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審決分類 審判 査定不服 商4条1項15号出所の混同 登録しない 014
管理番号 1063252 
審判番号 審判1998-12582 
総通号数 33 
発行国 日本国特許庁(JP) 
公報種別 商標審決公報 
発行日 2002-09-27 
種別 拒絶査定不服の審決 
審判請求日 1998-08-10 
確定日 2002-07-17 
事件の表示 平成 6年商標登録願第11872号拒絶査定に対する審判事件について、次のとおり審決する。 
結論 本件審判の請求は、成り立たない。
理由 第1 本願商標
本願商標は、「ジャン フランコ アルマーニ」の片仮名文字と「GIAN FRANCO ARMANI」の欧文字を二段に横書きしてなり、第14類「貴金属,貴金属製のがま口及び財布,貴金属製靴飾り,貴金属製喫煙用具,身飾品(「カフスボタン」を除く。),カフスボタン,時計」を指定商品として、平成6年2月10日に登録出願されたものである。

第2 原査定の拒絶の理由の要点
原審において、登録異議の申立てがあった結果、原査定は、「本願商標は、イタリアの服飾デザイナーとして世界的に知られているジョルジョ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)及び同人の設立に係る関連会社(以下「申立人等」という。)がその取扱いに係る商品『紳士服』に使用し、取引者、需要者の間に広く認識されている『ARMANI/アルマーニ』の文字をその構成中に有してなるものであるから、本願商標をその指定商品について使用するときは、前記実情よりして該商品が申立人等あるいは同人と何等かの関係がある者の業務に係る商品であるかの如く、その出所について混同を生じさせるおそれがあるものと判断するのが相当である。したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第15号に該当する。」旨認定して、本願を拒絶したものである。

第3 請求人の主張の要点
本願商標を構成する「ジャン フランコ アルマーニ/GIAN FRANCO ARMANI」は、上段の文字は同じ書体、同じ大きさで、また、下段の文字は同じ間隔で書記されているものであるから、本願商標は、「ジャンフランコアルマーニ」と一連に称呼される商標である。また、本願商標を称呼した場合、淀みなく「ジャンフランコアルマーニ」と称呼し、その意味を推考したとき、イタリア人の名前であろうと推察させるものであるから、フルネームで称呼し、理解されるものと判断するのが妥当である。
本願商標の登録出願前に使用されている商標は、「GIORGIO ARMANI」であって、「ARMANI」「アルマーニ」が商標と使用され著名となっている事実はない。
本願商標の指定商品と「GIORGIO ARMANI」が使用されている商品「衣料」とは、材料、製造過程、流通等をみても両商品間に関連性は認められない。
したがって、本願商標と申立人等の使用に係る商標とは非類似であり、本願商標は著名な標章を含むものではなく、また、両商標の商品間には何らの関連性も認められないから、商標法第4条第1項第15号には該当しないものである。

第4 当審の判断
1.証拠調べについて
当審において、職権により証拠調べをした結果、請求人に通知した証拠は、以下のとおりである。
(1)「男の一流品大図鑑」(株式会社講談社 昭和53年7月20日 発行)に、「ジヨルジュ・アルマーニ」、「Giorgio Armani<イタリア>」の項に「イタリアのラルフ・ローレンとよばれるデザイナーです。・・・」と紹介されている。
(2)「舶来ブランド事典’84 THE BRAND」(サンケイ マーケティング 昭和58年9月28日 発行)に、「ジョルジォ・アルマーニ」の「特徴」の項に、「・・・着る人の個性を生かしきる才能とセンスの良さがアルマーニの身上で、それが見事に開花した商品群といえよう。・・・ミリタリースタイル、肩パット入りのブレザー、皮素材を用いたジャケットなどがとりわけ好評で、ジョルジォ・アルマーニはまさにカジュアル時代の最先端を行くファッションだ。」及び「種類【インポート】紳士/コート、セーター、ネクタイ、ベスト、シャツ、スーツ 婦人/レインコート、オーバーコート、ジャケット、スーツ、パンツ、ブルゾン、スカート、セーター、ブラウス、マフラー、ベスト、帽子」の記載がそれぞれされている。
(3)「世界の一流品大図鑑’85年版」(株式会社講談社 昭和59年12月1日 発行)に、「BLOUSON/ブルゾン」の項に、「GIORGIO ARMANI」、「ジヨルジオ・アルマーニ(イタリア)」の記載及び「レザーブルゾン 150、000円」の記載がされている。同じく、「NECKTIE/ネクタイ」の項に、「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジオ・アルマーニ(イタリア)」の記載及び「右 中 シルク100% 各13、000円 左 ウール100% 13、000円」の記載がそれぞれされている。
(4)「世界の一流品大図鑑’85年版」(株式会社講談社 昭和60年5月25日 発行)に、「婦人服/Ladies Wear」の項に、「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジオ・アルマーニ(イタリア)」の記載及び「ジャケット、スカート、ブラウス」等の商品の記載及び写真が掲載されている。
(5)「世界の一流品大図鑑’91年版」(株式会社講談社 平成3年5月23日 発行)に、「LADIES’S WEAR」の項に「ジャケット、ショートパンツ、ドレス」と記載され、「GIOORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と記載されている。同じく、「MEN’S WEAR」の項に、「スーツ」と記載され、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と記載されている。同じく、「SWEATER/CARDIGAN」の項に、「セーター」と記載され、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」が記載されている。
(6)「外国周知商標集(伊編)」に、「GIORGIO ARMANI」、「EMPORIO ARMANI」が、わが国における登録商標として掲載されている。
(7)「外国ブランド専用使用権者名簿」(社団法人 日本輸入団体連合会)に、凡例として「本書は、外国ブランドの模倣商品の輸入、製造及び流通を阻止するため、政府関係機関並びに全国都道府県消費者センター等の、模倣商品に関する紹介や相談等の便に供するために刊行したものである。」との文が記載され、また、「GIORGIO ARMANI」はブランドであり、「ジョルジオ アルマーニ ジャパン株式会社」が、専用使用権者として記載されている。
(8)「外国ブランド権利者名簿」(社団法人 日本輸入団体連合会 1999年3月 刊行)において、凡例として「本書は、外国ブランドの模倣商品の輸入、製造及び流通を阻止するため、政府関係機関並びに全国都道府県消費者センター等の、模倣商品に関する照会や相談等の便に供するために刊行したものである。」との文が記載され、また、「GIORGIO ARMANI」及び「EMPORIO ARMANI」が、ブランドであり、「ジョルジオ アルマーニ ジャパン株式会社」が、専用使用権者名として記載されている。
(9)「服飾辞典」(文化出版局 昭和54年3月5日第1刷 発行)の「ジョルジヨ・アルマーニ[Giorgio Armani,1935〜]」の項に、「イタリア北部の工ミリアに生まれる。医者になるため大学に行くが中退。20歳ごろはサラリーマン、その後リナシェンテ(百貨店)に入社し、はじめて男物の服づくりを手がけ、モードの面白さを知る。その後、ヒルトンで7年間、高級紳士服の仕事を続け、1975年にはじめて『アルマーニ』という自分の店を開く。紳士物のエッセンスを婦人服にいかし、わずか3年間で、『ジャケットの王様』といわれるほど名がひろまる。レーンコート、シャツ、皮革製品、ニットなど、スポーティ感覚の服は現代の趣向に合い、今やミラノ・アルタ・モーダ・プロンタ(オート・クチュールのプレタ・ポルテの意であるが、彼はオート・クチュールの服はつくらない)のコレクションでは最も人気のあるスチリストの一人である。作品は、デコントラクテな傾向の都会派向きのもの、つまり、マニッュシュな装いを好む人やジーンズ党にも人気がある。またアンチ・ハリウッド派の映画衣装などもアルマーニのものが多く、最近の映画では『サタディ・ナイト・フィーバー』の衣装を担当する。ミラノに住み、1日8時間から9時間を仕事に費やす。何よりも仕事が好き、というアルマーニである。」との紹介記事が掲載されている。
(10)「田中千代服飾事典」(同文書院 1981年4月25日新増補 発行)に、「ジョルジヨ・アルマーニ[Giorgio Armani]」の項に、1935年イタリアの北部のエミリアに生まれ、医大へ入学したが、3年で中退。方向転換してミラノの大百貨店ラ・リナシェンテの紳士服専門にバイヤーとして入社し、その後テーラードに定評のあるセルッティ社の紳士服デザイナーになった。そして、1973年独立し、ミラノにアルマーニ社を設立した。最も得意とするのは、アルマーニ・スーツと呼ばれるベーシックなスーツである。・・・」と記載されている。
(11)「世界の一流品大図鑑’81年版」(株式会社講談社 昭和56年5月25日 発行)に、「一流ブランド物語」の記事の「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジヨ・アルマーニ」の「キング・オブ・ミラノ」の項に「映画『アメリカン・ジゴロ』で主演したリチャード・ギアの衣装は、ジョルジョ・アルマーニがデザインしたものでした。アルマーニを特徴づけるVシェープモデルを特徴づけるぶ厚いパッドと重心の低い細いえりはジゴロの、華やかで、浮き草のようにはかない生きざまを象徴していました。この映画のデザインを担当した時点で、アルマーニはすでに「キング・オブ・ミラノ」の名をほしいままにしていました。ミラノといえば、イタリアのモードの都。伝統、優雅、上品といった事柄を重んじるパリにくらべ、ミラノは新しいだけに、軽快、斬新、明るさが売りものです。そんなミラノで「キング」とよばれ、あるいは「婦人もののサンローラン」に対して「紳士もののアルマーニ」とよばれるまでになったのですが、もちろん、ここまでくるには、多くの努力とチャンスをものにする決断が必要でした。ジョルジョ・アルマーニは1936年、北イタリアのエミリアで生まれました。医科大学入学を夢みて、勉強に精出した時期もありますが、家庭の事情で、20歳のとき、ミラノのデパート・リナシェンテに就職しました。ここで、紳士服の仕入れ部門に配属されたのが、彼の一生を決めることになったのです。当時、イタリアの紳士服地メーカーとして、ぐんぐん成長していたのが、セルッティ社でした。同社は1881年創業の毛織物の老舗でしたが、1953年、わずか19歳のニノ・セルッティが三代自社長となり、超高級品志向の路線に切りかえ、世界中に名前を拡めつつありました。積極派のセルッティは原料メーカーにあきたらず、1960年代の初め、服飾部門に進出、ヒットマン社を設立します。このヒットマン社に、アルマーニは出向の形で参画しました。営業マンからデザイナーへの道が開けたのでした。ヒットマン社に八年間在籍しました。後に「ヨーロッパのメンズモードの学校」とよばれるようになるのですが、それは、同社から経営者セルッティはもとより、アルマーニ、ロベルト・ブルーノ、シルビオ・ファーバなどが巣立っているからです。セルッティが1969年、パリのロワイヤル通りに初めてのブティックを開き、大成功したのを横目に見ながら、アルマーニも独立の機をうかがっていました。・・・」と記載されている。
(12)「The一流品」(読売新聞社 1986年4月15日 発行)に、「GIORGIO ARMANI」【ジョルジョ・アルマ一二=イタリア】の項に、長らく紳士服畑を歩いてきたアルマーニが、初めて婦人服のコレクションを発表したのは1975年のこと。素材選び、仕立て冴えを発揮して、働く女性のためのラインが生まれた。ミリタリールックや肩にパッドを入れたブレザーなどもアルマーニの発想。・・・」との記載及び「1983年に発表、フルーティとフローラルブーケの香り」の記載及び「ARMANI」の文字が入った香水の写真が掲載されている。
(13)「Hanako」(株式会社マガジンハウス 発行 1988年11月24日号)に、表紙中央部に「羨望!アルマーニの服」との記載がある。同じく、「時代を超えるイタリアの感性 憧憬のアルマーニ」の「”似合う自分”をめざすことが、人生の目的になる服-ジョルジオ アルマーニ」の項に「・・・アルマーニの軌跡を簡単にご紹介しましょう。・・・アルマーニはファツンョンを”人生をよりよく生きるための手段”にまで昇華させたという点で、・・・」の記載及び「ブラウス、キュロットスカート、ジャケット、手袋、帽子、ストール、ブーツ」の記載、「傘、バッグ、ベルト、財布」等の商品の写真が掲載され、さらに、「アルマーニ ブティック」の写真が掲載され、その写真中に「GIORGIO ARMANI」と記載されている。また、「一歩手前の人へ。デフュージョンブランド、エンポリオ。」の項に、「EMPORIO ARMANI」(「EMPORIO」と「ARMANI」の文字の間には、中央に「GA」の文字を白抜きにした左向きの鷲とおぼしき図形が配されている。)及び「ブラウス、コート、ブローチ、帽子、シューズ、セーター、マフラー、バッグ、ワンピース、ブルゾン、キュロットスカート」等と記載され、「ジョルジオ アルマーニが大人のステイタスだとしたら、工ンポリオはその一歩手前の若者たちのために作られたデフュージョン(普及版)ライン。エンポリオ=市場の名のとおり、幅広いアイテム(スポーツウェアからイブニングまで)を手頃な価格で提供。・・・」と記載されている。
(14)「FASION SHOPPING BIBLE’85 流行ブランド図鑑」(株式会社講談社 昭和60年5月25日 発行)に、「GIORGIO ARMANI」「ジョルジオ・アルマーニ」の「帝国の築き上げたライフ・スタイルは、永遠不滅の騎士道に似る。」の項に、「ファッションに興味のある人間でG・アルマーニの名前を知らないなら、死んでもらいましょ。イタリアン・カジュアルと対峙する伝統のイタリアン・テーラード界に、それこそ彗星のごとく登場したのがG・アルマ一ニだったのだ。これは1975年のこと。この年のコレクションで、”キング・オブ・ブレザー”と呼ばれ、1977年「ルオモボーグ誌」にプレゼンテーションとして発表したミニタリー・ファッションが全世界に大きな反響をあたえ、アルマーニの名声を不動のものにしたのだった。・・・」との記載及び「スーツ、ストライプシャツ、ベルト、プリントネクタイ」等の記載がされている。
(15)「MEN’S CLUB I990年8月号」(株式会社婦人画報社 1990年8月1日 発行)に、「20世紀最高のファッションデザイナー ジョルジオ・アルマーニに学ぶ。」の項に、「1974年、ファッションの震源地、ミラノで彗星のごとくデビューしたジョルジオ・アルマーニは、わずか15年間で、イタリアはもとより、世界のファッション界を席捲したといえよう。ス-ツの王者ブレザーを着た国王キング・オブ・ミラノ、マエストロ・ディ・マエストロ<巨匠の中の巨匠>など、アルマーニに魅せられた数々の呼び名が示すように、彼なくして、ミラノいや世界のファッションが語れないほど強大な影響力を持ったデザイナーといえる。・・・現在はジョルジオ・アルマーニ、エンポリオ アルマーニ、マーニ、アルマーニジーンズなどの代表的ブランドのほか、ジュニアクロージング、アンダーウェア、アクセサリー類、フレグランスなどもデザインしている。・・・」との記載、さらに、「ジョルジオ・アルマーニの最新コレクション。」、「クラシックなスーツ。アルマーニ流の正統派スタイル。」「ジョルジオ・アルマーニはトラディショナリストのためにスタイルやパターンはクラシックでありながら高度なテーラーリング技術を駆使して贅沢な素材使いによってモダンな感覚を表現した服を発表している。」「着心地の良さとシンプルなエレガンスを追求したアルマーニのプロフェッショナルの服。」と記載されている。同じく、「対象を限定しないエンポリオの服たち。」、「アルマーニの入門服としての高いエンポリオ アルマーニ、幅広い商品構成も大きな魅力だ。」との見出しのページには、「ジョルジオ・アルマーニのヤングブランドとして位置づけられているエンポリオ アルマーニ。エンポリオとはイタリア語で『市場』の意味で、年齢、職業、クラスを問わないデザインコンセプトで、ブランド誕生後9年間しかたっていないが、瞬く間に世界中で人気を集め、確固たる地位を築いた。比較的手頃な価格構成も大きな特徴で、若者がアルマーニのフィロソフィーを知るファーストステップの服としての意味合いも強い。エンポリオのショップの1号店は1981年、ミラノでオープン、今では、ヨーロッパ、アメリカ、日本を含むアジアで100店ものショップを持つほどに成長した。今シーズンのコレクションでは、アルマーニが昔から得意とするミリタリーティストの服が目についた。その辺の事情をアルマーニはこう説明してくれた。「エンポリオとアルマーニジーンズの服に関しては、・・・」と記載されている。
(16)「英和商品名辞典」(株式会社研究社 1990年 発行)の「Giorgio Armani ジョルジオアルマーニ」の項に、「イタリアMilanoのデザイナーGiorgio Armani(1934(33,35?)一)のデザインした紳士・婦人既製服その他の衣料品・靴・革製バッグ・革小物・ベルト・香水など、そのメーカー、・・・近年、価格帯を少し低めに設定したブランドEmporio Armaniを市場化しており人気を得ている。・・・」と記載されている。同じく、「Armani アルマーニ」の項に、「→Giorgio Armani.」と記載されている。
(17)「エフピー 6月号」(株式会社学習研究社 1991年6月1日 発行)に、表紙に「アルマーニの世界戦略」との特集記事の紹介がされている。
(18)「世界の一流品大図鑑’95年版」(株式会社講談社 平成7年5月10日 発行)に、「LADIES’S WEAR」の項に、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と掲載され、「スーツ、ブラウス、ベスト、パンツ、スカーフ、キュロット」と記載されている。同じく、「MEN’S WEAR」の項に、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と記載され、「ジャケット、パンツ、シャツ」と記載されている。同じく、「PERFUME」の項に、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と記載されている。同じく、「MEN’S PERFUME」の項に、「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」と記載され、「オードトワレ」及び「オードトワレスプレー」と記載され、該商品の写真が掲載され、該商品の写真中には、それぞれ「ARMANI」が記載されている。
(19)「世界の一流品大図鑑’96」(株式会社講談社 平成8年5月12日 発行)に、「WEAR[紳士服・婦人服]」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に、「ニットジャケット、ニットパンツ、ドレス、ジャケット、パンツ」と記載され、「・・・余分な装飾を排除し、着る人の個性を大切にするアルマーニの新作は、スリムなフォルムとモノトーンのシャープなコントラストが大きな特徴です。」と記載され、「シャツ、スーツ、ベスト」及び「オードトワレ スプレー」と記載され、さらに、「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に「サングラス」と記載及び「ミラノ・ファッション界の”マエストロ・デ・マエストロ”と称えられ、もっとも偉大なデザイナーと呼ばれるアルマニ。・・・」と記載されている。
(20)「世界の一流品大図鑑’98」(株式会社講談社 1998年5月30日 発行)に、「LADIES’S WEAR/婦人服」及び「LADIESE’S WEAR」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に、「ジャケット、パンツ、スカート」等が記載されている。同じく、「MEN’S WEAR」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に「スーツ、シャツ」と記載されている。同じく、「KNIT WEAR」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に「パンツ」と記載されている。同じく、「BLOUSE・SHIRT」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に、「シャツジャケット、シャツ」と記載されている。同じく、「NECKTIE」の「GIORGIO ARMANI」及び「ジョルジオ アルマーニ(イタリア)」の項に「今季のアルマーニは、織りについてこだわり、幅の狭いネクタイをリバイバルさせました。・・・」と記載されている。
(21)「『ニセブランド商品にご注意!!』のパンフレット」(社団法人 日本輸入団体連合会 1999年)に、「海外有名ブランド品のニセモノがふえています」の見出しのもと、「・・・バーバリ一、アルマーニの衣料、ロレックスの腕時計などといった海外有名ブランド商品は、消費者の間で根強い人気があることから、これに便乗してニセモノの横行が目立っております。・・・」と記載されている。
(説明)上記(1)ないし(21)によれば、「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジオ アルマーニ」「EMPORIO ARMANI」「エンポリオ アルマーニ」「工ンポリオ」「アルマーニ」「Armani」「ARMANI」が商品「コート、スーツ、ネクタイ、スカート、ブラウス、帽子、サングラス、バッグ、小物、ベルト、香水、靴」等に使用し、取引者、需要者間に広く認識されているものと認められる。
2.「GIORGIO ARMANI」及び「ARMANI」等商標の著名性について
原審における登録異議の申立てにおいて、登録異議申立人が提出した証拠(甲第1号証ないし同第37号証)及び平成13年5月23日付証拠調べ通知書より通知した資料(証拠物件)を総合勘案するに、「GIORGIO ARMANI」(我が国では、「ジョルジョ アルマーニ」又は「ジョルジオ アルマーニ」と片仮名表記されている。)は、イタリアの服飾デザイナーであり、「ARMANI」、「アルマーニ」とも略称され、また、同人のデザインした商品は「紳士服、婦人服、ジャケット、ネクタイ、帽子」等の広範囲のファッション関連商品に及ぶということができる。そして、これらの商品は、「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジョ・アルマーニ」、「ジョルジオ・アルマーニ」の各文字をからなる商標(ブランド)を使用した商品として紹介され、我が国においては、遅くとも本願商標の登録出願時までには、これらの商品の取引者、需要者の間において広く認識され、その状態は現在も継続しているものと認めるのが相当である。
また、同人は、若者向けの普及版ブランド(いわゆる「兄弟ブランド」)として「EMPORIO ARMANI」、「エンポリオ・アルマーニ」(以下、前記の商標と併せて単に「ARMANI」商標という。)を同様にファッション関連商品に使用し、これも取引者、需要者の間において広く知られているということができる。
そして以上のことは、例えば、「服飾辞典」(昭和54年3月5日第1刷文化出版局発行)、「田中千代服飾事典」(1981年4月25日新増補第1刷同文書院発行)、「世界の一流品大図鑑’81年版」(昭和56年5月25日株式会社講談社発行)、「男の一流品大図鑑’85年版」(昭和59年12月1日株式会社講談社発行)、「世界の一流品大図鑑’85年版」(昭和60年5月25日株式会社講談社発行)、「Hanako」(1988年11月24日号株式会社マガジンハウス発行)、「英和商品名辞典」(1990年第1刷株式会社研究社発行)、「世界の一流品大図鑑’98」(1998年5月30日株式会社講談社発行)、「外国周知商標集(伊編)」(独立行政法人工業所有権総合情報館備え付け)のそれぞれの「GIORGIO ARMANI」、「ジョルジョ・アルマーニ」、「ジョルジオ・アルマーニ」、「EMPORIO ARMANI」、「エンポリオ・アルマーニ」に関する記述、掲載事項、紹介記事等により十分に裏付けられるところである。
3.出所の混同について
本願商標は、「ジャン フランコ アルマーニ」及び「GIAN FRANCO ARMANI」の文字よりなるところ、これは、外国人の特定の者の名前として知られているとはいえないものであるから、外国人の名前として常に一連に称呼されるものとは認められず、むしろ、前記2.の事情からすれば、構成中の「アルマーニ」及び「ARMANI」の各文字に注意を惹かれるということができる。
そうすると、本願商標は、その構成中に「アルマーニ」、「ARMANI」の各文字を有するものと容易に認識させるものであり、前記のように我が国において、遅くとも本願商標の登録出願時までに、「GIORGIO ARMANI」(ジョルジョ アルマーニ)のデザインに係る商品を表示するものとして「ARMANI」商標が紳士服、婦人服等のファッション関連の商品分野の取引者、需要者の間において広く認識されていたものと認められる以上、かかる取引者、需要者が本願商標に接した場合には「アルマーニ」、「ARMANI」の各文字部分に着目して商品の出所について識別するとみるのが相当である。
してみれば、本願商標をファッション関連の商品と認め得る、本願の指定商品「貴金属,貴金属製のがま口及び財布,貴金属製靴飾り,貴金属製喫煙用具,身飾品(「カフスボタン」を除く。),カフスボタン,時計」に使用した場合には、これに接する取引者、需要者は、イタリアの著名なデザイナーである「GIORGIO ARMANI」(ジョルジョ アルマーニ)のデザインに係る商品を表示するものとして広く知られる「ARMANI」商標を連想、想起し、同人又は同人の事業と組織的・経済的に何らかの関係を有する者の業務に係る商品(「ARMANI」商標の兄弟ブランドに係る商品)であるかの如く、商品の出所について混同を生ずるおそれが少なからずあるといわなければならない。
したがって、本願商標は、商標法第4条第1項第15号に該当し、登録することができないから、本願を拒絶した原査定は、妥当であって取り消すべき限りでない。
よって、結論のとおり審決する。
審理終結日 2002-04-26 
結審通知日 2002-05-14 
審決日 2002-05-28 
出願番号 商願平6-11872 
審決分類 T 1 8・ 271- Z (014)
最終処分 不成立  
前審関与審査官 大島 護涌井 幸一 
特許庁審判長 茂木 静代
特許庁審判官 小林 和男
瀧本 佐代子
商標の称呼 ジャンフランコアルマーニ 
代理人 石原 庸男 

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