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審決分類 審判 一部無効 商4条1項7号 公序、良俗 無効としない 124
管理番号 1230175 
審判番号 無効2010-890019 
総通号数 134 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2011-02-25 
種別 無効の審決 
審判請求日 2010-03-15 
確定日 2011-01-04 
事件の表示 上記当事者間の登録第2360178号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。
理由 1 本件商標
本件登録第2360178号商標(以下「本件商標」という。)は、「竹田庄九郎」の文字を横書きしてなり、平成元年6月16日に登録出願、第16類「織物、編物、フエルト、その他の布地」を指定商品として平成3年12月25日に設定登録され、その後、商標権の存続期間の更新登録がなされ、さらに、平成16年6月2日に指定商品を第17類「石綿織物,石綿製フェルト」、第24類「織物(畳べり地を除く。),畳べり地,メリヤス生地,フェルト,不織布,オイルクロス,ゴム引防水布,ビニルクロス,ラバークロス,レザークロス,ろ過布」及び第26類「テープ,リボン,編みレース生地,刺しゅうレース生地,房類」とする書換登録がされているものである。

2 請求人の主張
請求人は、「本件商標の指定商品中、第24類に属する商品の登録を無効にする。審判費用は被請求人の負担とする。」との審決を求めると申し立て、その理由及び答弁に対する弁駁を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号ないし第26号証を提出した。
(1)「竹田庄九郎」について
本件商標に係る「竹田庄九郎」の名前は、名古屋市緑区の有松地区において有松絞りを創始した郷土の偉人として敬愛の情をもって親しまれており、その名前は地域の共有財産といえるものであって、一私人に独占させることは社会公共の利益に反するものであるから、商標法第4条第1項第7号に該当し、その登録は無効にされるべきものである。
(2)有松絞りについて
絞りは生地を糸で絞って(括り)染めるもので、絞られた部分には染料が浸入せず、独特の風合いの模様を形成する。絞り染めした織物、絞り染めしたメリヤス生地、絞り染めした畳べり地等、絞り染めによって種々の布製品が製造される。有松絞りは、東海道沿いの有松宿(現名古屋市緑区有松町)で独特の発達を遂げた絞り染めである(甲第3号証)。
(3)「竹田庄九郎」の周知・著名性
竹田庄九郎は、有松絞りの創始者であり(甲第3号証)、本件商標に係る出願前(したがって当然査定前)から郷土の偉人として愛知県の小中学生副読本「新郷土に輝く人々下巻」(甲第4号証)に掲載され、また、同読本「明治のともしび」(甲第5号証)にも徳川家康や北の政所等と共に掲載されている。近年においても同副読本「あいち人物館」(甲第6号証)に本多光太郎や豊田佐吉、渡辺崋山等と共に掲載されている。有松絞りといえば「竹田庄九郎」と言われるくらいに、業界関係者のみならず、愛知県下の小中学生にまで広く知られた名前である。
(4)「竹田庄九郎」に対する地域住民の認識
名古屋市緑区有松町には有松・鳴海絞り会館(昭和59年3月27日竣工、甲第7号証)があり、当該会館のホームページには竹田庄九郎を顕彰する碑が建立されていることが紹介されている(甲第8号証の1)。この碑は、上記会館の横に位置しており(甲第6号証)、昭和8年に建立されたものである(甲第3号証)。
そして、上記ホームページ中の有松絞りの工程を解説したページの先頭部分に(甲第8号証の2)、竹田庄九郎の事跡が紹介されている。
さらに、有松絞り開祖竹田庄九郎翁及び物故功労者の慰霊祭が財団法人有松絞技術保存振興会の手で昭和27年以来現在に至るまで毎年行なわれている。このように、竹田庄九郎は郷土の偉人として敬愛されている。
(5)「竹田庄九郎」の利用状況と指定商品との関係
前述したように、竹田庄九郎の名前と、有松絞りないしその工程を経て生産される染め織物等の商品は密接な関係を有しており、当該商品は本件商標に係る商品区分第24類の指定商品と同一ないし類似の関係にある。
(6)出願の経緯・目的・理由
被請求人は、本件商標に係る出願を専ら自己の業務に使用する目的で行なった。すなわち、被請求人は、上記出願後に「竹田庄九郎コレクション」(甲第9号証)や「竹田庄九郎春の新色展」(甲第10号証)として自社製の振袖や訪問着、服地の販促に「竹田庄九郎」の名前を利用し、現在でもそのホームページにて有松絞りの最上の着物シリーズとして「竹田庄九郎ブランド」なるものを宣伝し(甲第11号証)、竹田庄九郎の知名度を利用して自社の和服の品質の高さを需要者に印象付けて販売促進を図っている。
(7)「竹田庄九郎」と請求人・被請求人との関係
請求人の家系は代々竹田庄九郎の通称を襲名し、請求人は、竹田庄九郎の直系の子孫であって、第15代竹田庄九郎を名乗っている。第15代竹田庄九郎の通称は公的機関を始め(甲第12号証)、被請求人が理事長を勤めていた織物組合自身も認めるところである(甲第13号証)。
一方、被請求人の代表者は、竹田庄九郎の分家の分家の末裔と自称するものの(甲第14号証)、その社名のとおりの「竹田嘉兵衛」が代々襲名する通称である。したがって、被請求人が、郷土住民に敬愛されている「竹田庄九郎」の名前を独占的に使用することは許されない。
(8)むすび
以上のとおり、本件商標は、その指定商品中、第24類に属する商品について、その査定時にあるいは遅くとも本審判請求時には、商標法第4条第1項第7号に該当するものとなっていた。
よって、本件商標は、同法第46条第1項第1号により、無効にされるべきものである。

3 答弁に対する弁駁
(1)周知・著名な故人の人物名(歴史上の人物名)は、その高い顧客吸引力の故に無許諾の第三者がこれを商品等に使用すると、当該商品等が歴史上の人物と何らかの関係を有するものであると需要者が誤認して流通秩序が損なわれるものであり、歴史上の人物名を正当な理由無く使用した商標は、公序良俗に反するものとして商標法第4条第1項第7号により拒絶無効とされる(商標審査便覧42.107.04)。
(2)竹田庄九郎の周知著名性について
ア 被請求人は、「竹田庄九郎」は今から約50年前の副読本に取り上げられたことがあるだけであるから、その名前は周知著名性に欠けると主張しているが、被請求人のこの主張は失当である。
すなわち、小中学生副読本「新郷土に輝く人々」は、被請求人が主張するように今から50年前の発行であるが(甲第4号証)、甲第5号証に示す小中学生副読本「明治のともしび」は、その奥付から明らかなように、初版発行が昭和58年11月1日であり、今から28年前に発行されたものである。また、小中学生副読本「あいち人物館」は、その奥付から明らかなように、発行が平成15年11月1日であり、ほんの7年前に発行されたものである(甲第6号証)。
このように、「竹田庄九郎」は時代を経ても変わらず愛知県の小中学生副読本に再三掲載されており、郷土の偉人としての周知著名性は疑いの無いものである。
イ 被請求人は「一般に本件のような請求が認容される周知・著名性というのは、日本人なら誰でも知っている人物に限られるのであり、例えば、豊臣秀吉や織田信長…」と主張しているが、一地域内においてもその人物名が周知・著名であればその高い顧客吸引力によって当該人物名を付した商品等に対する需要者の誤認は生じ得るのであり、また一方で当該地域の住民が敬愛する人物名が独占されることに対する住民の反発も考慮する必要がある。
ウ 「竹田庄九郎」は、いわゆる郷土の偉人である。すなわち、絞り染め発祥の地であり被請求人が絞り染めの事業を展開する名古屋市緑区有松地区では周知・著名な歴史上の人物名となっている。
このことは例えば、昭和26年9月14日にCBC(中部日本放送)でラジオ放送された「私達の町」で絞り染めと竹田庄九郎(文中は庄九郎)が中心的に取り上げられていること(甲第15号証)、昭和31年3月30日発行の「有松町史」においても絞り染めと竹田庄九郎が中心的に取り上げられていること(甲第16号証)、昭和58年11月27日発行の「愛知の史跡と文化財」で竹田庄九郎の墓が紹介されていること(甲第17号証)、平成8年3月9日発行の地域紙「緑区ホームサービス」において有松商工協同組合が15代目の現当主である請求人の協力を得て絞り開祖竹田庄九郎の伝記編纂を決定したことが大きく報じられていること(甲第18号証)、有松絞り開祖としての竹田庄九郎の慰霊祭の開催を案内する案内書が請求人宛に最近に至るまで毎年送られてきていること(甲第19号証の1ないし3)等によって明らかである。
エ このように、「竹田庄九郎」の名前は、少なくとも有松絞りの産地である名古屋市緑区有松地区においては、本件登録商標の査定時に、あるいは遅くとも本件審判の請求時には、当該地区における歴史上の人物名となっている。
したがって、「竹田庄九郎」の名前が周知著名性に欠けるとの被請求人の主張は理由のないものである。
(3)竹田庄九郎を周知にした被請求人の貢献について
ア 被請求人は、「竹田庄九郎」の名前が有松地区において広く知られるようになったのは被請求人の長年の努力によるものであると主張している。
ところで、甲第3号証第11頁及び第12頁の年表によると、明治32年には有松絞商工業組合が設立され、次いで明治38年には有松絞商工同業組合が設立され、大正6年には有松絞商工同業組合の組織拡充が行なわれている。そして昭和7年には有松絞改善同盟会が設立されるとともに、有松絞商工同業組合内の各職、部の組合化が行なわれた。
このような流れの中で、昭和8年に「竹田庄九郎」の顕彰碑が建立され(上記年表)、また同年には絞聯盟会が結成されている。昭和9年には第一回有松しぼり祭が開催され、以降、毎年継続行事となっている。昭和15年には戦時統制等の影響で有松絞商工同業組合が解散するも、有松絞開祖頌徳会が結成されている。ここで、有松絞開祖とは竹田庄九郎のことである。
第二次世界大戦後は昭和27年に有松絞商工協同組合が発足し、昭和39年に有松町が名古屋市と合併して緑区有松町となって同時期に財団法人有松絞技術保存振興会が設立された。
イ 被請求人の主張によれば、被請求人の元代表者であった故7代目竹田嘉兵衛(以下「7代目嘉兵衛」という。)が有松絞商工協同組合の理事に就任したのは、当該組合が設立された昭和27年である。これ以後、7代目嘉兵衛は有松地区に設立されている絞り関連の会や組合で役員を歴任し、あるいは絞染め関連の書籍の刊行に携わった(例えば、甲第3号証の第356頁には7代目嘉兵衛が編集委員長として掲載されている)。
しかし、「竹田庄九郎」の名前は、江戸時代には名字帯刀を許された絞り商として有松一帯で良く知られていたのはもちろん、上記年表からも明らかなように明治期から戦前においても有松地区では良く知られていたのであり、これは、幾多の先人や絞関連の組合に参集する同業者の寄与によるものであったことは明らかである。7代目嘉兵衛が数年間の理事長や会長職を勤めたことがあったとしても、それは被請求人が主張するような、専ら被請求人の長年の努力によって「竹田庄九郎」の名前が有松地区で広く知られるようになったことを証するものでないことは明らかである。
ウ 被請求人は「竹田庄九郎の著名性を高めるのに努力してきたのは、他でもない被請求人なのである」とし、「竹田庄九郎を敬愛の対象として地域住民に認識させ、その認識を維持することに貢献してきたのは、他でもない被請求人である」などとして、「7代目嘉兵衛は、有松絞りを振興し、街づくりを実現するためには、400年前に有松に移住した竹田庄九郎の名前と評判を高め、ブランド化することが役に立つと考え、本件登録商標の出願を行ったのである」とその正当性を主張している。
百歩譲って、竹田庄九郎の名前を地域に広めるのに被請求人が多大の貢献をしたと仮定しても、だからといって地域で敬愛されている歴史上の人物名を被請求人が独占的に使用して良いことにはならない。この点で、竹田庄九郎の名前と評判を高めブランド化することが有松絞りの振興に役に立つと考えて本件登録商標の出願を行った、という被請求人の主張は後述するように詭弁以外のなにものでもない。
(4)商品の混同について
被請求人は、「被請求人が『竹田庄九郎』ブランドの有松絞り製品を販売しても、(請求人とは)何ら商品の混同が生じる余地は全くない」として本件登録商標の出願・登録の正当性を主張するが、商標法第4条第1項第7号は、出所混同の有無を直接の適用要件とはしておらず、被請求人の主張は失当である。
(5)被請求人の出願の経緯・目的について
被請求人は、本件登録商標の出願を行ったのは「有松絞りを振興し、街づくりを実現するためには」、「竹田庄九郎の名前と評判を高め、ブランド化することが役に立つと考え」、「竹田庄九郎」の名前を有松絞りのブランドに冠することによって、むしろ、その名前と評判とを高めようと考え」たもので、「公益的な施設に便乗する意図や、竹田庄九郎の評価を自らの事業に利用する目的、まして竹田庄九郎の名前にフリーライドするような意思が全くなかったことは明らかである」と主張しているが、これは全くの詭弁である。
すなわち、被請求人は、「竹田庄九郎」につき自己名義で独占排他権たる商標権を取得して(甲第1号証)、他人の使用を禁止し、その上で、甲第9号ないし第11号証に示すように、自己の製造した絞染め織物からなる和服製品に「竹田庄九郎」の名前を商標的に使用していたものであり、現在も使用している。
また、乙第1号証の内容を精査すると、その前半で絞り染めの開祖である郷土の偉人として竹田庄九郎を紹介した後、被請求人が偉人である竹田庄九郎の分家筋(これは後述するように疑問がある)にあたるとし、後半では竹田庄九郎に縁があるとする被請求人の製造する絞染め織物とそれを使用した着物の優秀性を「竹田庄九郎」ブランドとして宣伝して販売促進を図っている。これはまさに、竹田庄九郎の評価を自らの事業に利用する目的、および竹田庄九郎の名前にフリーライドする意思を示すものという外なく、被請求人の上記主張は失当である。
(6)竹田庄九郎と請求人・被請求人との関係について
ア 被請求人は、初代竹田庄九郎の三代目竹田市郎左衛門直安の三男である竹田林三郎が分家独立して「笹屋」初代となり、その「笹屋」竹田林三郎の次男である竹田嘉七郎が分家独立して「笹加」の屋号で絞りの商いに加わったのが被請求人の興りであると主張している。
しかし、請求人の家に代々伝わる竹田家系譜(甲第20号証)によると、三代竹田庄九郎である竹田市郎左衛門直安の三男竹田林三郎は「笹屋」として分家独立した後は「笹屋理三郎」を称している。江戸時代には「竹田」の姓は尾張藩から名字帯刀を許された本家筋しか名乗ることはできず、分家した三男が竹田の姓をそれ以後も名乗ることは有り得ない。したがって、分家後の竹田林三郎が「笹屋」竹田林三郎を名乗ったという被請求人の主張は、自作の乙1号証の年表のみに拠る信頼性の無いものである。
イ 被請求人は「請求人は竹田庄九郎を単に自称しているだけ」で、「竹田庄九郎の名で有松絞りに関する事業を営んでいるわけではない」とし、甲第12号証や甲第13号証によっても「請求人が庄九郎の名を自称しているレベルを超えて、庄九郎の名が請求人を示すものとして公知されていることを裏付けるものではない」と主張している。
ところで、請求人は「第15代竹田庄九郎」を名乗っており、これは本名とは異なる通称である。「竹田庄九郎」の名前は、竹田家の初代が竹田庄九郎武則(甲第20号証)、二代は竹田庄九郎直治(同号証)とそれぞれ「竹田庄九郎」が本名となっているが、三代目は竹田市郎左衛門直安(甲第20号証)、四代目は竹田庄六郎直政(同号証)、5代目は竹田嘉平治直忠(同号証)等と、本名が「竹田庄九郎」とは異なっている。しかし、御用商人として名古屋城内に入場する際には「竹田庄九郎」の名前を記した鑑札が使用されていた。甲第21号証の1及び2には、9代竹田庄九郎である竹田可三郎直猷の鑑札を示す。このように、「竹田庄九郎」の名前は江戸時代から竹田庄九郎家を継いだ者の官許の通称となっていた。
請求人は「14代竹田庄九郎」である竹田直和(甲第20号証)の甥で、竹田庄九郎家を15代竹田庄九郎として継いでいる。したがって、請求人の通称である「15代竹田庄九郎」は長い歴史と由緒のあるものであり、被請求人が主張するような「竹田庄九郎を単に自称し」ているものではない。
ウ 請求人の元には「15代竹田庄九郎」を継ぐに当たって、上記竹田家系譜を初めとして先祖伝来の夥しい古文書が伝えられており、これらは折に触れて貸し出されている(甲第12号証、第22号ないし第25号証)。そして、これら古文書の借り出しに当たっては宛名として「竹田庄九郎家十五代」「十五代竹田庄九郎」「竹田庄九郎」が使用されている。なお、甲第22号証は、有松絞商工協同組合からの返却覚書である。
エ 請求人の元にある古文書は研究者の調査の用にも供せられており、例えば、請求人の所持する古文書中から「豊臣秀次条目」が発見されて紹介されており、ここでは「所蔵者の竹田庄九郎氏は、有松絞りの開祖とされる竹田庄九郎武則の御子孫で、現在は瀬戸市に在住しておられる」「今回の調査は、十五代目の当主竹田庄九郎氏が」と、請求人をその通称で紹介している(甲第26号証第123頁及び第130頁)。
オ このように請求人の通称である「竹田庄九郎」は、その本名と同様に、あるいはそれ以上に請求人を特定する役割を果たしており、「請求人が庄九郎の名を自称しているレベルを超えて、庄九郎の名が請求人を示すものとして公知されていることを裏付けるものではない」との被請求人の主張には理由が無い。
カ なお、請求人が竹田庄九郎の名で有松絞りに関する事業を営んでいるか否かは、「竹田庄九郎」の通称が請求人を示すものとして広く知られているか否かとは無関係の事項であり、これに関する被請求人の主張は失当である。
(7)請求人の黙示の許諾について
被請求人は、本件登録商標が登録されてから18年以上も経過していること、その間に本件登録商標に業務上の信用の蓄積が相当程度認められること、請求人がこれまでに本件登録商標に対して何ら異議を申し立てなかったこと等を理由として、本件登録商標の出願・登録に請求人の黙示の許諾があったとみるのが合理的であるとしているが、仮に本件登録商標に被請求人の業務上の信用が蓄積されているとしても、これは、竹田庄九郎の評価を自らの事業に利用する目的や竹田庄九郎の名前にフリーライドするような意思の下に不正に蓄積されたものであり、かかる信用の蓄積が無効理由を解消するものでないことは明らかである。
なお、商標法第4条第1項第7号の適用については信用の蓄積を考慮した除斥期間の定めも無い(商標法第47条)。
また、請求人がこれまでに本件登録商標に対して何ら異議を申し立てなかった点についても、請求人は商標法等に十分な知識を有していたわけではないことから合理的な法的手段に訴えることができなかったのである。寧ろ、稚拙な抗議の仕方ではあるものの、抗議行動を請求人が行ってきたことは、先祖伝来の名前を冒用された請求人の已むに已まれぬ心情の発露だったのであり、本件登録商標の出願・登録に請求人の黙示の許諾があったとする被請求人の主張は全く的外れなものである。

4 被請求人の答弁
被請求人は、結論同旨の審決を求めると答弁し、その理由を要旨以下のように述べ、証拠方法として乙第1号ないし第37号証を提出した。
(1)請求人は、「竹田庄九郎」の名前が、地域の共有財産といえるものであって、一私人に独占させることが社会公共の利益に反すると主張するが、以下に述べるとおり、上記主張には理由がないことは明らかである。
(2)「竹田庄九郎」の周知性・著名性の低さ
請求人は、「竹田庄九郎」の周知・著名性を述べているが、それは約50年前の副読本に取り上げられたことがあるというに留まるのであり、現時点で地域全体が読まれる本とか、全国の教科書やそれに近い書籍に取り上げられたということではない。
実際に、有松絞りはかなり有名であっても、「竹田庄九郎」という人物については有松以外の名古屋市においては知る人は少ないのである。
一般に本件のような請求が認容される周知・著名性というのは、日本人なら誰しも知っている人物に限られるのであり、例えば、豊臣秀吉や織田信長、石川五右衛門、坂本龍馬などと同程度の周知・著名性が必要であるというべきである。本件ではそのような意味での著名性は全くない。
(3)「竹田庄九郎」の周知・著名性は被請求人の貢献によるものである
「竹田庄九郎」の周知・著名性は、有松絞りの関係者と有松の地域の一定の者に限られるが、有松の地域に知られるようになったのは被請求人の長年の努力の賜である。
すなわち、被請求人は、斜陽産業となり、時代に取り残されるようになってきた有松絞り産業の発展及び有松の町並み保存に尽力し、有松絞りを全国に知らしめるにあたり多大な貢献をしてきた。
有松絞りを発展させるに伴い、竹田庄九郎の著名性を高めるのに努力してきたのは、他でもない被請求人なのである。
ア 有松絞りの発祥から現在まで
有松絞りは、1608年に東海道の有松に入植した竹田庄九郎が、名古屋城の築城のために九州豊後から来ていた人々の着用していた絞り染の手拭いを参考に、工夫を重ねて絞り染の技法を確立したのがはじまりである。
その後、有松絞りは尾張藩による営業独占権の付与を受けて栄えたが、明治維新で独占権が解除されたうえ、東海道に鉄道が引かれたことによる通行人の減少もあって衰退期を迎えた。
しかし、明治の中ごろ以降、販路拡充や新技法の開発などの努力が実り、有松絞りは勢いを取り戻し、全盛期を迎えた。
第二次大戦中には戦時統制により原料が人手できなくなったため再び衰退するが、昭和27年に繊維統制が撤廃されてからは復興し、生産量も増加した。
しかし、高度経済成長を経て、着物離れや安い中国製の製品との競争、後継者難などから、生産額は全盛期の7割以下に減少している。
現在、有松に残る絞り染め業者はわずか数件で、その数も年々減少している。その中でもっとも規模の大きい業者が被請求人であり、絹物を扱っているのは被請求人のみである。
イ 7代目嘉兵衛の有松絞り産業に対する姿勢とこれに対する評価
7代目嘉兵衛は、「日本の伝統工芸である絞りの維持発展と、有松の美しい町並みをよりよき姿で後世に伝えていくこと」(乙第37号証)をライフワークとして、有松絞り産業の発展と町並み保存に取り組んできた。
かかる取り組みに対しては、生前から新聞記事等でたびたび取り上げられてきたし(乙第3号ないし第16号証)、7代目嘉兵衛の逝去後は、平成8年に、遺族からの発案ではなく、多数の有志の自発的な呼びかけによって追悼文集「嘉兵衛さん」が作成されている(乙第17号証)。
この追悼文集には多くの追悼文が寄せられ、ゆかりのあった人々は7代目嘉兵衛の業績についてその遺徳を偲んでおり、7代目嘉兵衛が有松絞り産業の振興に多大な寄与を果たしてきたことは明らかな事実である。特に、同人は自分の店の商売は妻や従業員に任せ、そのほとんどの時間と労力を有松絞りの発展に注ぎ込んできた。
そして、7代目嘉兵衛は、有松絞りを振興し、街づくりを実現するためには、400年前に有松に移住した竹田庄九郎の名前と評判を高め、ブランド化することが役に立つと考え、本件商標の出願を行ったのである。
ウ 現在の被請求人による有松絞り産業振興への寄与
7代目嘉兵衛が亡くなってからは、竹田浩己が8代目竹田嘉兵衛として、被請求人の事業だけでなく、有松絞りの発展や町並み保存についても引き継いで、これらを更に発展させてきた。
エ 「竹田庄九郎」に対する地域住民の認識について
請求人は、昭和8年に竹田庄九郎の顕彰碑が建てられていること、財団法人有松絞技術保存振興会の手で、昭和27年から現在に至るまで毎年慰霊祭が行われていることなどを挙げて、竹田庄九郎が郷土の偉人として敬愛されていると主張するが、竹田庄九郎を敬愛の対象として地域住民に認識させ、その認識を維持することに貢献してきたのは、他でもない被請求人である。
7代目嘉兵衛は、顕彰碑が建てられた昭和8年の前年から家業に従事してきたし、有松絞技術保存振興会についても深く関わっており(昭和52年から58年までは会長を務めていた)、当然ながら慰霊祭についても毎年参加してきた。
オ 小括
このように、被請求人は、有松絞り産業の発展及び有松の町並み保存に尽力し、多大な貢献をしてきたうえ、これに伴い竹田庄九郎の名が周知され著名性が高まってきたのである。
もっとも、有松絞りは全国的に有名であるが、竹田庄九郎については、有松周辺以外の地域での周知・著名性は依然として高くないことは前述したとおりである。
(4)出願の経緯・目的・理由は正当である
ア 被請求人は、平成元年に本件商標の登録出願を行った。その理由は、有松絞りを振興し、街づくりを実現するためには、400年前に有松に移住した竹田庄九郎の名前と評判を高め、ブランド化することが役に立つと考えたからであった。
イ 被請求人は、「竹田庄九郎」の名前を有松絞りのブランドに冠することによって、寧ろその名前と評判とを高めようと考えて本件商標の登録出願を行ったのであり、それゆえ、公益的な施策に便乗する意図や、竹田庄九郎の評価を自らの事業に利用する目的、まして竹田庄九郎の名前にフリーライドするような意思が全くなかったことは明らかである。
(5)「竹田庄九郎」と請求人・被請求人との関係について
ア 被請求人は竹田庄九郎と全く無関係ではない。すなわち、宝永年間(1704?11年)、初代竹田庄九郎の三代目竹田市郎左衛門直安の三男である竹田林三郎が分家独立し、屋号を「笹屋」と称して絞り商を始めた。その後、寛保年間(1471?44年)に、「笹屋」初代竹田林三郎の次男である竹田嘉七郎が分家独立し、屋号「笹加」で絞りの商いに加わった。この「笹加」が、竹田嘉兵衛家の興りである。
このように、被請求人は、竹田庄九郎の分家の分家として、江戸時代から有松絞りに携わってきたのである(以上、乙第1号証の年表「『有松絞り』伝承の軌跡」)。
イ 一方で、請求人は竹田庄九郎を単に自称しているだけである。請求人は、請求人の家系が代々竹田庄九郎の通称を襲名し、請求人が竹田庄九郎の直系の子孫であって、第15代竹田庄九郎を名乗っていると主張している。
しかし、請求人は、庄九郎の通称を単に自称しているだけであって、竹田庄九郎の名で有松絞りに関する事業を営んでいるわけではない。
愛知県から「竹田庄九郎」の通称で呼ばれたという事実や(甲第12号証)、7代目嘉兵衛から「竹田庄九郎開祖十五代」と肩書きされた手紙を受け取ったという事実(甲第13号証)は、請求人が庄九郎の名を自称しているレベルを超えて、庄九郎の名が請求人を示すものとして公知されていることを裏付けるものではない。
(6)黙示の許諾が認められること
本件商標は、平成3年12月25日に登録されてから、すでに18年以上も維持されている。それゆえ、本件商標には業務上の信用の蓄積が相当程度認められ、それ自体が保護に値するというべきである。
また、請求人は、これまで本件商標に対して何ら異議を申し立ていない。
請求人が竹田庄九郎の直系であって、仮に遺族としての立場を有しているとしても、このように長期間にわたり異議を申し立ててこなかったという事実に照らせば、黙示の許諾がなされていたとみるのが合理的である。
(7)結論
以上のとおり、本件商標は、適法に登録され、何ら公序良俗に反するものではないから、商標法第4条第1項第7号に該当しない。

5 当審の判断
(1)商標法第4条第1項第7号にいう「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」には、a)その構成自体が非道徳的、卑わい、差別的、矯激若しくは他人に不快な印象を与えるような文字又は図形である場合、b)当該商標の構成自体がそのようなものでなくとも、指定商品又は指定役務について使用することが社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反する場合、c)他の法律によって、当該商標の使用等が禁止されている場合、d)特定の国若しくはその国民を侮辱し、又は一般に国際信義に反する場合、e)当該商標の登録出願の経緯に社会的相当性を欠くものがあり、登録を認めることが商標法の予定する秩序に反するものとして到底容認し得ないような場合、などが含まれるというべきである(知的財産高裁、平成17年(行ケ)第10349号、平成18年9月20日判決参照)。
また、公共的な観点からみた場合、町の経済の振興を図るという地方公共団体としての政策目的に基づく公益的な施策に便乗して、その遂行を阻害し、公共的利益を損なう結果に至ることを知りながら、該施策の中心に位置付けられている名称による利益の独占を図る意図をもって商標の登録出願をし登録を受けることは、公正な競業秩序を害するものであって、公序良俗に反するものと解される(東京高裁、平成10年(行ケ)第18号、平成11年11月29日判決参照)。
かかる観点から、本件商標が商標法第4条第1項第7号に該当するものであるか否かについて、以下に検討する。

(2)本件商標の構成について
本件商標は、「竹田庄九郎」の文字からなるものであって、人名を表したものとして認識し理解されるものの、その構成自体が非道徳的、卑わい、差別的、矯激若しくは他人に不快な印象を与えるような文字からなるものでないことは明らかである。
また、本件商標は、法律等によりその使用が禁止されているものでもないし、特定の国若しくはその国民を侮辱し又は一般に国際信義に反するものともいえない。
そこで、以下においては、本件商標をその指定商品中の第24類に属する商品について使用することが、社会公共の利益に反し、社会の一般的道徳観念に反するものであるか、又は公正な競業秩序を害するものであるかという観点から検討する。

(3)「竹田庄九郎」と「有松絞り」について
当事者の主張及び提出に係る証拠によれば、以下の事実が認められる。
ア 竹田庄九郎は、1600年代初頭に東海道の桶狭間を開拓して有松を開村し、有松絞りを創始した者であって、絞りの開祖とされていること(甲第3号証)。
イ 有松絞りは、竹田庄九郎が、1610年(慶長15年)に始まった名古屋城の築城工事に九州の豊後から来ていた人々の絞り染めの衣装からヒントを得て、工夫を重ね手ぬぐいに絞り技法を取り入れて「九九利染」として販売したのが始まりとされること(甲第3号ないし第6号証)。
ウ 九九利染は、豊後より移住した医師三浦玄忠の妻の協力を得て発展し、尾張藩の庇護も受け、尾張藩主により尾張藩の特産「有松絞」と名づけられ天下に公表され、広く知られるようになったこと(甲第3号ないし第6号証)。
エ 元禄時代には、東海道を往来する旅人により尾張名物として全国に広まり、その隆盛ぶりは葛飾北斎、安藤広重などの浮世絵にも描かれたこと(乙第1号及び第7号証)。
オ 有松絞りの需要の拡大に伴い、竹田庄九郎家から本家を継ぐ嫡子の他にも兄弟達が分家独立して、それぞれ固有の屋号を名乗って絞り商を営むようになったこと(乙第1号証)。
カ 請求人も被請求人も共に、竹田庄九郎の末裔に当たること(乙第1号証)。
キ 有松は、尾張藩特産品として絞りの技法と染色の開発で、絞りの一大産地に成長し、絞りの名産地として発展したこと(乙第1号証)。
ク 有松絞りに関連して明治32年に有松絞商工業組合設立(準則組合)、昭和8年に竹田庄九郎之碑建立、昭和15年に有松絞商工業組合解散、昭和27年に有松絞商工協同組合発足(中小企業等協同組合法に基づく)、昭和39年に財団法人有松絞技術保存振興会設立がされ、昭和50年に「有松・鳴海絞」として伝統的工芸品産業指定を受けたこと(甲第3号証及び乙第1号証)。
ケ 有松の地で考案された括り技法は、100種を超え、そのうちの70種以上の技法が今日に伝えられていること(乙第1号証)。
コ 絞りの技法は、多種多彩で世界中で現在100種が認められているが、その90%は日本で発達した技術とされ、有松は日本の絞り生産の90%以上の市場占有率を維持し続けているとされること(乙第1号証)。
サ なお、「有松鳴海絞」は、第24類「愛知県の有松・鳴海地域に由来する製法により愛知県で生産された絞り染織物」及び第25類「愛知県の有松・鳴海地域に由来する製法により愛知県で生産された絞り染織物を使用した和服」を指定商品として地域団体商標の登録を受けている(登録第5023084号)。

(4)「有松絞り」と「有松(町)」について
上記に加え、以下の事実が認められる。
ア 有松は、絞り産業・文化の中心とされ、「絞りの里」として新聞等に紹介されていること(甲第6号証及び乙第6号証)、
イ 有松では、江戸時代の絞り商家が残る古い町並みの保存運動が行われ(乙第4号ないし第7号証、乙第14号及び第17号証)、「絞りまつり」(乙第8号及び第21号証)や、絞浴衣、服地などのイベント等が開催されていること(乙第19号、第21号ないし第24号証)、
ウ 絞りの技法・資料・製品の保存と展示等を目的とする「有松・鳴海絞会館」や絞りまつりの「有松山車会館」が建設されていること(甲第7号及び第8号証並びに乙第7号ないし第12号証、第15号証)、
エ 平成20年には、有松開村400年記念事業として「有松で着物を着て楽しむ会」、「有松鳴海絞 in ARIMATSU」等の様々な記念行事が開催されたこと(乙第19号ないし第29号証)。
なお、上記町並み保存運動や、有松絞り技術保存等には、被請求人の前代表者が深く携わり、現代表者もそれを引き継いでいることが新聞報道等されている(乙第2号ないし第17号証及び第28号証)。
以上からすれば、「有松絞り」は、有松の町並み保存や町興しと相俟って、「絞り染織物」ないしは「絞り染織物を使用した和服」を指称するものとして取引者、需要者の間に広く認識されているものと認められる。

(5)「竹田庄九郎」の周知・著名性について
「竹田庄九郎」は、1600年代初頭に東海道の桶狭間を開拓して有松を開村し、また、1610年(慶長15年)に始まった名古屋城の築城工事に九州の豊後から来ていた人々の絞り染めの衣装からヒントを得て、工夫を重ね手ぬぐいに絞り技法を取り入れて「九九利染」として販売したのが始まりである「有松絞り」を創始した者であって、絞りの開祖とされている人物の名である(甲第3号証)。
しかしながら、竹田庄九郎が創始した「有松絞り」は、有松地域に由来する製法による絞り染織物として取引者、需要者に広く知られているものであるとしても、「竹田庄九郎」の名が、一般に広く知られているとまではいい難く、「有松絞り」の創始者として知られているものであって、その周知性は名古屋市の一部等限られた範囲内といわざるを得ないものである。
また、「有松絞り」については、「絞りまつり」などの催事が行われ、「有松鳴海絞り会館」等があるのに対し、「竹田庄九郎」の名を冠した公益的な施策、行事等は行われておらず、博物館、展示館等も見受けられない。
そうとすれば、「竹田庄九郎」の名は、地元のシンボルとして地域興しや観光復興等のために使用される地域の共有財産であるとまではいえないものである。
他方、被請求人の前代表者は、有松絞商工協同組合の設立や有松絞りに関する書籍の刊行に携わり、永年に亘り有松絞り産業の振興や有松の町並み保存等に寄与してきたことなどからすれば、本件商標は、公益的な施策等に便乗して利益の独占を図るというような不正な目的をもって登録出願されたものとはいい得ないものである。
むしろ、本件商標は、被請求人によって商品「有松絞り染織物を使用した和服」等について永年使用されている事実があり(甲第9号ないし第11号証及び乙第1号証)、一定の業務上の信用が蓄積され、顧客吸引力を有するものとなっているというべきである。

(6)小括
以上を総合考慮すると、本件商標をその指定商品中の第24類に属する商品について使用することが、社会公共の利益や社会の一般的道徳観念に反するものとはいえないものであり、公正な競業秩序を害するものともいうべきではなく、また、本件商標の登録出願経緯に著しく社会的妥当性を欠くものがあるものともいえない。このことは、本件審判の請求時においても同様にいえる。
結局、本件商標は、公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標というべきではない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当するものではない。

(7)むすび
以上のとおり、本件商標は、その指定商品中の第24類に属する商品について、商標法第4条第1項第7号に違反して登録されたものではないし、商標登録後、同第7号に該当するものとなっているものとも認められないから、同法第46条第1項の規定に基づき、その登録を無効にすべき限りでない。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2010-10-29 
結審通知日 2010-11-08 
審決日 2010-11-19 
出願番号 商願平1-67860 
審決分類 T 1 12・ 22- Y (124)
最終処分 不成立 
前審関与審査官 熊谷 道夫 
特許庁審判長 佐藤 達夫
特許庁審判官 田中 亨子
野口美代子
登録日 1991-12-25 
登録番号 商標登録第2360178号(T2360178) 
商標の称呼 タケダショークロー 
代理人 北村 栄 
代理人 漆原 由香 
代理人 守田 賢一 
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