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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成17ワ14972不正競争行為差止等請求事件 平成17ワ22496損害賠償等請求事件 判例 不正競争防止法

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審決分類 審判 全部無効 商4条1項19号 不正目的の出願 無効としない Z42
審判 全部無効 商4条1項7号 公序、良俗 無効としない Z42
管理番号 1181121 
審判番号 無効2005-89142 
総通号数 104 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2008-08-29 
種別 無効の審決 
審判請求日 2005-11-10 
確定日 2008-06-24 
事件の表示 上記当事者間の登録第4480999号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。 審判費用は、請求人の負担とする。
理由 第1 本件商標
本件登録第4480999号商標(以下「本件商標」という。)は、「老辺餃子」の文字を標準文字で書してなり、平成12年4月4日に登録出願、第42類「中華料理その他の東洋料理を主とする飲食物の提供」を指定役務として、同13年6月8日に設定登録されたものである。

第2 請求人の主張
請求人は、本件商標の登録を無効とする。審判費用は被請求人の負担とする。との審決を求め、その理由及び答弁に対する弁駁の要旨を次のように述べ、証拠方法として甲第1ないし第17号証(枝番を含む。)を提出した。
1 請求の理由
(1)ア 請求人は、中国沈陽(シンヨウ)市に本店を置き、1829年に設立後今日まで、創業者の辺福氏が開発した蒸し餃子を初めとする料理の店舗提供を行う飲食店(店名:「老辺餃子館」(以下「請求人老辺餃子館」という。))を経営し、また、今日までの176年間において、同飲食を初め娯楽・ホテル業を含む80余店のチェーン店や支店を北京、広州、甘粛、内モンゴル、山東省等に展開し、さらに、中国以外では、アメリカ、オーストラリア、韓国、台湾等にチェーン店を開設している(甲第1号証及び甲第2号証)。なお、甲第1号証には、日本にもチェーン展開していると記載されているが、これは、1987年頃から2000年頃にかけて、札幌市において営業していた中華料理店の鹿鳴春に対して請求人が餃子を輸出していた事実を記載したものである。
請求人は、1829年に設立後今日までの長期にわたって、上記の飲食店、チェーン店において、『老辺餃子』の商標を使用(来店客に対して餃子を提供する)し、或いはその使用を許諾してきた結果、その商標は遅くとも1999年には沈陽市において、周知商標として需要者間に広く認識されるに至り(甲第3号証)、また、2000年には、上海世界ギネスブックに「最も歴史のある餃子館-『老辺餃子』」がNo.01069として登録され(甲第4号証)、かつ、中国100強チェーン店に認定され、さらに多くの受賞をするに至った結果(甲第5号証)、遅くとも2000年には「老辺餃子」の商標は、中国国内において周知商標として需要者間に広く認識されるに至った。
請求人は、中国国内において1985年頃に出願をした商標「老辺」(指定商品:餃子その他)について登録番号第1964299号として登録を受け、甲第3号証に示すように1999年時点では沈陽市において著名商標として認定された(甲第6号証)。
イ 被請求人が経営する東京都新宿区の店名「老辺餃子館」(以下「被請求人老辺餃子館」という。)には、王連東(ワンレントウ)氏が料理長として勤務している(被請求人ホームページ(甲第7号証))。請求人は、王氏に対して、同氏が沈陽市に帰国した1998年?1999年頃に、商標「老辺餃子」の日本国内での無断使用に対して抗議を申し入れたが、被請求人からそれに対する回答を今だ受け取った事実はない。王氏は、被請求人の主要な構成員であることから、請求人が王氏に対して行った抗議の事実については当然に知っているものと推測できる。
また、請求人は被請求人及びこれに関連するいかなる者に対しても業務提携、商標出願の承諾又は委託をした事実はない。このことは、件外の株式会社四季プランニング宛確認書(甲第8号証)においても宣言している。
一方、被請求人は、上記ホームページにおいて、「老辺餃子」は180年の歴史を持ち、沈陽市にある本店の「請求人老辺餃子館」は中国で最も有名な餃子料理店として内外から高い評価を受けており、「被請求人老辺餃子館」は沈陽市にある本店と提携したものであって、現在でも、「老辺餃子」を食べることの出来るのは、「請求人老辺餃子館」と「被請求人老辺餃子館」だけであるとして、日本国内の一般人向けに、「被請求人老辺餃子館」で来店客に提供する餃子は、日本国内において被請求人のみが独占的に提供可能な餃子であって、他店において同じ餃子を来店客に提供することは困難である印象を強く与えている。
そして、被請求人は、請求人の承諾又は同意を得ずに、「老辺餃子」が中国国内において周知であることを知りつつ2000年4月に本件商標の出願をし、2001年6月に登録を受けた。
(2)商標及び指定役務の同一性について
本件商標の「老辺餃子」は、請求人老辺餃子館が提供する「老辺餃子」と同一であり、本件商標の指定役務である第42類「中華料理その他の東洋料理を主とする飲食物の提供」は、請求人老辺餃子館が来店者に餃子を提供する行為を含んでいる。したがって、本件商標は、請求人の業務に係る役務を表示する商標と同一である。
(3)請求人の商標の周知性について
上記(1)に詳述したように、請求人が来店者に餃子を提供するのに表示する「老辺餃子」は、中国における需要者の間において周知ないし著名である。
(4)不正の目的について
被請求人は、中国において周知ないし著名な「老辺餃子」について我が国において商標登録出願がなされていないことを奇貨として、本件商標の出願を行い登録を受けた。また、被請求人は、請求人からの無断使用に対する抗議を受けながら、回答を放置し、むしろ、ホームページ等で請求人と提携した旨の虚偽の事実を流布し不正な意図を持って本件商標の出願を行い登録に至らしめた。
すなわち、ホームページにおいては、(a)被請求人老辺餃子館が沈陽市にある本店と提携したものであること、(b)現在でも、「老辺餃子」を食べることのできるのは、中国の本店が営業している「老辺餃子館」と被請求人が営業している「老辺餃子館」だけであること、を表示しているが、これらの表示事実はいずれも虚偽である。請求人は被請求人と提携した事実はなく、むしろ、被請求人は請求人が行った無断使用に対する抗議を無視したものであり、また、「老辺餃子」を食べることの出来る店は、中国国内各地に点在し、さらに台湾やその他の外国においての提携店においても食することができるのであって、請求人老辺餃子館と被請求人老辺餃子館でのみ食することができるというものではない。
被請求人は、このように、ホームページにおいて、被請求人老辺餃子館が沈陽市にある本店と提携したものであって、現在でも、老辺餃子を食べることのできるのは、中国の本店が営業している「老辺餃子館」と被請求人が営業している「老辺餃子館」だけであるとして、日本国内の一般人向けに、被請求人が営業している「老辺餃子館」で来店客に提供する餃子は、日本国内において被請求人のみが独占的に提供可能な餃子であって、他店において同じ餃子を来店客に提供することは困難である印象を強く与えている。
このことは、被請求人が、本件商標の登録をもって、請求人又はその提携先による日本国内においての店舗の開設、及びその店舗での請求人「老辺餃子」の提供、販売等を行うための営業参入を阻止する意図を持っているものということができる。
したがって、被請求人は、不正の目的を持って「老辺餃子」を使用するために本件商標を出願し登録を受けたことは明らかである。
(5)むすび
以上のとおり、本件商標は、請求人の業務に係る役務を表示するものとして少なくとも中国における一般需要者に周知又は著名の商標と同一の商標であって、不正の目的を持って使用するために登録を受けたものであるから、本件商標は商標法第4条第1項第19号に違反して登録されたものである。
仮に、被請求人に上記不正の目的がなかったとしても、中国国内において周知、著名な商標と同一の商標について、それが我が国に登録されていないことを奇貨として被請求人が登録を受けることは国際的信義に反することであるから、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に違反して登録されたものである。
よって、本件商標は、商標法第46条第1項第1号の規定により無効とされるべきである。
2 被請求人の答弁(第1回)に対する弁駁
(1)被請求人の主張は、極論すれば、乙第2号証の契約書を根拠として本件商標の登録は無効ではないということに尽きるようである。
そこで、同契約書条項を検討すると、「中国瀋陽老辺餃子館」の商号及び商標が保護に値すべき価値ある商号・商標たることを前提として、
ア 第1、28、29条で、被請求人は、2年間の契約期間内に、東京都の区域に限って、「中国瀋陽老辺餃子館」の商号及び商標を使用して中国瀋陽国際経済技術合作公司(以下「公司」という。)の派遣員と共に営業することが許され、期間満了後は有効期間を2年間として更新でき、更新に際して技術供与料は日本の物価の変動を考慮して協議して決定するものとし、以後も同様とする。
イ 第5、6、7条で、技術員1名毎に各技術供与料を算定し、この技術供与料は商号及び商標使用許諾料を含んでおり、被請求人は技術員全員の技術供与料の合計を3ヶ月毎に中国藩陽の公司の口座に振り込んで支払わなければならない。
第17条で、公司の派遣員は調理の技術については指導しないことになっていて、秘伝の技術の果実たる料理を提供する以上の義務を負わない。
第30条で、更新がなく契約が終了したときは、被請求人は、「中国瀋陽老辺餃子館」の商号及び商標を使用することができないといった取決めがなされているようであるが、文面上からも被請求人による日本国内での商標出願を許可した条項は全く見当たらず、かかる契約の当初から公司指定の口座に実際に技術供与料が送金されていたものかどうか不明であり、かつ、かかる契約関係がどのように維持・更新されたのかも全く分からない。少なくとも中国国内で著名な商標である「老辺餃子」の商標権者たる請求人は、このような契約関係の存在や更新については全く知らないし、技術供与料や商号・商標使用許諾料などを受け取ったこともない。
被請求人が契約に則って請求人の中国本店の名称及び商標の使用を現在まで継続的に許諾されているというなら、誰と誰の間の如何なる内容の契約で、その契約がいつからいつまで有効で、その対価をどのように支払っており、他人の商標の日本国内での出願について、いつ、誰から具体的な許諾を得たのかを明らかにすべきである。
(2)乙第2号証の契約書を前提としても、請求人と被請求人間の契約上の関係はとうに解消されている訳で、被請求人の1992年以降の営業や商号、商標使用は、請求人が長い歴史の中で獲得した技術や著名性を無断で借用した契約違反行為である。
被請求人の主張は、被請求人が、契約関係解消後も中国老舗・中国名店たる請求人の著名性を借用・誇示して(乙第6号証、乙第8号証、乙第9号証参照)、無断・無償で請求人の商号・商標を利用して利業活動に勤しんできたという以上の内容を主張するものではない。このような主張自体が、自ら不正な利益を図る目的で老舗の名を利用してきたことを吐露しているものといわざるを得ない。
被請求人が日本で請求人の存在を知らしめるために貢献した結果、日本で請求人の存在認識が広まったのではなく、請求人の著名性を利用することによって被請求人の営業が何とか今日まで存続できたということなのであって、被請求人の主張は本末転倒である。中国では、かなり以前から、例えば、列車の車内放送でも、沈陽(瀋陽)市到着前に同市の案内として、現在は世界遺産に登録されている東陵・北陵と共に名店として老辺餃子館や鹿鳴春等の著名な店が紹介され、これらは旅行のガイドブックにも必ず掲載され、老辺餃子館はギネスブックにも「最も歴史のある餃子館ー”老辺餃子”」として記録されている。このように世界的に著名であるが故に大手旅行会社も当然に観光コースに請求人店舗での食事を入れるのである。
(3)商標の出願については、被請求人が請求人に無断で行った。被請求人が乙第2号証の契約を締結する前の段階で商標出願をしたのは何故で、その後も請求人に断りもなく次々に出願したのは何故なのか説明されたい。乙第2号証の契約書を前提としても、被請求人の商号、商標利用は契約期間中、東京都区域内での使用に限定されており、日本国内での独占使用権を獲得させるものでないことは明らかであるから、契約書にも定めのない商標出願行為は契約を逸脱した違法行為である。
(4)被請求人の「老辺餃子」「老辺餃子館」の名称は、請求人の「老辺餃子」「老辺餃子館」の周知性を借用しているものに過ぎず、それ自体が周知性を有するものではない。
(5)1994年5月以降の被請求人の営業が、乙第2号証の契約書や請求人の意向を無視して無断で行われてきたことは明らかであり、王連東や辺江の招聘も請求人の了解を得ずに被請求人において独断で行ってきたものにほかならないものというべきである。
(6)本件商標は、他人の著名な商標をその許諾もなく無断で出願したものであることが一層明白になったのであるから、本件請求を論難する被請求人の主張こそが不当なのである。
3 答弁(第2回)に対する弁駁
(1)中国沈(瀋)陽の「老辺餃子館」の経営主体である請求人のここ20年間程度の組織上の歩みについて簡単に説明すると以下のとおりである。
・1985年当時(乙第2号証作成当時)は、国営(管理を沈(瀋)陽市服務業管理局、対外交渉を沈(瀋)陽国際経済技術合作公司がそれぞれ担当。)
・1996年10月に沈(瀋)陽飲食服務集団公司(国営企業であり、国営のまま現在に至る)の組織下に入る。
・1997年9月に現代表ツィタオが総経理(社長)に就任
・2003年10月に民営企業に移行
(2)請求人が国営企業から民営企業に移行したとしても、企業としての同一性に変更はない以上、国営企業時に生じた権利義務を承継することは当然である。しかし、請求人が国営企業時に被請求人との間に持つこととなった権利義務関係に照らして(即ち、乙第2号証の契約書に照らして)、請求人の商標である「老辺餃子」「老辺餃子館」を、日本国内で被請求人が、独占的に使用できる結果となるような如何なる許諾をも、請求人側は、一切付与していないことは、動かしようのない事実なのである。むしろ、乙第2号証の契約書(以下「本契約書」という。)条項の反対解釈からすれば、日本国内での独占使用を前提とする商標登録は禁ぜられていることが明らかである。本契約書から明らかなように、請求人側と被請求人の契約は、契約期間内に限り、請求人側の料理人を派遣して秘伝の技術の成果である料理を被請求人に提供し(技術そのものは門外不出であり伝授することは許されない)、その契約期間内に限り、請求人側の商標を、東京都の区域内に限り、使用することを許す、という極めて限定的なものに過ぎないからである。
ところが、被請求人は、このような限定的契約を1985年7月25日に締結する数ヶ月前の契約締結準備段階において、契約書文言に明らかに違背する「老辺餃子」「老辺」商標の登録出願行為(出願日1985年4月24日)を行っているのである(乙第14号証)。このような行為は、そのこと自体が国際商道徳に明らかに反しており、公正な取引秩序を乱すおそれがあるばかりでなく、国際信義に反し、公の秩序を害する剽窃的出願行為と評価されてもしかたのない行為である。日本の貿易会社が、外国企業との契約に先んじて(企業との契約に向けたリサーチ段階で)その企業の保有する商標を無断で剽窃的に国内出願する行為は公序良俗違反行為の典型例である。
(3)請求人は、本契約が締結されたこと自体は何ら争っておらず、被請求人によって無断でなされた商標登録出願行為や、契約関係解消後の無断借名行為を問題にしているのである。
被請求人は「王克鎮氏及び公司の関係者は被請求人が日本で商標登録出願をしたことは承知しており、何らの異議もなく問題は一切生じなかった」などと主張するが、問題が一切生じなかったのは、無断で出願したので中国側が気がつかなかったからに過ぎない。
(4)被請求人は、被請求人と公司との間のトラブル後に話し合いを続けて新たな合意をなしたというが、被請求人の主張は虚構である。
まず、被請求人が抗議し、損害賠償の話までし、解決を図るために公司から関係者が度々来日したというのに、詳細な交渉経過はおろか、交渉における公司の担当者の氏名すら明らかにできていない。そもそも、中国側に対する法的な損害賠償請求など通常不可能と思料されるし(本契約第32条参照)、本契約が単に被請求人に料理人を派遣して低廉な派遣料対価の支払いを受ける程度の限定された契約に過ぎない以上、損害といってもたかが知れているのである。また、その時点で契約が2回も更新され、契約後5年も経過していて被請求人の初期投資の回収も済んでいたものとも思料される。そうであるのに、中国側が、そのような現実味のない損害賠償請求を怖れて、自国にとって何ら利益もないのに、国営の名高い老舗店舗の商標「老辺餃子館」「老辺餃子」の使用を永遠に許すような一方的に不利益な和解に応じたというのであろうか。経験則に照らして、そのような和解が成立する余地はないものといわざるを得ない。
共産主義国の中国の料理人は、海外の派遣先からの給与の相当部分を国に納めることになるが、日本において永住資格を取得し、あるいは帰化するなどして、派遣先の外国企業と直接雇用契約を結んで中国の介入を排除する事例が見受けられる。本件もそのような事例の一つに過ぎない。即ち、王連東氏にとってみれば、被請求人と直接雇用契約を結び、これまで被請求人が中国に支払っていた金員を直接受け取ることができれば、手取り給与が相当に増額するであろうし、被請求人にとってみれば、中国から違う料理人の派遣を受けるなどして中国側との煩わしい折衝をするよりも、王連東氏個人を直接雇用して安定した人員を確保する方が店舗の経営上好ましいと考えるのが自然である。両者の利害が完全に一致したのである。
中国には何らのメリットもなく、あるのは日本市場を失う怖れすらもなしとしない重大なデメリットのみなのである。結局、被請求人が「トラブル」があったとする時期にも通常どおりロイヤリティーを払っていたとしていることも総合すると、「トラブル」そのものがなかったと考える方が自然である。
被請求人が、本件審判請求を受けるまで、全く問題なく、平穏に、新宿で「中国名店 老辺餃子館」(甲第14号証)の営業を続けてきたのは、被請求人としては中国と折衝する必要もなくなり、かつ、中国側としては、被請求人との契約関係は終了し、「老辺餃子」の商標はもはや使われていないものと信じていたからに過ぎなかったのである。
(5)被請求人は、請求人の主張をとらえて「自国の国の機関であった公司の行為を無視し否定するかのような主張である」などというが、公司の行為として客観的に存在するのは本契約行為のみであり、それ以外に被請求人の主張するような公司の行為(合意)を認めることは到底できない。
(6)「被請求人が20年に及ぶ努力の末に、日本で評判を得て、店名も広く知られるようになり、日本で成功していることを奇貨として、これ幸いに被請求人の周知性を横取りしようとしているに他ならず、請求人の行為こそ不正である。」などと主張する。
被請求人は、自らのホームページで、「中国名店 老辺餃子館」「中国随一餃子の名店 老辺餃子館」などと表記し、「『老辺餃子』(ろうべんぎょうざ)は清朝中頃の1829年に辺福という老人が苦心の末造り出し、当時の皇帝より”当代随一”と賞賛された逸品の餃子です。180年の歴史を持つこの餃子は、製法が秘伝にして門外不出となっております。瀋陽に本店があり、ガイドブックには必ず掲載されるなど、中国で最も有名な餃子として内外から高い評価を受けております。ここ東京の『老辺餃子館』は瀋陽の本店と提携し、秘伝を受け継ぐ料理人を日本に招聘することで、180年の歴史を誇る老辺餃子を食べられる日本で唯一の店舗として、1986年に開業致しました。現在でも老辺餃子を食べることができるのは、中国の『老辺餃子館』と日本ではこちら『老辺餃子館』のみとなっております」などと宣伝し(甲第14号証)、パンフレットでも、「老辺餃子を知らずして、餃子の事、語る勿れ!! 餃子発祥の中国を代表する『老辺餃子』。製法は秘伝にして門外不出。四千年の歴史の中から生まれた、この美味『老辺餃子』を召し上がれるのは中国本店と日本では当店だけ・・・。」などとし(乙第3号証)、被請求人がこれまでなしてきた商業広告も、中国瀋陽の本店との関係を殊更論ってその名店と同一の味をうたい文句にして宣伝をなすものが殆どである。
つまり、被請求人自身が、自らの営業活動が請求人の歴史と伝統、商号、商標の上にのみ成り立っていることを十分承知し、その知名度と味を余すところなく流用していることを知悉していることが明らかなのである。そして、被請求人の主張を前提とすれば、少なくとも1993年10月以降の十数年間は、このような著名な店名や商標の無断使用について一円の対価も支払っていないということになる(乙第28号証)。
こうしたことの結果なのか、相当規模の書店には必ずおかれているガイドブックの中にも、中国瀋陽で最も有名なレストランとして中国全土で知られている請求人の店舗の紹介欄に、被請求人店舗がその東京の支店であるとしてそのホームページアドレスが記載されてしまっているものがあり(甲第12号証)、ガイドブックにおいても出所の混同を来しているぐらいであるから、旅行や餃子好きの需要者の間においては相当規模の出所の混同が現に生じているものと思料される。
社会通念上、被請求人の広告をみた一般人は、被請求人の「老辺餃子館」が中国瀋陽『老辺餃子館』の直営支店ないし中国と資本関係をもった店舗であると勘違いしてしまうのである。それ故に被請求人は集客力を発揮できるのであり、また、それこそが被請求人の狙いでもあろう。
結局、被請求人の「老辺餃子館」「老辺餃子」商標の知名度は、自ら築いたものでは全くなく、中国名店であるところの請求人の周知商標との関連においてのみ成立しうるものである。
また、被請求人が提出する資料にも、被請求人が、中国における請求人の周知、著名商標を援用して営業活動をなし、営業主体の混同を生ぜしめている実態がある(乙第33,37,42,43,48,69,75,98,100,132,157,165,167,174,177,183,185,196,198,199号証)。
170年以上に渡る長い年月と研鑽の課程で獲得した中国・瀋陽の老舗の味と知名度を、正規には、僅か数年間料理人の派遣を受けていたに過ぎない日本の一企業が、中国が育成して派遣した料理人を取り込んで直接雇用し、かつ、本契約終了後も請求人の商標、店舗名を独占的に無断使用する行為によって踏みにじることが許されてはならない。このような行為が如何に国際商道徳に反し、公正な取引秩序を乱し、国際信義に反することか、逆の立場になって考えれば明らかなことである。
(7)上記被請求人によるホームページやパンフレット、商業広告類に照らせば、これだけでも請求人の商標である「老辺餃子」「老辺餃子館」が1985年以前において既に中国全土において周知、著名となっていることは容易に理解されるところであり、また、周知、著名性については審判請求書にも記載しているが、更に下記のとおり補足する。
ア 1991年1月発行のガイドブックには、中国各地の名物料理20種が掲載されているが、請求人の店舗だけは瀋陽の「老辺餃子館」として店舗名で紹介されている。即ち、中国全土において、餃子といえば瀋陽の「老辺餃子館」という程の知名度があるということなのである(甲第9号証の1、11ページ。甲第10号証、491ページも参照)。
イ 1993年1月発行の中国のガイドブックにも、「餃子といえば老辺餃子」、「150年以上の間、市民に変わらぬ人気で支えられてきた名店である」などと写真付きで紹介されている(甲第9号証の2、2枚目)。
ウ 中国のガイドブックには、必ずといっていい程、中国全土で知られている瀋陽市の名店として同市のレストラン部門では筆頭に紹介されるなど、その知名度は不動のものといってよい(甲第10ないし第12号証)。
エ 日本の新聞紙上でも、「1829年創業の老舗で東北の名物」「知る人ぞ知る元祖・中国ギョーザの本場中の本場が瀋陽だ。」「1829年創業、180年近い歴史を持つ老舗「老辺餃子」。市最大の繁華街、中街にある店には一日2000人が訪れる。」などと紹介されている(甲第13号証)。
このように、「老辺餃子」「老辺餃子館」は、元祖餃子店としての正統性は折り紙付きであり、かつ、170年以上に渡って累々と築き上げてきた誰しもが認める逸品料理及びその提供にかかる商標として、その信頼と実績、知名度は格別のものがあり、中国全土にわたる周知、著名な商標ということができるのである(甲第11号証)。そして、その周知、著名性は、被請求人との間で本契約を締結したはるか以前において、既に獲得済みだったものである。
(8)辺江氏が5代目継承者でなく、また、王連東氏は、「請求人老辺餃子館」の調理師ではなく瀋陽市盛京飯店老辺餃子部の調理師である。そして、盛京飯店との間で、1994年5月23日に停給留職協議(国外で仕事をするために給与を停止し、地位のみを保留扱いにすること。休職扱い)を締結している(甲第15号証)。盛京飯店によれば、同氏は、1998年6月、この協議所定の職費支払義務違反により完全に離職したということである(甲第17号証)。即ち、王連東氏は、中国から派遣されているのではなく、身分だけを保留扱い(休職扱い)にしてもらって海外に職を求めて自ら出国し、その後間もなく中国における勤務先との関係を完全に断ち切って、結局は1994年5月頃から今日まで、日本の一企業である被請求人に直接雇用されて生計を維持しているのである。中国当局が「王連東を個人として派遣する。本人もやる気であるから大丈夫だ。」などといったとする被請求人の主張が虚構であることは明らかである。辺江氏は、1982年5月から1994年9月までは「老辺餃子館」に勤務し、1994年10月から1997年12月までの間離職するも、1998年1月に復職、しかし、1998年11月には瀋陽駅前賓館に転勤して離職し、以後「老辺餃子館」にかかる営業につき労使関係はないということである(甲第16号証)。
(9)被請求人がなしてきた広告は、殆んど全てが、中国の著名な老舗店舗「老辺餃子館」との本・支店関係ないし合弁、提携、姉妹店関係を強調したもので、その集客手法も「老辺餃子館」の歴史と人気に全面的に依拠したもの、料理人も中国が養成した人物、といった具体に、全てにおいて独自性を欠如している。
したがって、被請求人が宣伝広告に殊更力を入れ、それによって「老辺餃子」及び「老辺餃子館」商標が、被請求人の商標として需要者・取引者に広く認識されたなどということがありえない。さしたる広告もすることなく、むしろマスコミの方から積極的に取り上げられ、売り上げが伸び、月商2800万円になったのは、「請求人老辺餃子館」の支店、提携店、姉妹店等の位置付けがあったればこそなのである。そして本契約関係が終了した後も請求人との関係を強調する被請求人の契約違反行為により、被請求人の「老辺餃子館」「老辺餃子」商標は、需要者、取引者が、これをもって「請求人老辺餃子館」「老辺餃子」と思い込むという営業主体の混同を招いているのである。
(10)一旦、商標登録がなされれば、これが取消され、あるいは無効として抹消されない限り、形式的にはその名称の独占使用権を排除できず、本家本元の請求人であっても、日本人に本物の「老辺餃子」の味を食してもらうことすら適わないのが現実である。実際に、日本の名だたる大手企業も請求人の「老辺餃子」を大いに評価し、請求人がこれらと協力して日本人に食してもらおうと思っても、被請求人の登録商標によって躊躇せざるを得ないのである。これこそが被請求人が日本において商標登録を行った目的、即ち、「自ら不正の利益を図り、請求人側に損害を加える目的」以外の何物でもない。被請求人が如何に詭弁を弄し、取り繕おうとも、本契約に違反して被請求人が請求人側の商標を日本において無断で登録するということは、主観的にも客観的にも、そのような目的があったと断ずるよりほかないのである。

第3 被請求人の主張
被請求人は、結論同旨の審決を求める。と答弁し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし同第203号証(枝番を含む。)及び資料1ないし資料7(枝番を含む。)を提出した。
1 答弁(第1回)
(1)本件商標は、被請求人が1986年(昭和61年)11月に営業を開始した料理店「老辺餃子館」において、被請求人の役務を表示するものとして使用しているのである(乙第1号証)。
(2)被請求人の「老辺餃子館」について
ア 被請求人の代表者である高木政幸(以下「高木」という。)は、貿易業務に携わり、中国にも度々行っていた頃、中国遼寧省瀋陽にある「老辺餃子館」の支店を開業しないかとの誘いを受け、瀋陽の「老辺餃子館」(以下「本店」という。)の協力を得られるということで、開業することにした。
そこで、被請求人は、当時の国の機関である「中国瀋陽国際経済技術合作公司」と契約することになり、公司は被請求人に対して「中国瀋陽老辺餃子館の商号および商標の使用を承認し、かつ、その調理の技術を供与すること」を確約し、それに伴い公司から技術者(以下「料理人」という。)を派遣するという契約を1985年(昭和60年)7月25日に締結した(乙第2号証)。
イ 被請求人は、この契約締結により、料理店の開業を準備し、1986年(昭和61年)11月に、東京都新宿区新宿に中国料理店「老辺餃子館」を開業し、今日に至っている(乙第3号証ないし乙第6号証)。
被請求人が、契約により料理人一名につき公司に支払う「技術供与料」には、「中国瀋陽老辺餃子館の商号、商標の使用承諾料を含むものとする。」(第6条)とされていたので、違わず支払っていた。
まず、開店に伴い、公司から2名の料理人が派遣されてきた。
乙第3号証の案内パンフレットは、被請求人が最初に作成したものであるが、「この『老辺餃子館』が中国本店外としては始めて日本にオープンし、中国の伝統ある皇帝料理をそのまま日本で味わうことができるようになりました。料理の秘訣を他外しないという掟に従い、厨士もすべて中国から来日しております。」の説明があり、裏面に料理人が写っている。右より、孫志明、王連東、斉春の3名である。
ウ 公司から派遣された料理人は、来日と帰国を繰り返していたが、それ以上に問題だったのは、真面目に働かないので非常に困り、このことで、公司と話し合いを続けていたが、平成3年末で全員いなくなってしまった。被請求人は営業を続けていたので、公司に抗議を続け、更に多大な損失を蒙ったので損害賠償の話し合いも続けた。
契約により、被請求人は公司に技術供与料を支払っていたが、料理人への給与などの支払いについて、公司と料理人との間で問題が起きていたのである。
エ 公司は、「王連東を個人として派遣する。本人もやる気でいるから大丈夫だ。」ということで、損害金や公司を通しての派遣の話しは不問に付して、今後は互いに宣伝し合い、営業成績をあげるように努力しよう、ということになり、王連東が個人として派遣されることになった。平成6年(1994年)5月、王連東(ワンレントウ)が来日し、現在に至っている(乙第6号証)。
オ 被請求人は、これまでいろいろな問題があっても、契約の約束を守り、本店との協力関係を宣伝し、本店の存在を日本で紹介しつつ、かつ、被請求人の「老辺餃子館」をわが国で周知ならしめた。
(3)被請求人と本店との関係について
ア 被請求人の「老辺餃子館」の開業は、公司から料理人を派遣し、本店の味をそのまま日本の店で提供するという約束のもとに始まったが、派遣された料理人はまじめに働かず、言葉も十分伝わらず、開店当初はトラブル続きであった。
前項で説明のとおり、平成4年から平成5年にかけて公司との話し合いが続いたので、「老辺餃子」若しくは「老辺餃子館」を使用できなくなることも予想し、被請求人は平成5年9月1日に店名を「龍幻餃子館」に変更した経緯がある(乙第7号証の2)。
しかし、公司は、問題を解決するために、王連東を個人として派遣するとの提案をし、被請求人はそれを受け入れた結果、王連東が正式に派遣されたので、平成6年7月に店名を元の「老辺餃子館」に変更した(乙第7号証の3)。
イ 王連東は、「老辺餃子」の生みの親である辺福老人の技術を受け継ぐ料理人の4代目の1人として、秘伝の味を現代まで守り続けている。
平成2年7月から平成3年8月まで、公司から派遣来日していた「辺江」(ベンコウ)は、「老辺餃子」の5代目であるが、平成13年5月にも来日して平成14年5月に帰国するまでの1年間、被請求人の店で働いていた。この一事をもってしても、被請求人と本店とには協力関係があることが明らかである。
被請求人の「老辺餃子館」は、平成6年5月、王連東が被請求人の店で働くようになった以後は、被請求人の「老辺餃子館」の継続営業に対して、公司との問題は一切生じていない。
ウ 被請求人は、開店から今日までの約20年間、本店の存在をないがしろにしたことなど一度もなく、双方宣伝し合って営業成績をあげようという公司との約束どおり、被請求人の「老辺餃子館」の案内や宣伝広告には、本店との協力関係により、門外不出の秘伝の味「老辺餃子」を提供していることを説明し、かつ、本店の存在を日本に紹介しているのであり、それらの宣伝広告量は膨大な数量になっている。
すなわち、被請求人の「老辺餃子館」の案内書には、「中国老舗」あるいは「中国名店」の表示をし、更に、「『老辺餃子館』は瀋陽の本店と提携し、秘伝を受け継ぐ料理人を日本に招聘することで、180年の歴史を誇る老辺餃子が食べられる日本国内唯一の店舗として、1986年に開業致しました。」(乙第6号証)との説明も、公司との契約に則り、常に宣伝広告していることである。
また、店内には、「中国で随一と名高い老辺餃子 餃子一筋180年 現代も尚美味に打ち込む秘伝の老辺餃子・・・テレビ・雑誌などに良く取り上げられるのは、その所以である。中国本店と技術提携した当店は実に19年に及ぶ。」(乙第8号証)、「皇帝も美味に絶賛。老辺餃子は中国で一番長い歴史を持つ。製法は秘伝にて、門外不出。この『老辺餃子』と提携して既に二十年。・・・」(乙第9号証)の説明書も用意しているのである。
このように、被請求人が本店との協力関係を謳うのは、本店の名称を不正に利用しているのでは決してなく、被請求人の「老辺餃子館」が、公司より本店の名称及び商標の使用を許諾され、かつ、料理人が派遣されたことから始まっており、被請求人は、現在まで継続して中国から料理人を招聘し、契約に則り、今日に至っているのである。
エ 更に、被請求人が本店の存在も紹介していたこともあって、3年程前からは、日本の大手旅行社(JTB、近畿日本ツーリストなど)による中国旅行のコースに本店での食事も組み込まれるようになっている(乙第10号証)。このようなことは、被請求人が、日本で本店の存在を知らしめるために貢献した結果であると自負している。
このように、被請求人は、平成6年5月の再出発に際し、中国側と協力してやっていこうとの約束を守って今日まで来ているのである。
(4)「老辺餃子」について(乙第11ないし第13号証)
ア 「老辺餃子」の由来は、中国清朝中頃の1829年、辺福という老人が苦心の末造り出し、当時の皇帝より“当代随一”と絶賛された逸品の餃子である。180年近い歴史を持つこの餃子は、製法が秘伝にして門外不出となっており、この餃子を中心に提供する料理店が瀋陽の本店であり、その歴史と逸品の味と共に、本店が知名度を得ている料理店であることは否定できない。
「老辺餃子」は餃子の名称ではあるものの、製法は門外不出として代々伝えられているといわれていたため、餃子の名称として一般化することはなく、料理店で料理をして提供しているのは、わが国では被請求人の料理店のみである。
したがって、「老辺餃子」及び「老辺餃子館」の表示は、餃子を指称するばかりではなく、餃子を中心として各種の中国料理を提供する料理店の名称として使用しており、かつ、需要者からも餃子その他の中国料理を提供する料理店の名称として認識されているのである。
イ また、被請求人は、公司との契約及び1986年(昭和61年)11月の開業に先立ち、公司との契約では商標使用の承認が条件であったことから、昭和60年4月23日に「老辺餃子」及び「老辺」の商標を旧第32類「ぎょうざ」を指定商品として出願し登録を得たのを始め、平成4年4月1日にいわゆるサービスマーク登録制度が導入された後は、「飲食物の提供」に関して、「老辺餃子館」、「老辺」並びに本件商標について出願をし、登録を得ている(乙第14ないし第17号証)。
このことは、公司の承諾により、秘伝の製法からなる「老辺餃子」を提供するというところから、第三者は無断でこれらの名称を使用することはできないが、不正な行為による名称の模倣を防ぎ、老辺餃子を正しく伝えていくために、必要に応じて商標登録を得ているのである。
(5)被請求人の「老辺餃子」及び「老辺餃子館」の周知性について
被請求人は、開業当初から宣伝広告にも力を入れ、テレビの番組で紹介され、新聞、雑誌に記事が掲載され、この19年間にその数量は膨大なものになっている(乙第18ないし第21号証)。
被請求人の「老辺餃子」及び「老辺餃子館」の名称が周知性を獲得していることは明白であると確信する。
(6)請求の理由に対する反論
ア 請求人は、「老辺餃子」の商標は遅くとも1999年(平成11年)には沈陽市(「瀋陽市」と同じ)において、周知商標として需要者間に広く認識されるに至り、と主張している点は認めることができるが、遅くとも2000年には「老辺餃子」の商標は、中国国内において周知商標として需要者間に広く認識されるに至ったと主張している点は、そのような事実は立証されていない。
イ 請求人は、被請求人の「老辺餃子館」で王連東が働いていることは認めたうえで、「王氏に対して、・・・・・商標「老辺餃子」の日本国内での無断使用に対して抗議を申し入れたが、・・・・・。」と主張しているが、王連東にそのような記憶はなく、被請求人代表者の高木も全く承知していない。
ウ 請求人は、「被請求人及びこれに関連するいかなる者に対しても業務提携、商標出願の承諾又は委託をした事実はない。このことは、件外の株式会社四季プランニング宛確認書においても宣言している。」と主張しているが、これまで詳細に述べたように、被請求人の「老辺餃子館」は公司との契約により、公司からの料理人派遣により開業して継続してきたのであり、請求人はこの事実を無視しているのであれば、信義則に反するといわざるを得ない。
エ 老辺餃子は料理店で来客に提供することができるのは、わが国では被請求人の店だけである。
それ故、日本における「老辺餃子」又は「老辺餃子館」の名称は、すでに20年近く使用しているところから、わが国では被請求人の役務に係る表示であるとして、広く知られているのである。
中国瀋陽において、請求人の「老辺餃子館」が周知であることは認めるが、本店の存在がわが国でも知られ、近年、中国ツアーでも本店で食事するコースができるようになった(乙第22ないし第34号証。ただし、同号証は、重複して表記されているので、ここでいう乙第22ないし第34号証については、「追加の乙第22ないし第34号証」と表記する。以下、同じ。)のも、被請求人が、被請求人の「老辺餃子」及び「老辺餃子館」の宣伝広告には本店の存在も併せて紹介してきたからに他ならない。その証拠に、本店が日本において瀋陽の「老辺餃子館」を宣伝広告した事実は全くない。
(7)結び
以上主張したとおり、被請求人は、約20年前、公司との契約により、「老辺餃子館」を開業したのであるが、当初からいろいろな問題があり紆余曲折はあったものの、平成6年5月に王連東が公司より派遣されて来日した後は、順調にきている。
その後、公司との問題も生じることはなかったので、互いに協力・宣伝し合って営業成績をあげようとの約束どおり、常に本店との協力関係を謳い、本店の存在を日本で知らしめてきたのである。
したがって、請求人の主張はいずれも不当なものであり、被請求人は、不正の目的をもって本件商標の登録を得たものでは決してなく、また、本件商標の登録が国際信義に反するようなことでは断じてない。
よって、本件商標は、商標法第4条第1項第19号又は同法第4条第1項第7号に違反して、商標法第46条第1項第1号の規定により無効とされる理由は全くないものである。
2 答弁(第2回)
(1)被請求人は、この度、請求人について調査をしたところ次の事実が判明した。
ア 被請求人が公司と契約した当時は、瀋陽老辺餃子館は完全な国営であった。実際に管理していたのは「瀋陽市服務業管理局」であったが、その管理局は対外的な交渉などの権限はなく、対外的な交渉や契約は全て「中国瀋陽国際経済技術合作公司」であった。すなわち、被請求人が契約した公司である。
イ 1996年(平成8年)10月に「瀋陽飲食服務集団公司」が設立される。この集団公司の下に、瀋陽老辺餃子有限公司があり、1997年(平成9年)に、請求人の現代表者であるツィタオ氏が総経理に就任した。この集団公司はいまだ国営であった。
ウ 2003年(平成15年)10月25日、中国の制度改革によって、瀋陽老辺餃子有限公司は国営から民営に変わり、ツィタオ氏が筆頭株主となり、現在、菫事長(会長)、総経理(社長)、党書記に就任している。
(2)被請求人の代表者高木は、中国との貿易の仕事を通じて、瀋陽市対外経済合作顧問委員会の顧問「王克鎮」氏と知り合った。この王氏を通じて「瀋陽老辺餃子館」の話しが持ち上がり、王氏を介して公司と交渉をし、その結果、契約を締結するに至ったのである。
高木は、契約の交渉の過程で、あるいはその後も何人もの公司の人達や関係者と会っている。王克鎮氏を始め、公司の日本駐在代表「肖文」氏、瀋陽老辺餃子館を管理していた瀋陽市服務業管理局の「許継武」氏、「毛鶴軒」氏などの名刺写しを提出する(乙第22号証)。
また、1985年(昭和60年)7月25日の公司との契約が正式になされたことの証拠として、契約を締結する前の高木と中国との付き合いから契約書に署名をした時の様子について説明する。
高木と中国との長年の付き合いの中で、昭和56年(1981年)1月18日、中国遼寧省対外進出貿易公司の一行が来日したので、横浜を案内し、高木の自宅で接待をした(乙第23号証)。
昭和59年(1984年)4月24日に、王克鎮氏と共に瀋陽老辺餃子館へ行き、食事を楽しんだ(乙第24号証)。この頃すでに、高木に「老辺餃子館」を開くことの打診があり、そのような話も兼ねて食事に行ったのである。
昭和59年(1984年)12月に「王克鎮」氏一行が来日したので歓迎した(乙第25号証)。
昭和60年(1985年)7月17日から27日までの10日間、契約のために公司から関係者一行が来日(乙第26号証)。7月25日に、王克鎮氏の仲介で高木の自宅で契約書に双方署名した(乙第26号証)。署名後の契約書は代表団が中国へ持ち帰り、押印をして1部郵送されてきた。
契約後の翌年、東京・新宿での開店を準備する中で、昭和61年(1986年)8月22日、高木等は最後の打ち合わせに訪中し、瀋陽老辺餃子館を訪問した(乙第27号証)。東京の店内の装飾をどのようにするか、什器類の視察、特に餃子の蒸し器が東京で準備できるかどうかなど、東京から設計者も同行して入念に打ち合わせをした。その時、高木は、既に派遣されることが決まっていた、孫志明、王連東等3人と記念撮影をした(乙第27号証)。
上記事実のとおり、被請求人は、当時の瀋陽市対外経済合作顧問委員会の顧問、王克鎮氏の仲介により、公司と東京に「老辺餃子館」を開く契約を結んだのである。
(3)請求人は、公司との契約書について、被請求人による日本国内での商標出願を許可した条項はないと主張している。
しかし、日本で営業を開始するに当たり、店舗名を支障なく使用する途を確保するのは当然であり、その必要性があるのも当然である。契約書の文面では商標登録出願に言及していないが、王克鎮氏及び公司の関係者は被請求人が日本で商標登録出願をしたことは承知しており、何ら異議もなく問題は一切生じなかった。
また、請求人は、「実際に技術供与料が送金されていたものかどうか不明であり、… 」とも主張している。
被請求人は、昭和61年11月、新宿に「老辺餃子館」を開業したが、その前月末の昭和61年10月31日から平成5年9月7日まで、公司にロイヤリティーとして、合計27,685,572円を支払っている(乙第28号証)。
(4)請求人は、被請求人と公司との間で生じたトラブルについて、「公司の誰との間で、いつ、いかなる方式でかような重要な合意をなしたというのか合意文書を示して明らかにすべきである。」、「新たな契約内容について具体的に説明すべきである。」、「契約の約束とは何なのか不明である。」などと主張している。
トラブル発生の原因は、公司が料理人へ約束どおりの給料を支払わなかったこと、確かな技術を持つ料理人を派遣しなかったことに端を発したので全面的に公司の責任であった。
そのよう公司とねばり強く話し合いを続けて合意したのであり、中国の国の機関である公司に謝罪文や新たな書面を求めても出すはずはなく、すべてロ頭での話し合いによって解決した。解決を図るために公司からも関係者が度々来日した。このような時、国が謝罪文や合意文書を出すことがないのは請求人が一番理解できるはずである。
公司との合意は、公司があらためて王連東を派遣すること、王連東に技術料としての給与を支払えば、公司に使用料は支払う必要はないこと、引き続き「老辺餃子館」、「老辺餃子」の名称を使用することができることを被請求人が受け入れることによって、被請求人から公司への損害賠償の請求はしないこと、であった。
被請求人は、公司とトラブル解決の話し合いをしていた平成4年及び平成5年もロイヤルティーは、公司に支払っていたのである(乙第28号証)。
このように、公司は充分すぎる程のロイヤリティーを受け取っていたので、損害賠償に応じるとなると相当のダメージを受けることを考えて、先のような合意による解決になったものと考えている。
その後は、本件事件が突然生じるまでは、全く問題はなく平穏であり、新宿の「老辺餃子館」は今年20年目を迎えるのであるが、瀋陽老辺餃子有限公司がいつ民営化されたのかも全く知らなかった。
(5)被請求人には契約を解消しなければならない理由は全くなかった。 瀋陽者辺餃子館が民営化され、請求人代表者が経営を引き継いだのであれば、実体に変更はないので、当然、従前発生していた権利・義務も承継しているはずである。それ故、契約関係も消滅しているはずはなく、請求人は、被請求人との合意事項を履行する義務がある。
(6)請求人は、自国の国の機関であった公司の行為を無視し否定するかのような主張であるが、請求人の代表者は、後述のとおり、国営であった集団公司に辺江氏と共に所属していたのであり、国営の瀋陽老辺餃子館についても全て知っているのである。
しかるに、このような主張をするのは、被請求人が20年に及ぶ努力の末、日本で評判を得て、店名も広く知られるようになり、日本で成功していることを奇貨として、これ幸いに被請求人の周知性を横取りしようとしているに他ならず、請求人の行為こそ不正である。
また、請求人は、中国で著名だとか世界的に知名度があるとか主張しているが、主張だけはいくらでも言える。立証は全くない。
請求人は弁駁を通じて、自らの立証義務を果たしておらず、被請求人を非難するばかりである。特に、中国側の事情については、知っていながら意図的に隠蔽しているとしか考えられない。公司のことも含めて自ら精査して明らかにすべきである。
(7)請求人は、「王連東が被請求人に雇われるようになった1994年5月頃は同人は請求人に所属して請求人から派遣される料理人ではなく、4代目と称されるべき『老辺餃子』の正当な承継者でもない。また辺江が2001年に来日したのも王連東の個人的な誘いで一時被請求人に雇われていたというに過ぎず、請求人が派遣している訳でもないから、 …」と主張しているが、事実に反している。
被請求人は、本答弁書の冒頭に、請求人について調査した結果を説明したが、それからも明らかなように、王連東が来日した1994年(平成6年)5月は、瀋陽老辺餃子館は完全な国営であった。誰を派遣するか、派遣期間はいつまでかなど、料理人の派遣については全て公司の指示によるものであった。
また、辺江氏が来日していた2001年(平成13年)5月から1年間についても、民営化された請求人は存在していない。当時は、1996年(平成8年)10月に設立された国営の「瀋陽飲食服務集団公司」の下にあり、この集団公司に管理されていた。
また、請求人は、「王連東、辺江 … 因みに両者は中国でいうなら中堅クラスの料理人に過ぎず、老辺餃子の4、5代目などといわれる地位にはない。」と言っているが、乙第29号証からも明らかなように、辺江氏は瀋陽老辺餃子館の料理人としての正当な継承者(5代目)であり、請求人代表者は、共に集団公司に所属していたこともあり、辺江氏のことは重々承知しているはずである。
(8)請求人は、「『老辺餃子』はギネスブックにも掲載されるほど知名度があり、中国のみならず世界的な知名度があるということができるが、」と主張している。
ギネスブックは、あらゆるジャンルの「世界記録」を集めている本。世界的な知名度とは関係ない。甲第4号証をみてもいつ登録されたのか分からないが、対象は「最も歴史の有る餃子館」となっているにすぎず、甲第4号証は中国版である。日本語版に掲載されているはずはないので、日本で「瀋陽老辺餃子館」が広く知られているということはない。仮に、中国の瀋陽に老辺餃子館という店があるということが日本でも知られているとすれば、全て被請求人の宣伝広告のお陰である。
請求人は、周知性、著名性を獲得していると主張するがなんら立証されていない。
被請求人は、「瀋陽老辺餃子館」が、瀋陽では歴史と知名度を有することは否定しない。それ故、公司の勧めに従って日本で「老辺餃子館」を経営することを決心したのであり、それ以来、提携を謳ってきた。
しかしながら、被請求人は「瀋陽老辺餃子館」の名称をそのまま使用しているのではなく、被請求人が独自にデザインした「老辺餃子館」「老辺餃子」の書体やパンフレットを使用しているのである。すなわち、被請求人の「老辺餃子館」及び「老辺餃子」は、被請求人が20年に及ぶ努力の結果、多大な信用が蓄積している名称であり、被請求人が経営する日本の店である。
(9)被請求人は、乙第19号証ないし乙第21号証のとおり、昭和61年11月、「老辺餃子館」を開業した翌年1月から、数々の新聞、雑誌及びテレビ番組を通じて膨大な宣伝広告をしてきているし、第三者から「評判の店」として多くの紹介記事も掲載されている。
ここに、昭和62年1月から雑誌及び新聞に掲載された広告及び記事の各写しを提出する(乙第32ないし第201号証)。
被請求人がいかに力を入れて東京・新宿の「老辺餃子館」の周知を図り、かつ、公司との契約を履行するために、瀋陽老辺餃子館との提携を謳ってきたかがよく分かる。特に、開店した翌年の昭和62年1月から平成元年までは、毎月いろいろなジャンルの雑誌に広告や記事を掲載して広く周知を図ってきたのであり、その後も毎年、このように宣伝広告に力を入れて現在に至っている。そして、東京及び関東地方はもちろん、全国から来店してもらっており、料理も変わらぬ評判を得ているのである。
すなわち、被請求人が、東京・新宿の「老辺餃子館」を開店するまで、日本では瀋陽老辺餃子館は全く知られていなかったのである。それ故、日本では被請求人が営々として築き上げた結果、日本における「老辺餃子館」及び「老辺餃子」の商標は、被請求人が「中国料理店」に使用している商標として、需要者・取引者に広く認識されているのであり、商標法による保護に価する多大なる信用が蓄積しているのである。
(10)結び
以上主張したとおり、被請求人は、約20年前、公司との契約により、「老辺餃子館」を開業したのであるが、中国の国の機関からの使用許諾であっても、わが国で問題なく使用を継続するには、商標登録を得ることは必ず必要であり、出願をし、登録を得る特別の事情があったことは明らかである。
したがって、瀋陽老辺餃子館の名称を先取り的に出願したものでもなく、請求人の国内参入を阻止する目的も全くなかったことは、公司との契約の経緯をみれば明らかである。
被請求人の「老辺餃子館」は、平成6年5月に、王連東が再来日して働くようになった後は、公司との問題も生じることはなかったので、互いに協力・宣伝し合って営業成績をあげようとの約束どおり、常に瀋陽老辺餃子館との協力関係を謳い、その存在を日本で知らしめてきたのである。
請求人は、現在の請求人が存在していなかった国営の頃も存在していたかのように虚偽の主張をしており、かつ、中国の事情は日本では分からないだろうとの意図のもとに事実を歪曲しており、請求人の主張こそいずれも不当なものであり、被請求人が築き上げてきた信用を横取りしようとする不正な行為である。
以上のとおり、被請求人は、不正の目的をもって本件商標の登録を得たものでは決してなく、また、本件商標の登録が国際信義に反するようなことでは断じてない。
3 答弁(第3回)
(1)請求人の弁駁書2を通じて全体的に感じられるのは、請求人が国営企業から民営企業に移行したことについて、「企業としての同一性に変更はない以上、国営企業時に生じた権利義務を承継することは当然の前提である。」といいながら、被請求人が提出した契約書(乙第2号証)の存在すら知らなかったと思われ、かつ、契約に伴った背景や事情は全く知らなかったことが明らかになったことである。
すなわち、国営時代にどのような権利義務が生じていたのかさえ分からず、詳細な引き継ぎはもちろん調査さえもしておらず、乙第2号証の契約書の文言のみを盾に、被請求人の主張を証拠もなしに否定し続け、ただ強気に攻撃しているにすぎないといえるのである。
もし、請求人が、国営時代に生じていた被請求人と公司との関係を理解し、事実関係を知ったうえで、契約期間のことや使用許諾のことなどに疑義があるというのであれば、正当な手続きを踏んで、被請求人に通知をすることによって、話し合う余地があったはずである。それが、紛争解決に関する契約書第32条及び第33条の精神である。
すなわち、請求人は公司と被請求人との関係を一切無視して、何も知らなかったことを隠すために、契約書の文言のみをよりどころに、被請求人の行為を不正なものと言い立てているにすぎず、更に、被請求人が公司との事実関係を詳細に説明したことについても、無理やり否定する態度に終始しているのであり、全く遺憾である。
そこで、被請求人は、更に事実関係を明らかにすべく、「王連東」と被請求人代表者、高木政幸の「陳述書」を提出する。
(2)まず、被請求人は、1987年(昭和62年)6月に公司から派遣された料理人の「王連東」の陳述書を提出する(乙第202号証)。
瀋陽市生まれの王連東は、1965年8月、瀋陽市の中学校を卒業後、同年12月に瀋陽市の盛京飯店の「老辺餃子館」に調理師として配属され、約21年半に亘り餃子一筋に働き、餃子師2級の免許をもらった。
1987年4月に飯店の薛経理と公司の任玉斌氏から日本の「老辺餃子館」に行くようにいわれ、同時に、先に派遣している2名の餃子師の面倒をよく見るようにもいわれ、1987年(昭和52年)6月に訪日した。
王連東は、被請求人の「老辺餃子館」では、真面目に仕事に取り組んでいたが、先に派遣されていた2人の餃子師の不平不満や真面目に働かない態度に困っていた。
1990年(平成2年)7月に辺江氏が公司より派遣されてきたので、交代して、9月に中国に帰った。その辺江氏は、1991年(平成3年)8月に帰国、そして、最後の孫が平成3年(1991年)末で帰国したので、公司から派遣された料理人が全員いなくなってしまった。
王連東は、中国に帰国後は、盛京飯店に戻って盛京飯店の「老辺餃子館」で前のように働いていたので、公司から派遣された料理人が全員帰国してしまったために生じていた被請求人と公司とのトラブルについては知らなかったが、そのトラブルの原因が、料理人の斉と孫の2人の給料に対する不平不満と真面目に働かなかったことから生じたのは明らかである。
王連東は、1994年(平成6年)春頃、飯店の経理の董忠誠氏と公司から、日本の「老辺餃子館」に今度は公司からの派遣ではなく、個人の資格で是非行ってもらいたいといわれ、承知した。
(3)王連東が、公司からではなく個人として派遣された後、盛京飯店からも公司からも何の連絡もなかったということは、たとえ、雇用関係が切れたといえ、盛京飯店も公司も、被請求人の「老辺餃子館」に、以後一切クレームを付けない、何の要求もしないということであり、被請求人との話し合いの結果、その約束を守ってきたのである。
玉連東は、1987年(昭和62年)4月に日本の「老辺餃子館」に行くようにと指示した飯店と公司の人物の氏名を明らかにしており、更に、1994年(昭和6年)春頃、個人の資格で是非行ってもらいたいといった2人の氏名も明らかにしている。「是非行ってもらいたい。」との言葉の中に、公司側が被請求人とのトラブルを解決したいという意思が読み取れるのである。
そして、どのような話し合いの内容で解決し、今日に至っているかは、被請求人の代表者である高木の「陳述書」(乙第203号証)において明らかである。
(4)高木は、1979年(昭和54年)10月17日から28日まで、第一期訪中友好団の一員として広州、杭州及び北京を訪問し、北京滞在中、友好団の古澤副団長の紹介で、その後個人的に友好を深めることになる「王克鎮」氏と知り合ったのであり、王克鎮氏と知り合ったことが、後に中国との貿易を始めることになり、度々訪中することにもなった。
1984年4月に瀋陽を訪れたとき、王克鎮氏に初めて「老辺餃子館」へ連れて行ってもらい、初めて蒸し餃子を食べた。当時の日本では餃子は今ほど重宝されてはいなかったので、興味が沸いた。これをきっかけに、王克鎮氏から日本で「老辺餃子館」をやってみないかといわれ、日本の店の者とも相談し研究することにして帰国した。
(5)その後、高木は日本のレストランの担当者達と相談し、瀋陽の「老辺餃子館」も見学し、種々検討の結果、日本において開店することに決めたのである。そして、1985年(昭和60年)4月に訪中し、瀋陽において日本での「老辺餃子館」の開店について公司と詳細な打ち合わせを行った。
その時、高木は日本での商標登録についてきちんと話をしている。すなわち、日本で商標登録をしておかなければ、宣伝広告をして営業を続ける価値がないこと、登録ができなければ提携の話は中止することを申し入れた。
公司は、北海道・札幌で一店舗営業していることを理由に当初躊躇していたが、札幌を現状維持にするとの条件で、日本での商標登録を認めた。また、契約は東京都内となっているが、この点については公司からの要望でそのようにした。「上の方との関係もあるので、」という理由の詳細は分からないが、メンツを重んじる担当者の立場も考えねばならなかった。
このような話し合いを得て、契約を締結することになり、契約には公司から来日することになった。この時の公司の責任者は、公司代表として契約書に署名した総経理(Gong Guo Fu)氏であった。
(6)帰国後、高木は、日本への商標登録出願の手続きをし、公司代表団が来日するのを待ったが、なかなか来日の許可がおりず、1985年(昭和60年)7月になって来日したので、契約締結に至ったのである。
高木は、新宿での「老辺餃子館」の開店に向けて店舗の物件を探すもなかなか良い物件がなく、現在の店舗に決定したのは、1986年(昭和61年)9月になってからのことであり、同年11月に開店した。
開店はしたもののどのような問題が起きていたのか、高木の陳述書に述べられており、かつ、王連東の陳述書からもその理由が明らかになった。
その間、問題が起きる度に、公司の程宝太氏に連絡を取ったり、程氏の要請で給料を上げたりしたが、ついに平成3年(1991年)12月で公司からの派遣料理人がいなくなってしまった。
そこで、被請求人と公司との間でトラブル解決のために話し合いをした。公司の程宝太氏は、公司の副総理の地位にあり、被請求人との問題解決のための担当責任者であった。
高木は、具体的な数字を挙げて、損害を蒙っていることを程宝太氏に強く申し入れたが、程宝太氏からは、公司としては金員の返還や損害賠償は困るの一点張りだったので、熟慮の末、料理人を公司からの派遣ではなく個人で来日させること、商標の使用は無期限、無料であること、これに対して、公司は今後金銭的要求はしないこと、被請求人は損害賠償を申し立てないこと、今後は互いに老辺餃子の宣伝に努めることで話し合いが成立したのである。
その結果、王連東が個人の資格で来日することになった。
その後は、公司からも飯店からも一切連絡はなく、開店からすでに20年を過ぎた。その間、被請求人は、新宿の「老辺餃子館」と共に、瀋陽の「老辺餃子館」を大いに宣伝し(乙第18ないし第21号証、乙第32ないし第201号証)、被請求人の「老辺餃子館」は、お客様から多大な信用と好評を得て、今日大いに繁盛しているお店となった。
(7)以上のとおり、提出した王連東と高木の陳述書の内容には一点の曇りもなく、事実を述べたものである。
請求人は、被請求人の答弁書(第2回)に対する弁駁として、細かいところを取上げて、重箱の隅をつつくような主張をしているが、何の裏付けもない勝手な言い分に終始していることは明らかであり、請求人の主張は、全く根拠のないものであることが一層明白となった。
(8)以上のように、本件の争点の一つである公司との契約当初、日本で商標登録をすることについて、公司の承諾があったか否かについては、高木の陳述書において明確に承諾があったことは明らかである。
すなわち、高木は、膨大な費用をかけて宣伝広告をし、「老辺餃子館」を開店するからには、日本での商標登録をする必要性があること、そして、商標登録の重要性は十分認識していたからである。
また、公司とのトラブル解決に当っても、被請求人が公司に損害賠償を申し立てないこととし、その代償として、王連東の個人の資格での派遣と共に、商標については無期限、無料とし、公司からの金銭的要求もしないことで解決したのである。
その証拠に、新宿の「老辺餃子館」は、平成18年11月で開店20年を迎えたが、今日まで、王連東に対しても、被請求人に対しても公司からの連絡は一切なかったので、公司も被請求人との約束を固く守っていたといえるのである。
以上、被請求人は、不正の目的をもって本件商標の登録を得たものでは決してなく、また、本件商標の登録が国際信義に反するようなことでも断じてない。

第4 当審の判断
1 請求人及び被請求人が提出した各証拠及び両当事者の主張の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1)請求人の歩み
ア 1985年当時(乙第2号証作成当時)は、請求人老辺餃子館は完全な国営であって、実際に管理していたのは「瀋陽市服務業管理局」、対外的な交渉や契約は「中国沈(瀋)陽国際経済技術合作公司」(被請求人が契約した公司である。)が担当。
イ 1996年(平成8年)10月に「沈(瀋)陽飲食服務集団公司」が設立。瀋陽老辺餃子有限公司は、この集団公司の組織下に入る。
ウ 1997年(平成9年)に、請求人の現代表者であるツィタオが総経理に就任。
エ 2003年(平成15年)10月25日、中国の制度改革によって、瀋陽老辺餃子有限公司は国営から民営に変わる(ツィタオ氏が筆頭株主となる。)。
オ 請求人は、中国沈陽市に本店を置き、飲食・娯楽・ホテル・チェーン店の経営と、食品生産を行っている。その設立は1829年で176年の歴史があり、創業者の辺福氏が開発した蒸し餃子を初めとする料理の店舗提供を行う「老辺餃子館」を経営し、また、同飲食を初め娯楽・ホテル業を含む80余店のチェーン店や支店を北京、広州、甘粛、内モンゴル、山東省等に展開し、さらに、中国以外では、アメリカ、日本、オーストラリア、韓国、台湾等にチェーン店を開設している(甲第1号証)。
(2)本契約書について
1985年(平成60年)7月25日付けの本契約書(乙第2号証)は、「公司」を甲、被請求人を乙として、甲が乙に対し中国審陽老辺餃子館の商号及び商標の使用を承認し、かつ、その調理の技術を供与することを内容とするものと認められる。本契約書の第1条には、甲は乙が東京都の区域内において、契約有効期間内中、中国審陽老辺餃子館の商号及び商標を使用して、甲の派遣員と共に営業することを承認すること、第5条には、乙は甲に対し技術員1名につき、技術供与料を日本円で支払うこと、第6条には、前条の技術供与料には第1条の中国審陽老辺餃子館の商号及び商標の使用承諾料を含むこと、第28条には、この契約は調印の日から発効し、有効期間は甲の派遣員が日本、東京に到着した日から満2ヶ年に達する日までとすること、第29条には、この契約の有効期間満了の2ヶ月前までに乙が甲に対し契約更新を申し出たときは、この契約は有効期間を2ヶ年として更新されること、第32条には、本契約規定につき若し紛争が生じたときは先ず甲、乙相方が誠実、友好的に解決するが、解決不能の時は中国人民共和国対外経済裁決委員会を通じて解決すること、第33条には、この契約に定めのない事項が生じた時は甲、乙が誠意を以て協議する旨記載されている(乙第2号証)。
(3)被請求人による商標登録出願とその経緯
被請求人は、昭和60年4月24日に篭文字の「老辺餃子」及び「老辺」(一部デザイン化されている。)の商標を旧第32類「ぎょうざ」を指定商品として出願し登録を得た(登録第2001073号商標及び登録第2040386号商標)のを始め、平成4年5月14日に「老辺餃子館」の商標を第42類「中華料理を主とする飲食物の提供」を指定役務として、また、平成12年3月29日に「老辺」の商標を第42類「飲食物の提供」を指定役務として出願をし、登録を得ている(登録第3002406号商標及び登録第4479033号商標)(乙第14ないし第17号証)。
(4)請求人の商標について
請求人は、中国国内において出願をした商標「老辺」(指定商品:餃子その他)につき登録第1964299号として登録を受け、これが、1999年6月16日付けで沈陽市工商行政管理局より、沈陽市第4回著名商標と認定されたこと(甲第3号証及び甲第6号証)、また、2000年には、上海大世界ギネスブックに「最も歴史の有る餃子館ー『老辺餃子』」がNo.01069として登録され(甲第4号証)、多くの受賞をし、かつ、中国100強チェーン店に認定されるに至る(甲第5号証)。
また、本件査定時前の1991年1月発行及び1993年1月発行の中国のガイドブックには、請求人老辺餃子館の店舗名と、そこで提供している餃子名「老辺餃子」が紹介されている(甲第9号証の1及び2)。しかしながら、甲第10ないし第13号証のガイドブックおよび新聞記事は、本件査定後の2006年及び2007年のものである。
(5)被請求人の老辺餃子館における本件商標の使用と宣伝広告
被請求人の老辺餃子館の案内パンフレット及びウェブサイトには、請求人老辺餃子館の中国本店と老辺餃子の紹介と共に王連東が料理長であることが掲載されている(乙第3ないし第6号証)。
そして、被請求人は昭和61年11月18日に東京都新宿区より営業許可書を得て、東京都新宿区の老辺餃子館を開業し(乙第7号証の1)、その翌年にあたる1987年(昭和62年)から本件商標の登録出願時、査定時はもとより現在に至るまで継続して、被請求人の「老辺餃子館」及び「老辺餃子」が、各種ジャンルの雑誌及び新聞に掲載されたこと(乙第32ないし第201号証)。
(6)被請求人と公司との間で生じたトラブル
被請求人の老辺餃子館開業当時、公司より派遣された3名の料理人が、平成3年末には全員いなくなったため、平成5年9月に店名を「龍幻餃子館」に変更、その後、王連東が平成6年5月に来日、平成6年には元の「老辺餃子館」に変更(乙第7号証の2及び3)し、現在に至っていること。
(7)王連東の陳述書(乙第202号証の1及び2)
ア 1987年4月に飯店の薛経理と公司の任玉斌氏から日本の「老辺餃子館」に行くようにいわれ、王連東は、1987年(昭和62年)6月に訪日した。
イ 王連東は、先に派遣されていた2人(斉と孫)の餃子師の不平不満や真面目に働かない態度に困っていた。
ウ 1990年(平成2年)7月に辺江氏が公司より派遣されてきたので、交代して、王連東は、9月に中国に帰った。
エ 王連東は、中国に帰国後は、盛京飯店の「老辺餃子館」で働いた。
オ 王連東は、1994年(平成6年)春頃、飯店の経理の董忠誠氏と公司から、日本の「老辺餃子館」に今度は公司からの派遣ではなく、個人の資格で是非行ってもらいたいといわれ、承知し来日した。
(8)被請求人の代表者である高木の陳述書(乙第203号証)
ア 1979年(昭和54年)10月、第一期訪中友好団の一員として北京を訪問をきっかけに、「王克鎮」氏と知り合い、このことが、後に中国との貿易を始めることになり、さらには、同氏から日本で「老辺餃子館」をやってみないかといわれた。その後、高木は日本において開店することに決め、1985年(昭和60年)4月に訪中し、瀋陽において日本での「老辺餃子館」の開店について公司と詳細な打ち合わせを行った。
イ その時、高木は、日本で商標登録をしておかなければ、宣伝する価値がないこと、登録ができなければ提携の話は中止することを申し入れた。公司は、北海道・札幌で一店舗営業していることを理由に当初躊躇していたが、札幌を現状維持にするとの条件で、日本での商標登録を認めた。
ウ このような話し合いを得て、契約を締結することになり、契約には公司から来日することになった。この時の公司側の責任者は、公司代表として契約書に署名した総経理のGong Guo Fuであった。
エ 帰国後、高木は、日本への商標登録出願の手続きをした。
オ 1985年(昭和60年)7月になって中国から公司が来日したので、契約締結に至った。
カ 新宿での「老辺餃子館」の開店は、1986年(昭和61年)11月である。その後、中国から派遣された料理人が働かない等のトラブルが続き、その間、問題が起きる度に、公司の程宝太氏に連絡を取ったり、程氏の要請で給料を上げたりしたが、ついに平成3年(1991年)末で公司からの派遣料理人がいなくなってしまった。
キ そこで、被請求人と公司との間でトラブル解決のために話し合いをした。公司の程宝太氏は、公司の副経理の地位にあり、被請求人との問題解決のための担当責任者であった。結局、高木は、料理人を公司からの派遣ではなく個人で来日させること、商標の使用は無期限、無料であること、これに対して、公司は今後金銭的要求はしないこと、被請求人は損害賠償を申し立てないこと、今後は互いに老辺餃子の宣伝に努めることで話し合いが成立した。その結果、王連東が個人の資格で来日することになり、その後は、公司からも飯店からも一切連絡はなく、開店からすでに20年を過ぎた。
2 以上より勘案すれば、王連東及び高木の陳述内容は、これを裏付ける客観的証拠の提出もあり、かつ、具体的な公司の名前を挙げている点等において、また、当時の中国の社会情勢を考慮してみれば、かなり信憑性があるものと認められるものである。
また、本契約書締結後、公司から料理人が派遣され、被請求人は、1986年11月に、東京都新宿区新宿に中国料理店「老辺餃子館」を開業したものの、料理人が全員いなくなるというトラブルが生じ、このトラブル解決の為に、公司との話し合いをした結果、被請求人は、料理人を公司からの派遣ではなく個人で来日させること、商標の使用は無期限、無料であること等に対し、公司は今後金銭的要求はしないこと、被請求人は損害賠償を申し立てないこと、今後は互いに老辺餃子の宣伝に努めることで話し合いが成立し、これに基づいて被請求人は、請求人老辺餃子館との協力関係を謳い、本件商標を各種雑誌、新聞等において広告宣伝し現在に至っているものと推認されるものである。
以上のことを総合勘案し、本件商標が商標法第4条第1項第7号及び同項19号に該当するか否かを、以下のとおり判断する。
(1)商標法第4条第1項第7号について
上記認定したとおり、本件商標は、請求人の業務に係る役務を表示するものとして使用されている「老辺餃子」と類似するとしても、被請求人がその商標登録出願をしたことについては、公司との話し合いによった行為であるといえるものであって、不正の目的をもって出願し使用するものでなく、国際商道徳に反するものでなく、また、公正な取引の秩序を乱すおそれもないばかりでなく、さらに、国際的信義に反するようなものともいえない。
加えて、本件商標は、その構成上記のとおりであって、その構成自体がきょう激、卑わい、差別的若しくは他人に不快な印象を与えるようなものではない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当しない。
(2)商標法第4条第1項第19号について
請求人の提出に係る甲各号証によれば、請求人の業務に係る役務を表示するものとして使用されている「老辺餃子」が、中国においてある程度知られていたとしても、該「老辺餃子」が、本件商標の登録出願時に、請求人の業務に係る役務の商標として、我が国の取引者、需要者の間に広く認識されていたものとまで認めることはできない。
また、上記で認定したとおり、本件商標は、不正の目的をもって使用をするものともいえない。
したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第19号に該当しない。
3 請求人の主張について
請求人は、被請求人が、本契約書に本件商標の登録出願を許可した条項がないのに、請求人に無断で本件商標の出願を行い登録を受けた。また、請求人は、王連東に、沈陽市に帰国した1998年?1999年頃、本件商標の日本国内での無断使用に対し抗議を申し入れたが、被請求人からは、何の回答も得られず、むしろ、ホームページ等で請求人と提携した旨の虚偽の事実を流布し不正な意図を持って本件商標の出願を行い登録に至らしめた旨主張する。
しかしながら、上記のとおり、本件商標を出願し、登録を受けることについては両者間で合意が得られていたものと推認されるものである。また、請求人が抗議を申し入れた相手が被請求人ではなく、料理人である王連東であり、しかも、被請求人からは、何の回答も得られないとして、抗議を受けてから、本件審判請求するまで、正式な抗議をせずに放置していたこと自体不自然である。このようなことに疑義があるのであれば、乙第2号証の契約書の紛争解決に関する第32条及び第33条により話し合う余地があったはずである。そうしてみると、請求人のこれらの主張を採用することはできない。
4 以上のとおり、本件商標は、商標法第4条第1項第7号及び同第19号に違反して登録されたもとはいえないから、その登録は、商標法第46条第1項の規定により、無効とすることはできない。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2008-01-25 
結審通知日 2008-01-31 
審決日 2008-02-13 
出願番号 商願2000-34431(T2000-34431) 
審決分類 T 1 11・ 22- Y (Z42)
T 1 11・ 222- Y (Z42)
最終処分 不成立  
特許庁審判長 山口 烈
特許庁審判官 寺光 幸子
小川 きみえ
登録日 2001-06-08 
登録番号 商標登録第4480999号(T4480999) 
商標の称呼 ローヘンギョーザ、ローヘン、ローベン 
代理人 川村 恭子 
代理人 辻 惠 
代理人 佐々木 功 

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