではなく、「分散し」とするのは事実を立証できないための詭弁に過ぎない。また、「『足心道』の名称の起源が『華陀秘笈』にあることは東洋医学に携わっている人ならば誰もが否定し得ない事実である。」旨述べているが、否定し得ないとする歴史的な事実も証拠も存在しないことは被請求人提出の乙各号証により明らかである。
c 答弁書.理由(4)において乙第1号証の1及び乙第1号証の2の説明をしているが、これらは何れもごく最近の出版物であり、若石健康法の源流が1980年代初頭に遡ることは認められるにしても、そこにいきなり「足心道」の名称が出てきているものである。唐代に日本に「足心道」が伝来したと主張するのであれば、またその事実があるというのであれば、それを裏付ける証拠が必要であるにも拘わらず、乙第1号証の1及び同号2によっては何ら立証されていないことは明らかである。
また、被請求人は乙第1号証の1の記載をもとに答弁書において「漢の代に『華陀秘笈』が『足心道』を著し、唐の代に『足心道』が日本に伝わって鍼灸術『足心道』になり、〜」(4頁1行〜2行)としているが、乙第1号証の1(翻訳文)の記載にはそのような記述は存在しない。翻訳文1頁のアンダーライン部分を読むと「華陀」が「華陀秘笈」を著作したのであり、「華陀秘笈」のことを所謂「足心道」であるとしているにすぎず、この記述によっても「華陀」が「足心道」なる名称を使用していたことは明らかになっていない。
なお、乙第1号証の2の「若石健康法の歴史」(51頁)によれば「黄帝内経」の中に「観趾法」という記述があり、その「観趾法」の記述に基づいて華陀が「華陀秘笈」を著わし、この本が唐の時代に日本に伝わって、それが今日の我国における「足心道」になっているように記載されており、観趾法=足心道のような記載とはなってはいない。初代柴田和通が「足心道」を創設した際には、東洋医学の考え方をふまえた上でのことであることは請求書3頁(4)以下に記載の通りであり、この点においては乙第1号証の2の記載の流れには「足心道」創設までの経緯と同様に理解できる点はあるが、正しく理解するとすれば、乙第1号証の2の記載は却って「足心道」が過去より使用されていなかったことを明らかにしているものであるといい得るものである。前述の通り若石健康法の流れをくむものが我が国においての使用を意図したが、請求人の申し入れにより使用中止した経緯があり、その後に我が国において発行された書籍であることから、誤解を生じないよう表現に十分注意したものとも推認されるものである。
(4)答弁書.理由(5)において乙第1号証の2(目次)及び乙第2号証の1に基づき「国際若石健康研究会」の説明がなされており、同会が存在すること及び継続して活動してしていることは認められる。しかしながら、世界的に権威のある団体であるとするのは被請求人の独断にすぎず、若石健康法の流れをくむ者が「足心道」の名称を根拠なく使用していることを示すにすぎないものであり、乙第2号証の2においては「足心道」の記載や説明すらない。乙第2号証の2は被請求人自身の原稿であり、「〜華陀が学問的に命名した『足心道』をブランドとして〜」のように記載されてはいるが、「足心道」のブランド価値を認めそれにただ乗りするような意図は窺えるものの、華陀が学問的に命名したとの記載は独断的なものであり、歴史的な事実を何ら証するものとはなっていない。乙第2号証の3は「国際若石健康研究会」の会員ではないとされる者による著書であるが、ここにおいて「華陀秘笈」=「足心道」のように記載されている。答弁書5頁1行目以下に「呉若石神父のこと、請求人第2代柴田和徳氏のこと及び若石健康研究会の世界的活動について平等に記述している」としているが、本書籍の発行が1995年になされていることよりしても、これらの者による著作等を参考にして本書が発行されたことは容易に理解できるものであり、「華陀秘笈」=「足心道」のような記載は若石健康研究会関係の書籍にしかないことから、若石健康研究会関係の書籍を参考としたことも容易に理解されるものであり、平等に記載云々は被請求人の勝手な判断にすぎないものである。ましてや5頁4行目以下において「この著書の内容から確実に判断できることは〜」との記述はまさに独断であり、初代柴田和通以前に中国に「足心道」の名称が存在したという誤った前提の下に、初代柴田和通が「足心道」の名称を借用したかのように記述していることは、到底首肯できるものではない。
(5)答弁書.理由(6)において説明されている乙第3号証の1は「観趾法」につき記述はされているものの「足心道」の記述はない。乙第3号証の2には「〜『華陀秘笈』という書物の中で、『足心道』としてわかりやすくまとめています。」との記述はあるものの、この記述に当たっては、根拠となる文献も明示していない。また、乙第3号証の3にも「〜『観趾法』『足心道』と呼びます。足心道とは〜」のように記述され、「足心道」に関する独自の解釈も行っているが、「足心道」が具体的にいつからどのような文献により取り上げられているかが明らかにされていない。乙3号証の2及び同号証の3は何れも最近の発行のものであり、その記述は著作に当たっての参考文献の記載によるところが多いと推認されることは前述の乙第2号証の3と同様である。
(6)答弁書.理由(7)において、「足心道」の名称が中国古来の療法に用いられたことは乙各号証から明らかであるとしているが、初代柴田和通により「足心道」の確立された1948年(昭和23年)以前及びその後を含め「足心道」の名称が使用されていたことを示す具体的かつ歴史的に認められる証拠ではない。また、「足心道」の名称は中国古来の文献にその由来があると考えるのが自然であるともしているが、これも初代柴田和通以前に中国に「足心道」の名称が存在したという証拠も存在しない誤った前提の下の記述にすぎず、請求人及びその関係者による50年以上に亘る努力を踏みにじるような論法であり到底首肯できるものではない。
(7)答弁書.理由(8)において甲10号証の4中の「足心道の起源は中国の古典にある〜」との記述を取り上げ「足心道」の名称を知ったことも不自然でないということとなると断定している。しかしながら、「足心道」の創設に当たり初代柴田和通が鍼灸・あんま・指圧などの東洋医学療法一般と共通の理論的根拠として中国の古典を研究したことの事実を説明したにすぎないものであり、名称の採択とは次元の異なるものである。
甲第10号証の10における「足心道というのは、中国の養生部門に昔からあったもの」という記述については、正しくは「診断や治療の他に、東洋医学には今日の保健に当たる『養生』という分野があり、現在行っている足心道はこの範疇に属する。」ということを出版社のライターに話したところ、出版社のライターが説明を省略して記載したものであり、当該記事には直前に柴田和通が足心道を創始したことも併せて書かれており、他の甲各号証の見ても誤って記述されたことは容易に理解できるものである。
(8)答弁書.理由(9)において昭和47年から昭和55年頃にかけての雑誌等の記事にある「柴田足心道」「柴田式足心道」の表示を指摘し、そこにおいて「柴田足心道」「柴田式足心道」という表記があたかも「中国療法の『足心道』を念頭において独自性を表現しようとした」とか「中国療法の『足心道』に遠慮した」との主張を展開している。しかしながら、乙各号証においても明らかなように初代柴田和通により「足心道」の確立された1948年(昭和23年)以前より「足心道」が知られており使用されていた事実はなく、ましてや、これらの記事が書かれた当時において「中国療法の『足心道』」なるものは全く存在せず、独自性を表現しなければならない理由も、他に遠慮したりする必要は全くなかったことはいうまでもない。これらの記事が書かれた当時は「西式健康法」「磯貝式物理療法」のように、創始者の「氏」と関連づけたような表現が健康法の名称として流行っていたということは類推されるものの、請求人自身においては「柴田家健康術 足心道」として自らの療法を称することはあっても、「柴田足心道」「柴田式足心道」というような表示は使用しておらず、記事を書いた各紙のライターが周りの流行等を考慮した上で独自の判断で行ったことである。
(9)答弁書.理由(10)において被請求人の第3回目の回答書において「足心道」の語源及びいわれは何なのかとの質問があったことは認める。しかしながら、その前提として「足心道」の語が古来よりあったという被請求人の主張につき、請求人より被請求人に対し客観的な証拠の提示を求めていたのにも拘わらずその提示もなく、また、第3回目の回答書の内容があたかも請求人が従来あった名称を騙ったかのようにされていたため、さらなるやりとりは困難という判断のもと本件無効審判の請求の準備を開始したものである。なお、足心道の名称は手のひらを掌(たなごごろ)というのに対して、足の裏を「足心」ということ及び足を中心として考えられた健康法ということから「足心」の語を採択することとし、「足心法」とか「足心術」のようにするという考えもあったようであるが、やはり精神面の修養も大切に考えて「心足りた道」という意味を込めて「足心道」としたことであることを念のため申し添える。
(10)答弁書.理由(11)によれば「『足心道』の名称は直接証明する証拠は見出せないとしても、歴史的由来からして中国古代からその存在は客観的事実と見なしうるのである。」としているが、何故に「直接証明する証拠は見出せない」とされるものが「客観的事実と見なしうる」のであろうか。何故に若石健康法の活動開始以降の資料しか存在しないのか。歴史的な事実があるとするのであれば、少なくとも初代柴田和通により「足心道」の確立された1948年(昭和23年)以前から、若石健康法の活動開始までの間の証拠が提示されてしかるべきである。歴史的事実が客観的に示されていないからこそ本件無効審判が請求されていることを被請求人が全く自覚していないことを示すにすぎない主張である。また、「かかる主張は中国医療の歴史を否定することに他ならず公序良俗に反するものといわざるを得ないのである。」のような主張をしているが、本来存在しない歴史を前提にし、被請求人自身が請求人の信用へのただ乗りのような公序良俗に反する行為を行っていることを隠蔽するかの如き言であり、請求人及びその関係者に対する誹謗中傷にすぎない。
(11)答弁書.理由(12)において「『足心道』の名称を商標権によって独占すると思われないように配慮した」のように述べているが、本件無効審判にいたる以前に、被請求人より請求人の関係者に対し「足心道」の名称使用を止めるように申し入れがあり、申し入れがあった旨の報告があったがために今日に至っているのである。また、「『中国足心道』の名称は中国伝統の療法を尊重し〜」のように申し述べているが、被請求人自身の論文の中で「〜華陀が学問的に命名した『足心道』をブランドとして〜」のように記載し、「足心道」のブランド価値を認めそれにただ乗りする意図があったため、被請求人の言を借りれば「日本において周知著名な『足心道』を念頭において『中国』の文字を付加するようにして独自性を表現しようとした。」のであり「日本において周知著名な『足心道』に遠慮した」のである。
(12)なお、全国の厚生労働省認可のあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師養成学校で使用する専門科目の教科書は、社団法人東洋療法学校協会が編纂し、各校で共通のものが使われている。教科書の性格上、東洋療法研究に関するその時点で一般的な到達点が、教科書には網羅的に盛り込まれているはずである。従って、被請求人の主張が事実であり、中国古来より「足心道」が存在するのであれば、教科書中に記載されているはずであるが、この中には中国の「足心道」に関しては一切出ていないことを念のため付言するとともに、「東洋医学に携わっている人なら誰でもが否定し得ない事実」とする被請求人の主張を何らの根拠のないものとして再度否認する。
(13)以上の通り、本件商標は商標法第4条第1項第8号、同第10号若しくは同第15号に該当するものである。従って本件商標は、商標法第46条第1項第1号の規定により、その登録を無効とせられるべきものである。

3 答弁の趣旨
被請求人は「結論同旨の審決を求める。」と答弁し、その理由を次のとおり述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第3号証(枝番号を含む)を提出している。
(1)請求人の主張は、本件商標を構成する「足心道」の文字部分は足心道本部が継続使用している家庭内健康法の標章として周知著名なものであり、また「足心道」の名称は「足心道本部」の著名な略称であるから、商標法第4条第1項第8号、第10号若しくは第15号の規定に該当する、ということにある。
請求人の上記主張の根底には、「足心道」の名称は請求人の初代柴田和通氏が独自に命名したものである、ということがある。しかし、「足心道」の名称及びこれの原点となる「観趾法」の名称は、中国古典にその原典があるのであって、両名称ともに柴田和通氏の造語であるという主張は失当であるし、中国における医療の歴史を否定するものである。
(2)まず、審判請求書(4)において、請求人が使用する「足心道」は「観趾法」と「操法」とからなるものであると述べている。「観趾法」の名称は「足心道」の名称に密接な関係があるので「観趾法」の名称を取り上げる。
「観趾法」の名称は、春秋戦国時代(紀元前403〜221年)に記された中国医学書最古の文献とされる「黄帝内経」の素女編に書かれているものであり、その内容は足の穴道を刺激しその反射原理を利用して治療効果をあげる方法である、とされている。
そして、「足心道」の名称は、漢の時代に華陀(カダ)という名医(ちなみに、華陀は、年始に飲む酒である屠蘇を処方したことでも知られている著名な医者である。岩波書店発行、広辞宛)が「観趾法」を整理して分かり易く「華陀秘笈」(カダヒキュウ)という本にまとめ、その中で用いた名称である。従って、「観趾法」即ち「足心道」なのである。「華陀秘笈」が唐の時代に日本に伝わって今日の鍼灸術「足心道」になったのであり、指圧も「観趾法」から変化し、発展した療法なのである。
(3)しかし、上記文献は長い歴史の中で散逸しており、「足心道」は民間療法として伝承されてきたのであるが、歴史的経緯を辿れば「足心道」の名称の起源が「華陀秘笈」にあることは東洋医学に携わっている人なら誰もが否定しえない事実である。
(4)そこで、上記の歴史的事実が被請求人一人の根拠のない主張でないことを以下に立証する。
被請求人は現在地で中国足心道治療センターを営むと共に多くの人に中国足心道を指導している。他方、中国の伝統医学である「足の反射区療法」を世界の友人と普及発展に努めるべく「国際若石健康研究会」という研究グループに所属して活動している。
「国際若石健康研究会」については、「若石健康法」について説明する必要がある。乙第1号証の1「若石健康法」にはその淵源及び歴史が記載されているが、「観趾法」は清朝末に西洋に伝わり、1913年にアメリカ人医師 ウイリアム・フィッジェラルド博士が現代西洋医学の見地から「観趾法」を研究した成果は「反射区療法」として一躍注目され、またスイス人看護婦 へディ・マサプレ女史が中国内の病院で勤務していた体験を基にして足の反射区に関する研究「未来のための健康」を著すなど西洋においても数多くの研究がなされたが、台湾で宣教していたスイス人の呉若石神父(本名 Fr,Josef Eugster)が長年患っていたリューマチの治療に前記「未来のための健康」で紹介されていた「足の反射区治療法」に試したところ効果が良かったことからその普及に努めた方法であって、1982年には「呉若石神父の病理アンマ法」として台湾全土に一大センセーンョンを巻き起こした経緯があり、これが「若石健康法」となったのである。また、同号証の「若石健康法源流譜系図」には、中国古代伝統医学として黄帝の代に「観趾法」が黄帝内経に記載され、漢の代に「華陀秘笈」が「足心道」を著し、唐の代に「足心道」が日本に伝わって鍼灸術「足心道」になり、また「足心道」が清朝末に西洋に伝わって「若石健康法」に受け継がれているという歴史的経緯が明らかにされている。
乙第1号証の2は、若石健康研究会が編著し呉若石神父が監修した著書であり、上記と同趣旨の事実が記載されている。
(5)「国際若石健康研究会」は呉若石神父の意志を受け継ぎ、更なる研究とその普及に努めている国際団体である。同研究会は加盟47か国の研究者が参加しており、その本部を中華民国の台北市に置き、2年に1回、偶数年に各国持ち回りで「若石健康法学術検討会世界大会」を開催している。1990年に開催の東京世界大会には、世界保険機構(WHO)からの代表として、オーストリアの医師シーグリンド・ワイバーガー博士が出席しており(乙第1号証の2「目次」欄参照)、世界的に権威のある団体である。
乙第2号証の1は、「国際若石健康研究会」が2000年7月22日から23日に中華民国台北市の圓山大飯店で開催した台北世界大会における論文集抜粋と、被請求人が「足の反射区療法 その効果と実証」という演題の講演を行った時の原稿である。その中で「足心道」が「若石健康法」のルーツであることを明言している。なお、同論文集は中国語、英語及び日本語で頒布されている。講演者は中国はもとよりドイツ、カナダ、アメリカ等世界各国の研究者であり、多くの日本人も講演者として名を連ねている。
乙第2号証の2は、同大会で日本の武田亜美氏が「黄帝内経素女編…観趾法的意義」という演題で講演した原稿であり、「黄帝内経」の検証と「観趾法」の意義を多面的に考察したものである。乙第2号証の3は、中国における足ツボマッサージ療法の起源と発展を多面的かつ客観的にコンパクトに説明している。著者は中華人民共和国の医師で、「国際若石健康研究会」の会員ではないが、著書の中で「黄帝内経」、「観趾法」、「華陀秘笈」及び「足心道」が中国歴史上の事実であること、足ツボマッサージが唐代に「足心道」の名で日本に伝わったこと、20世紀初頭から西洋でも足ツボマッサージが盛んに研究されたこと、呉若石神父のこと、請求人の第2代柴田和徳氏の著書のこと、若石健康研究会の世界的活動等について平等に記述している。この著書の内容から確実に判断できることは、「観趾法」及び「足心道」の名称は請求人の初代柴田和通氏が自己の療法に「足心道」の名称を付けた以前から中国で知られていたこと、また若石健康研究会が正当な活動を行なっている研究団体であることである。
(6)乙第3号証の1「若石健康法」、同号証の2「万病の原因は『足』だった」は、日本国内で発行された「若石健康法」についての単行本で、「観趾法」の歴史的系統及び「若石健康法」は「観趾法」を原点としていることを説明する。乙第3号証の3「症例別足もみ療法」は靴屋であった著者が「観趾法」により大病が直つた体験から「観趾法」による療法を紹介したもので、「若石健康法」とは異なる立場から「観趾法」を研究したものである。
(7)上述の如く「足心道」及び「観趾法」の名称が中国古代の療法に既に用いられていたことは、乙各号証から明らかである。
他方、初代柴田和通氏が昭和2年以降自己の療法を生み出すのに中国の文献を研究したことは審判請求書(4)及び甲各号証において明らかであり、この研究中に中国の文献から「足心道」及び「観趾法」の用語を知る機会があったと考えるのが自然である。しかるに、初代柴田和通氏が中国療法を研究していたにも拘らず「足心道」及び「観趾法」の名称を独自に命名したとすれば全くの偶然の一致ということになるが、置かれた環境からして偶然の一致とは到底考えられないのであり、請求人の「足心道」及び「観趾法」の名称はやはり中国の文献にその由来があると考えるのが自然である。
(8)しかも、甲第10号証の4には「足心道の起源は中国の古典にみられる。つまり、紀元50年ころ古代中国でかかれた『黄帝内経』のなかの『素問』と『霊枢』に陰陽五行説にのっとった病理観と経絡を利用した医術が記されている。足心道の創始者柴田和通氏は、偶然の機会に入手した「十四経絡発揮』を読み、『素問』や『霊枢』その他の古典をふかく研究しつつ…」との記載がある。著者は西洋医学を大学で学んだ教授であり、このような内容の記事は請求人側から資料の提供がなければ書けない筈であり、そうすると初代柴田和通氏は『黄帝内経』という書物の存在を知り、また「足心道」及び「観趾法」の名称を知ったことも不自然ではないということになる。
また、甲第10号証の10には「足心道というのは、中国の養生部門に昔からあったものですが、…体のすべての部分の状態が、足にはっきりとあらわれるわけですから、当然、病気の診断もできるようになります。これが『観趾法』です。」との記載がある。
上記各号証からしても、「足心道」の名称は初代柴田和通が独自に命名したものであるとの主張は、素直に信ずることはできない。
(9)昭和47年から昭和55年頃にかけて、甲第4号証の2、同号証の5、同号証の10、同号証の16、甲第5号証の9、甲第7号証の5、甲第9号証の2(48年5月)において「柴田足心道」と称し、甲第4号証の4、同号証の13において「柴田式足心道」と称しており、「足心道」の前に「柴田」或は「柴田式」の「氏」を付して使用していたが、このことは中国療法の「足心道」を念頭において独自性を表現しようとしたか、或は中国療法の「足心道」に遠慮したことが窺われる。
(10)審判請求書(2)で述べているように、請求人は被請求人に対して「足心道」の名称の使用中止を求めて来た。そこで被請求人は平成11年6月25日付け回答書で「通告人は昭和23年頃より「足心道」と名付けたと主張していますが、その語源及びいわれは何なのですか。」と質問したが、この点について何らの回答がなされないままに本件審判請求がなされたのである。独自の療法に従来の名称と異なる新たな名称を付ける場合、自己の療法を端的に表現すると思われる名称を決めるのが普通の考えであるし、その命名の由来を伝承しようとするのも当然であると思われるが、被請求人の質問に回答がなかったことは、請求人側において説明できる内容がなかったと推測せざるを得ないのである。
(11)以上よりすれば、「足心道」の名称は、直接証明する証拠は見出せないとしても、歴史的由来からして中国古代からその存在は客観的事実と見なしうるのである。これに対し、請求人の初代柴田和通氏が自己の療法を生み出すに至る研究の過程で中国療法の古典の内容を知る機会があったことから判断すれば、請求人の初代が命名した独自の名称であるとの主張は偶然の一致として理解できればともかく、到底信ずることはできない。また、請求人からの語源及び命名のいわれについて何らの説明もないのも不可解である。かくして、「足心道」の名称は中国伝統の療法の名称である以上、請求人が独占使用できる筈の名称ではなく、使用実績を量的にいかに積み上げたところで請求人の周知性、著名性を獲得できるものではない。かかる主張は中国の医療の歴史を否定することに外ならず公序良俗に反するものと云わざるを得ないのである。
(12)被請求人が使用する「中国足心道」の名称は中国伝統の療法を尊重し、これを踏まえて現代に応用しようとして命名したものであるし、本件商標も独自の図形と組み合わせた構成にすることにより「足心道」の名称を商標権によって独占すると思われないように配慮したのであって、その使用については非難される言われはない。
(13)以上、請求人は「足心道」の名称を独占使用し、また他人に対する使用の禁止を主張できる正当な地位にないことは明らかであるから、本件商標は商標法第4条第1項8号、同第10号若しくは第15号の規定に該当するものではない。

5 当審の判断
本件商標は、別掲のとおり、円状の月桂樹の図形内に両足裏の踵を向かい合わせにつけ、つま先を上向きに開いた図の上部に太線で描いた「十」を配し、その上に「中」の文字を表した図形とその右横に「中国足心道」の文字を太字で横書きしてなるものである。
一方、請求人の引用標章は「足心道」の文字よりなるものである。
請求人は、本件商標は商標法第4条第1項8号、同第10号若しくは第15号の規定に該当するとし、その理由として「足心道」標章が一般の療法を示す語ではなく、初代柴田和通により創造された語であり、「足心道本部」の略称として周知、著名である旨述べている。
他方、被請求人は、「足心道」の名称は漢の時代に華陀(カダ)という名医が「観趾法」を整理して分かり易くまとめた「華陀秘笈」(カダヒキュウ)という本の中で用いた名称であり、歴史的経緯を辿れば「足心道」の名称の起源が「華陀秘笈」にあることは東洋医学に携わっている人なら誰もが否定しえない事実であるが、その原典となる「華陀秘笈」は現存しない旨述べている。
そこで、先ず、請求人の提出に係る甲各号証をみるに、「足心道」の文字が最初に見られるのは甲第3号証の1「足心道による健体康心法 柴田家庭健康術 柴田和通著」であり、9頁著者の自序(昭和28年 晩秋)中には、「本書は、この観趾と繰法とを応用して・・・」との記載はあるものの「足心道」そのものについては触れられていないこと、同第3号証の2「柴田観趾法 足心道 柴田和通」(1974年8月1日初版発行)、同第3号証の3「柴田操法詳解 足心道 柴田和通著」(1984年11月15日初版発行)であり、いずれも著者「柴田和通」の名前とともに「足心道」の文字が記されているにすぎず、「足心道」についての記載が全くみられないこと、二代目柴田和徳、三代目柴田當子により発行された書籍等には足心道のいわれについての記載及び「足心道本部発行」の記載があることが認められる。
以上より、「足心道」の語が、遅くとも昭和28年(1953年)には、柴田和通によって使用され、その後、二代目柴田和徳、三代目柴田當子により「足心道」、「足心道本部」の語が使用されていたことは認められる。しかしながら、創始者とされる柴田和道自身が、その著書において「足心道」の由来を述べている事実はみあたらず、二代目柴田和徳、三代目柴田當子によりその由来が伝聞として語られているに過ぎず、他にこれを客観的に認めうる証拠も見当たらないことから、直ちに「足心道」の語が柴田和道の創造語であると認めることはできない。
次に、被請求人の提出に係る乙各号証をみるに、乙第1号証の1の中華民国七十五年元月初版、中華民国八十六12月20版「若石健康法」の「若石健康法源流譜系図」には、中国古代伝統医学として黄帝の代に「観趾法」が黄帝内経に記載され、漢の代に「華陀秘笈」が「足心道」を著し、唐の代に「足心道」が日本に伝わって鍼灸術「足心道」になり、また「足心道」が清朝末に西洋に伝わって「若石健康法」に受け継がれているという歴史的経緯が記されていること、同第1号証の2「若石 じゃくせき 足はあなたの主治医」(平成4年3月1日初版、平成11年11月30日発行 若石健康研究会編著 呉若石神父監修)にも、同趣旨の内容が記載されていること、同第2号証の3「足ツボマッサージ療法 金慧明著 ベースボールマガジン社発行 1995年12月20日発行 11頁」には「第一章 足ツボマッサージ療法概論1 足ツボマッサージの起源と発展」には「・・・。また「皇帝内教・足心編」にも足のマッサージに関する記述があり、「素女真経」にも「観趾法」がある。「華陀秘笈」にはさらに多くの記載があり、この方法を「足心道」と呼んでいる。」との記載があり、「同13頁」には、台湾在住のスイス人神父、呉若石は・・・・。この他・・・柴田和徳の「足ツボ健康法」など類似の本数多く出版されている。」との記載がある。同3号証の3「1日15分で効果テキメン症例別足もみ療法 鈴木裕一郎著 日東書院発行」には、「中国では、足こそが健康の重要ポイントであり、足から心身を癒そうという考え方を「観趾法」「足心道」と呼びます。足心道とは、読んで字のごとく「足が健康の中心である」「足が生命力を左右する中心である」という意味です。そして「観趾法」は、その実際の診断法、治療法のことを指しています。私は癌を患い、すがるような気持ちで中国まで出かけてこの観趾法による治療受け、・・・。」との記載があることが認められる。
以上のことからすれば、「若石健康法」に受け継ぐ者以外においても、その著書の中で「足心道」が中国の古典文献に由来する診断法、治療法であると述べており、これを否定することはできない。
さらに、請求人は、「足心道」標章が家庭内健康法を指称する標章として、また「足心道本部」の略称として継続して周知、著名であることも各号証の記載によるも明らかであると述べているので、この点について判断する。
甲第2号証は、テレビ出演に関する出演番組、放送局名を表にしたものであり、その放送日の欄を見るに、1961年8月29日から1997年の36年間に14回出演していることが認められる。
甲3号証は、「足心道」初代柴田和通、二代目柴田和徳、三代目柴田當子による著書及び「足心道」本部編集のビデオ、「足心道」の案内の一覧であり「柴田家庭健康術・足心道による健体健心法」(自家出版)は47版で48,000部、「足心道(足のつぼでなおる健康法)」(山手書房刊)は10版で41,000部、「足ツボ療法足心道」(主婦と生活社刊)は32版で101,000部、「簡単よく効く足心道・足つぼ健康法」(主婦と生活社刊)は10版で41,500部発行されていることが認められる。
甲第4号証は婦人月刊誌の「足心道」に関する記事であるが、28年間で24回各種婦人雑誌に「足心道」、また「足心道本部」が記事として掲載されていることが認められる。
甲第5号証は健康維持に興味のある読者や手技療法に関する専門家を対象とした月刊誌等の「足心道」に関する記事が掲載されたことが認められる。
甲第6号証は全国発売されている週刊雑誌、週刊コミック雑誌等の記事の抜粋であるが、1973年7月16日 (株)文芸春秋行「週刊文春」から1995年7月16日 (株)文芸春秋行「週刊文春」まで、週刊にも関わらず22回掲載されたことが認められる。
甲第7号証は新聞記事の抜粋であるが、1965年3月5日から1997年11月19日までに15回大阪、九州、宮崎、東京等で出版されたことが認められる。
甲第8号証は月刊誌の記事抜粋であるが、1958年5月1日発行から1997年9月1日発行まで23回掲載されたこと、
甲第10号証及び甲第11号証の家庭内における健康法や民間療法等を紹介した単行本及びムックであるが、1969年9月1日発行から1995年発行まで26回、1958年5月1日発行から1997年9月1日発行まで23回掲載されたことが認められる。
以上の甲第2号証ないし甲第11号証の各号証によれば、「足心道」及び「足心道本部」の名称が、本件商標の出願前より現在に至るまで、少なくとも健康の維持に興味を持つ者に、請求人の業務に係る役務を著す標章としてある程度知られていたことは認められる。
しかしながら、本件商標は前記のとおり「中国足心道」の文字及び図形よりなるものであり、これを本件指定役務に使用するときには、その構成中「中国足心道」の文字が、前記のとおり「中国の古典文献に由来する診断法、治療法」をあらわしたものといえ、役務の質と認識されるに止まり、自他役務の識別機能が極めて薄い部分であると認められるから、本件商標の自他役務の識別の機能を有する部分は、図形あるいは図形と文字が一体となった商標全体というのが相当である。
そうとすると、本件商標は、請求人の著名な略称を含む商標とはいえず、また、商標権者がこれをその指定役務に使用しても、本件商標と請求人が引用する「足心道」標章とは類似の商標ということができないばかりでなく、その役務が請求人又は請求人と何らかの関係を有するものの役務であるが如く、役務の出所について誤認・混同を生じさせるおそれがないものといわざるを得ない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第8号、同第10号、同第15号に違反して登録されたものではないから、同法第46条第1項の規定によりその登録を無効とすることはできない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲 別掲
本件商標(登録第4181050号商標)

審理終結日 2002-09-04 
結審通知日 2002-09-09 
審決日 2004-03-25 
出願番号 商願平8-114640 
審決分類 T 1 11・ 25- Y (042)
T 1 11・ 23- Y (042)
T 1 11・ 271- Y (042)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 大川 志道 
特許庁審判長 滝澤 智夫
特許庁審判官 小林 薫
岩崎 良子
登録日 1998-08-28 
登録番号 商標登録第4181050号(T4181050) 
商標の称呼 チューゴクソクシンドー、ソクシンドー、チュー、ナカ 
代理人 中村 直樹 
代理人 網野 誠 
代理人 網野 友康 

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