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審決分類 審判 査定不服 商4条1項7号 公序、良俗 登録しない Y2125
管理番号 1226643 
審判番号 不服2007-26636 
総通号数 132 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2010-12-24 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 2007-09-27 
確定日 2010-10-25 
事件の表示 商願2006-112429拒絶査定不服審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。
理由 第1 本願商標
本願商標は、別掲のとおりの構成よりなり、第21類「デンタルフロス,ガラス基礎製品(建築用のものを除く。),かいばおけ,家禽用リング,魚ぐし,おけ用ブラシ,金ブラシ,管用ブラシ,工業用はけ,船舶ブラシ,家事用手袋,ガラス製又は陶磁製の包装用容器,なべ類,コーヒー沸かし(電気式又は貴金属製のものを除く。),鉄瓶,やかん,食器類(貴金属製のものを除く。),携帯用アイスボックス,米びつ,食品保存用ガラス瓶,水筒,魔法瓶,アイスペール,泡立て器,こし器,こしょう入れ・砂糖入れ及び塩振り出し容器(貴金属製のものを除く。),卵立て(貴金属製のものを除く。),ナプキンホルダー及びナプキンリング(貴金属製のものを除く。),盆(貴金属製のものを除く。),ようじ入れ(貴金属製のものを除く。),ざる,シェーカー,しゃもじ,手動式のコーヒー豆ひき器及びこしょうひき,じょうご,すりこぎ,すりばち,ぜん,栓抜,大根卸し,タルト取り分け用へら,なべ敷き,はし,はし箱,ひしゃく,ふるい,まな板,麺棒,焼き網,ようじ,レモン絞り器,ワッフル焼き型(電気式のものを除く。),清掃用具及び洗濯用具,アイロン台,霧吹き,こて台,へら台,湯かき棒,浴室用腰掛け,浴室用手おけ,ろうそく消し及びろうそく立て(貴金属製のものを除く。),家庭用燃え殻ふるい,石炭入れ,はえたたき,ねずみ取り器,植木鉢,家庭園芸用の水耕式植物栽培器,じょうろ,愛玩動物用食器,愛玩動物用ブラシ,犬のおしゃぶり,小鳥かご,小鳥用水盤,洋服ブラシ,寝室用簡易便器,トイレットペーパーホルダー,貯金箱(金属製のものを除く。),お守り,おみくじ,紙タオル取り出し用金属製箱,靴脱ぎ器,せっけん用ディスペンサー,花瓶及び水盤(貴金属製のものを除く。),風鈴,ガラス製又は磁器製の立て看板,香炉,化粧用具,靴ブラシ,靴べら,靴磨き布,軽便靴クリーナー,シューツリー,コッフェル,ブラシ用豚毛」及び第25類「被服,ガーター,靴下止め,ズボンつり,バンド,ベルト,履物,仮装用衣服,運動用特殊衣服,運動用特殊靴」を指定商品として、平成18年12月5日に登録出願されたものである。

第2 原査定の拒絶の理由(要旨)
原査定は、「本願商標は、江戸末期の篤農家『二宮尊徳』を表したものと認められる「しばを背負い本を読む少年」の図形を表してなるところ、これを同氏と何ら関係の認められない出願人が、商標として独占的に採択・使用することは、社会通念上及び公共性の観点からみても適当ではなく、本願商標は公序良俗に反するおそれがあるものと認める。したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第7号に該当する。」旨認定、判断し、本願を拒絶したものである。

第3 当審における審尋(要旨)
当審において、平成22年4月5日付けで請求人に通知した審尋の内容は、下記のとおりである。

この審判事件に関し、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当するか否かについて、職権に基づく証拠調べをした結果、その指定商品について本願商標の商標登録を認めることは、「二宮尊徳」の名称及びその像を使用した観光振興や地域おこしなどの公益的な施策の遂行を阻害することになり、また、社会公共の利益に反することとなるものである事実を以下のとおり発見したので通知する。
1 二宮尊徳の周知・著名性
「二宮尊徳」は、株式会社講談社発行の「日本人名大辞典」によれば、「江戸時代後期の農政家。天明7年7月23日生まれ。勤倹努力して没落した家を再興。小田原藩家老服部家、藩主の分家宇津家の下野(しもつけ)(栃木県)桜町領、陸奥(むつ)中村藩(福島県)などの再建に尽力。のち幕臣となり、日光領の復興にあたる。門下はその教えをうけて報徳社運動を展開した。『二宮尊徳全集』がある。安政3年10月20日死去。70歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。通称は金次郎。」と記載され、また、株式会社岩波書店発行の「広辞苑第六版」によれば、「江戸末期の篤農家。通称、金次郎。名は尊徳(たかのり)。相模の人。徹底した実践主義で、神・儒・仏の思想をとった報徳教を創め、自ら陰徳・積善・節倹を力行し、殖産を説いた。(1787?1856)」と記載されている。
そして、二宮尊徳については、その人物にまつわる多くの物語などが書籍として出版されているところである。
また、1957年に「二宮尊徳の少年時代」という文部省特選の児童劇映画として公開(http://db.eiren.org/contents/03000008620.html)され、1998年にも「二宮金次郎物語 愛と情熱のかぎり」という映画が公開(http://eiga.com/movie/38462/)されており、近年になっても2009年1月30日?2月1日に「真説・二宮金次郎?現代が求める世直し男」という映画が、東京芸術劇場にて上映(http://www.justmystage.com/home/nakanumasho/)されている。
さらに、テレビ番組においては、2005年9月にNHKの「その時歴史が動いた」において、「二宮金次郎 天保の大飢饉を救う」のタイトルで放送がなされるなど、その人物が取り上げられているところである(http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_09.html#02)。
加えて、新聞やインターネット情報でも多数の記事や記載、二宮尊徳の銅像の写真が掲載されている事実がある(後掲)。
これらからすれば、二宮尊徳は、歴史上の著名な人物であって、数多くの書籍や映画・テレビ番組などにおいて取り上げられていることから、一般にその名前や姿が広く親しまれている人物であることが認められる。
2 二宮尊徳に対する国民又は地域住民の認識
二宮尊徳は、現在の小田原市栢山に生まれた。そして、尊徳が生まれてから16歳まで住んでいた家が、尊徳の生まれたこの地に当時の姿で復元されており、神奈川県指定重要文化財に指定されている。
また、神奈川県小田原市城内には、同人を祀る「報徳二宮神社」が存在する。同神社は、明治27年(1894年)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建された。平成6年(1994年)には、創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っている(http://www.ninomiya.or.jp/info/index.html)。
さらに、栃木県日光市今市には、二宮尊徳が今市の報徳役所にて逝去したという終焉の地である由緒を持つことから、同人を祭神とした「報徳二宮神社」が創建され、今日まで学問・経営の神様として人々に親しまれている。そして、その本殿の裏には二宮尊徳翁の墓(栃木県指定史跡)と、遺品などを陳列した宝物館(報徳文庫)がある(http://ninomiya3.jp/gosaijin-ninomiya.htm)。
これらによれば、その郷土やゆかりの地においては、二宮尊徳は、その業績などによって、人々の尊敬を集め、信仰の対象となるなど、郷土の偉人として敬愛の念をもって親しまれている実情にあることが認められる。
3 二宮尊徳の名称及びその像の利用状況
神奈川県小田原市には、「二宮尊徳生家」とこれに隣接して「小田原市尊徳記念館」がある(http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/e_f/sontoku/sontoku.html)。
この記念館には、二宮尊徳の生涯やその教えを学ぶ展示室のほかに、会議室や宿泊室を備えており、講座、サークル活動等の地域の生涯学習活動の場として活用されている。また、毎年10月には、郷土が生んだ江戸時代の偉人、二宮尊徳の遺徳を偲び、その偉業を称えると共に、尊徳の行き方、考え方を多くの人に知ってもらう為のイベントとして「尊徳祭」が行われている(http://www.piconet.co.jp/nippon-net/nippon.cgi/see/10376)。
栃木県真岡市においても、真岡市内の見所として、二宮尊徳の実践した桜町仕法の説明や遺品が展示されている「二宮尊徳資料館」がある(http://www.city.moka.tochigi.jp/kakuka/kankou/sightseeing01.php)。
また、文部科学省のホームページ情報における「平成17年度国土施策創発調査『地域プライド創発による地域づくりのあり方に関する調査』-地域固有の歴史的精神文化を軸とした地域プライドの創発-」の「第三部 歴史的地域プライドによる地域づくり事例集」では、「4 栃木県二宮町 二宮尊徳の報徳仕法を活かした地域づくり 栃木県二宮町」が掲載されている。
そこには、「2.二宮町における取り組み」として、「二宮尊徳が移り住み、数々の業績を残した地、栃木県二宮町では、尊徳の思想や功績をまちづくりに活かすために、資料館やゆかりの史跡の整備・保存といったハード面での事業展開だけでなく、報徳思想を生かしたまちづくり・人づくりとして『報徳仕法』に対する学習機会の提供や、劇や太鼓、創作オペラなど様々な取り組みが行われている。/・小学校3・4年生を対象とした社会科副読本の作成とその活用/・小学生による陣屋跡(二宮尊徳ゆかりの史跡)の清掃など、実践活動による学習の実施/・・・/・人の徳、自然の徳が活かされるまちづくり総合計画の策定/・町民劇団『ラーク』による舞台『二宮金次郎』の活動・公演/・『尊徳太鼓』の活動・公演/・町民オペラ『桜町領の尊徳』の活動・公演/・各種パンフレットの発行」との記載がある(http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/chiiki/chousa/06120613/022/004.htm)。
また、二宮尊徳の像については、ウィキメディア財団が運営するオンライン百科事典の「wikipedia」によれば、「二宮尊徳」の項目のもと、「像」について、「各地の小学校などに多く建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で現れる。・・・・確認されている最初のこの姿の像は、1910年に岡崎雪聲が東京彫工会に出品したものである。1904年以降、国定教科書に修身の象徴として二宮が取り上げられるようになった。・・・・その後、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。・・・像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。・・・・栃木県芳賀郡二宮町では、町内の全小中学校に像がある(2004年現在)。また、2003年に小田原駅が改築され橋上化された際、デッキに尊徳の像が新しく立てられた。・・・」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3)との記載があるように、その数は少なくなっているものの日本各地の小中学校をはじめ各地には、「薪を背負いながら本を読んで歩く姿の二宮尊徳像」が建てられて今なお現存している状況にあることが確認できる。
以上のとおり、日本各地には二宮尊徳の像が現存していることに加え、特に、神奈川県及び栃木県においては、二宮尊徳に関連する史跡や資料が数多く残されており、小田原市、真岡市及び二宮町などによれば、地方公共団体がこれらを保存・公開し、同人に関連して観光振興や地域おこしに役立てようとする取組がなされていることが認められる。
4 前記1ないし3において認定した事実は、本件商標の出願前から現在においても継続している。
5 二宮尊徳の名称及びその像の利用状況と本件商標の指定商品との関係
一般に歴史上の人物の出身地やゆかりの地においては、その地の特産品や土産物に、その者の名称や肖像を表示して、観光客などを対象に販売されている事情があるが、二宮尊徳については、お土産用の「銅像」「マスコット」「携帯ストラップ」、「根付け」などに二宮尊徳の名称や肖像、その像が用いられている事実がある(http://www.takeyu.co.jp/kingindou/items/6-12.html, http://www.strapya.com/categories/12_55_5274.html)。
他方、本件商標の指定商品は、観光地の特産品や土産物となり得る「食器類,盆,ようじ入れ,ざる,しゃもじ,なべ敷き,はし,貯金箱,お守り,おみくじ,花瓶,風鈴,香炉,化粧用具,靴べら,被服」などの商品を含むものであり、これらと同様に土産物となる上記商品を神奈川県及び栃木県内の市町村等が観光振興の土産物商品としている事実がある。
なお、その指定商品中、土産物用の商品でないものについても、歴史上の人物の生誕地やゆかりの地においては、その地の特産品となり得るものである。
そうとすると、二宮尊徳の名称及びその像は、本件商標の指定商品を取り扱う者によって使用される可能性が極めて高いものであることが認められる。
6 出願の経緯・目的・理由
本件商標に関する出願の経緯・目的・理由についての具体的事情は、確認できない。
7 二宮尊徳と出願人との関係
出願人と二宮尊徳との関係は、確認できない。また、審判請求書において、同人が二宮尊徳と特段の関係を有するとも述べていない。
(後掲)
<新聞記事情報>
(1)「[歩き目デス]損得!?抜きで立っています」(1997.03.26 読売新聞 東京夕刊 10頁)の見出しのもと、「二宮金次郎(尊徳)と言えば江戸時代末期の篤農家。薪(まき)を背負って歩きながら本を読む少年時代の姿は、とりわけ中高年世代にとっては、勤勉の象徴。小学校の校庭でよく見かけられた懐かしい存在だ。その『金次郎』が、JR東京駅前の大手書店『八重洲ブックセンター』の前にも立っている。・・・」との記事。
(2)「二宮金次郎、どこ行った 像は86校中20校に--『勤勉』のシンボル遠く /静岡」(1997.08.30 毎日新聞 地方版/静岡)の見出しのもと、「まきを背負って勉学にいそしむ二宮金次郎の像が校庭から消えつつある。静岡市内で金次郎像が残っているのは86小中学校のうち20校。ブロンズや彫刻などに取って変わられ、ここ10年以上、金次郎像を建立した学校はない。『勤勉』のシンボルだった金次郎は子供たちにとって遠い存在になっていく。・・・」との記事。
(3)「1987・二宮金次郎 小学校資料に復活(今日的遺跡探検)【大阪】」(1998.08.26 朝日新聞 大阪夕刊 3頁)の見出しのもと、「たき木の束を背負って歩きながら本を読む--あの二宮金次郎が一九八七年、小学校の指導資料に復活した。勤勉、孝行、節約の手本として、明治三十七年(一九〇四年)、修身の教科書に登場、その銅像が全国の小学校に立った。・・・」との記事。
(4)「[余響]2002年6月11日 大和田武士」(2002.06.11 読売新聞 西部夕刊 15頁)の見出しのもと、「佐賀市兵庫町の兵庫小学校で、二宮金次郎(尊徳)像を見つけた。江戸時代末期、徹底した倹約や殖産で、疲弊した農村を立て直した篤農家。背中に薪(まき)を背負いながら、左手で本を広げる銅像は、働きながらも、少しの時間を惜しんで勉強に励んだ金次郎の幼少期をモデルにしている。かつては「勤勉」の象徴として全国各地の小学校にあった。・・・」との記事。
(5)「少年少女の像 町田忍(神出鬼没の街歩き)【大阪】」(2002.07.11 朝日新聞 大阪夕刊 2頁)の見出しのもと、「小学校の校庭といえば、薪を背負って歩きながら本を読んでいるあの二宮金次郎像が頭に浮かぶ。現在でも全国のかなりの小学校に二宮金次郎像が残っているが、これらの多くは戦前につくられたものが多い。・・・」との記事。
(6)「[さんでー・うんちく学]尊徳=1 県内に数多く残る像=栃木」(2003.03.02 読売新聞 東京朝刊 35頁)の見出しのもと、「二宮尊徳と言えば、薪(まき)を背負って本を読むおなじみの姿を思い浮かべる。・・・栃木では、尊徳像が数多く残っているという。なぜかを探った。◆県民が恩忘れぬ証しか・・・いつのまにか、とんとお目にかかる機会が少なくなった尊徳像。県内の学校では、まだまだ健在だ。鹿沼市では二十二の小学校のうち、十九校に立っている。二宮町では、小中学校八校すべてにある。・・・」との記事。
(7)「本当は来たこともないのに…『二宮尊徳生家跡』 地図・案内図に誤記--福島・原町」(2004.02.07 毎日新聞 東京朝刊 28頁)の見出しのもと、「史実では福島県に来たこともない江戸時代の農政家、二宮尊徳(1787?1856年)の『生家跡』が、大手地図会社発行の同県原町市の市街地図などに誤記されていることが分かった。尊徳は神奈川県小田原市が生誕地だが、原町市にゆかりの石碑などがあることから、誤解されてきたらしい。・・・◇二宮尊徳・・・江戸時代末期の農政家。勤勉と倹約を説き、荒廃した農村を復興した。幼少時に家は没落し、農作業をしながら苦学した。小田原藩の家老に仕え、財政の立て直しに成功。各地の農村を立て直し、幕臣にも取り立てられた。かつて各地の小学校校庭に建てられていた、薪を背負いながら本を読む『二宮金次郎』像のモデル。」との記事。
(8)「とちぎ・何でも『日本一』:/7 二宮金次郎像 活躍の地、全校で再建 /栃木」(2005.01.08 毎日新聞 地方版/栃木 23頁)の見出しのもと、「本を読みながらまきを背負って歩く二宮金次郎像。二宮尊徳幼少時の姿であり、勤労・勤勉の象徴とされる。二宮町にはこの像が全小中学校にあり、設置率が100%で“事実上の日本一”となっている。・・・小田原市の尊徳記念館などによると、まきを背負う金次郎の姿は明治時代に伝記のさし絵として掲載されたのが最初。その後、模範的な少年として修身の教科書に登場した。報徳運動の高まりもあって、昭和の初めから像は全国に急速に普及したが、戦時中に武器の材料として供出され、多くの金次郎像が姿を消した。・・・」との記事。
(9)「優等生だっただけじゃない 二宮尊徳の業績、再評価へ講演会 町田 /東京都」(2007.05.26 朝日新聞 東京地方版/東京 31頁)の見出しのもと、「かつて小学校の校庭に銅像や石像がよくあった二宮尊徳(1787?1856)。戦前の『修身』の古いイメージではなく、新たな観点から再評価しようと、『二宮尊徳没後150年記念講演会』が26日、町田市内で開かれる。主催は郷土史サークル『町田地方史研究会』。同会は、江戸後期に農村復興を指導した尊徳について研究した。・・・」との記事。
(10)「『勤勉、倹約…今も通用』 町田一小、二宮金次郎像を修復=多摩・訂正あり」(2008.06.11 読売新聞 東京朝刊 31頁)の見出しのもと、「町田市の町田第一小学校(児童数約700人)で、倉庫に保管されていた二宮金次郎(尊徳)の石像が修復され、校舎の正面玄関に設置された。・・・石像は御影石製で、高さは約1メートル。マキを背負って歩きながら本を読むというおなじみのポーズ。モデルの金次郎は、江戸時代末期に貧しい農家から身を起こした実在の人。節約の大切さなどを訴え、全国の疲弊した農村を次々に立て直し、紙幣の肖像にも登場した。・・・」との記事。
<インターネット情報>
(1)「途中下車の旅」(日本テレビ系列関東ローカル中心で1992年10月3日から放送されている紀行・鉄道旅行番組。2007年4月からBS日テレで全国放送。)のホームページには、番組内で「豊島区立 目白小学校・・・ありゃ?ありゃ?何かがおかしい!?・・・二宮金次郎像・・・薪を背負い、本を読んでいる、小中学校のシンボル二宮金次郎像だがなんと目白小学校にある二宮金次郎像は、本だけがなくなっているのである どうやら7年ほど前に、生徒が遊んでいたボールが当たって壊れてしまったというのである」の記載がある。(http://www.ntv.co.jp/burari/000311/info3.html)
(2)「*YMGH*山ちゃんガハハ」というホームページには、「実在しない二宮金次郎と銅像の検証 / 関東観察図鑑」の項目のもと、「・・・今回観察図鑑は『二宮金次郎』さんに焦点を当ててみました。・・・ちなみにワタシの二宮金次郎イメージは、両手で本を持っているはずだったが違ったようでした。・・・まず共に共通するのは、右手で軽く薪を押さえ、左手だけで本を持つところです。・・・」の記載がある。(http://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinob.html)
更に、「金次郎、または二宮尊徳の晩年に学ぶ / 関東観察図鑑」の項目のもと、「前回 は、『二宮金次郎』は実在せず『金次郎』もしくは『二宮尊徳』がいたのみではないのか。という仮説のお話をしました。・・・目的地の『報徳二宮神社』は、小田原城址の一部にある。・・・テレビの取材も良く来るというこの神社こそが、由緒ある『ニノキン』さんのオリジナル発祥地なのです。・・・」の記載がある。(http://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinod.html)
(3)個人のホームページ(http://www.sunfield.ne.jp/~kawasima/index.html)には、「二宮金次郎像コレクションStatues Of Kinjiro Ninomiya」の項目のもと、二宮金次郎像の画像が収蔵されている(http://www.geocities.jp/c50110/kinjiro/index.html)。
(4)北広島市ホームページには、「18.二宮金次郎像(西部小)」の項目のもと、「・・・西部小学校の校門を入ると左側、二宮金次郎像がある。昭和11年1月発行の広島村報によると、昭和10年12月22日に、この像の除幕式が行われている・・・」の記載がある(http://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/hotnews/detail/00001808.html)。
(5)利尻町役場ホームページには、「文化・歴史 - 旧久連小学校の二宮尊徳像」の項目のもと、「・・・旧久連小学校の敷地で今でも見られる二宮尊徳像。学校沿革史の昭和17年11月3日に次のように記されている。『二宮尊徳像除幕式挙行(仙法志村愛婦國婦統合記念寄贈)』。同じ仙法志村の仙法志小学校の学校沿革史には同年9月13日に『本村愛国婦人会国防婦人会統合記念トシテ本校ニ二宮尊徳先生ノ像寄贈サル。設立ノ為勤労奉仕ス』と書かれている。除幕式は10月24日に行われた。仙法志小学校の二宮尊徳像は博物館で展示している。・・・」の記載がある(http://town.rishiri.jp/modules/d3blog/details.php?bid=16)。
(6)大分合同新聞ホームページには、「二宮金次郎の像復活 玖珠町塚脇小[2009年04月14日 10時:16分]」の項目のもと、「・・・玖珠町塚脇小学校の校庭の片隅に二宮金次郎の像が復活した。・・・石造りの像は、左手に本を開き、薪を背負ったおなじみの姿。高さは一メートルほどで、グレー色に着色されていて、コンクリート製の台座(一メートル)の上に立っている・・・」の記載がある(http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_123967189052.html)。
(7)タウンニュースホームページには、「エリア情報」の項目のもと、2009年6月11日号として「“勤勉の志”新たに・・・山内小・荏田小に根づく二宮金次郎像」の表題で、「・・・薪を背負い、本を読む“勤勉”の象徴『二宮金次郎像』が山内小学校(竹内詩朗校長・青葉区新石川)、荏田小学校(横山明校長・都筑区荏田南町)に新たに建立され、現代の児童たちの心に今、根付き始めている・・・」の記載がある(http://www.townnews.co.jp/020area_page/01_thu/01_aoba/2009_2/06_11/aoba_top2.html)。
(8)伊万里市ホームページには、「市長雑感(第89号)牧島小学校創立130周年記念『二宮金次郎像』建立」の項目のもと、「牧島小学校創立130周年記念『二宮金次郎像』建立・・・二宮金次郎といえば、誰でも『薪を背負って本を読んでいる姿』を想い起こすと思います。・・・二宮金次郎の物語は、明治時代に学校の教科書に取り上げられ、銅像が全国各地の小学校に建てられました。・・・牧島小学校創立130年記念事業として、再び校舎玄関前に建立されました。・・・」の記載がある(http://www.city.imari.saga.jp/icity/browser?ActionCode=contentContentID=1181119764575SiteID=0ParentGenre=1000000000512)。
(9)個人のホームページ「街道冩眞館」には、「二宮金次郎」の項目のもと、二宮金次郎像の画像が掲載されている(http://rokusayo.milkcafe.to/haikai/pages_k/tokaido/tokaido_ex03.html)。
(10)大日本報徳社ホームページには、「二宮金次郎像のあれこれ」の項目のもと、記事中に二宮金次郎像の画像が掲載されている(http://www4.tokai.or.jp/dainihonhoutoku/)。

第4 審尋に対する請求人の回答(要旨)
1 二宮尊徳の周知・著名性
二宮尊徳が「日本人名大辞典」に掲載されていることを以て、直ちに当該人物が周知・著名であるということはできず、また、他に掲載されている記事についても、多数の者が視認しているとは考えられない。映画やテレビ番組についても、10年以上前に放映されたものや、3日間限定で一か所のみで放映されたもの、放送されたテレビ番組も継続放送ではなく一日限り(再放送を含めると二日)の番組であるから、全て二宮尊徳が、現時点において、一般に周知・著名であることを証明する証拠にはなり得ない。
2 二宮尊徳に対する国民又は地域住民の認識
生まれた地や逝去した地に神社や地方公共団体指定の重要文化財があったとしても、それを以て、国民全体が二宮尊徳を認識しているということはできない。また、前記状況においては、当該一部の地域の住民は二宮尊徳を十分に知り得、郷土の偉人として敬愛の念を以て親しんでいると考えることはできるが、一部の地域住民の敬愛の念があることを理由に、法第4条第1項第7号に該当すると断定することはできない。
3 二宮尊徳の名称及びその像の利用状況
歴史上の人物に関する商品展開は、当該人物の出身地等ゆかりのある土地に限って行われているものではなく、当該歴史上の人物と深い関連のない各地においても行われているというのが現状であるところから、当該ゆかりの地に居住する者のみを考え、登録を認めるべきではないとすることは、商標法の理念からすると、必ずしも合目的的解釈と言うことはできない。
即ち、単に、歴史上の人物の出身地やゆかりの地において、その地の特産品や土産物にその者の名称や肖像を表示して、観光客などを対象に販売されている事情を以て、法第4条第1項第7号に該当するとすることは、当を得た解釈ということはできない。
4 二宮尊徳の名称及びその像の利用状況と本件商標の指定商品との関係
各地方公共団体等による使用は、当地が当該歴史上の人物ゆかりの地であることを示しているに過ぎず、各商品について、自他商品識別のための使用、換言すれば、商標的な使用ではない。従って、本願商標が登録となった場合であっても、当該ゆかりの地にある者による当該ゆかりの地における使用に対しては、当該商標権の効力は及ばない。
よって、歴史上の人物の出身地やゆかりの地において、その地の特産品や土産物にその者の名称や肖像を表示して、観光客などを対象に販売することは、何ら制限されることなく、継続使用が可能である。従って、原査定で認定しているような、「『二宮尊徳』の名称及びその像を使用した観光振興や地域おこしなどの公益的な施策の遂行を阻害する」といった事態は起こり得ない。
5 二宮尊徳出願の経緯・目的・理由
出願の経緯・目的・理由についての具体的事情を証明しなければならないとする規定はなく、また、限定列挙である拒絶理由にも、このような規定は存しない。
よって、出願の経緯・目的・理由を具体的に確認できないことを理由に、法第4条第1項第7号に該当するとすることは、不合理であると言わざるを得ない。
6 二宮尊徳と出願人との関係
本願出願人と二宮尊徳との間に関係は存しない。上述のように、歴史上の人物に関する商品展開は、ゆかりの地に限らず、全国的にされる傾向にあることから、当該ゆかりの地の者のみが関係者になることはない。故人に関する肖像等については、その故人の名誉を害さないような態様であれば、何人が使用しても問題はない。このことは、歴史上の人物名が、その人物とは無関係と思われる者の登録となっていることからも説明がつくものである。
7 まとめ
以上の理由から、本願商標は商標法第4条第1項第7号には該当しない。

第5 当審の判断
1 商標法第4条第1項第7号について
本願商標は、別掲のとおりの構成よりなるところ、「二宮尊徳」及びその像に関して、職権による調査及び前記第3の審尋に示した各証拠により以下の事実が認められる。
(1)二宮尊徳の周知・著名性
二宮尊徳は、1787年(天明7年)に相模(現在の神奈川県小田原市)に生まれた江戸末期の篤農家で、通称を金次郎という。同人は、報徳教を創め、勤倹努力して没落した家を再興し、小田原藩家老服部家、藩主の分家宇津家の下野(しもつけ)(栃木県)桜町領、陸奥(むつ)中村藩(福島県)などの再建に尽力、のち幕臣となり、日光領の復興にあたり、門下はその教えをうけて報徳社運動を展開した。また、著書として「二宮尊徳全集」がある。
そして、二宮尊徳については、その人物にまつわる多くの物語などが書籍として出版され、テレビ番組や映画が制作、放送、公開されており、加えて、新聞やインターネット情報でも多数の記事や記載、二宮尊徳の銅像の写真が掲載されている事実を現在においても確認できる。
このように、「二宮尊徳」は、歴史上の有名人であって、一般にその名前や肖像及びその像が広く知られていることが認められるから、本願商標の登録出願時以前から、国民の間に広く知られた周知著名な歴史上の人物となっていたものであり、その周知著名性は現在においても継続しているものである。
(2)二宮尊徳に対する国民又は地域住民の認識
二宮尊徳の郷土である神奈川県小田原市には、同人の生家が当時の姿で復元されており、その近隣には、同人を祀る「報徳二宮神社」が存在し、さらに、栃木県日光市今市にも、二宮尊徳翁の墓(栃木県指定史跡)があることから、同人を祀る「報徳二宮神社」が存在する。
これらから、二宮尊徳は、その郷土やゆかりの地において、郷土の偉人として敬愛の念をもって親しまれている実情にあることが認められる。
(3)二宮尊徳の名称及びその像の利用状況
神奈川県小田原市には、「二宮尊徳生家」とこれに隣接して「小田原市尊徳記念館」が存在し、記念館では二宮尊徳の生涯やその教えを学ぶ展示室を備えている。また、毎年10月には、郷土が生んだ江戸時代の偉人、二宮尊徳の遺徳を偲び、その偉業を称えると共に、同人の生き方、考え方を多くの人に知ってもらうため「尊徳祭」が行われている。
そして、神奈川県以外の二宮尊徳ゆかりの地においても、栃木県真岡市の「二宮尊徳資料館」や、栃木県二宮町における「二宮尊徳の報徳仕法を活かした地域づくり」という尊徳の思想や功績をまちづくりに活かすため、資料館やゆかりの史跡の整備・保存のような取り組みや、同人の報徳思想を生かしたまちづくり・人づくりとして「報徳仕法」に対する学習機会の提供や、劇や太鼓、創作オペラなどのような様々な取り組みが行われている。
また、二宮尊徳の像について、インターネット百科事典「Wikipedia」によれば、「各地の小学校などに多く建てられた、『薪を背負いながら本を読んで歩く姿』に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で確認され、1904年以降、国定教科書に修身の象徴として同人が取り上げられるようになったことから、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。栃木県芳賀郡二宮町では、町内の全小中学校に像があり(2004年)、また、2003年に小田原駅に尊徳の像が新しく立てられた。」旨の記載があり、その数は少なくなっているものの日本各地の小中学校をはじめ各地には、「薪を背負いながら本を読んで歩く姿の二宮尊徳像」が建てられて、今なお現存している状況にあることが認められる。
以上のとおり、日本各地には二宮尊徳の像が現存していることに加え、特に、神奈川県及び栃木県においては、同人に関連する史跡や資料が数多く残されており、小田原市、真岡市及び二宮町などでは、地方公共団体がこれらを保存・公開し、同人に関連した観光振興や地域おこしに役立てようとする取組がなされていることが認められる。
(4)前記(1)ないし(3)において認定した事実は、本件商標の出願前から現在においても継続している。
(5)二宮尊徳の名称及びその像の利用状況と本件商標の指定商品との関係
一般に歴史上の人物の出身地やゆかりの地においては、その地の特産品や土産物に、その者の名称及びその像が表示されて、観光客などを対象に販売されているところ、二宮尊徳についても、同様に二宮尊徳の名称及びその像が用いられている事実がある。
そして、本願商標の指定商品中の商品には、観光地の特産品や土産物となり得る商品を含むものであり、実際に各地の市町村等が観光振興の土産物商品としている事実がある。
そうとすると、二宮尊徳の名称及びその像は、本件商標の指定商品を取り扱う者によって商品に付されて使用されている、あるいは、使用される可能性が高いものである。
(6)請求人の主張に対する反論
請求人は、「故人に関する肖像等については、その故人の名誉を害さないような態様であれば、何人が使用しても問題はない。」旨述べているが、周知著名な歴史上の人物に関する商標登録については、国民の感情、観光振興、地域おこしなどの公益的見地等を総合的に考慮すべきものであるから、その主張を採用することはできない。
また、請求人は過去の登録例を挙げ、本願商標も同様に登録されるべきである旨主張するが、登録出願された商標が商標法第4条第1項第7号に該当するものであるかどうかの判断は、当該商標の査定時又は審決時において、指定商品の取引の実情等を考慮し、個別具体的に判断されるべきものであるから、過去の登録例をもって本願商標の登録の適否についての判断基準とするのは必ずしも適切ではなく、当該判断が左右されるものではない。
(7)上記実情を総合的に考慮すれば、本願商標は、国民の間に広く知られた周知著名な歴史上の人物「二宮尊徳」を直ちに想起させる人物像としての特徴を全て兼ね備えるものであって、その指定商品について本願商標の商標登録を認めることは、「二宮尊徳」の名称及びその像を使用した観光振興や地域おこしなどの公益的な施策の遂行を阻害することになり、また、社会公共の利益に反することとなるといい得るものである。
してみれば、請求人が本願商標を登録出願した行為は、公共の財産ともいうべきその人物像について、特定の者に独占使用させることになり、国民的な感情や公益的見地から好ましくないと考えられるものであるから、本願商標は、社会通念上商道徳に反するものであり、公正な商取引秩序を乱すおそれがあるばかりでなく、ひいては、公の秩序を害するおそれがあるものというべきである。
2 まとめ
以上のとおりであるから、本願商標が商標法第4条第1項第7号に該当するとして、本願を拒絶した原査定は、妥当であって、取り消すことができない。
よって、結論のとおり審決する。
別掲
別掲(本願商標)



審理終結日 2010-08-24 
結審通知日 2010-08-25 
審決日 2010-09-10 
出願番号 商願2006-112429(T2006-112429) 
審決分類 T 1 8・ 22- Z (Y2125)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 泉田 智宏池田 佐代子 
特許庁審判長 渡邉 健司
特許庁審判官 井出 英一郎
高橋 謙司
代理人 齋藤 晴男 

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