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審決分類 審判 全部無効 商4条1項7号 公序、良俗 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) 020
審判 全部無効 商4条1項15号出所の混同 無効とする(請求全部成立)取り消す(申し立て全部成立) 020
管理番号 1021258 
審判番号 審判1998-35626 
総通号数 14 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2001-02-23 
種別 無効の審決 
審判請求日 1998-12-10 
確定日 2000-08-02 
事件の表示 上記当事者間の登録第4161447号商標の商標登録無効審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 登録第4161447号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。
理由 1本件商標
本件登録第4161447号商標(以下「本件商標」という。)は、別掲に示すとおりの構成よりなり、平成8年8月27日登録出願、第20類「木製の包装用容器(「コルク製栓,木製栓,木製ふた」を除く。),竹製の包装用容器,クッション,座布団,まくら,マットレス,うちわ,せんす,買い物かご,額縁,すだれ,装飾用ビーズカーテン,盆(金属製のものを除く。),つい立て,びょうぶ,ハンガーボード,ベンチ,木製又はプラスチック製の立て看板,郵便受け(金属製又は石製のものを除く。),揺りかご」を指定商品として、平成10年7月3日に設定の登録がされたものである。
2 請求人の主張
請求人は、結論同旨の審決を求めると申し立て、その理由を概略次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第54号証を提出している。
(1)商標法第4条第1項第7号について
(ア)本件商標は、欧文字の「DoiMucha Collection」と片仮名文字の「ドイミュシャコレクション」とを上下2段に併記してなるものである。本件商標は、チェコの画家名「Alphonse Mucha」の著名な略称である「Mucha」を含んでなるものである。
(イ)請求人は、アルフォンス・ミュシャ作の絵画の所有者であるが、その代表者「John Mucha」は、アルフォンス・ミュシャの孫に当たるものである。
アルフォンス・ミュシャは、1860年7月24日チェコに生まれ、挿絵とかポスターを制作し、彼の気品あるポスターの穏やかな美しさは、パリ市民の支持を得た(甲第1号証〜甲第23号証)。
(ウ)わが国でも、アルフオンス・ミュシャ展が彼の没後50年を記念して、1986年に、全国津々浦々25か所の美術館で開催され、わが国でも広く再認識されるにいたった。(甲第8号証および甲第9号証)。
(エ)アルフォンス・ミュシャの作品は全欧州では2010年まで有効に存在するものである。つまり、美術品の著作権の存続期間は、作者の没後70年間存在することになっているものである。これは世界的な潮流であり、わが国もその潮流に調和していく動きがある(甲第23号証)。
(オ)そうであるとすれば、画家の著名な略称を含んでいるものである本件商標を他人が本人またはアルフォンス・ミュシャの作品を正当に引き継いでいる権利者の承諾なしに使用・登録することは、作者の人格権を侵害するものである。また、正当権利者が所有する作品の著名さを盗用し、只乗りするものであるから、それらの利益を阻害し、公正な取り引きとは到底容認できないところである。
(カ)天才画家の傑作は、アルフォンス・ミュシャ及びその正当権利者である請求人の利益のために存在するものではなく、チェコ国及び人類共通の遺産でもあるから、その名称を他人が個人的利益追求の具として勝手に使用し、また登録を受けることは、公序良俗に違反するものといわなければならない。
現に、平成4年商標登録願第312059号商標(「Saison des」と「MUCHA」を上下二段に併記してなる)が出願されたとき、請求人はそれに対し異議申立をし、その商標が商標法第4条第1項第7号に該当する旨述べたところ、その申立の理由が認められた。(甲第22号証)
(キ)被請求人は関連会社である株式会社ドイプランニングの名義で、かつて「Mucha」からなる商標(商願平5-80713(第14類)他7件)を出願し、請求人が異論を唱えたところ、被請求人はこれらすべての出願を請求人に移転した。
さらに、本件商標権利者は、本件商標と同一商標(商願平5-81076(第14類)他6件)を出願し、出願人(本件商標権利者)はこれらについても請求人の異論を認め、すべて取り下げたものである。
しかるに、被請求人は、上掲の出願を平成7年7月18日に取下げていながら、本件商標を約1年後の平成8年8月27日に再び出願しているが、これは、上掲出願を取下げた趣旨に違約するものであり、道義的にも許されがたいことである。
すなわち、その当時の状況を示す書簡によれば、元被請求人の会社に勤務していた堺市文化振興財団理事長の田口恭一氏から請求人の代表者に宛てられた書簡(甲第52号証)では、田口氏は本来の著作権者であるミュシャ財団(アルフォンス・ミュシャ氏の作品を管理する団体)の立場を尊重し、上掲各商標が友好的に取下げるように解決した旨述べられている。
そして、請求人代表者がそのことを被請求人に確認を求めたところ(甲第53号証)、被請求人の代理人西岡邦昭弁理士が、上掲商標出願がすべて取り下げられたことを確認し、「アルフォンス・ミュシャの絵画の展覧会が日本でつつがなく開かれますよう、土居いずみさんと田口氏と私は、心よりお祈り申し上げます。」と結んでいる。
このことは、今後もそのようの商標を出願したり使用したりしないことが言外に当然含まれていると解釈されるものである。
しかるに、同一商標を再度出願し登録を取得し、かつ使用することは約束に違背するものである。
(ク)したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当するものである。
(2)商標法第4条第1項第15号について
(ア)請求人は、アルフォンス・ミュシャ氏の絵画を管理する「Trust of the Mucha Foundation」の商品化事業部門として同氏の署名「Mucha」のブランドのもとに英国、米国、日本で種々の商品販売活動を行っている英国法に基づき正当に設立された企業であるが、同氏の署名「MUCHA」あるいは同氏の氏名である「ALPHONSE MUCHA」なる商標について、種々の商品区分において我が国で登録商標(登録第2285896号商標ほか20件)を所有しているものである。
(イ)わが国においては、株式会社ジーイーエム(東京都中野区所在)が、請求人の総代理店となって商品化業を行っているものである。現在、株式会社アートプリントジャパン他6社にライセンシーが存在するものである。(甲第39号証)
それゆえ、もしも本件商標が被請求人によって指定商品に使用されたときには、それらも請求人の使用許諾を得たものによって販売される商品であろうと、取引者および一般需要者がその商品の出所について混同をするおそれが多分に存在するものである。
(ウ)したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第15号に該当するものである。
3 被請求人の答弁に対する弁駁
(1)商標法第4条第1項第7号に該当することについて
(ア)被請求人は、故土居君雄氏(以下土居氏と略称する)がアルフオンス・ミュシャの絵画(著作物)をつぎつぎと蒐集し、その他のアルフォンス・ミュシャ氏の絵画と合わせてわが国で展示会の開催の企画・協力し、アルフォンス・ミュシャ氏の作品をわが国で有名にした旨述べている。その際、アルフォンス・ミュシャ氏の相続人の一人であるジリ・ミュシャ氏と取り交わした契約書によれば、土居氏が、絵画をカタログやカレンダーに限定的に使用できることになっているが、それはあくまでも絵画の展示会の宣伝広告用に限定されたものである。
(イ)まず、前記契約書は無効であることを指摘する。被請求人は秘匿しているが、アルフォンス・ミュシャの相続人にはジリ・ミュシャ以外にヤロスラヴァ・ミュシャ(Jaroslava Mucha)(女性)が居り、前記契約書を締結した時点では生存していた。ミュシャ氏の絵画は二人の相続人によって共同所有されていたものである。それゆえ、土居氏は、ジリ・ミュシャ氏とヤロスラヴァ・ミュシャ氏の双方を相手方として前記契約書を締結すべきであったものである。前記契約書はジリ・ミュシャ単独で土居氏(株式会社ドイ)と結ばれているから、無権代理人による契約書ということになり、無効である。
(ウ)かりに、前記契約書が有効であると仮定しても、契約書の当事者は双方とも死去して存在しないのであるから、一身専属的な契約書は契約書の主体の不存在後は解消しているものである。
(エ)被請求人は、土居氏がアルフォンス・ミュシャの絵画を我が国に知らしめるのに貢献したと種々述べているが、それ故に本件商標を使用することが認められるということにはならないものである。
土居氏とアルフォンス・ミュシャとの契約書が無効であり、かりに有効であったとしても1990年10月2日をもって解消していることについては先述したが、それは絵画に関してであり、本件商標は絵画のような著作物ではないから、前記契約書の対象外である。かりに土居氏がアルフォンス・ミュシャの絵画をわが国に広めるのに貢献しても、だからといって、本件商標を登録・使用する権限があることにはならないものである。
換言すれば、土居氏の貢献とか前記契約事項は本件商標とは関係にないことである。
(オ)Trust of the Mucha Foundationとしては、被請求人が、「DoiMuchaCouection/ドイミュシャコレクション」として展示会で使用した場合には、観賞者は、「土居氏・ミュシャ氏両者の作品集」の展示会かと誤解し、混乱するものである。
土居氏がかりにアルフォンス・ミュシャの作品をわが国に著名にするのに貢献したとしても、作品の著名の著名さはあくまでアルフォンス・ミュシャに帰属するものであって、展示会の企画・協力者である土居氏に帰属するものではない。
(カ)このように、被請求人が展示会の内容を表示に「DoiMucha Collection/ドイミュシャコレクション」を使用すると展示会の企画・協力者が作者と誤解されるし、まして商標すなわち商品の選択標識として勝手に使用した場合には、著作権者の尊厳、名誉、威信を傷つけ、世界的文化遺産を冒涜するものである。
(2)商標法第4条第1項第15号に該当することについて
被請求人が、いくら「ミュシャ氏の世界的蒐集家とし土居君雄氏が著名だ」といってもアルフォンス・ミュシャ作品の愛好者は、アルフォンス・ミュシャに注目がいくのであり、土居氏ではない。
そうであるとすれば、本件商標を看取した者は、「Mucha/ミュシャ」に引かれるから、請求人の商品と同種商品が本件商標のもとに販売された場合には、取引者及び一般需用者は被請求人の商品も、請求人の取り扱う商標あるいは、請求人のライセンシーが販売する商品であろうと錯覚し、掴むおそれが多分にあるものである。

4 被請求人の主張
被請求人は、「本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする。」との審決を求め、その理由を次のように述べ、証拠方法として、乙第1号証ないし乙第14号証を提出している。
(1)アルフォンス・ミュシャを世界的な画家として紹介したのは、同画家の世界的蒐集家として著名な土居君雄(故人)であり、被請求人会社代表者の土居満里恵の夫である。
土居君雄は、1981年(昭和56)9月頃までにアルフォンス・ミュシャの絵画を中心とした同氏の作品のうち、リトグラフ80点、油彩画2点を、伊勢丹美術部,東欧アートセンター、そして画家ミュシャの子息でミュシャの著作権所有者であるジリ・ミュシャ(Jiri Mucha)などより購入し、蒐集活動を始めた。
そして、併せて蒐集活動を積極的に行うため、株式会社ドイ内のテクニカルフォト部に田口恭一をスタッフとして迎え、かつ企画室を設立した。
土居君雄は、アルフォンス・ミュシャの長男であり正当な相続人であるジリ・ミュシャ(乙第1号証)を1981年(昭和56)11月に日本に招待し、アルフォンス・ミュシャの展覧会の日本開催等について打合せを行い、爾後、展覧会の企画、運営並びに著作権の行使について田口恭一は土居君雄の陰の実務者として今日に至るまでアルフォンス・ミュシャの作品の紹介、普及に務めて来たことは疑いもない事実である。
(2)1982年(昭和57)1月に株式会社ドイに文化事業室を設立、田口恭一をゼネラル・ディレクターとして配置し、この田口恭一を中心にアルフォンス・ミュシャの作品の紹介、普及を中心とする文化事業の仕事を始め、同年3月〜4月に亘って「ミュシャ展」の準備に入った。
同年(昭和57)5月、資料[開催記録](乙第2号証)他のとおり8会場が内定し、同年(昭和57)8月、ジリ・ミュシャに日本展企画案のすべての了解を得ると共に、チェコスロバキア文化省、プラハ国立美術館の全面協力を得た。
しかし乍ら、英文タイトルに対し正確な日本語訳が決まっておらず、特に、「AIphonse Mucha」の日本語読みが決まっていなかったが、これを決定し、決定した和文、英文のタイトル及びサブタイトルは、爾後、今日に至るまで完全に定着し、日本語で表現する時は、マスコミをはじめ出版関係など、すべてが「アルフォンス・ミュシャ」で統一されている。
1983年(昭和58)3月24日に始まり、同年11月に至るまでの8会場での巡回展覧会の「ミュシャ展」開会式に出席した開催者側の貴賓者は、チェコ文化省海外局次長、プラハ国立美術館チーフキュレーター、ジリ・ミュシャ、土居君雄、東京展主催者 東京新聞代表他、チェコ大使館大使、外務省代表、文化省代表、全国各会場より1〜2名である。
開催記録は、入場者数260,000人 カタログ(写真集)販売58,000冊(乙第2号証)で大盛況であった。この第1回の「アルフォンス・ミュシャ展」を記念して編集した豪華装填版(乙第10号証)と普及版(乙第11号証)の2種類のカタログ(写真集)は、きわめて好評を得て、アルフォンス・ミュシャの飛躍的な名声を得るに至った。正に土居君雄の貢献した処大であった。
(3)さらに、ミュシャ展を開催してほしいとの依頼があり、ジリ・ミュシャの了解を得て、「ミュシャ展」パート2(算用数字はローマ数字に置き換えている。以下同じ。)をドイ・コレクションのみで開催することに決定し、1984年5会場、1985年3会場、1986年3会場、1987年1会場開催し、開催記録は、入場者数115,000人、力タログ(写真集)販売16,500冊(乙第3号証)である。
(4)第1回展示会の際、ジリ・ミュシャに、既に了解を得ていた来る1986年に「没後50年記念 ミュシャ展」開催に伴う「チェコスロバキア訪問代表団」の企画準備を始め、1989年(平成元年)3月29日〜4月15日に亘り「没後50年記念 ミュシャ展」日本国内の巡回展の開会式他の開催のため、チェコスロバキア文化大臣等、チェコスロバキア、スイス、ドイツより多くの関係者を招待した。公式レセプションに於いて、土居君雄は、「ミュシャ展を通してチェコスロバキアと日本の友好親善に努めた功績」により、チェコスロバキア文化功労最高勲章(ゴールドメダル)および表彰状を授与された(乙第4号証)。
なお、記念展覧会は、1989年4月東京高島屋等、全国10会場で入場者438,162人、カタログ(写真集)販売数74,834冊を記録した(乙第5号証)。
(5)斯様に、「没後50年記念アルフォンス・ミュシャ展」は全国で大反響を呼び、引き続きミュシャ展を開催してほしいと各地より多くの依頼があり、パート2展を開催することに決定した。
チェコスロバキア文化省、プラハ国立美術館、ジリ・ミュシャ氏、スヴァテック氏他に「没後50年記念アルフォンス・ミュシャ展」パート2開催についての依頼をした処、すべての許可が出て、正式にスタートし、同年8月中に10会場が内定し、打合せを兼ねて文化省海外局次長コートニー氏とプラハ国立美術館ハルトマン博士が来日することになった。
ところが不幸なことに、「没後50年記念アルフォンス・ミュシャ展」パート2開催中に、土居君雄とジリ・ミュシャが相次いで死亡したのである。
(6)アルフォンス・ミュシャの子息であり正統な相続人であるジリ・ミュシャの死後も「ミュシャ展」は、専らアルフォンス・ミュシャの展覧会や複製などの実務にたずさわっていた田口恭一が中心となり、株式会社ドイ並びに同社の系列企業が協力し乍ら二人の生前時と同じように滞りなく円滑に日本各地で開催でき、その都度予想以上の好評を得てアルフォンス・ミュシャの名声はより一層広まっていった。
なお、1990年から1997年にいたる7年間に「アルフォンス・ミュシャ展」は日本全国で31回の多きにのぼっている(乙第6号証)。
(7)土居君雄が蒐集したアルフォンス・ミュシャの作品を「ミュシャ美術館」として後世に残したいと土居家遺族が考え、「ミュシャ美術館」を建設すること、および被請求人である株式会社ドイ文化事業室が、「ミュシャ作品」の統轄的な実務管理を行うことを条件に堺市に寄贈が決定した。堺市に寄贈されたアルフォンス・ミュシャの作品は、現在、財団法人堺市文化振興財団の管理・運営で「アルフォンス・ミュシャギャラリー堺」として常時展示、一般に公開している(乙第14号証)。
いづれにしろ、チェコの埋もれていた画家、日本では知名度のなかったアルフォンス・ミュシャを日本において最初に大規模な展覧会を通じて紹介し、その後引き続いて数多くの全国規模での展覧会を開催して全国的にその名声を高め得たのは、被請求人会社およびその親会社に当たる株式会社ドイであり、かつ同社の代表者であるアルフォンス・ミュシャのコレクターの土居君雄であり、さらに田口恭一であることは明らかであり、しかもこのことは広く国の内外で周知の事実である。
斯かる事情であるにも拘らず、請求人は、アルフォンス・ミュシャが著名な画家となった背景が、没後50年を記念して全国津々浦々で開催した展覧会であるとし、甲第8号証および甲第9号証を提示して、拾かも自ら普及活動を行ったような主張をしているが、前述した通り、没後50年記念の展覧会は、被請求人会社およびその親会社の(株)ドイ,コレクターの土居君雄など、同族関連企業を中心に開催されたものであり、甲第8号証及び甲第9号証は、それぞれ被請求人が提示したカタログの乙第12号証及び乙第13号証の一部であると共に、これらの号証内の記載内容は、すべて本審判請求人サイドが作成したものであって、編集・発行に、株式会社ドイおよび被請求人である株式会社ドイ文化事業室更には財団法人堺市文化振興財団が関与し、しかも全体のゼネラル・ディレクターに田口恭一の名が記載されているように請求人はかかる実績には、一切関与していない。
以上記述したように、これを要約すればチェコの画家アルフォンス・ミュシャを日本に紹介し、これを我が国で有名な画家として育てあげたのは、紛れもなく、土居君雄であり、この土居君雄が直接関係する企業、団体および実務担当の田口恭一が積極的に支援したものであり、少なくとも請求人が一切関与していないことは明らかである。
叙上の見地から判断しても、本件商標は、土居君雄が生涯かけて蒐集したアルフォンス・ミュシャの数百点に及ぶコレクターの名前に当る「Doi」と、画家の名前に当る「Mucha」を一連に組合せてこれを造語とし、さらに蒐集を意味する「Collection」を結合させると共に、その下段に片仮名の発音綴りを併記した、所謂上下二段構造のきわめて特徴のある文字商標であることに信義的にみても何人も異議をさしはさむ余地がないものであり、しかも、過去の実績ならびにアルフォンス・ミュシャの最大の点数のコレクションを統轄して管理する権利者(被請求人)との関係において、何等「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」である道理はないものと確信する。
(8)著作権の許諾契約書について
土居君雄は、アルフォンス・ミュシャの正当な版権所有権者ジリ・ミュシャと、著作権の許諾について1981年(昭和56)11月16日付で契約書(乙第7号証)を取り交わした事実がある。
この契約書によれば、日本における「ミュシャ展」開催を円滑に遂行できるようにアルフォンス・ミュシャの作品について、全世界に亘り著作権の使用を認めており、しかも契約期間は契約の日から5年であるが、両者が満期に際して通知しない限り、契約期間が追加、続行すると定められており、ジリ・ミュシャ死後今日に至るまでジリ・ミュシャの相続人および株式会社ドイからの格別の申出がないので、この契約事項は、現在まで有効に続いているものと認められ、従って、著作権の保護期間が満了するまで許諾実施者の株式会社ドイが著作権についてその利用権を有することは明らかである。
なお、許諾実施者は、株式会社ドイであるが、その関連企業であり土居君雄の妻、土居満里恵が代表者を務める被請求人にもジリ・ミュシャが実質的に許諾をしていることは、契約書締結後の、株式会社ドイ文化事業室が主催した数多くの「ミュシャ展」についてジリ・ミュシャが土居君雄の妻が代表者である被請求人会社であるが故に何の異論を唱えなかったことからも容易に理解できる。
このことは、さらに1989年4月24日付のジリ・ミュシャより土居君雄宛の信頼に満ちた書簡(乙第8号証)からも認められる。
かかる点から考慮しても請求人の主張は当を得ず本件商標が無効事由を有することはあり得ない。
(9)ところで、審判請求理由書において、株式会社ドイプランニングの「Mucha」および被請求人の片仮名併記の「DoiMuchaColiection」に関する一連の日本国商標出願を、請求人に移転若しくは取り下げた事実を無効理由の要因として指摘している。しかし乍ら、いづれも当を得たものではない。
すなわち、前者の場合について、請求人は、株式会社ドイプランニング名義の「Mucha」を商標態様とする商標登録出願、即ち商願平5一80713号他7件の請求人への譲渡移転について、縷々述べているが、請求人よりの移転譲渡の申立に対し、株式会社ドイプランニングとしては、株式会社ドイ並びに被請求人と同族企業のこともあり、その申出に対して果たして請求人は正当な版権所有者であるか否かにより賛否両論であったが、商標の態様がアルフォンス・ミュシャ本人のサインに関するものであり、取り敢えず正当版権所有者であると判断して、譲渡移転したものである。これら一連の商標登録出願は、株式会社 ドイプランニングとしては、株式会社ドイとジリ・ミュシャとの間の契約書が継続していることもあり、画家「Mucha」との名前、特にサインが他人によって不用意に商標登録されてしまうことを虞れて、善意の下に商標登録出願を行ったものであり、この商標を自ら独占する意図がなかったものであって、少なくとも本件商標とは全く無関係のものである。
なお、株式会社ドイプランニングは、被請求人会社の株式会社ドイ文化事業室が平成6年2月14日に設立され、「アルフォンス・ミュシャ」を始め、各種美術品の展覧会の企画、運営を始め複製品などの業務を実質的に移管したため、平成8年11月29日に解散している。
つぎに、後者の場合についての被請求人の商標登録出願すなわち、商願平5一81076号他6件の出願取下行為は、丁度「アルフォンス・ミュシャ展」の開催前であり、この展覧会への協力を条件に請求人が強引に出願取下を迫ったがため、共催する新聞社その他の関係団体の立場を配慮し、展覧会の円滑な開催を優先して、止むなく取下げたものであって、請求人が主張するような無効理由を配慮して取下げたものではない。
したがって、前述した通り、本被請求人が後者の取り下げた出願に限って本件商標として改めて出願して権利を取得することに何等の不都合も違法性も存しないものである。そして、審査の過程で請求人へ移転した「Mucha」に対してと、本件商標を含む一連の片仮名並記の「DoiMucha Collection」が非類似として登録されている事実からも推察できる。
ことに、ジリ・ミュシャが1991年(平成3)4月6日の死去後の1992年(平成4)に設立されたMUCHA TRUST & MUCHA FOUNDATION」(甲第11号証参照)も、株式会社ドイとの乙第7号証に示す契約書が有効であることを認めて、著作権の利用許諾については今までどおり、日本における正当なライセンシーであることの了解を得ており、その結果、株式会社ドイの代表者で、かつ土居君雄の娘の土居いづみが今年に入って辞任に至るまで長年に亘り前記「MUCHA FOUNDATION」の理事の一員として関与していたものである。
したがって当然のこと乍ら辞任後も断続してアルフォンス・ミュシャの作品や複製などについて今迄通り業務を続けることに「ミュシャ財団」が異議、異論を唱えることがないことも明らかである。
また、請求人のミュシャ・リミテッドは、甲第11号証によれば1993年(平成5)にミュシャ・トラストによって設立されアルフォンス・ミュシャの作品、著作権、商標「Mucha」についてその保護と商業的目的を達成されたとのことであるが、商標は「Mucha」すなわち「ミュシャ」の姓やミュシャのサインなどを保護することをその役割とし、「ドイ」と「ミュシャ」とを一連に組合せた「ドイミュシャコレクション」という商標まで、これを排除することを意味してはいないし、寧ろジリ・ミュシャの生存中には土居君雄の献身的なミュシャの宣伝活動に努力した実績を高く評価していたこともあり生存中であれば、彼自身が容認していたと推測される。
以上の次第であって、ミュシャ財団が設立される前にアルフォンス・ミュシャの子息である相続人ジリ・ミュシャとの間で株式会社ドイが取り交わした著作権に関するすべての権利を取得している旨を定めた契約書(乙第7号証)が存在し、現在も有効である以上、本件商標を使用することに正当の理由を有すると共に本件商標について、請求人はライセンシーを含めて既に指定商品中の数多くの商品分野で正当に使用しているものであるから、少なくとも請求人が述べているような出所の誤認、混同を生ずることは断じてなく、況んや現状での具体的な自他商品の出所の誤認、混同を生じている事実はない。
(10)なお、請求人はアルフォンス・ミュシャの著作権の保護期間について、甲第23号証の証明書を提示して、死後70年であると主張し、2010年1月1日に消滅すると主張しているが、この保護期間は飽くまでヨーロッパ連合に属するすべての国のみが対象となるもので、アルフォンス・ミュシャの国籍チェコ国はヨーロッパ連合に属しておらず、しかも被請求人の調査した処によれば、チェコ国の保護期間は死後50年であるのでアルフォンス・ミュシャの死去した1939年より起算して1989年で既に法律上消滅しており、当然日本においてもその著作権は消滅していることは明らかである(乙第9号証)。

4 当審の判断
請求人及び被請求人の提出にかかる書証よりみて、以下の点を認めることができる。
(1)事典類において、請求人提出の甲第12号証ないし甲第16号証によれば、1988年1月1日ティービーエス・ブリタリカ発行「ブリタリカ国際大百科事典」(甲第12号証)、1988年4月28日平凡社発行「世界大百科事典」(甲第13号証)、1989年12月20日小学館発行「世界美術大事典」(甲第14号証)、(発行日不明)第一法規発行「世界美術百科4 美術事典」(甲第15号証)のミュシャあるいはミュシャ・アルフォンスの項にアルフォンス・ミュシャについての解説の掲載が認められる。1996年2月10日小学館発行「世界美術大全集24 世紀末と象徴主義」(甲第16号証)に、他の画家とともにアルフォンス・ミュシャ及びその作品についての解説とその作品が掲載されている。
甲第8号証及び甲第9号証並びに乙2号証、乙3号証及び乙5号証、乙6号証によれば、アルフォンス・ミュシャの作品の展覧会の開催について、「アール・ヌーボーの華 アルフォンス・ミュシャ展」及び「同パート2」が1983年4月から1987年6月までに全国20会場で開催され、「没後50周年記念 アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ展」、「同パート2」及び「同パート3」が1989年4月から1994年7月までに全国31会場で開催され、「アルフォンス・ミュシャ 生涯と芸術展」が1995年10月から1997年2月までに全国10会場で開催され、「アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャの世界展」が1997年4月から1997年8月までに2会場で開催されたことが認められる。
(2)「Mucha」とミュシャの作品のライセンシー契約先リスト(甲第39号証)及び、講談社1997年1月10日発行「ミュシャ小画集 夢想」(甲第5号証)、桃山陶器株式会社の商品カタログ(甲第40号証)によれば、請求人は、少なくとも前記2社にライセンシー契約を行っていることを認めることができる。
以上を総合すると、本件商標の出願時には、アルフォンス・ミュシャが1860年チェコスロバキヤ国に生まれた画家、グラフィック・アーティスト、デザイナーであり、アール・ヌーボーを代表する著名な芸術家であり、「Mucha」「ミュシャ」の文字がその略称として本件商標の出願時には我が国においても相当程度知られていたものと認められる。
本件商標は、別記の構成のとおり、「Doi Mucha Collection」及び「ドイ ミュシャ コレクション」の文字を書してなるところ、「Doi」「Mucha」「Collection」及び「ドイ」「ミュシャ」「コレクション」の各語を結合してなるものであること明らかであって、「Mucha」「ミュシャ」の文字部分が吸収されて埋没しているものでなく、かつ、全体として、不可分一体の既成の観念を示すものとして広く認識されているものとも言い難いものであるから、「Mucha」「ミュシャ」の文字部分からアルフォンス・ミュシャの略称を含むものと認識されるものであり、仮に本件商標が「ドイ氏のミュシャのコレクション」の観念を有するものと認識させることがあるとしても、「Mucha」「ミュシャ」の文字は前記の略称と認識されるものである。
ところで、商標法第4条第1項第7号の「公の秩序又は善良な風俗を害するおそれがある商標は、商標登録を受けることができない」旨の規定は、商標の構成自体がきょう激、卑わい、若しくは差別的な印象を与えるような文字、図形等から構成されている場合だけでなく、商標自体はこのようなものでなくても、これを指定商品又は指定役務に使用することが社会公共の利益・社会の一般的道徳観念に反する場合や一般に国際信義に反する商標である場合にその登録を拒絶すべきことを定めていると解されているところである。
これを本件についてみると、本件商標は、「アルフォンス・ミュシャ」の遺族の承諾を得たものとは言い難いものであるから、被請求人が本件商標を採択、使用することは、国際信義又は商取引上の信義則に反するものといわざるを得ず、公の秩序を害するおそれがあるものとみるのが相当である。
なお、被請求人は、ジリ・ミュシャとの間で株式会社ドイが取り交わした著作権に関するすべての権利を取得している旨を定めた契約書(乙第7号証)が存在し、現在も有効である以上、本件商標を使用することに正当な理由を有する旨主張しているが、仮に上記契約書が有効であるとしても、その内容はジリ・ミュシャが株式会社ドイにアルフォンス・ミュシャの作品を宣伝材料及び広報手段に使用することを許諾するものであって、作品を離れて「Mucha」の文字を使用することまでも許諾したものとは認められないから、その主張は採用できない。
また、被請求人は、アルフォンス・ミュシャを日本に紹介し、我が国で有名な画家として育て上げたのは土居君雄及び土居君雄が関係する企業・団体であるから、本件商標は、何ら「公の秩序及び善良の風俗を害するおそれがある商標」に当たらない旨主張しているが、土居君雄及び被請求人が我が国においてアルフォンス・ミュシャの名声を高め得ることに貢献したことは認め得るとしても、本件商標は、前記のとおり判断されるものであるから、その主張は採用できない。
したがって、本件商標は商標法第4条第1項第7号に違反して登録されたものであるから、同法第46条第1項第1号により、その登録は無効とすべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
別掲 本件商標

審理終結日 2000-05-16 
結審通知日 2000-05-26 
審決日 2000-06-08 
出願番号 商願平8-96182 
審決分類 T 1 11・ 22- Z (020)
T 1 11・ 271- Z (020)
最終処分 成立 
特許庁審判長 板垣 健輔
特許庁審判官 内山 進
杉山 和江
登録日 1998-07-03 
登録番号 商標登録第4161447号(T4161447) 
商標の称呼 ドイミュシャコレクション、ドイミュシャ、ドイミュカ、ドイムーチャ 
代理人 佐藤 一雄 
代理人 塩谷 信 
代理人 菊地 栄 
代理人 丹羽 宏之 
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