• ポートフォリオ機能


ポートフォリオを新規に作成して保存
既存のポートフォリオに追加保存

  • この表をプリントする
PDF PDFをダウンロード
審決分類 審判 全部無効 商3条1項3号 産地、販売地、品質、原材料など 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) Y43
管理番号 1187500 
審判番号 無効2007-890163 
総通号数 108 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2008-12-26 
種別 無効の審決 
審判請求日 2007-10-15 
確定日 2008-10-14 
事件の表示 上記当事者間の登録第4861855号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第4861855号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 1 本件商標
本件登録第4861855号商標(以下、「本件商標」という。)は、「大泊ビーチ」の文字を標準文字としてなり、平成16年3月24日に登録出願、第43類「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」を指定役務として、平成17年5月13日に設定登録されたものである。

2 請求人の主張
請求人は、結論と同旨の審決を求め、その理由及び答弁に対する弁駁を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第14号証(枝番号を含む。)及び資料(1)ないし(3)を提出した。
(1)請求の理由
本件商標は、商標法第3条第1項第3号に該当し、同法第46第1項第1号により、無効にすべきものである。
本件商標は、商標法第3条第1項第3号及び同法第4条第1項第16号に該当するものとして、一度は商標登録を拒絶されたものであるが、意見書の提出により、商標登録が認められたものである。
ついては、当該意見書の「意見の内容」及び「提出物件(写真)」に対して、異議を申し立てる。
ア 「意見の内容」に対する異議
(ア)「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記述
登録商標の「大泊ビーチ」の「大泊」は、ビーチが所在する地域の呼称である。当地域の登記上の地名は、「沖縄県うるま市字伊計小字西後」であるが、「大泊」はこの一帯の地域名として古くから行政、社会、文化等の各分野で広く知られた歴史的に使用された呼称である(甲第1号証ないし甲第3号証)。
「大泊ビーチ」の「ビーチ」は、浜辺を意味する。大泊の浜辺は、昔から存在し、自然に形成されたものであって、いわゆる人工ビーチではない。自然の浜辺は、その地名を付して、「・・・ビーチ」と呼称されるのは一般的なことであって、「大泊ビーチ」の名称も、商標権利者が名付けたとしている平成7年9月以前から使用されていたものである(甲第4号証ないし甲第6号証)。
(イ)「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」の記述
この一帯が伊計島の塵捨場であったことはなく、記述は事実に反する。
(ウ)「そこをブルトーザで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」の記述
この場所で、このような大規模な工事が施工された事実はない。海岸法等の法令上、地元住民や自治会が関知しないこのような海浜の大規模開発が一民間業者に許可されたとは認められない。
イ 「提出物件(写真)」に対する異議
意見書の「提出物件」として工事現場写真があるが、次の写真の撮影場所は、景色等から見て「大泊ビーチ」の所在場所ではない。
提出写真群1 説明文「ブルトーザで作業している」写真4枚
提出写真群2 説明文「ブルトーザで作業している」写真4枚
提出写真群3 説明文「缶かんがその他の塵と一緒に腐っている。掘り出しているところ」写真4枚
(2)弁駁 ア 本件商標は「大泊」の漢字と,浜辺や砂浜を意味する「ビーチ」の片仮名文字を結合させたもので、前半の「大泊」は、伊計島に存し,被請求人の住所である沖縄県うるま市与那城伊計1012番地付近の地名である。但し「大泊」は行政区画名ではない。この点につき、被請求人は「少なくとも大泊が伊計島の小字名として使用された事実は無い。」と述べているが、法第3条第1項第3号にいう「産地,販売地」が行政区画名に限られるものでないことは、今更述べるまでもないところであろう。
イ 本件においては「大泊」が地名であるか否かが最大の争点であるから、先ず地理的な位置関係の説明をしておく。「伊計島」は町村合併により「うるま市」となる前は与那城町の一つの字で、伊計島全体が一つの字であった。この島は、沖縄本島の中部,金武湾の東方に位置し、周囲7.49キロメートル,面積1.81平方キロメートル,最高標高49メートルの琉球石灰岩に覆われたほぼ平坦な美しい島である(資料(1))。昭和57年には、この島の南側にある宮城島との間に伊計大橋が架橋されたが、それ以前に、昭和47年には平安座島と沖縄本島が海中道路で結ばれ、更に,平安座島と宮城島との間が石油基地として埋め立てられていたので、この架橋により、昭和57年からは3島が連結され、沖縄本島から直接,車で訪れることができるようになった(資料(2)及び(3))。
ウ 「大泊」は、うるま市与那城伊計1012番地付近の地名である。本件商標は、この「大泊」に存する砂浜であるところから、呼ばれている「大泊ビーチ」を標準文字で表したもので、伊計島には、この他に「伊計ビーチ」と呼ばれている砂浜もある。
この地は、被請求人が生まれる前から「大泊」と称されていた。後出の甲第7号証によると、少なくとも80年前の昭和3年には、地名として「大泊」が存在していることが理解できる。尤も、この「大泊」は、沖縄方言では「おーどぅまり」「おーどぅまい」「うーどまり」「うーどまい」等と呼ばれており、海岸をいうときには「大泊の浜」「大泊浜」と呼んでいた。戦後は、米軍が進駐してきた関係から、県内各地の浜と同様「○○ビーチ」と呼ばれるようになった(資料(2))。
エ この地域が何時の頃から「大泊」と呼ばれるようになったかは明らかではない。しかし、伊計小中学校創立100周年記念誌(甲第7号証)に掲載されている伊計島遊覧歌の第7番には「緑の松に白浜べ/金武と向かう大泊り/波おだやかで海青く/かつお漁場の本場なり」と、金武湾を隔てて本島と対峙する大泊が詠まれているところから、遅くとも、これが作詞された昭和3年には、この地が「大泊」と言われていたものであることを知ることができる。
次に「大泊」の地名は、甲第8号証ないし甲第11号証にも表れている。甲第8号証は与那城村の遺跡に関する文献で、1986?7年(昭和61?2年)の2か年に亘る継続調査により与那城村教育委員会が作成したものである。その77ページには「伊計大泊遺跡」として、その所在地、種類、遺跡の時代等が写真とともに示されている。なお、そこには「将来においてビーチとしての整備が進められていく可能性があり、遺跡保存への配慮,調査が必要」と記されている。
甲第9号証は、昭和63年3月刊行の「与那城村伊計集落における村づくり」と題する文献で、伊計の景勝地の一つとして「大泊(オオドマイ)ビーチ」の写真が説明文とともに掲載されている。
甲第10号証は、昭和63年3月に刊行された「沖縄県歴史の道調査報告書V」で、与勝半島や周辺の離島は専ら海上交通によって結ばれていたため、この地域には数多くの港が存在するとして、その代表的な5つの島の港が挙げられている。伊計島については「大泊」が「ヒージバンタ港」とともに掲載されており、その場所を示す地図も示されている。
甲第11号証は、上記の各文献より遅れて平成4年の与那城村の村勢要覧であるが、そこには「自然ビーチ・レジャー」のタイトルで、「伊計大泊ビーチ」の写真が掲載されている。
このように、「大泊」の地名は、本件商標の出願日の遥か以前から,広く知られ用いられてきた地名であることが理解できる。
オ 被請求人は、拒絶理由に対し「大泊ビーチ」は,相当な費用と労力を費やして整備し、自らが名付けた名称であると主張している。即ち「伊計島のゴミ捨て場であったのを、この堆積したゴミを掘り出すために砂浜を4?5メートルほど掘り下げ、ダンプカーを何百台も使って運び出し、人が泳げるように造成した。」と主張している。しかし、仮に、その主張のように砂浜整備の大工事をしたとしても、そのことによって登録が認められるわけではなく、結局,審査官は、「大泊」の名は地名ではなく出願人が名付けたものであるとの主張を信用して登録を認めたのではないかと忖度される。仮に被請求人が相当な費用と労力を費やした大工事をしたとしても、そのことは、法第3条第1項第3号の問題とは全く関係がない。したがって、それが事実であるか否かは争うまでもなく放置しておこうと考えたのであるが、被請求人の主張は余りにも事実に反するものであり、答弁書でも触れているので反論しておく。
昔からこの島でこの浜を見てきた多くの島民は、その主張のような事実を否定している。甲第13号証によると、この場所の清掃は、付近の住民が行っていたところ、昭和54年頃からは、請求人が委嘱した当間タケという住民が担当して美しく保たれていたということである。また、被請求人自身も、自らが作成したホームページにおいて、大泊ビーチにつき「人工的に作られたビーチではなく・・・」と、全く手を加えていない砂浜であることを強調している。海水浴場として利用する以上、それなりの設備が必要なことは当然であるから、ある程度の作業がなされたであろうことは推測されるが、甲第3号証記載のように、住宅を建設する場合には厳しい条件が付されており、また、甲第12号証でも判るように、遺跡のある地域では、駐車場の表面の舗装程度でも許可が必要なのであるから、もし「堆積していた塵芥を何百台ものトラックで搬出した。」との主張が事実であるとすれば、文化財保護法に触れる極めて重大な違法な行為を大々的に行っていたものであって、その責任は重大であり,刑事罰の対象にもなる。
カ 法第3条第1項第3号の規定は、被請求人が最高裁判所が言い渡した判決を引用して主張しているように、「このような商標は商標の産地販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示としてなんぴともその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに、一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべき」である。
本件事案は、正にこの判示の趣旨に従って登録されるべきものではなかったと考えるが、被請求人が敢えてこの判決を採り上げたのは、本件商標の場合には、次の2点により登録性ありと考えたからのようである。即ち、
イ) 本件商標は、昭和60年7月頃被請求人によって初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介叉は取次ぎ,飲食物の提供」として使用するために選択された標章であること。
ロ) それ以前は「大泊ビーチ」の標章は「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介叉は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺及び海水浴場の名称」としてさえも使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたこともなかったこと。
前記判決は、所謂「ワイキキ」事件の上告審についてのものであるが、その第1審である東京高等裁判所の判決でも、法第3条第1項第3号にいう「産地,販売地というためには、必ずしもその土地が当該商品の産地・販売地として広く知られていることを要するものとは解されない。」と判示しており、更に、同裁判所は、「平和台饅頭」事件の第1審判決においても「平和台が饅頭の販売地として著名でないとしても、また、原告以外の者によってその名が饅頭について使用せられた事実が無いにしても、同様商品についてこれが他人によって使用せられる可能性は否定すべくもないところであり、・・自他商品識別力を欠くものと認めざるを得ない・・・。」と判示している(昭和52年(行ナ)第184号)。
先ず,本件商標は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用するために選択した標章であるというが、識別力の存否の判断に、商標を採択した時期ないしは順位は関係の無いことである。また、この標章が「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことや「浜辺及び海水浴場の名称」としても使用された事実が一度もなかったというが、上記のように「大泊」の地名は元々存在するのであり、更に「平和台饅頭」判決でも述べているように、使用された事実の有無も、全く関係の無いことである。結局、上記判決を引用した趣旨、及びその判示されているところと、被請求人が挙げるイ)及びロ)に関する事実が、どのように関係していて登録性があるというのか、主張自体理解できない。上記最高裁判所の判決は、むしろ、本件商標が登録されるべきではないことを述べている。
キ 以上述べたように、本件商標の一部を構成する「大泊」は地名であり「ビーチ」は海辺を表すにすぎないから、本件商標は識別力を欠く商標というべきである。
付言すると、本件審判の請求の理由としては、法第4条第1項第16号違反の主張は記載されていない。したがって、審査の段階で示された16号関係の主張を追加することはできない。そこで、以下は、単に事情として述べる。
日本国内で「大泊ビーチ」と称する海水浴場が幾つかある。その中で代理人が個人的に知悉しているのは、三重県熊野市大泊町の「大泊海水浴場」のみであるが、その他に海浜として次のものが存する。
長崎県五島市平蔵町大泊・・・・西海国定公園
大分県臼杵市大迫大泊 ・・・・臼杵湾
愛知県知多郡南知多町 ・・・・知多湾
鹿児島県肝属郡南大隅町・・・・鹿児島湾口
富山県魚津市 ・・・富山湾

3 被請求人の主張
被請求人は、本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とするとの審決を求めると答弁し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第9号証を提出した。
本件商標が商標法第3条第1項第3号に該当するとの請求人の主張に対し、下記のとおり反論する。
(1)請求人の主張及び異議の要旨
請求人は、被請求人が審査において提出した意見書に対して異議を述べ、本件商標が商標法第3条第1項第3号の規定に違反して登録がなされたものであるから同法第46条第1項第1号により無効にすべきである旨を主張する。
請求人が述べる異議の要旨は、以下のとおりである。
ア 「意見の内容」に対する異議
「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記述部分
(異議の要旨)
「大泊ビーチ」の「大泊」は、ビーチが所在する地域の呼称で・・・「大泊ビーチ」の名称も、商標権者が名付けたとしている平成7年9月以前から使用されていたものである。
イ 「意見の内容」に対する異議
「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」の記述部分
(異議の要旨)
塵捨場であった事実はない。
ウ 「意見の内容」に対する異議
「そこをブルトーザで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」の記述部分
(異議の要旨)
このような大規模な工事が施工された事実はない。
エ 「提出物件(写真)」に対する異議
(異議の要旨)
写真の撮影場所は、景色等から見て「大泊ビーチ」の所在場所ではない。
(2)異議に対する反論
ア (1)のアについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「大泊ビーチは、私が付けた名称です。・・・当初は、しおさいビ一チでスタートしましたが、平成7年9月に本格的にビーチの届出を沖縄県公安委員会に出す際に、大泊ビーチにしたものであります。」
(イ)被請求人は、平成6年4月1日「沖縄県水難事故の防止及び遊泳者等の安全の確保等に関する条例」が施行され、海水浴場を運営するに当たって「海水浴場開設届出書」の提出が必要となったことに伴い、平成7年9月6日、被請求人が代表取締役を務める有限会社上崎企畫(以下「上崎企畫」という。)を届出者として同届出書を沖縄県公安委員会に提出した(乙第2号証)。
(ウ)同届出書によれば、「海水浴場の名称」の欄に「大泊ビーチ」と記載されているが、被請求人が「大泊ビーチ」を「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の煤介又は取次ぎ、飲食物の提供」として最初に使用を開始したのは、同届出書を提出した平成7年9月6日より前の昭和60年7月頃である。
(エ)被請求人は、沖縄県うるま市与那城伊計1012番地の土地付近にある浜辺(以下「本件浜辺」という。)で、昭和60年7月頃から「大泊ビーチ」の標章を使用して海水浴場の運営を開始した。
(オ)被請求人は、日頃から本件浜辺を全国から利用客が訪れる海水浴場にしたいと考えていたところ、本件浜辺を「大きな港」に見立て、港を意味する「泊(沖縄地方の方言で「とぅまい」という。)」の漢字を当てた「大泊」を思い付き、「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として「大泊ビーチ」の標章を選択した。
(カ)本件浜辺は、当時の上崎企畫の従業員が、同番地の土地及び近隣土地の所有者である平善真と親戚関係にあったため、当該従業員が平善真から同番地の土地及び近隣土地の使用許可を得ることで、利用することができた。
(キ)そして、被請求人は、同番地の土地上に、海水浴場の利用客に飲食物を提供するいわゆる「パーラー」を建て、昭和60年7月2日電話を開通させ(乙第3号証)、同年8月9日上崎企畫の当時の役員であった上田秀子を申請者として給水工事の申請をし(乙第4号証)、同月頃給水工事が行われた。
(ク)しかし、被請求人は、海水浴場「大泊ビーチ」の運営の一切を従業員に任せていたところ、従業員が平善真と不仲になり、海水浴場「大泊ビーチ」の運営を従業員に任せることができなくなったため、被請求人自らが海水浴場「大泊ビーチ」を運営することとし、昭和63年5月29日平善真と同番地の土地を含めた近隣土地についての賃貸借契約を締結した(乙第5号証)。
(ケ)ところが、被請求人は、海水浴場「大泊ビーチ」を自ら運営しようとして本件浜辺の整備を行ったところ、砂浜の中に多量の塵が埋まっていることがわかった(乙第6号証)。
(コ)そこで被請求人は、従業員の知人に依頼して、本件浜辺から塵を掘り出し、本件浜辺を海水浴場として安全に利用できるように整備した(乙第6号証)。
(サ) そして、被請求人は、「海水浴場の名称」をそれまでの「大泊ビーチ」から「しおさいビーチ」に変更し、新たな海水浴場として運営を開始した。
(シ)ところが、それまで使用していた「大泊ビーチ」の名称が利用客の間で十分認知されており、「大泊ビーチ」としての問い合わせや予約が多かったため、被請求人は再度「大泊ビーチ」に変更して運営することとした。
(ス) それ以後は、現在に至るまで、被請求人は上崎企畫を営業主体として「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」に「大泊ビーチ」の標章を使用し続け、上崎企畫は、被請求人から本件商標の使用権を黙示的に与えられて「大泊ビーチ」の標章を使用している。
(セ)上述したとおり、「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択した標章であるから、被請求人が海水浴場「大泊ビーチ」の運営を開始した昭和60年7月頃よりも前に「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺又は海水浴場の名称」としても使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたことはなかった(乙第7号証)。
(ソ)被請求人は、これまで、美しい自然のままの浜辺を守るために本件浜辺の環境整備に尽力し、多くの利用客に訪れてもらいたい一心で海水浴場「大泊ビーチ」を地道な努力で運営してきたのであり、現在の「大泊ビーチ」の知名度は、被請求人のこれまでの努力の積み重ねによって初めて獲得できたものである。
(タ)なお、請求人は、「・・・『大泊』はこの一帯の地域名として古くから行政、社会、文化等の各分野で広く知られた歴史的に使用された呼称である。」と述べているが、本件浜辺が存する伊計島において「大泊遺跡」があったことは認められるものの、少なくとも「大泊」が伊計島の「小字名」として使用されていた事実はない(乙第8号証)。
(チ)「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択した標章であり、被請求人が審査において提出した意見書中「大泊ビーチは、私が付けた名称です。」の記載部分に誤りは無いが、「・・・平成7年9月に本格的にビーチの届出を沖縄県公安委員会に出す際に、大泊ビーチにしたものであります。」の記載部分は、被請求人が、平成7年頃までは観光雑誌等への広告はしていなかったが同年の「海水浴場開設届出書」の提出をきっかけにタウンページや観光雑誌等へ広告を掲載して積極的に「大泊ビーチ」を宣伝し始めたことを「本格的に」と表現したものであり、実際には上記(エ)に記載のとおり「大泊ビーチ」の標章は昭和60年7月頃から使用しており、意見書の当該記載部分は誤りであるため訂正する。
イ (1)のイについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「20年前は、この浜は、伊計島の塵捨場であった。」
(イ)昭和63年当時、本件浜辺の砂浜の中には多量の塵が埋まっていた(乙第6号証「写真」)。
(ウ)被請求人は、この多量の塵を掘り出すために砂浜を4?5mほど掘り下げて本件砂浜から塵を除き、海水浴場として安全に利用できるようにしたものであり、その状態を「塵捨場」と表現したものである。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の状況を知らないのは当然である。
ウ (1)のウについて
(ア)被請求人は、意見書の中で、以下のとおり述べている(乙第1号証)。
「そこを、ブルトーザーで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し、人が泳げるようにした。」
(イ)被請求人は、従業員の知人に依頼して、本件浜辺から塵を除去し、海水浴場として安全に利用できるように整備した(乙第6号証「写真」)。
(ウ)本件浜辺の整備を行った際に砂浜の中に多量の塵が埋まっていることが分かり、砂浜を掘り下げれば掘り下げるほど多くの塵が埋まっている状態であったため、この多量の塵を掘り出して処分するために、莫大な費用と多大な労力をかけたのであって、被請求人はこのことを「ブルトーザーで4?5メートルまで掘り下げ、塵を掘り起こし、ダンプカー何百台で運び出し」と表現したものである。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の状況を知らないのは当然である。
エ (1)のエについて
(ア)被請求人は、審査において提出した意見書と共に、計16枚の写真を提出している(乙第6号証「写真」)。
(イ)写真は、いずれも被請求人が本件浜辺及びその近隣土地を撮影したものである。
(ウ)よって、写真が、いずれも本件浜辺及びその近隣土地を撮影した写真であることに間違いはない。
(エ)なお、請求人である伊計自治会の会長吉岡強氏は、伊計島の出身者ではなく、伊計島には定年退職後に住居を移し、5年ほどしか伊計島に居住していないから、同氏が約20年前の本件浜辺の景色等を知らないのは当然である。
(3)商標法第3条第1項第3号の規定について
ア 請求人は、本件商標が商標法第3条第1項第3号の規定に違反してなされた過誤登録である旨主張する。
そこで、同法第3条第1項第3号の立法趣旨をみるに、「商標法3条1項3号として掲げる商標が、登録の要件を欠くとされているのは、このような商標は、商品の産地、販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として、何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに一般に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべきである(最高裁昭和53年(行ツ)129号)。」とされている。
イ しかし、本願商標は、(2)ア(エ)記載のとおり、昭和60年7月項、被請求人によって初めて「浜辺及び海水浴場の名称」並びに「宿泊施設の提供、宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ、飲食物の提供」として使用するために選択された標章であり、それ以前は「大泊ビーチ」の標章は「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」として使用された事実がなかったことは勿論のこと「浜辺及び海水浴場の名称」としてさえも使用された事実は一度もなく、昭和63年当時でさえ「浜辺の名称」として地図に記載されたことはなかった(乙第7号証)。
なお、今日現在「大泊ビーチ」は、沖縄県うるま市与那城伊計の伊計島内に存する浜辺以外には存在しない。
ちなみに、インターネット検索サイトにおいて「大泊ビーチ」のキーワードで検索した結果、約77,800件のヒット件数があったが(乙第9号証)、これらのほとんどが被請求人が名付け、上崎企畫が海水浴場として運営している沖縄県うるま市与那城伊計に存する本件浜辺に関するものである。
これらのことからすれば、「大泊ビーチ」の標章は、被請求人が「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」に使用したときに、自他商品識別力を発揮し、商標としての機能を十分に果たし得るものである。
ウ なお、特定の地域の浜辺を指称する語を商標とし、指定商品(役務)に「宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供」を含んだものが登録された事例として「瀬底ビーチ」(登録第5083085号)がある。前記の商標「瀬底ビーチ」は、審査において同法第3条第1項第3号及び同法第4条第1項第16号を理由として拒絶査定を受けたが、拒絶査定取消審判(不服2007-1158)で請求が認容され、登録になったものである。
これを本件商標についてみるに、「本願商標は、『大泊ビーチ』の文字を書してなるところ、該文字が沖縄県うるま市与那城伊計に存する浜辺を指称する語であるとしても、前記文字が直ちに本願の指定役務の提供の場所を表すものとして一般に認識されるものとは認め難いものである。また、本願商標にかかる指定役務である『宿泊施設の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,飲食物の提供』を取り扱う業界において、『大泊ビーチ』の文字が、役務の提供の場所を表示するものとして普通に用いられている事実も見出すことができない。してみれば、本願商標は、その指定役務について使用しても、自他役務の識別標識として機能を果たし得るものであり、かつ、これをその指定役務中のいずれの役務に使用しても、役務の質、提供の場所について誤認を生じさせるおそれがあるということもできない。」ということができる。
したがって、本件商標が、商標法第3条第1項第3号は勿論のこと同法第4条第1項第16号に該当するという理由も成り立たない。

4 当審の判断
(1)商標法第3条第1項第3号について
商標法第3条第1項第3号として掲げる商標が、商標登録の要件を欠くとされているのは、このような商標は、商品の産地、販売地その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として、何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのを公益上適当としないものであるとともに、一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解すべきである(最高判昭和54年4月10日[昭和53年(行ツ)第129号]第3小法廷判決・判例時報927号233頁参照)。
本件においても、「宿泊施設の提供」や「飲食物の提供」をする事業者が自己の業務に係る役務について提供場所等を表すために何人も自由に使用をすることを欲するであろう標章であって、自他役務識別力を欠くものについては、上記に照らして本条項の該当性が判断されるべきものと解される。
(2)本件商標について
ア 甲各号証によれば、以下の事実が認められる。
(ア)昭和58年6月30日付「沖縄県公報」(甲第1号証)には、漁場の区域ために「伊計島大泊平石上の標柱」が「基点1」として記されており、昭和53年の「定置漁業権漁場図」(甲第2号証)にも、同様に「基点1」として「伊計島大泊平石上の標柱」が記されるとともに、伊計島における同地点が地図上に図示されている。
また、平成5年6月16日付の沖縄県教育委員会の回答(甲第3号証)には、伊計島の西南部に埋蔵文化財「伊計大泊遺跡」があることや「大泊井」「大泊河」と呼ばれる遺跡がある旨の記載が認められる。
(イ)与那城町立伊計小中学校の創立100周年記念誌(甲第7号証)には、「伊計島遊覧歌 作詞玉城盛信 昭和3年」が掲載されており、その歌詞の「七」の中で「金武と向かう 大泊り」と歌われていることが認められる。
そして、資料(2)の沖縄全島図をみると、伊計島の対岸の沖縄本島側には、「金武湾」があることから、「大泊り」が同湾と向かい合う場所に位置していることがわかる。
(ウ)沖縄県中部農業改良普及所及び与那城村役場に係る「与那城村伊計集落における村づくり 昭和63年3月」(甲第9号証)には、「伊計の景勝地」として、「大泊(オオドマイ)ビーチ」の表記及びその現地写真が他の景勝地(「大泊河(オオドマイガー)」や「伊計ビーチ」など)とともに掲載されている。
(エ)沖縄県教育委員会に係る「1988年3月 沖縄県歴史の道調査報告書」(甲第10号証)には、代表的な港として、「伊計島」の「大泊」が挙げられている。
(オ)「与那城(よなぐすく) 平成4年 村勢要覧」(甲第11号証)には、「自然ビーチ・レジャー」として、「伊計大泊ビーチ(伊計島西側)」の表示とその浜辺の写真が「伊計ビーチ」などとともに掲載されている。
(カ)伊計島レジャーセンター株式会社に係る「伊計島観光開発基本計画」(甲第4号証)、同「平成2年度定時株主総会」資料(甲第5号証)及び同「平成3年度定時株主総会」資料(甲第6号証)においても、「大泊ビーチ」が開発対象地域を示す語として用いられていることが認められる。
イ 本件商標は、「大泊ビーチ」の文字を普通に用いられる書体(標準文字)をもって表してなるものである。そして、「ビーチ」の文字は、「浜辺。砂浜」を意味する外来語として広く親しまれ使用されている語である(広辞苑参照)ところ、この「ビーチ」の文字の前に地名等を冠して「○○ビーチ」(例えば、大磯ビーチ)と呼ばれ逗留や海水浴等に適するとされる浜辺が全国に多数存在する顕著な事実に照らせば、「大泊ビーチ」は、「大泊」と「ビーチ」とを結合した標章と容易に理解され、前記「大泊」の意味合いからして、「伊計島の大泊にある浜辺」を指す名称として把握されるとみるのが自然である。
ウ 前記アより、本件商標の出願時よりも以前から「大泊」及び「大泊ビーチ」の文字(語)が特定の地理的な名称として使用されていたことが認められ、本件商標の登録時にも同様であったと優に推認される。
エ 以上を総合してみれば、本件商標は、特定の地理的な名称である「大泊ビーチ(大泊にある浜辺)」を表したものと認識されるに止まり、これを本件商標の指定役務に使用しても、当該役務(「宿泊施設の提供」「宿泊施設の提供の媒介又は取次」「飲食物の提供」)の提供場所を表示するものとして認識されるというのが相当であるから、事業者が役務の提供場所の表示として使用を欲し、かつ、自他役務の識別標識としての機能を果たすことができないものというべきである。
したがって、本件商標は、商標法第3条第1項第3号に該当し、当該条項に違反して登録されたと判断されるものである。
(3)被請求人の主張等について
被請求人は、日頃から本件浜辺を全国から利用客が訪れる海水浴場にしたいと考えていたところ、本件浜辺を「大きな港」に見立て、港を意味する「泊(沖縄地方の方言で「とぅまい」という。)」の漢字を当てた「大泊」を思い付き、本件商標を採択したものであるという。
しかしながら、前記(2)のとおり、「大泊」が、「伊計大泊遺跡」「大泊河」の名称の一部であることや「伊計島遊覧歌」中の「大泊り」の用例等に照らせば、本件商標の出願日よりもはるか以前から使用されている沖縄県伊計島の地理的名称と認められる上、「大泊ビーチ」自体においても、当該浜辺を指称する名称としての使用例が認められるのに対して、本件商標採択の意図はさておき、「大泊ビーチ」が唯一被請求人の創造に係る標章であると認め得る客観的な証拠は見出せない。
さらに、被請求人は、昭和60年7月頃に使用を開始し、これまで、美しい自然のままの浜辺を守るために本件浜辺の環境整備に尽力し、多くの利用客に訪れてもらいたい一心で海水浴場「大泊ビーチ」を地道な努力で運営してきたのであり、現在の「大泊ビーチ」の知名度は、被請求人のこれまでの努力の積み重ねによって初めて獲得できたものである旨主張する。
しかし、全証拠によっても、本件商標が、その登録時までに、被請求人あるいは上崎企畫の使用によって自他役務の識別標識としての機能を具備するに至っていた(法第3条第2項参照のこと。)と認め得る的確な証左(宣伝広告や取引実績等を示す資料)は見出せないから、前記(2)のとおり、自他役務の識別標識としての機能を果たすことができないと判断すべきものである。
なお、登録要件を具備しているか否かについては、商標毎に個々具体的に判断されるべきものであるから、被請求人が挙げる商標「瀬底ビーチ」の登録例をもって直ちに、本件商標が自他役務の識別標識としての機能を果たし得ないとの前記判断が左右されるものではない。
(4)結語
以上のとおり、本件商標は商標法第3条第1項第3号に違反して登録されたものと認められるから、同法第46条第1項に基づき、その登録を無効とすべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2008-08-18 
結審通知日 2008-08-21 
審決日 2008-09-02 
出願番号 商願2004-32620(T2004-32620) 
審決分類 T 1 11・ 13- Z (Y43)
最終処分 成立  
前審関与審査官 小松 里美 
特許庁審判長 林 二郎
特許庁審判官 杉山 和江
小畑 恵一
登録日 2005-05-13 
登録番号 商標登録第4861855号(T4861855) 
商標の称呼 オードマリビーチ、オオハクビーチ、ダイハクビーチ 
代理人 新垣 盛克 
代理人 島袋 勝也 

プライバシーポリシー   セキュリティーポリシー   運営会社概要   サービスに関しての問い合わせ