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審決分類 審判 査定不服 商4条1項8号 他人の肖像、氏名、著名な芸名など 登録しない X18
管理番号 1251566 
審判番号 不服2011-4951 
総通号数 147 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2012-03-30 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2011-03-04 
確定日 2012-01-11 
事件の表示 商願2010- 34030拒絶査定不服審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。
理由 1 本願商標
本願商標は、「Shirley Temple」の欧文字を標準文字で表してなり、第18類「かばん類」を指定商品として、平成22年4月28日に登録出願されたものである。

2 原査定の拒絶の理由の要点
原査定は、「本願商標は、『Shirley Temple』の文字を標準文字で表してなるところ、該文字は、1930年代にアメリカ合衆国で人気を博した子役女優である『Shirley Temple Black』の著名な略称を表したものであり、かつ、その者の承諾を得ているものとは認められない。したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第8号に該当する。」旨認定、判断し、本願を拒絶したものである。

3 当審の判断
(1)商標法第4条第1項第8号の該当について
本願商標は、前記1のとおり、「Shirley Temple」の文字よりなるものである。
そして、該「Shirley Temple」については、拒絶査定において示した書籍によれば、「現代外国人名録」(株式会社紀伊國屋書店)において、「ブラック,シャーリー・テンプル Black,Shirley Temple」の見出しのもと、「元・女優 ・・・旧姓(名)=テンプル,シャーリー・ジェイン 芸名=テンプル,シャーリー〈Temple,Shirley〉」と記載があり、「外国俳優大事典」(株式会社芳賀書店)において、「シャーリー・テンプル/Shirley Temple」の見出しのもと、「銀行の頭取だった父と母の売り込みで32年、4歳から映画に端役で出演、34年フォクス社と契約、明るく無邪気な個性、踊りも歌も披露する達者さで人気の沸騰したアメリカの少女スター。」と記載があり、また、「岩波=ケンブリッジ世界人名辞典」(株式会社岩波書店)において、「テンプル,シャーリー Temple,Shirley」の見出しのもと、「結婚後の姓ブラック Black(米 1928-)映画子役スター。カリフォルニア州サンタ・モニカ生まれ。幼児期より才能を示し、3歳半から短編映画のシリーズに出演し、『久遠の誓い』(1934)の主役を演じてスターの地位を確実なものにした。・・・引退後は共和党員となり、1969年には国連総会の米国代表に任ぜられ,駐ガーナ大使(1974-76)、・・・駐チェコスロバキア大使を歴任した(1989-)。」と記載がある。
また、英語によるフリー百科事典「Wikipedia」によれば、「Shirley Temple」の項に、「Shirley Jane Temple(born April 23,1928),later known as Shirley Temple Black,is an American film and television actress,singer,dancer,autobiographer,and former U.S.Ambassador to Ghana and Czechoslovakia.」の記載がある。(http://en.wikipedia.org/wiki/Shirley_Temple)
そうとすれば、「Shirley Temple」は、1930年代にアメリカの映画子役スターとして活躍し、人気の沸騰したアメリカの少女スターであった。また、引退後は、1969年には国連総会の米国代表に任ぜられ、駐ガーナ大使、駐チェコスロバキア大使を歴任するなどした現代の著名な外国人「Shirley Temple Black(シャーリー・テンプル・ブラック)」と理解されるものある。
してみれば、該「Shirley Temple」は、上記した「Shirley Temple Black(シャーリー・テンプル・ブラック)」の著名な略称若しくは芸名というべきものである。
なお、「Shirley Temple」の略称若しくは芸名が著名と認められることは、例えば、以下の新聞記事及びインターネット情報によっても、その一端をうかがい知ることができるところである。
<新聞記事>
ア 2001年3月17日付け南日本新聞(朝刊)には、「『米の名子役、来鹿していた』天文館を母親と散歩、昭和初めのスナップで明らかに/鹿児島市の松山さん、姶良の美術館に寄贈」の見出しのもと、「ハリウッドの人気子役だったシャリー・テンプルさんが昭和初め鹿児島市を訪れた折のスナップ写真を、同市のお年寄りが姶良郡姶良町北山の日本画美術記念館『草文』に寄贈した。泊掬生館長は『世界中の人気をさらった大スターが鹿児島を訪れたことはあまり知られていない。六、七歳のころと思う。事実を伝える貴重な写真』と感激している。」の記載がある。
イ 2001年12月6日付け産経新聞(大阪朝刊 12頁)には、「【教科書から消えた唱歌・童謡】<6>靴が鳴る」の見出しのもと、「歌は大正十三年ごろレコードに吹き込まれ、全国に広まった。アメリカでも往年の名子役、シャーリー・テンプルが日本語で吹き込んだ。」の記載がある。
ウ 2003年1月26日付け朝日新聞(東京朝刊 12頁)には、「アメリカ映画における子どものイメージ(書評)」の見出しのもと、「チャップリンの『キッド』に描かれた保護されるべき無垢な弱者としての子ども、シャーリー・テンプルが演じた過度に理想化された癒やしの天使、『シェーン』に描かれた勧善懲悪ヒーローへの子どもの視線、・・・それらの子ども像には、同時代のアメリカ人(主に白人中産階級だが)の子ども観のみならず、アメリカ自身の自画像もが映り込んでいる。」の記載がある。
エ 2003年3月6日付け毎日新聞(東京夕刊 9頁)には、「[中古盤探偵がゆく]オーケストラの少女」の見出しのもと、「1937年、世紀の大ソプラノとなったマリア・カラスを差し置いて、アメリカの音楽映画の傑作『オーケストラの少女』の主役の座を射止めた少女歌手がいる。・・・シャーリー・テンプルやジュディ・ガーランドと共に、30年代を代表するアイドルだった彼女こそ、大指揮者ストコフスキーと共演したヒロインだ。お年を召したクラシック音楽・映画ファンなら知る人も多かろう。」の記載がある。
オ 2006年7月25日付け産経新聞(大阪朝刊 14頁)には、「人気アニメの実写版映画が続々『リアルに新しいイメージ』」の見出しのもと、「『ハイジ』の原作は1880年に執筆されたヨハンナ・シュピリの小説。世界でたびたび映画化、テレビアニメ化されているが、実写として有名なのは、古くはシャーリー・テンプル主演の『ハイディ』(1937年)、チャーリー・シーンがペーターを演じた『アルプスを越えて』(89年)などがある。」の記載がある。
カ 2007年7月19日付け毎日新聞(大阪朝刊 25頁 総合面)には、「被爆シャーリー・テンプル人形:広島の女性が寄贈 原爆資料館できょう公開」の見出しのもと、「広島で被爆したシャーリー・テンプル人形を、所有者の末友智子(ちえこ)さん(78)=広島市西区=が原爆資料館(同市中区)に寄贈した。・・・人形は1935年、末友さんの小学校入学を祝って、米国で働いていた父親が贈ってくれた。当時、米国で人気子役だったシャーリー・テンプルさんがモデル。正面をガラス張りにした木の箱を作って入れ、日本人形のように床の間などに飾っていたという。」の記載がある。
キ 2007年9月8日付け中日新聞(朝刊 22頁 なごや東版)には、「瀬戸で制作の人形展 女性の美 陶磁器に表現 愛知製陶所 美人画描いた 絵皿や花器など50点 食器や胸像 『ナポレオン展』も」の見出しのもと、「米国の名子役シャーリー・テンプルや、マリー・アントワネットの紋章などが描かれた絵皿、花瓶なども展示。いずれも主に戦後、瀬戸市内の各工房などで作られた逸品がそろえられた。」の記載がある。
ク 2007年11月9日付け西日本新聞(朝刊 18頁)には、「山口県/佐々部監督の新作先行上映 23日から『しものせき映画祭』11日に無料プレ企画も」の見出しのもと、「・・・十一日にはプレ企画として、同市竹崎のシーモールホールで世界の名作アニメ映画などの無料上映もある。・・・上映スケジュールは次の通り。・・・【プレ企画=11日】・・・▽シャーリーテンプルの小公女=同1時半・・・」の記載がある。
<インターネット情報>
ア フリー百科事典「Wikipedia」のホームページにおいて、「シャーリー・テンプル」の項目のもと、「シャーリー・ジェーン・テンプル(Shirley Jane Temple、結婚後はシャーリー・テンプル・ブラック、Shirley Temple Black:1928年4月23日- )は、アメリカ合衆国のハリウッド女優および外交官で、子役女優であった。なお、外交官としての業績により大使の称号を一生名乗ることを特に認められているので、より正確にはシャーリー・テンプル・ブラック大使(Ambassador Shirley Temple Black)が正しい呼称である。1930年代の子役時代においては、当時のすべての映画スターの中で最も格が高いスターで、アメリカの象徴的存在であった。・・・その言葉どおりシャーリー・テンプルはいくつもの分野で顕著な業績を挙げ、6歳の時から82歳になるまでアメリカの名士(institution)であり続けている。彼女は2010年現在、カリフォルニア州サンフランシスコ市郊外のウッドサイドの邸宅で家族と共に健康に暮らしている。」の記載がある。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB)
イ 「angeleyes」(なかざわ ひでゆき)のホームページにおいて、「シャーリー・テンプル・ショー The Shirley Temple Show」の項目のもと、「ハリウッドの名子役として名高いシャーリー・テンプルが、1958年から1961年にかけて主演したテレビ・シリーズ“The Shirley Temple Show”。毎回『眠れる森の美女』や『長くつ下のピッピ』、『人魚姫』、『はだかの王様』などの有名な童話・お伽噺を、シャーリー・テンプルと豪華な脇役ゲストによってドラマ化していくというシリーズだ。※日本では残念ながら放送されなかったようだが、アメリカでは全41エピソードが放送されて大好評だったという。シャーリー・テンプルと言えば、1930年代から40年代にかけてハリウッドで絶大な人気を誇った子役スター。10歳にしてギャラは大人顔負けの100万ドル、8歳の誕生日には13万個というバースデー・プレゼントが届けられたという。日本でも「可愛いマーカちゃん」(’34)や「私のテンプル」(’35)、『天晴れテムプル』(’39)、『テンプルちゃんの小公女』(’39)など、次々と主演作が劇場公開されて大変な人気だった。」の記載がある。
(http://angeleyes.dee.cc/shirley_temple_show/shirley_temple_storybook.html)
ウ 楽天ブログの「Bar house of Primrose」のホームページにおいて、「2007/09/14 シャーリー・テンプルのレシピ テーマ『カクテル大好き!(2814)』」の項目のもと、「1930年代のアメリカで名子役として一斉を風靡したシャーリー・テンプルさんの名冠したノンアルコール・カクテル『シャーリー・テンプル』のPrimrose recipeをご紹介しますね。」の記載がある。
(http://plaza.rakuten.co.jp/withkay/diary/200709140001/)
エ 「映画 MOVIE-FAN」のホームページにおいて、「映画 シャーリー・テンプル物語 /Child Star:The Shirley Temple Story」の項目のもと、「OVERVIEW /原題:Child Star:The Shirley Temple Story /邦題/カタカナ:『シャーリー・テンプル物語』 /制作年:2001年 /制作国:アメリカ/オーストラリア /制作スタジオ:Hartbreak Films /公開日:2001年5月13日(アメリカ)」の記載がある。
(http://movie-fan.jp/2001/00031346.html)
以上の事実を総合勘案すると、「Shirley Temple」の文字は、「Shirley Temple Black(シャーリー・テンプル・ブラック)」を指し示す著名な略称若しくは芸名と認めるのが相当である。
また、請求人が、本願商標につき商標登録を受けることについて、同人からの承諾書等の提出がないことから、その承諾を得たことを確認することもできない。
(2)請求人の主張について
請求人は、「商標として希釈化された点を証明する資料として、米国商標登録出願(77/723,398号)において、ソフトドリンクを指定商品として「SHIRLEY TEMPLE」は単に記述的商標にすぎないと判断している。この参考資料は、米国特許庁の拒絶理由通知で、現存する人物なので、その方の同意は必要だとの記述はあるが、いわゆるシャーリー・テンプルが著名だとの記述はない。米国で著名でない以上、わが国でも著名ではない。いい直せば、戦後間もない頃有名だったというのが事実である。本件出願人は、SHIRLEY TEMPLE(第1478894号)を昭和56年に登録しており、現在になって、拒絶査定となるのは、承服しかねる。昭和56年より以前の第2次世界大戦前に有名であった人物が、もし昭和の時代に拒絶されておれば商標の選択を変更できた余地があるが、現在になって拒絶されるのは取引の安全を害する。」と主張している。
しかしながら、シャーリー・テンプルが著名な略称若しくは芸名であることは、上記した書籍、新聞記事及びインターネット情報から認め得るところである。
そして、昭和56年に「SHIRLEY TEMPLE」の商標が商標登録されたものであるとしても、請求人に係る登録第5162247号商標(「Shirley Temple」)は、登録異議の申立て(異議番号2008-900474)により、また、登録第5162247号商標(「シャーリーテンプル」)は、商標登録の無効審判(審判番号2011-890009)により、商標法第4条第1項第8号に該当するとして、取消の決定及び登録無効の審決がそれぞれなされている。
なお、その際にも、商標登録を受けることについて、本人(Shirley Temple Black)からの承諾書等の提出はなかったものである。
よって、請求人の主張は採用できない。
(3)まとめ
以上によれば、本願商標は、他人の著名な略称若しくは芸名からなる商標であり、かつ、当該他人の承諾を得ているとは認められないものであるから、商標法第4条第1項第8号に該当するといわなければならない。
したがって、本願商標が商標法第4条第1項第8号に該当するとして本願を拒絶した原査定は、妥当なものであって、取り消すべき限りでない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲
審理終結日 2011-11-07 
結審通知日 2011-11-14 
審決日 2011-11-25 
出願番号 商願2010-34030(T2010-34030) 
審決分類 T 1 8・ 23- Z (X18)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 鈴木 斎佐藤 丈晴半田 正人 
特許庁審判長 渡邉 健司
特許庁審判官 井出 英一郎
高橋 謙司
商標の称呼 シャーリーテンプル、シャーリー、テンプル 
代理人 磯野 富彦 

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